作品タイトル不明
53話 変転
「ぁ……がぁ……っ」
地面に転がり、鼻頭を押さえて悶え苦しむクライドから目を逸らす。
彼がどうするのかに、現時点で興味はない。確認すべきは──
「サラ様。大丈夫ですか?」
「は、い……」
声をかけられ、サラは俯きながらも答える。
……外傷はないようだが魔力の消耗が激しいのと、何より精神面で相当に消沈している。何か、ひどいものを見たような。そして思い知ったような顔だ。
駆けつける前に、クライドと何かがあったのだろう。どうやら彼とのやり取りで余程のことを目の当たりにしたらしい。
現在の襲撃が片付いたらその件についての話を聞くことも必要かと思いつつ、まずは彼女に手を貸すべく近寄ろうとして、
「……ぁ、ぁああああああっ」
叫ぶような呻き声が背後から聞こえてきた。
見ると、クライドが鼻頭を押さえながらも立ち上がって、エルメスの方を憎悪に満ちた目線で睨みつけている。
「ふざけるな……ありえない、認めない。お前が、お前が僕を殴るなんて、僕を見下すなんてそんなこと──!」
「……ああ」
やっぱり、そっちだったか。
そう思いつつ、想像より遥かに早く立ち上がったクライドにエルメスは冷たい声で問いかける。
「やられた後の言い草までアスター殿下そっくりですね。無駄にタフなところも彼に学んだのですか?」
「ぶじょくを、するなぁ……っ、僕は、あんなやつとは違う。何でお前が彼女に、ちか、づくなぁ!」
若干支離滅裂な言葉とともに、クライドが獣のように襲いかかってくる。
しかし、その動きは単純かつ緩慢だ。エルメスは軽くステップで躱すと、今度はハイキックを叩き込む。
「ぎッ! ……ぁああああッ」
「っ」
「づぁッ!! ……痛い、いたい……お前、がぁ!」
「……」
そうして何度も格闘術で痛撃を叩き込むが、クライドは悉く立ち上がって向かってくる。
……なるほど。異様にタフだと思ったが、その理由が分かった。
彼は、エルメスの攻撃を受ける瞬間受ける部位を魔力でガードしているのだ。恐らくは完全に無意識のうちに、体がダメージを減らすように動いている。
それは決して、ただの素人が狙ってできることではない。
……何という皮肉だ。どうやらこの男は徒手格闘においても、才能だけは凄まじいものを持っていたらしい。
とは言え。いくら才があろうと五年以上積み重ねてきたエルメスに近接で抵抗できるはずもない。むしろ一撃で倒れられない分苦痛を長引かせるだけだ。
そして遂に、何度目かの強撃。鳩尾への肘打ちがクライドを捉え、嗚咽とともにクライドが二度目のダウンを喫す。
「痛めつける趣味もないので、一応全部一撃で倒すつもりで打ったんですが……生まれつきのものだけは恐ろしく恵まれているところも、土壇場の謎のしぶとさもそっくりですね」
「ぁ、ああ……痛い……!」
尚もクライドはよろよろと立ち上がり、けれどエルメスにはどうやっても勝てないといい加減悟ったのか、今度はこう喚き始める。
「何故だ……! どうしてお前が立っている、どうしてお前に罰が下らない! 僕はこんなにも頑張っているし、今こんなにもひどい仕打ちを受けているのに!」
「先ほども言いましたが──貴方が弱かったからですよ」
「そんなはずがないッ! こんな惨いことが僕のせいであってたまるか、そんなのはおかしい! 何か、何か別の──そうだ」
そしてクライドが、また何かを思いついたような顔で。
「──魔物だ。魔物の質が悪かったんだ」
「……」
「そうだよ、そもそもあれだけたくさんの魔物を用意して、僕がちゃんと賢くしてやったにも関わらずさぁ、未だに結界も破れず誰も殺せていない! 竜種だって一撃でやられるなんてそんなのあり得るわけがないだろう、あの男、わざと僕を騙して意図的に弱い魔物を掴ませたんだな!」
この後に及んで、まさかの自分が強引に支配している対象に対する責任転嫁。
ある意味で絶句したエルメスは、もうこれ以上聞く意味はない、さっさと魔法で意識を刈り取って魔物の残党を掃討に向かうべく魔力を高める。
そんなエルメスにも気づかず、クライドは叫び続けた。
「あああああ! 何だよ、せっかく人類の敵であるお前らを僕が人のために有効に役立ててやったのにさぁ! 本当に使えない、どうしようもない愚図が! 本当に人類の敵なら、こいつら如きさっさと殺してみせろよ──!!」
◆
──そんな様子を、『彼』は見ていた。
『彼』は見た目から弱いと誤解されがちだが、これでも特有の魔法を持つそれなりに強い魔物……いや、『魔物たち』だった。
『彼』に、そして彼らが進化の果てに身につけた魔法は、『共有』と『同化』。それによって仲間内で意識を共有し、群であり個の生命体として活動していた。
そんな魔法をクライド……今の主人に見つけられ、知性を与えられ。彼らはそこで、自分たちの魔法を他の魔物や主人への情報伝達として使うことを覚えた。
そうすることで、段違いに効率よく人間を殺すことができた。素の力が弱い自分たちでも魔物を殺す一助になれた。
その機会を与えてくれた主人に、『彼』は心から感謝していた。
けれど。
「あああああ! 何だよ、せっかく人類の敵であるお前らを僕が人のために有効に役立ててやったのにさぁ!」
今、その主人が怒っている。自分たちの力の至らなさを責めている。
「本当に使えない、どうしようもない愚図が! 本当に人類の敵なら、こいつら如きさっさと殺して見せろよ──!!」
それを聞いて、心から申し訳なく思う。
自分たちが──自分たちの中で一番強い地竜でも、あの銀の男を殺すことはできなかった。無理もないと思う。あの男は桁外れに強い、人間の中でも見たことのないレベルだ。
でも……同時に『彼』は、こうも思うのだ。
どうしてご主人さまは……こんなに へたくそ(・・・・) なんだろう、と。
ご主人さまだって、あの男に近いくらいの力は持っている。
身に宿す魔力も生来の肉体も極上だ。それを十全に使って自分たちと一緒に戦えば、あの男だって全然殺せるはずなのに。
にも関わらず、ご主人さまはどうしようもなくへたくそだ。魔法の扱いも、魔力の出し方も、何もかも稚拙で愚鈍。あの銀の男とは比べるべくもなく、その差がまさしく実力として現れている。負けるのも当然だ。
ああ、もどかしいなぁ。
もし、あそこにぼくがいたら、お望み通りご主人さまを勝たせてあげられる。
── ぼくに(・・・) ご主人さまを(・・・・・・) 使わせて(・・・・) くれたら(・・・・) 、勝てるのに。
…………あれ?
なんだ、そっか。
そんなことで(・・・・・・) いいんだ(・・・・) 。
じゃあ、そうすればいいじゃないか。
◆
ぱたっ、とどこか間の抜けた音が響いた。
「……?」
クライドが振り向くと、そこには小さな飛行型の魔物。
楕円形の胴体にのっぺりとした目玉だけが張り付いており、その背中から一対の黒い翼が生えている。
総じて一言で説明するなら、『デフォルメされたコウモリ』のような生物。見方によっては愛らしさもありそうなこの生き物は──エルメスがここにくる時に何度も見かけた、伝達要員の魔物だ。
「……なんだお前。戦う力もない、伝書鳩よりも多少マシな程度の奴が何を──」
それを見たクライドが胡乱な目で何かを言おうとした瞬間。
──がばり、と魔物がクライドの前で大口を開けた。
「…………へ?」
そもそも口があったのかと思う魔物の突然の行動。開けられた口には丸っこいフォルムからは想像もできないほど凶悪でリアルな牙が立ち並び、それがクライドの眼前でぎらりと輝いた瞬間。
ぞぶっ、とクライドの肩口に噛み付いた。
「ぎ──が、ぎゃぁああああああああああ!?」
クライドが絶叫を上げる。
同時に、肩から夥しい量の血液が噴き出す。
呆然と、エルメスはその光景を見る。
魔物の突然の凶行もそうだが……何より、魔物の仕草。
クライドの暴言に反旗を翻した──ようには、とても見えないのだ。むしろその逆、最大の忠誠心を持って、主人の為をこの上なく思っての行動のように感じられるのだ。
あまりの衝撃、そして異様な仕草と行動の乖離にさしものエルメスも動けず、サラも顔を青くして視線を向けることしかできない。
そして数秒後、クライドの方から吹き出す血が止まる。
同時に、魔物がどくどくと異様な動きと共に形を変えて──その振動が、徐々にクライドのそれと重なっていく。
その現象が何を意味するか気づいた瞬間、クライドが恐怖に引き攣った表情で叫んだ。
「や、やめろっ! 何だお前、嫌だ、やめて、 入って(・・・) くるな(・・・) 、 僕の(・・) 中に(・・) 入って(・・・) くるな(・・・) ぁあああああああああああッ!!」
その絶叫が合図となったかのように。
肩口の魔物が、完全に形を失って融解する。同時にその魔物を構成していた黒いものがぼこぼことクライドの体の周りを覆い始め、最後には恐慌の感情で見開かれたクライドの瞳孔まで覆い尽くす。
出来上がったのは黒い繭。その中で抵抗するクライドに対して、魔物は魔法を行使する。
クライドの神経を、行動を『共有』する。クライドの肉体と『同化』する。
与えられた高い知性による、魔法の高度な応用力を遺憾なく発揮する。
それと同時に、黒い繭が更にその体積を増し、そして。
「……何だ、あれは」
出来上がったのは──『怪物』だった。
今までエルメスが見てきた魔物は、姿形が多少凶悪になっていたとは言えまだ生物としての体裁を保っていた。この世界に生きる、ちゃんとした生存のための機能を持った存在として『あり得る』、納得できる形状をしていた。
だが、こいつはどう見てもそうではない。
影が実体化したかのような、のっぺりとした黒い釣鐘型のフォルム。辛うじて人型の面影のようなものは残しているが、あまりにも肥大し過ぎているためとてもそう見えない。
加えてその釣鐘のあちこちに浮かぶ、無造作に取りつけたかのように一貫性のない眼球。血の通う気配のない白目と一切光を反射しない黒目のコントラストは、あまりにも生命を感じさせずただただ不気味。
そして極め付けは──その釣鐘の側面からこれも無造作に伸びる十数本の手。先端に手のひらこそついているが、腕の部分がぐねぐねと伸縮する様子はもう触手と言ったほうが良いかもしれない。中途半端に人間の形状を真似しているのが尚更嫌悪感を加速させる。
こんなものが、生命であるとは認め難いほどの黒い何か。子供が無造作に書き殴った落書きが実体化したかのようなアンバランスが眼前に顕現していた。
そんな怪物の多数の目が──ぎょろりと、一斉にこちらを向いた。
「ッ! ……サラ様、立てますか」
その瞬間、エルメスは悟った。
この怪物、断じて見た目だけではない。……正直なところ認めたくはないが、あのケルベロスと同種か──上回りかねない圧力を感じた。
「あの化け物、まずいです。僕単騎で勝てると確実には言い切れません。協力をお願いしたい」
「! ……は、はいっ」
エルメスの実力を知るサラだからこそ、彼の宣言は重く響いた。
紛れもなく異常事態なのだと悟り、混乱しつつも立ち上がる。
「……さて」
どうやら、この騒動。想像以上の問題を孕んでいたようだ。
そして収束のためには──最後に一つ、化物退治が必要になるらしい。
黒い壁に覆われた空間で、黒い怪物と相対して。
エルメスはそれを照らすように、紫焔の剣を握りしめるのだった。