作品タイトル不明
45話 異端の魔法
時間は少し遡り、Bクラスの教室にて。
突如として学園を覆うように現れた黒い壁、そしてその直後に現れた、夥しい量の魔物の気配。それを察知したエルメスの決断は素早かった。
「──ニィナ様、話は後にて。これはまずい」
明らかな異常事態。
当然の如くそう判断した彼は話を切り上げ、兎にも角にも現場に向かおうと足に力を込める。
ニィナの話は後回し。いや、むしろ彼女だって会話している場合ではないと悟っているはず。故に恐らく彼女もついてくるものと思って、ニィナの方に向き直る。
だが。
「……ニィナ様?」
何故か、彼女は動かなかった。
どころか、今まで通り。──この異常事態にも一切動じない、むしろ分かっていたかのような平然とした様子で口を開く。
「……話の続きだけどね」
そのまま、どこか感情が読めない様子で先程の話を再開した。
ある意味で異様な振る舞いで立ち去ることを許さない、そんな彼の前で彼女は訥々と語りを続ける。
「元々の家を追い出されたボクは、フロダイト子爵家に引き取られた。……それでねぇ、その家がちょーっと、やばい所と繋がりがあったみたいで。それ関連で、昨日上から言われちゃったんだよ──」
そして、彼女は顔を上げて、告げる。
「── ここで(・・・) 、 キミを(・・・) 足止めしろ(・・・・・) 、ってね」
「──」
困惑、動揺──されどそれは一瞬。
瞬時に彼は身構えた。持ち前の判断力で瞬時にニィナの立場を理解し、腰を落としていつでも動ける体勢を整える。
理由は不明。原因も未定。ここに至るまでの因果は知りようもない。
だが、結果は明白。……少なくとも今、この場において──
──彼女は、敵だ。
それを即座に理解し姿勢を変えたエルメスを見て、ニィナは微笑む。
「流石だね。でもそんなすぐに切り替えられちゃうとちょっと悲しいなぁ」
「……そう思ってくださるのなら、今からでも冗談にしてくれていいんですよ」
一縷の望みをかけてそう言うが、流石に取り合ってはくれない。
「……ごめんね。キミに感謝してるのは本当だけど──ボクを拾ってくれた家にも恩はあるし、事情もあるんだ。だから」
最後に彼女は目を伏せ、謝罪を一つ告げて。
再度顔を上げたときには、既にいつもの……どころか、より自信ありげな、どこか妖しげな笑みを浮かべて告げる。
「お仕事、させてもらうよ。先に言っておくね? ──ここに来た時点で、もうキミの負けだから」
「っ!」
分かる。
今の彼女との位置関係は、会話をできるほどに近い。
つまり……既に此処は、とうに彼女の間合いだ。
無類の近接能力を持つ彼女相手に、この位置からスタートして彼女を倒す……どころか、逃げ切るだけでも至難の業。
(……いや)
それだけなら問題ない──とまでは言い過ぎかもしれないが、逃げに徹すれば多少は目がある。伊達に彼女と模擬戦を繰り返していない。
よって、この場で最大の問題。彼女の自信の根拠は……と、エルメスが考えたのをまるで見計らったかのように。
「──」
ニィナが魔力を高め、息を吸う。
(やっぱり──っ)
そう。 彼女の(・・・) 血統魔法(・・・・) だ。
二人以外に現在人はおらず、学校に残っている人間も外の状況に釘付けでまず確実にここまで目は回らない。ここで彼女が何をしようと、目撃者はエルメスのみ。
──これまで秘匿してきた魔法を解禁するには、あまりにも打って付けの状況だ。
故にここで彼女が切り札を切って、確実に仕事を果たそうとするのは自明の理。
……落ち着け、と自らに言い聞かせる。
詠唱をさせる前に制圧する? いや、彼女の能力は知っている。彼女ならむしろ 詠唱を(・・・) 囮にして(・・・・) 突っ込んで(・・・・・) きた(・・) ところを(・・・・) 返り討ちに(・・・・・) する(・・) 、くらいの離れ業をやってのけてもおかしくはない。
同様に、生半な強化汎用魔法での妨害もむしろこちらの隙を晒すだけだ。ならばやることは……
(…… 見(けん) に回る。まずは魔法を見極めて、その上で離脱する隙を探す)
それが彼にとっては最も確度の高い選択だ。
実際、自信もあった。この学園に来て多くの魔法を見て、より多くの知識を蓄えた彼ならばたとえ初見の血統魔法であっても対応できる。加えて、こちらにも隠し球の一つや二つあるのだ。
そう考え、まずはいつでも動ける体勢を維持しつつ彼女を注視する。
そんな彼の眼前で、ニィナは詠唱を開始した。
「【夏夜の魔性に 糾(あざな) えよ 九重(ここのえ) 詠みしは星娘 瞼の裏には 盲(くら) き歌】」
……エルメスの判断は、概ね正解だっただろう。
むしろそれしかない。ニィナにここまで接近を許して迂闊に動けない以上魔法を待つ以外の選択肢はまず無い、彼の打った手は最善だった。
魔法に対応してみせるとの自負も、彼の実力からすれば決して傲慢ではなかった。
だが。
彼女の魔法は、彼にとっては。いや、むしろ彼であるが故に。
あまりにも……読めなさすぎたのである。
「血統魔法──『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』」
かくして、彼女の魔法が発動する。
来た、と気を張り巡らせ、よりニィナに視線を集中させる。
彼女の一挙手一投足を観察し、一瞬たりとも目を逸らさない──
──それが、目を『逸らせない』に変わっていると気付いた時には。
最早彼は、致命的なまでに彼女の術中に嵌まっていた。
「動かないでね」
言われて、気付く。
「ていうか、 動けない(・・・・) よね? ……ちゃんとかかってくれてるね。良かったぁ」
彼女の言う通り、行動がひどく抑制されている。それこそ一歩も動けないほどに。
動きを縛る類、魔眼か何か──と思ったが違う。むしろ逆、『彼女に集中すること』を強いられた結果他の動きができなくなっているのだ。
「もう分かったかな?」
気付いた瞬間、『それ』はやってきた。
「予想外だったでしょ。……うん、この手のことに疎いキミなら読めないと思った。……世の中には、『こういう魔法』もあるんだよ?」
そう告げて、悪戯が成功したかのようにくすりと笑うニィナ。……その微笑みが余りにも可憐で、先程の比でないほどに視線と意識が奪われる。
それだけではない。声色は甘やかに、表情は柔らかく、仕草は妖美で蕩けるように。
彼女から発せられる魔力を浴びるたび、更に心が奪われる。思考が甘く痺れ、意識から彼女以外のことが溶け落ちていく。
ニィナに関する情報しか、考えられなくなっていく中。
僅かに残った思考領域を懸命に回しつつ──エルメスはようやくその魔法の正体を悟る。
それは、確かに異端の魔法。
ニィナの生家が輩出する『騎士』には似合わない。どころか質実と節制、自制と忠義を是とする騎士の在り方とは真逆の、欲求を 象(かたち) にした魔法。
騎士たるものが持つにはあまりにも体面が悪すぎる、家に置いておけなくなったことが納得できてしまう、そんな──
手遅れまで周り切ったと思ったか、ニィナはとどめを刺すようなとびきりの微笑でこう告げた。
「多分、もう抵抗しても無駄だと思う。だから安心して──ボクのこと、好きになっちゃっていいよ?」
ニィナの魔法、『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』。
その効果は──『 魅了(チャーム) 』の、血統魔法。
あまりにも容易く、彼女はエルメスを絡め取ってしまったのだった。
「……とは言え、流石にまだ完全じゃないみたいだね」
されど、ニィナに油断はない。
エルメスの様子を観察し、まだ不十分と判断すると更に口を開く。
「じゃあ、足止めがてら少しお話ししよっかな」
「っ──」
今の、魅了が回りきらないよう必死に抵抗心を燃やすエルメスにとっては、彼女の声自体が恐ろしく甘い毒だ。
鈍った思考でも彼女の言葉は分かる。否──彼女の言葉だけは理解してしまうようにされている。
それを把握した上で、彼女は声だけでなく、更なる追撃の情報を開示する。
「この魔法、効果が魅了なのはもう分かってると思うけど……ちょっとした条件があってね」
「条、件……」
「そ。上の人はなんだっけ……対象への術者の感情、好感度に応じて効果が上昇するとかなんとか……何でわざわざ分かりにくく言うんだろうね?」
「!」
しかしその言葉で、エルメスは気付く。それを悟ったかニィナがこちらの心を覗き込むような上目遣いで。
「あ、気付いちゃった? そう、この魔法は分かりやすく言うと── 好きな(・・・) 相手に(・・・) 使うほど(・・・・) 効果が(・・・) 高いの(・・・) 」
それが、彼女が仕掛けた第二の罠だ。
敵対者でありながら。今まさに、自分を陥れようとしている相手でありながら──
──彼女の好意には、一切の偽りがない。この身を襲う魔法の凄まじい能力で、それが証明されてしまう。分かってしまう。
「だからさ、もう言っちゃうね。……好きだよ。エル君のこと」
理解した瞬間に、甘やかな声での告白。それが彼の理性を大幅に削り取る。
「一応さ、上の人は最初からキミのこと警戒してたみたいで。それ関連でボクもキミに──『好きになるつもりで』近づいたんだけどさ」
エルメスに、あのクラスで最初に声をかけた理由を開示しつつ彼女は続ける。
「……いや、参ったなぁ。この魔法を見るに……ボクが思った以上に好きになっちゃってたみたい、キミのこと。……あはは、流石に照れるかも。でもしょうがないよねぇ。最初からシンパシーを感じてたのは本当だし、キミと過ごすのが楽しかったのも本当だもん」
心から照れ臭そうに彼女は頬を染め、くすぐったそうに視線を逸らす。
……それが本音だと、否応なく理解してしまうからこそ。それは更なる魔法となって彼を苛む。
それでも尚、呑まれまいと意識を保つエルメス。……そんな彼の様子をどう思ったか、ニィナは今度は心持ち頬を膨らませて。
「……それでさ。ボクはこんなに一生懸命、恥ずかしいのにも耐えて告白したのに……まだ我慢するんだ。……ちょっとムカついてきたなぁ」
そう不満を告げるが、すぐに元の怪しげな笑みに戻して告げてくる。
「……じゃあ、本気出しちゃおうかな」
そうして、遂に彼女は歩き出す──エルメスの方へと、一歩。
「!」
当然、そうすればよりニィナの魅了の魔力は増す。
そして何より、彼女が近づいてきたこと自体に対して──どうしようもなく、喜びを抱いてしまう。もっと近づいて欲しいと思ってしまう。
それを叶えるように、彼女はゆっくりと歩みを進め……それだけではなく。
「キミ相手に油断はできないからね。……流石にすごく恥ずかしいけど……まぁ、いっか。キミなら」
彼女が髪留めを外し、コンパクトにまとめられていた美しい銀の長髪が下ろされる。ばさりと広がったそれから、凄絶なまでの色気が振りまかれる。
加えて、しゅるりと彼女のネクタイがほどかれ、ボタンが一つ外れる。僅かに解放された胸元から、予想される以上に柔く豊かな二つの膨らみが深い陰影を描き、あまりにも妖艶な視界の暴力となって理性を蹂躙しにかかる。
「……やっぱり、この方が効果は上がるからね」
先程以上に頬を染めながら、しかし歩みは止めることなく。近づいたことでエルメスの頬も負けず劣らずの状態であることを確認すると、むしろ彼女は上機嫌に悪戯っぽく笑う。
「……へぇ。キミでもちゃんと、こういうことには照れてくれるんだ。……ふふ、かわいー。いいんだよ? これでキミが好きになってくれるなら」
更なる甘い言葉とともに、もう触れ合う寸前まで近寄ってしまう。よりくっきりと見えるようになった透明な肌から必死に目を逸らそうとするエルメスの反応を楽しみつつ、彼女は至近距離で囁く。
「……思いついたんだけどさ。キミ、こっちに来ない?」
先ほどよりも明確な、誘いの言葉を。
「詳細は言えないけど、ボクたちも今強い魔法使いは必要なんだ。多分キミなら大歓迎されると思うし……もちろん、ボク自身も是非キミは欲しい」
「え──」
「どうかな? 待遇は保証するし、何ならキミが今近しい人たちの安全も頼めば保証して貰えると思う。キミにはそれくらいの価値はある。それに、何より……」
そして彼女は、軽く目を潤ませて。今までとは違うどこか寂しげな、縋るような表情と共に。
「……キミみたいな人が……ちゃんと、ボクの味方をしてくれるなら。……すごく、嬉しいなぁ」
「──」
……或いは。
その言葉が、最後に最も彼の心を揺さぶる決め手となったのかもしれない。
ふらり、と。
エルメスの頭が抵抗を失って、彼女の方へ傾く。
それでニィナはようやく完全にかかったことを確信し、微笑みと共に彼を抱き止めるべく腕を広げ──
──その意識の空隙を、突く。
「 術式再演(・・・・) ──『 精霊の帳(テウル・ギア) 』……!」
残った理性と意思力を総動員して、エルメスはニィナから体を引き剥がす。
そして呆然とするニィナの隙を突いて、 予め(・・) 唱えて(・・・) おいた(・・・) 血統魔法を再演。二人の間に檻のような透明の壁が展開され、物理的にも完全に分断した。
──彼女の魔法。魅了を媒介するものは彼女の体から発せられる魔力だ。
ならば、まずはその魔力の放射を結界で分断する。そうすれば少なくともこれ以上魅了を受けることはなくなり、今体内にある分の除去に集中できる。
「……はぁ……はぁ……っ」
かくして魔法の発動に成功し、分断後。ほんの僅かであるが真っ当な理性を取り戻したエルメスは、荒い息を吐きながら思う。
……間一髪だった、と。
事前の準備、彼の性質、そして──彼女の手心。
何か一つが許容を超えていれば、成す術なく彼女に絡め取られていた。
ある意味、彼がこれまで受けてきたものの中で最も危険な魔法だったと言えるだろう。
……それでも、どうにか凌ぎ切った。
あとはこれ以上魔法を受けないように、今すぐこの場を離れてカティアたちの元へと合流するのが正解──なのだが。
「……」
エルメスは思う。今も記憶に新しい、彼女のここでの言動の数々。
彼女が敵であったことは、悲しい。だが……どうしても、恨むことは、嫌悪を抱くことはできそうになかった。
それに何より──彼女が、最後に見せた表情。
ひどく切ない……泣く直前の子供のような顔。
それがどうしても、頭から離れない。
だから、と彼は立ち上がり──
──もう一度。ニィナの方へと歩き出す。
「え…………」
当の彼女の方が、驚いた顔を浮かべていた。
当然だろう。彼女自身逃げられるものと思っていたし、誰がどう見ても絶対にそうすべきだからだ。
だが、エルメスは思う。
根拠はないけれど。どうしようもない、直感じみたものでしかないけれど。
今ここで彼女を置いてしまえば……もう二度と、以前の形で会うことはできないような気がして。
既に無理だろうと言われればそれまでなのだが、そうではない。もっと致命的な何かを捨て置いてしまうような気がしたのだ。
だから、きっと、向き合うべきなのだ。
多分、彼がこの学園で学んだ──あの優しいクラス長ならば、この状況でも決して誰かを見捨てはしないだろうから。
故に、自分の意思で。これは魅了の効果ではないと信じて。
エルメスはもう一度、ニィナに正面から向き合うのだった。