作品タイトル不明
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その日はグレンダの屋敷に泊まって彼の歓待を受け、僕は翌日、トムハンスの港町を後にする。
夕食に、トムハンスの名物だと言って饗されたのは、とても大きなロブスター。
真ん中から豪快に二つに割って焼かれたロブスターに、塩とレモンソースが良く合った。
塩は岩塩ではなく、トムハンスの近郊の村で作られた海塩で、レモンもやはりジルチアスの国内で生産された物らしい。
恐らくジルチアスは、西中央部の国々の中でも豊かな部類に入るのだろう。
海と安定した気候に恵まれ、貿易以外にも塩の生産やレモンの栽培等、国を富ませる為の産業を複数抱える。
だからこそ、渾沌とした西中央部の情勢の中にあっても、名物を楽しむ余裕があるのだ。
でもこの国の余裕を見て、西中央部を判断するのはきっと間違いだった。
他国との戦争や魔物の対処に苦慮する力の弱い、貧しい国はきっと数多い。
そういった国に暮らす人々の生活は余裕がなく、たとえ豊穣神を崇める宗教を国教としていても、異種族を見かければ金に換えたいと考える人間は少なくないと思う。
エルフが西中央部の国々を区別せず、全ての国で小さな森を離れて大きな森へと集ったのは、不理解の結果ではあっても間違いじゃない。
旅に不便がないようにと、グレンダは西中央部で通用する彼の署名入りの通行証と、ジルチアス国内の領主たちへの紹介状をくれている。
……これを使って移動すれば、少なくともジルチアス国内では、有力貴族に睨まれる事を恐れて、僕に手出しをしようという人間は減る筈だ。
だけどこの通行証や紹介状は、グレンダが僕の足取りを追い易くする為の物でもあった。
僕はエルフが占拠した国に向かうとは告げたが、そのルートは明言していない。
何故なら僕が真っ直ぐにカザリアを、西部の宗教を国教とする、エルフに敵対的な国を抜ける心算だと知れば、グレンダは強引にでも止めようとしただろうし。
危なそうな場所は避けて、なんとかエルフ達のところへ向かうと言った僕の言葉に、彼はこの周辺の地理と、豊穣神を崇めている国を教えてくれたから、危険そうな場所の意味を西部の宗教を国教とする国だと思ったのだろう。
ただ残念ながら、僕からすれば西中央部の国々は、何を国教としていても危険度には大差がなかった。
それはどちらにしても襲われる可能性があるという意味であり、たとえ襲われても蹴散らせるって意味でもある。
なので実際には、危険を避けるという言葉の意味は、人里を避けるというのが正解だ。
だったら真っ直ぐに、カザリアを抜けるのが一番手っ取り早い。
僕は、そう、今の西中央部の状況がある程度理解できた今、もうそれがジルチアスの国内であっても、人里を避けるべきだと考えていた。
「まぁ要するに、同じ襲われるなら人間よりも魔物の方が気楽だって事なんだけどね……」
弓を引いて矢を放てば、樹上より滑空して襲い掛かろうとしていた人間大のサイズの、巨大ムササビの頭部にサクリと突き刺さる。
脳を射抜かれた巨大ムササビは、それでも態勢を崩さないままに息絶えて空中を滑空し、木々にぶつかり落下していく。
エルフが離れた西中央部の森は、やはり魔物が繁殖していて数が多い。
街道を離れて森に入れば、まるで待ち受けていたかのように襲われた。
それが比較的国力に余裕のある、ジルチアスであってもだ。
いや、むしろ森の中にこれだけの数の魔物がいるのに、各地の村々や街道が守られている事こそが、ジルチアスの余力の表れか。
だがこのムササビの飛膜は良い物だった。
巨体の滑空を支える飛膜は軽くも丈夫で、柔らかい。
刃をも通さぬ硬い毛皮、のように派手な代物ではないけれど、だからこそ加工もし易そうな良品だ。
僕は血の匂いを嗅ぎ付けた他の魔物が集まる前に、大急ぎで解体を済ませて巨大ムササビの皮と、自分が食べる為の後ろ足を一本確保し、その場を後にする。
より森の奥深くへと。
わざわざ厚意で通行証を用意してくれたグレンダには少し申し訳ないけれど、彼にもエルフの足取りは簡単には追えない、侮れない相手であると思って貰った方が、後々の都合は良さそうだし。
木々に守られて魔物を遠ざけながら、或いは程々に狩ってその肉を喰らいながら、僕は北を目指す。
森を抜ければ野を歩き、川を越え、街道や人里は利用せず、近付かない。
そうして旅をすること、数週間で僕はジルチアスの国内を抜け、カザリアの領土へと入った。
本来なら街道を通らぬ旅では国と国の境はわかり難いものだけれど、両国の間は互いを警戒する軍事施設が沢山あったし、何よりもカザリアの領内は明確に、森以外でも魔物の数が増えたから。
恐らくカザリアは、ジルチアスとは違って、街道や町から遠い村々の安全も守れていない側の国なのだろう。
以前の、東中央部の大国、ズィーデンも争いで国土が荒れ果てていてそうなっていたけれど、こちらは森にエルフがいない分、繁殖して森から流れ出したのであろう魔物の数が段違いに多いのだ。
プルハ大樹海や人喰いの大沼といった、危険地帯に接した地域と大きな差がない程に。
それでも国が破綻せずに未だにジルチアスやエルフと争えているのは、それが人間という種族の強さなのだろうか。
西部の宗教の教えを信じ、苦しさからは目を背けて戦い続ける。
戦って他者から奪えば、その苦しさも一時的には和らぐから、より強固にその教えを信じて。
僕には愚かしく見えるけれども、彼らにとってはそれが正しい事なのかもしれない。
短い人間の生きる時間ならば、そのやり方でも破綻する前に終わるから。
教え導き、築き発展させる、僕が好きな人間達とは真逆の生き方だけれども、……それも否定できない人間の一面だった。
魔物の数に辟易としながらも、しかしそれでも足を止めずに、僕はカザリアの領土を抜ける。