軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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マイオス・マルマロス伯爵、……これからはマイオス先生は大理石の産出で有名な町、マルマロスの統治者だ。

故に彼にしか決められない案件、貴族としての仕事はかなり多い。

例えば採石した大理石を、どの商家にどれだけ卸すか。

これは単に商人との付き合いというだけでなく、その商家が大理石を運ぶ先の権力者との関係にも関わってくる。

もちろん最大の輸出先は、大理石を豊穣神の与えた宝と称する教会の本部、ラドレニアになる訳だが、教会の支部は各国にだって存在してるし、教会に認められているからこそ、マルマロス産の大理石は需要が高い。

当然ながらマルマロス産の大理石は少しでも多く欲しがられるから、輸出量に偏りがあれば他国に不満を抱かれてしまう。

またシグレアで大理石を産出するのは、マルマロスだけでなかったから、そちらの町の輸出との兼ね合いも必要だ。

需要の高さに胡坐をかき、独占するだけでは成り立たない。

そういったバランス感覚も、このマルマロスの統治者には求められていた。

しかしそんな伯爵としてのマイオス先生を支えるのが、バレストラ・カイアント子爵を始めとする家臣団だ。

彼らの支えがあるからこそ、マイオス先生は自分にしかこなせない仕事を済ませた後は、己の好きな彫刻、芸術の時間が持てている。

マイオス先生の彫刻師としての名声があるからこそ、スムーズに行く取引も決して少なくはないそうだから、家臣団からの理解もあるらしい。

ちなみにマイオス先生には三人の息子と一人の娘がいるけれど、カイアント子爵はその娘の夫でもあった。

残る息子達に関しては、長男が後継者候補として学ぶ為にカイアント子爵の仕事の補佐を行い、次男が採石場の労働者が住む村の取り纏めを行ってる。

そして三男は、将来は統治者としてよりも、シグレア人らしく武人として身を立てる事を望んでいるという。

あぁ、まぁそんな家臣団や息子達の働きもあって、マイオス先生は午前中は自分にしかできない貴族としての仕事、決裁を行うそうだ。

午後も数日に一度はカイアント子爵を始めとする家臣団と打ち合わせがあり、それから町や採石場の視察にも行くそうで、芸術に、彫刻にあてられる時間は週に四度の午後のみ。

つまりその時間を利用して、僕への授業も行われるという訳だった。

細かな解説を受けながら、マイオス先生の作業を見続ける、見学するという形の授業を。

まぁ正直、新しく職人を育てる心算なら、教え方も教える時間も、著しく足りてはいないだろう。

けれどもマイオス先生は、

「君はもう既に熟練の、或いは私が及びもつかないような職人だ。だってあれほど見事な細工を短剣に施せるんだからね。だから技の知識を得た後は、自分でそれを試して身に付けるといい。石は用意してあげよう。私も君が、どんな物を彫るのかには興味がある」

そんな風に言って笑うから、僕もあまり甘えた言葉は吐けやしない。

これまで僕に色々と教えてくれた師達とは、全く違った形でとても厳しい先生だ。

あぁ、師達よりも、以前に訪れた東の島、扶桑の島で僕に刀作りを技術交換の形で教えてくれた、サク爺との関係が近いだろうか。

弟子ではないから、僕はマイオス先生の館には泊らず、町の宿から工房に通う。

そうなると滞在費を稼ぐ為に、彫刻を学ぶ以外の時間は鍛冶場での仕事を受けるし、他にもマイオス先生に支払う授業料、彼の心に響く、創作意欲を刺激できる何かを用意する必要もあった。

働きながら学ぶ日々は、思った以上に忙しい。

でもだからこそ、もっと忙しい人が時間を割いて僕に教えてくれている事の貴重さが、身に染みるようにわかる。

見学がしばらく続いたが、やがて少しずつ石にも触らせてくれた。

道具の使い方、力の入れ方、その辺りは流石に、見てるだけではわからない部分もあるから、その辺りの解説を交えながら。

何というか本当にマイオス先生は、師というよりは先生なのだ。

そういえば彫刻に使う道具も、鍛冶で自分で作った。

削りたい石の量、形に応じて、使うノミの太さや刃先の形状、だけでなくそれを叩くハンマーの大きさも変わっていく。

故にノミやハンマーの種類だけでも多いのに、他にも大きく石を割ったり、逆に割った後の石の表面をならす道具もあるのだ。

状況に応じた道具を正しく選択するだけでも、知識と経験、それから石を見る感性が必要だった。

実は、僕はこうした道具を使わなくても、地に宿る精霊に頼めば、ある程度はイメージ通りに石の形状を操作できる。

石を割るのだって、ここからここまでと指でなぞるだけでいい。

多分きっと、いや間違いなく、そちらの方がずっと楽に作業はできるだろう。

でも駄目だ。

今の段階で、地の精霊の力を借りれば、僕にその先の成長はない。

石を割り、彫り、磨き、そうした作業を進める中で、僕の中でイメージはより練られて行くから。

もちろん最初からある程度の完成を想像はするけれど、作業を通して石と向き合う中で、磨かれる感覚は確かにあった。

尤も石を見て向き合う事に関しては、僕の感覚はどうしても精霊ありきになるから、それを無視する事なんてできはしない。

石にだって、割って欲しい形があって、割られたくない形があって、その理解には、やはり地の精霊の言葉というのは実に頼りになるから。

まぁ結局、簡単に纏めると、僕は忙しい時間を、それでも充実しながら過ごしてる。

またその忙しさこそが、僕を少しずつだが成長させていく。

そんな実感が、日々あった。