冴えない妹に転生したので
作者: 時
本文
1
おねえさまは可憐なビスクドール。私は布の切れ端でできた粗末な人形。
いつかだれかが私たち姉妹を指してそう言ったことがあった。それは当たっていると思う。
黄金色に輝く麦のような金髪に瑞々しい果実のような桃色の瞳を持つ、美しいおねえさま。鴉の羽みたいな真っ黒い髪に黒に近い青紫色の瞳を持つ、地味な私。
おねえさまはだれもが見惚れずにはいられない輝きを持っているのに私はどこまでもくすんでいた。姉妹だと聞くとだれもが驚いた。
男爵令嬢ながらおねえさまの美しさは社交界で評判で、おねえさまは毎日のようにパーティに招待されていた。
私は。
十六歳になったばかりの私は。
まるでいないものみたいに、無視されていたけれど。
「ルルリちゃんはこんなに魅力的なのに」
おねえさまはそれについて毎回本気で怒ってくれる。──でも、私は自分にだけ招待状が来ないことに傷つきながらもほっとしていた。
美しく手入れされた ビスクドール(おねえさま) と並んだら私の惨めさが際立つだけだから。
それは両親も同じ考えのようだった。ふたりとも私に招待状が来ないことに安心していた。
私みたいな妹がいるとわかったら──おねえさまへの婚約の申しこみが減るかもしれないから。
「モモラの邪魔はするなよ」これがおとうさまの口癖で、
「なんであなたはこんななのかしら……」これがおかあさまの口癖。
私だってこんな自分に生まれたくなかった。
でも外見は変えられないし、性格だって、私ががんばって明るく振るまおうとするとおとうさまが嫌な顔をするからできなかった。おとうさまはほんとうなら私に一生しゃべらないでいてほしいから。
布の人形はどうがんばっても陶器の人形にはなれない。
このまま私は、冴えない妹として人生の幕を閉じるのだろう。
──そう、思っていたけれど。
「い、痛っ……」
自分のドレスの裾を踏んで転んで壁に頭をぶつけた、その直後だった。私の頭に前世の記憶が流れこんできた。
──え?
──私、前世はふつうの会社員だった……?
しかも。いま自分がいるこの世界と、会社員時代に夢中になって遊んだゲームの中の世界が重なった。
それは「恋の行方は蝶しか知らない~男爵令嬢の私が第一王子に求婚されるなんて~」というタイトルの恋愛ファンタジーゲーム。
男爵令嬢のモモラ・アイスフィアが第一王子のクレールさまに見初められて様々な障害を乗りこえながら愛を育む話だ。
……モモラ・アイスフィア。
私の姉だ。
そういえば作中のモモラにもルルリという名前の妹がいた。冒頭にちょこっとでただけのネームドモブみたいなキャラだけど。
──私、ゲームの世界に転生してたの……?
それも、ヒロインのモモラじゃなくてその妹のルルリとして。
「ちぇ……チェンジで」
思わずつぶやいたけれどそんなものだれも聞いてくれない。
そんな。王子さまとの恋愛はともかく、せっかく転生したなら私だってフリフリのドレスを着たりプリンセスって感じのティアラをつけたりしたかったよ……!
「…………」
……私だって。
こんな地味で卑屈な 自分(いもうと) じゃなくて、容姿も心もきれいなおねえさまになりたかったよ。
私は自分のベッドで泣いた。半日くらい泣いた。そして決意する。
──こんな地味な妹に転生したってことは、もう恋愛のごたごたに巻きこまれなくて済むんじゃない?
前世の記憶が色々とフラッシュバックする。
わたし××くんが好きなんだーと世間話風に牽制されたり、恋バナに参加しなくちゃグループに入れてもらえなかったり、隣の席の男子とちょっと話してたら〇〇ちゃんの好きな子を取ったと吹聴されて仲間外れにされたり。
どうしてか私の周りには恋愛体質の子が多かった。正直言って私は恋愛なんてどうでもよかったのに場の空気に流されて興味あるふりをして、悲劇のヒロインぶりたい子に振りまわされて、──とにかく疲れた。
ルルリに転生したのはもうしょうがない。だったら自分のいいところをすこしでも多く見つけたい。
モモラとルルリのどっちになりたい? って聞いたらだれも絶対に選ばないようなルルリ。その子に転生した私だけは、この人生を肯定したい。
──ルルリのいいところ。
それは、地味な容姿と性格ゆえに異性にまったくアプローチされないこと。
「…………」
……いや、悪口じゃなくて。長所だから。
ルルリは恋愛そっちのけで自分のやりたいことを突きつめることができる。
ルルリに転生した私が極めたいこと。それは錬金術。
「こいだん」の世界には錬金術が存在していて、アカデミーを卒業して国家試験に受かれば国家錬金術師として仕事ができる。恋愛そっちのけで修行すれば自分の工房を持つことだって夢じゃない。
作中ではちょっとしか出てこなかったけれど、前世で某少年漫画や某RPGに夢中になった私にとって『錬金術』の三文字は特別な響きを持っている。
なりたい。錬金術師に……!
そうと決まったら──
「おとうさま、おかあさま。今日は折りいってお話がございます」
話があると私が言っても両親は時間を作ってくれないにちがいない。なのでその日の夕食中に私は話を切りだすことにした。
「なにかしら」とサラダを口に運びながらおかあさまが問いかけてくる。おとうさまは聞こえなかったかのように私を無視した。
おねえさまはフォークを置き、ちょっと不思議そうな顔で私を見てくる。
私は息を吸ってから言った。
「私、錬金術師になります」
おかあさまがフォークを落とした。
「……なんですって?」とそこで初めて私の顔を見る。
「まず錬金アカデミーに入ります。ここからだと一番近いのはカミラのアカデミーですね。一年勉強して、来年の入学試験を受けようと思います」
「ルルリ、あなたは男爵家の娘ですよ。そんなものになる必要はありません」
「あら、研究に身をやつす貴族なんてめずらしくありませんわ」
「女が錬金術なんてやめなさいな。ただでさえ遠い縁談が遠のきますよ」
「べつにかまいませんわ」私はゆったりと微笑む。「それくらいで遠のく縁談なんて、こちらから願い下げですもの」
いつものルルリ──前世を思いだす前の私だったらおかあさまにこんなふうに言いかえすことなんて絶対にない。
おかあさまは気分を害したようだった。
「おかあさまの言うことが聞けないの?」
「ご忠告してくださる気持ちはありがたく思います。ですが、おかあさまのおっしゃることはさして合理的ではございません」
「な……」
「貴族だから働くな? 女だから研究職なんてやめろ? そんなもの、聞く必要がどこに?」
「ルルリッ!」
おかあさまが甲高い声で叫ぶ。そして私に投げつけようとしたのかナイフを取りあげたけれど、「やめなさい」とおとうさまに言われておかあさまは彼をにらみつけた。
「でもあなた……!」
「あれの好きにさせなさい」
「────」
「入学試験を受けてみればわかる。どうせ、」
「あいつには、なにもできやしないんだ」
……味方になってくれるのかと思ったらちがった。おとうさまは、私になんの期待もしていないだけだった。
テーブルに置いてある心臓の薬はある高名な錬金術師が作りだしたもの。安価で出回っているこれがなくてはおとうさまは日常生活を満足に送ることができない。彼は錬金術の恩恵を受けている。
ふつう、自分の娘が目指すとなったら誇らしいだろうに。
こう宣言したのがおねえさまなら、満面の笑みで喜んだだろうに……。
「おとうさま! そんな言い方……!」
おねえさまがかっとなったように言いかえす。
「おねえさま、いいの」と私は彼女を優しくいさめた。
「でも……! いまのはひどすぎます。おとうさま、発言を取り消してください!」
「いいだろう。それが無事に合格できたらな」
「……あれだのそれだの。先程から、あなたは実の娘をなんだと思って──」
「おねえさま。私はほんとうに平気だから」
「ルルリちゃん……」
私はおとうさまを見つめる。背筋を伸ばして、まっすぐに。
「その言葉、たしかにお聞きいたしましたわ。私が無事にアカデミーに合格いたしましたら発言を撤回していただきましょう。それとせっかくですから──」
「もし私が首席で入学できたら。
いままでの私への発言や態度すべてひっくるめて、謝罪していただきます」
2
おとうさまは小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたあとで答えた。「ああ、べつにいいだろう。できたらの話だがな」
「ありがとうございます。では後ほど誓約書にサインしていただきますわ」
「好きにしろ。念のため言っておくが、私は一切費用を出さないぞ。勉強に必要なものはすべて自分で買え。教材費や受験料、すべてだ」
「おとうさま、そんなの……」
「はい、かしこまりました」
私は悠然とうなずく。
おねえさまは心配そうに私を見ていたけれど、すぐにおとうさまが話題を社交界でのできごとに変えてしまった。灰かぶりの私には全然わからない話題に。
「ルルリちゃん……だいじょうぶ?」
夕食後、早々と自分の部屋にもどった私を心配しておねえさまが顔を覗かせる。
「平気よ」と使えそうなものがないかデスクを探していた私は彼女のほうに向きなおって答えた。
おねえさまはベッドに腰を下ろす。
「おとうさまの仰ったことは気にしなくていいからね。私、ルルリちゃんならなんだってできると思う。あなたは忍耐強くて頭のいい子ですもの」
「おねえさま……」
不意打ちの優しい言葉に目頭が熱くなる。あの両親からこんなに素敵なひとが生まれるなんて。
おねえさまはほんとうに恋愛小説のヒロインとしてふさわしいひとなんだわ。
「お金も私が出すわね。ドレスやジュエリーを売れば工面できるから」
「おねえさま、そんなことしなくていいわ」
「でも──」
「私はきれいなおねえさまを見るのが好きなの。きれいなドレスを着て、きれいなジュエリーで身を飾ったおねえさまを見るのが」
もちろん普段着のおねえさまも好きだけれど、とつけくわえる。
ちなみに私の服はすべておねえさまのお下がり。新しくあつらえてもらったことなんて一度もない。ジュエリーもひとつとして持っていなかった。
おねえさまはそれを気の毒がって、『このドレス、サイズ合わなかったから』とまだ一度も着ていないドレスを私にくれたり、『おかあさまにばれないようにね』と本物の宝石がついたネックレスを私にくれたりした。
でも、けっきょくそれは目ざといおかあさまに気づかれてしまって──
せっかくのドレスはハサミでずたずたにされて。ネックレスは、ゴミとして捨てられてしまった。
それから私はおねえさまがなにかをくれると言っても断っていた。私以上におねえさまが悲しんでしまうから。
「それにお金を稼ぐ手段は考えてありますの。挑戦させてください」
「え? なにをするの?」
私はにこりと笑う。「まだ秘密ですわ」
翌日。私は国営庭園の片隅にあるガゼボで暇を持てあましたご夫人と向きあっていた。
「あなたのご両親──なくなっていませんね?」
「ど、どうしてそれを……! たしかに私の父は二年前に病で亡くなりました」
「そしてあなたは未来に不安を抱えている」
「は、はい……。息子の縁談がなかなか決まらなくて。このままだったらどうしようかと思うと夜も眠れないんです」
「では、ご子息のことを占いましょう」
タロットカードはわかりやすく大アルカナだけを使うことにした。テーブルでカードをシャッフルし、 クロスプレット(五枚並べ) にする。
「まずはご子息の現状を見てみましょう」と言いながらカードを一枚ずつ表にしていった。
「これは『隠者』の正位置ですね。自分の内側に引きこもってしまっていることを示唆しています」
「ああ……。その通りです」
「次になにが妨害しているか。これは……『節制』の逆位置。ご子息は変化を恐れ、積極的に動くことができないのかもしれません」
「言われてみると……あの子は昔から消極的なんです。気になる方がいてもなかなか声をかけられないし、仲良くなれても関係を進められないし」
「次に……」
というように現状・妨害しているもの・ほんとうの望みはなにか・その望みを叶えるためにやるべきことはなにか・なにから始めたらいいのかをカードを見て順番に述べていく。夫人の話をよく聞きながら。
「──物事は必ず好転しますよ。心配なさらないで」
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!」
悩みを打ち明けられてさっぱりした顔で夫人はベンチを立ち、すこし離れたところで待っていた友人たちのもとへもどっていく。
彼女の話を聞いた友人のひとりが私のところにやってきた。
「あの、私もお願いしてよろしいでしょうか?」
「ええ」私は微笑みでそれに応える。そして傍らに置いてあった小箱を手に取り、さりげなく彼女に見せた。
「一回1000Gになります」
現世でタロット占い。そして、前世でコールドリーディングをかじったことがあったのが功を奏した。午前中で稼いだお金をおねえさまがこっそり貸してくれたハンドバッグに大事にしまい、午後は図書館で錬金術の勉強をする。
ご夫人方のネットワークは侮れない。私に占ってほしいと希望するひとは日に日に増えてゆくことだろう。場所を移動すれば客に困ることもないし。この調子なら教材費も入学費用は問題なく稼げる。
──意外と上手くいきそうじゃない?
手応えを感じながら私はアイスフィア邸に帰宅する。私を心配してくれていたおねえさまに上手くいったことを伝え、せっかくなので彼女も占ってあげたあとで夕飯の時間になった。
私たちは食卓につく。
でも、いつまでも待っても私の前に皿が置かれることはなかった。
「……私の夕食は?」
ひとりしかいないメイドに尋ねると、「え、えっと……」と彼女は困ったようにおとうさまを見る。
おとうさまはワインを一口飲んだあとで言いはなった。
「私に逆らった罰だ」
「──おとうさま! あんまりです!」
おねえさまが立ちあがって叫ぶ。
「なにを勘違いしているんだ?」とおとうさまは平然とした顔でつづけた。
「モモラ、これはおまえが私に逆らった罰だ」
「……え?」
「おまえが私に口答えした場合、ルルリの食事を抜きとする。ルルリの受験を手伝った場合も同様だ。おまえは一切手をだすな。
──自分に罰を与えられるより、おまえにはこのほうが効くだろう?」
「な……」
おねえさまは愕然とする。
……なるほど。たしかにおねえさまは自分よりも私が食事抜きにされるほうがつらいだろう。
娘ふたりを支配下に置きたいなら有効な手段だ。
「ふう……」
ま、私には生温いですけど。
「おねえさま、気にしないで。一食くらい抜いても平気よ」
「ルルリちゃん……ごめんなさい、私のせいで……」
「おねえさまのせいじゃないわ」
──そこの赤ら顔のオヤジのせい。
あてこすりを言ってみたが、おとうさまは無視して悠然と鴨肉をナイフで切っている。おねえさまは悔しそうにイスに座りなおした。
「残さず食べなさい。残した場合も、ルルリに罰を与える」
「…………」
「返事は」
「……わかりました」
これから、おとうさまは適当な理由をつけて私に食事させないつもりだろう。明日からは外で食べてきたほうがいいわね、と私はなんの感情も表にださないようにしながら考える。
おとうさまは私がこれで心が折れて錬金術師への道をあきらめると考えているかもしれない。
でも、それは私が前世を思いだすまでの話だ。
『あぁあああああっ! 死ね死ね死ね死ね! おま、おまえたちのせっ、俺は、ダメになっちまったんだ! このザコが! ああああ!! 死ね!!』
私の父はアル中のクズだった。酒を飲んでは私と母を殴り、酒が足りないと言っては私と母を殴った。
言葉なんて通じない。ただの怪物。
私と母は常に暴力とその向こうにある死の気配に怯えていた。
私が六歳のときに児相が介入してきて父は施設送りになったのだけど。
あの地獄の日々に比べたら、こんないやがらせ『いま……なにかしたかしら?』程度でしかない。
──食事抜きが罰なんて、かわいらしいひと。
──私の心を折りたいならナイフを突きつけてくるくらいしてくださらないと困りますわ。
私は心の中でおとうさまを憐れむ。
「このソース、味が薄くないかしら?」とおかあさまがとぼけたように言っていた。
3
それはとても長い一年だった。
私はタロットカードを使った占いでお金を稼ぎ、それ以外の時間はすべて勉強にあてた。予想通り私の食事がテーブルに並べられることはなかったけど、外食で済ませたのでなにも問題はなかった。
そして、カミラ錬金アカデミーでの筆記試験と実技試験を終えて。
二週間後に私のもとへアカデミーからの通知書が届いた。結果は合格。それも、
「新入生、総代……!」
──総代として入学式で答辞をしてほしいという手紙も入っていた。
アカデミーでの総代はもっとも成績が優れていたものがおこなうと聞いている。一番だったんだ、私は!
「や、やったぁ……っ!」
喜びで体が震える。
封筒には入学のしおりも一緒に入っていた。でもそこまで目に入らない。
何度も何度も手紙と通知書を読みかえしたあとで、私はそれらを持っておねえさまの部屋をノックする。
「おねえさま、見て!」
「え?」
分厚い外国の本を読んでいたおねえさまは私から手紙と通知書を受けとり、みるみるうちに頬を上気させた。「すごい……!」と感動したようにつぶやく。
「すごい、すごいすごいすごい! すごいわ、ルルリちゃん! それも総代って──試験を受けたひとの中でルルリちゃんが一番だったってこと?」
「ええ、きっとそう!」
「すごい……っ!」
おねえさまは私に抱きついてきた。「おめでとう! ルルリちゃんなら絶対だいじょうぶだって信じてたわ! ほんとに……ほんとうに、よかった……!」
「おねえさま──」
私は彼女がぽろぽろ泣いていることに気がついた。
つられて涙ぐみながら、私は「おねえさまが支えてくれたおかげよ」と抱きしめかえす。
「いいえ、ぜんぶルルリちゃんががんばったからよ。いままで大変だったわね」
「うん……」
「自分の力でお金を稼ぐなんて私にはとてもできないもの。それも毎日あんなに勉強しながらなんて。ルルリちゃんはすごいわ。よくがんばったわね、ルルリちゃん……」
しばらく私たちはふたりで抱きあって泣いた。
こうやって私の努力を認めてくれるひとがいる。喜びをわかちあってくれるひとがいる。それだけで胸がいっぱいで張り裂けそうだった。
……さあ。
おとうさまに、例のものを突きつけにいきましょうか。
話をするのは前回と同じく夕食前。テーブルについたおとうさまの前に私は紙を三枚置く。
合格通知書。新入生総代としてスピーチをしてほしいという手紙。
そして、私が合格したら謝罪する旨が書かれた誓約書。
私とおねえさま、そしておかあさまが見守る中、おとうさまは無言でそれらを読んでいた。
やがて──
ちっと舌打ちすると、紙をまとめて床に捨てる。
「どんな不正をしたんだ? アイスフィア家の面汚しめ」
「おとうさ……」
言いかえそうとしたおねえさまを私は手で制す。そして、「不正など一切しておりませんわ」と毅然と返した。
「すべて私の実力です」
「おまえごときが……」
「生まれたての雛鳥だって一年もあれば立派に空を飛びまわります。ご存じなくて?」
「…………」
「錬金アカデミーへの入学、認めていただけますね」
おとうさまは表情を変えない。私はテーブルに手をつき、「さあ」と言いはなった。
「まずは私にはなにもできないとおっしゃったことの取り消しを。そして、いままでの私への発言や態度を謝罪してくださいませ」
「…………」
「ご自身で誓約書にサインしたことをお忘れですか?」
再びおとうさまは舌打ちする。
「ああ、発言は撤回する。いままで悪かった。これでいいか?」
「…………」
「おとうさま……!」
適当に謝るおとうさまをおねえさまは悔しそうににらみつける。
──ふう、と私は息を吐きだした。
「ええ、結構ですわ。その謝罪たしかに受けいれました」
「ふん……」
「それでは私は九月からアカデミーの寮に移りますので──」
「……そんなわけないわ」
事務的な話をしようとしたとき、おかあさまがか細い声でなにかつぶやいた。
「?」と私とおねえさまはそちらに視線を向ける。
「ルルリがモモラより優れているなんて。そんなわけないわ」
「おかあさま……?」
「ああ、そうよ! こんなもの嘘! おとうさまのおっしゃったとおり不正をしたにちがいないわ! なんてみっともない子。ルルリにこんなことできるはずないもの!」
「…………」
「出来損ないのくせに。おかあさまはこんなの認めないわ。あなたはグズでなにもできない子なのよ。錬金術師? 夢を見るのも大概になさい! あなたはね、モモラの引き立て役でいればいいの!」
ヒステリックにおかあさまは叫ぶ。実の母の豹変におねえさまは恐怖で固まっていた。
──私はと言えば。
もっとひどい例を知っているので、これにもなにも感じなかったけど。
『そうやってママのせいにするのね。そうね、ごめんね。ママ、すぐ死ぬから……』
父と離婚したあと、母は精神のバランスを崩した。
私の髪型や洋服まですべて管理したかと思えば食事も作らずに放置する。そして真夜中に『ママのせいだね、ごめんね。もう死ぬから許してね』と枕元で泣きながら言う。
……たったひとりの母親に死をちらつかされることがどれほどつらいか。
あれは、体験してみないとわからない。
とにかくこれくらいはかわいいものなので、私はなんとも思わなかったのだけど──
「ここまで育ててあげたのにどうして迷惑をかけるの!? アイスフィア家に泥を塗るなんて!」
「おい、おまえ。そろそろ──」
「あなたは黙っていて!……モモラだけでよかったのに。こんな子、なんで産んだのかしら……」
おかあさまは髪を掻きむしって叫ぶ。
私と同じ、真っ黒い髪を。
「おかあさま、いい加減になさってください! いくらなんでも言いすぎです!」
「モモラも騙されているの?──この悪魔。私の大切なモモラを操るなんて。この家からでていきなさい!」
私は溜め息をつく。やれやれ。
「ええ、喜んででていきますわ──」
そう返事をしようとしたときだった。
「いやー、なんだか盛りあがってますねえ」
のんびりとした男性の声が食堂に響きわたった。
「……はい?」
私たちは全員ぽかんとする。いつの間にか、私の横にスーツを着た金髪の男性が立っていた。美形だけれどなんとなくうさんくさいオーラがでている。
このひとは……
「──な、なんだ貴様は。いつの間に入った!」
「いえ、ノックはしたんですけれどね。だれもでてきてくれなかったので勝手に入らせていただきました」
おとうさまに怒鳴られても男性はひょうひょうと返す。
そして「わたくし、こういうものです」と胸ポケットから名刺を取りだすとおとうさまに渡した。
『カミラ錬金アカデミー教員 ルーカス・ハングマン』
「は、ハングマン……?」
おとうさまが呆然とつぶやく。
このひとは試験監督を務めていた。なので私も顔も名前も知っている。
けれどおとうさまが驚いているのは先生が直接来たからじゃない。
「ハングマン――まさか!」
「お父上におかれましては私の薬をご愛飲していただいているようで、誠に光栄です」
ハングマン先生はおとうさまが毎食後に飲んでいる薬を生みだした本人だ。
おとうさまの顔色が一瞬で青ざめる。この薬をアイスフィア家に売るなと先生が言ったら、おとうさまは文字通り生命線を絶たれる。
なにか口の中でもごもごつぶやいているおとうさまを無視して、ハングマン先生は私を見た。にこっと笑う。
「もう手紙は読みましたね? 合格おめでとうございます、ルルリ・アイスフィアさん。我がアカデミーについての説明をご両親も交えてしたいと思いやってまいりました」
「は、ハングマン殿。予定を教えていただければあらかじめ準備いたしましたのに」
おとうさまの声が震えている。先生は苦笑した。
「おや、手紙が届きませんでしたか? それは申しわけございません。なにせ試験で満点を取った受験生はアカデミーが開校して初めてのことでしてね。少々事務方が混乱しているようで」
「ま……」
私は目をぱちぱちさせる。「満、点……? 私が……?」
「おっと、口が滑りました。受験生の点数は非公開ですのでね、いまのは忘れていただきたい。
まあとにかく、なにを申しあげたいのかと言いますと──」
ハングマン先生は私の肩に手を置いた。そして、おとうさまとおかあさまを威圧するように見る。
「彼女は天才ですよ。それも、千年に一人の逸材だ。
そんな彼女をあなたたち両親が否定して潰そうとしているなんて、悪い冗談にしか聞こえないのですが?」
4
「……満点合格? ルルリにそんなことできるはずがないでしょう。いつもモモラの後ろに隠れていて、なにをやらせてもダメだった子が」
おとうさまが猜疑心をあらわに言う。
「そうなのですか? ルルリさん」
「……私は……」
たしかに前世を思いだす前の私はどこに行ってもおねえさまの陰に隠れていた。両親に否定されつづけてきた容姿を人前にさらしたくなかったから。
でも──なにをやらせてもダメだったんじゃなくて。
どうせなにもできやしないのだからと、最初からなにもさせてもらえなかっただけだ。おねえさまが優雅に奏でるピアノもバイオリンも私はふれることさえ許されなかった。
「……どうやら、それは決めつけだったようですね」とハングマン先生は私の表情を読んでから言う。
「どうせなにもできやしない。そうあなたたちが決めつけてなにもさせなかったから、ルルリさんは『なにもできない子』という型に押しこめられてしまった。ほんとうはアカデミーに首席入学できるほどの才能を持っているのに」
「…………」
「試験で不正が一切おこなわれなかったことは試験監督を務めた私が証明しますよ。筆記もそうだし、実技だって教員の目の前で錬金をおこなうのです。ズルができる余地はどこにもありません。
──いったい、どうしてそこまでルルリさんの才能を否定するのですか?」
おとうさまもおかあさまもそれには答えなかった。私の肩から手を離し、先生はやれやれと言いたげに両手を広げる。
「自分の子供を虐げる親ほど悲しいものはありませんね。──ところでどうでしょう、ルルリさん?」
「……なにがですか?」
「入寮です。生徒が希望すれば八月中に寮に入ることも可能なのですよ。できたらあなたには、なるべく早く錬金術を存分に学べる環境に身を置いてほしいと思うのですが」
そういえば入学のしおりにそんなことが書いてあったような気がする。
「もちろん、家が恋しいと言うのなら無理にとは言いませんが」とハングマン先生がつけくわえた。
──両親のことは正直どうでもいい。でも……。
私はおねえさまを見る。
おねえさまはハングマン先生にちらりと視線をやったあとで、力強く微笑んだ。
「いってらっしゃい。ルルリちゃん」
「──うん……」
「ま──待ちなさい!」とおかあさまが立ちあがって叫ぶ。「私はまだ認めていませんよ。あなたなんかが錬金術師だなんて!」
「さっきからうるさいなぁ」
「な……、」
ハングマン先生がぱちんと指を鳴らした。
「あなたも貴族夫人なら」テーブルにかけられていた白いクロスがひらりと持ちあがり、カトラリーをすべり落としながらおかあさまの顔に覆いかぶさる。「いやぁああっ!?」とおかあさまは悲鳴をあげた。
「もうすこし慎ましくいてほしいものですね。──さあ行きましょう、ルルリさん」
「え、えっと」
「は、ハングマン殿! 妻にいったいなにを……!?」
「ただの奇術ですよ」
上半身をすっぽりと覆ったクロスを取ろうとしておかあさまはよろめきながら暴れ、近寄ったおとうさまのあごに見事なアッパーを決める。騒ぎを聞いてキッチンからやってきたメイドは手が出せずにおろおろしていた。
ハングマン先生に背中を押され、私は食堂を気にしながらも玄関ホールまででる。
「だいじょうぶですよ、ちょっとしたイタズラですから」
「はあ……」
おねえさまもあとからやってきて私の横に立つ。口元を手で押さえているのでなにかと思ったら、彼女は笑いを堪えていた。
「ふふっ……やだ、おかしい!」
「おねえさま?」
「おかあさまがおとうさまをぶっ飛ばすなんて。もう、笑ったりしたらいけないのに!」
「ぶっ……」
上品なおねえさまが目に涙を滲ませて笑っている。
それを見ているうちに私もつられて笑いだしてしまった。「やめてよ」「だって」と言いながら私たちは笑い声を重ねる。
「手品を気に入っていただけてなによりです」と頃合いを見計らってハングマン先生が言った。
「ルルリさん、身支度はいつできますか? 私の馬車に乗っていくことも可能ですが」
「ええ……、それ自体はすぐ終わると思います」
この家に私の私物なんてろくにない。
このまま先生と一緒にアカデミーに行ってしまおうと考えていると、「そのお話ですけれど」とおねえさまが先生に言った。
「あなたはほんとうにアカデミーの先生なんですか? あの名刺一枚では信じられません」
「ふむ。あの両親の娘さんとは思えないほど冷静な方ですね」
それは私もそう思う。
「不安でしたらアカデミーに電話してルーカス・ハングマンという教員が在籍しているか尋ねてみてください。私の人相も伝えた上でね。電話番号はルルリさんに届いた書類に載っていますから」
「……そうさせていただきます。電話番号はこちらで調べますけれど」
素性を疑われているのにハングマン先生はにこっと笑う。
「あの両親の娘だとは信じられませんが、ルルリさんのおねえさんということは信じられますね」
トランクはおねえさまが貸してくれた。それにドレスとこの一年間で書きためたノートなどと詰めている間、おねえさまはアカデミーに電話をかけたらしい。
「ああいう先生もいるのね……」と荷造りをしている私につぶやいた。
それから私とおねえさまが玄関ホールへ向かうと、ハングマン先生が「支度できましたか?」と聞いてくる。
「では行きましょう」
「ええ……」
彼のあとに従ってついていこうとした私の手をおねえさまがそっとつかむ。なにかと思って立ちどまると、「手紙、ちょうだいね」と小声で彼女は言った。
「名前は念のため偽名にして。おかあさまたちにばれないように」
「……わかったわ。おねえさまも、アカデミー宛に手紙をくれる?」
「もちろん。アカデミーに行ってもおねえさまのこと忘れちゃダメよ」
「忘れるわけないじゃない」
おねえさまは私をぎゅっと抱きしめる。
「なんだか不思議……ルルリちゃん、アカデミーに行きたいって言った頃から別人みたいに変わったわね」とつぶやかれてどきりとした。
「そ、そうかしら」
「ええ。でも、きっと私が知らなかっただけでルルリちゃんは強い子だったのね」
「…………」
「なにかあったらすぐに頼って。家を出てもあなたは私の大切な妹なんだから」
「……うん。ありがとう、おねえさま」
おねえさまの髪からは花のいい香りがする。
この匂いをずっと忘れないようにしたくて、私は思いっきり息を吸いこんだ。
このひとが私のおねえさまでよかった。
ルルリは地味で冴えない妹だけど、モモラという素敵なおねえさまがいる。
そして彼女と血が繋がっている妹はこの世界でたったひとり。私だけ、だ。
これは、
かけがえのない宝物。
私はおねえさまと別れて先生と馬車に乗りこむ。
ここから私の人生が――大錬金術師と呼ばれるまでの ほ(・) ん(・) と(・) う(・) の(・) 人生がはじまるのだけれど、このときの私はそんなことは露知らず、おねえさまとの思い出を大切に抱きしめながら馬車に揺られていた。