軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

夢のかたち・9

「お招きいただき本当にありがとうございました」

「ああ、またおいで」

「はい!」

すっかり日が傾き始めたころ、オズワルドとチェルシーは帰っていった。ぱたんと扉が閉まるのを待ってから、リリーが小さく息を吐いた。

「妹がすっかり懐いてしまって申し訳ありません」

「いや、貴重な話が聞けて楽しかったよ。俺にも魔物が出てくる本を読んでほしいな」

「からかわないでください」

結構本気なんだけどなあ、と溢しながらリリーの手を取る。

「それよりも少し妬けてしまった」

「え?」

「君とオズワルドが、やっぱり仲が良さそうだったから」

俺がそう言ってすぐ、リリーが渋い顔をしたので笑ってしまう。妬いたのは本当だけど。

「良くはありません。どうしてそう見えるのか不思議なくらいです」

「うーん……なんというか、息が合っているというか……君も彼には遠慮のない言い方をするだろう」

チェルシーの手前もあってか、二人とも俺には大人の対応をしていたけれど、お互いに対しては遠慮がないようだった。砕けた話し方をするオズワルドは初めて見たし、わざとらしくつんとしたリリーも彼の前でだけだと思う。

「……チェルシーとのお話に夢中で気付かれていないかと思っていました。大人げなかったですね、気を付けます」

「俺の耳がいいだけだよ」

悪戯がバレた子供のような表情も、こんなことでもなければ見る機会がなかっただろう。やっぱり少しもやもやする胸の内は、上手く彼女に伝わることはなさそうだ。

「……早めに式を挙げると言っていたね」

「はい。楽しみで、……少し寂しいです」

「存分に寂しがってあげるといい。きっとチェルシーもそうだろうから」

「……はい」

リリーの手が、きゅっと俺の手を握り返す。それを感じて、いつかのようにまた片膝をついた。

「殿下?」

「君を好きになれてよかったと思う」

「と、突然どうなさったのですか」

「突然でもないさ」

きっと、ずっと思っていたことで。それを今日改めて実感しただけだ。

「君を好きになる前も、人生が退屈だったわけじゃない。恵まれていたと思うし、自分が誰かに与えられるものがあるならそうすべきだとも思っていた。けど、それはとても漠然とした気持ちで……。君を好きになってから、その気持ちがもっと明確になった。君がいるから、はっきりと世界を愛していられる。君を、君が大切に思う人を、そうして連なっていく先にいる誰かを、守っていきたいと思える」

これがきっと、俺の『無敵の気持ち』だ。

「君が受け取ってくれる日を、待ってる」

「……はい」

泣きそうな顔で笑うのは、俺の前だけでありますように。

「失礼します」

「入れ」

ノックして声をかけると、部屋の奥から静かな声が返ってきた。父の執務室に呼ばれるのは久しぶりだった。

部屋に入れば、仕事をしていたらしい父は手元の書類を引き出しに片付けて俺に向き直る。大事な話がある、と呼び出されたこの場所には、父と俺しかいない。真剣な父の顔につられるように、自分の体に力が入るのがわかる。

すうっと、父の目が細くなった。ごくりと自分の喉が鳴る。

「いや~、パパさあ」

「…………陛下、ご自分のことをパパって言うのは止めていただけませんか……」

がくっと一気に力が抜ける。ついさっきまで真剣な顔をしていた父は、子供みたいに「ええ~!」と不満げな声を上げていた。基本的には誰の前でも威厳があり、賢王と呼ばれるにふさわしい態度を取っている父だったが、なぜか俺の前ではこういうところがあった。どうしてだろう、本当に。どうしてだろう。

「いいだろ別に」

「歳を考えてください、歳を」

「まだ四十二だぞ」

「俺の歳の話です」

たしかに父はまだ若い。早くに亡くなった先代、俺の祖父の跡を継ぎ王位についたのも早かったし、俺が生まれたのも父が十九のときだ。とはいえ、俺ももう二十三になるわけで。少なくとも可愛らしく「パパ」と甘えるような歳ではない。

「子供はいくつになっても子供だよ」

「はいはい……それで一体なんの御用ですか」

「冷たいな。あの聖女と上手くいっているから、もう父の愛は不要かな」

にやりと笑う顔を見て、なにもかもお見通しなのかと言葉に詰まる。もしかしたら「忙しいから聖女との面会を代わってくれ」と言ったあのときから、父はこの日が来ることを知っていたのかもしれない。

「……ようやくいい返事がもらえそうなので、近いうちに紹介します」

「ああ、楽しみだ」

機嫌よく答えた父には敵うことがない。

「それはともかく、パパ今度さあ」

「……もう訂正する気も起きませんが、なんでしょう」

「再婚しようと思って」

ふざけた言い回しからは思いもよらなかった言葉が飛び出して、思わず固まってしまった。

「……は、……え、いつ、誰と……というか今更、どうして」

冗談かとも思ったが、言い方に反して父は真面目な顔をしていた。二十年、公務で国を離れるとき以外はほとんど毎日母の墓に花を手向けていたような父だ。嘘でも冗談でも、そんなことを言うとは思えなかった。

「……夢に、アリシアが出てきた」

「母上が?」

俺自身はほとんど経験がないが、死者が夢に出ることはある。会いたいという願望から来るものではなくて、夢見の才のひとつだ。天の国から時に助言をくれたり、時に心を慰めてくれたり。夢見の能力が高い父にはよくあることなのかもしれないが、母が現れたという話はこれまで聞いたことがなかった。

「母上は、なんと仰っていたのですか」

「……もう充分だと」

父の目が寂しそうに曇る。その表情に母が亡くなったあの日のことを思い出したのは一瞬で、次の瞬間には、父はへらっと笑っていた。

「嫌だ嫌だとごねたんだがなあ。まだ君だけを想っていたいと」

「……母上は」

「そんなふうに思う時点で、もう他に寄り添ってくれる者がいるのだろう、と。人生はまだ長いのだから、ちゃんとそれを大事にして生きなさいと叱られてしまった」

母らしい、と思う。ほとんど記憶にはないけれど、おぼろげな思い出の中に、悪ふざけをして笑う父を叱る母がいる。

「……いい女だったなあ」

「……過去形にしては、また叱られてしまいますよ」

「はは、そうだな」

からっと笑った父は、「まあそういうわけだ」と言って立ち上がった。俺が知らないだけで、父はあの日のように泣くことがあったのかもしれない。それに寄り添ってくれる誰かがいたのなら、喜ばしいことだと思う。母を想えばほんの少し寂しい気もするけれど。

「アリシアが、心配事がなくなったからだとも言っていた」

「心配事?」

「お前のことだろう。はあ、息子に妬くのも悲しいなあ」

またふざけた口調に戻しながら、父が横を通り抜けて部屋の扉に手をかけた。

「ああそうだ、それから」

「まだ何か?」

首を傾げれば、父は悪戯に笑う。

「そのうちお前に弟ができるぞ」

「は? ……はあっ!?」

「いや~、俺の夢は当たるからなあ」

あっはっは、とわざとらしい笑い声が扉の向こうに消えてしまった。残されたのは、状況が飲み込みきれていない俺一人。

「お、弟……」

この歳になって。再婚だけでも十分驚いたというのに、予想外すぎる。しかし、父の夢がよく当たるのも本当で。翻弄され続ける俺は本当に、あの人に敵うことがない。

「……弟、か」

繰り返し呟くと、少しだけ気持ちは落ち着いてくる。……弟、きっと兄であるというだけで、はじめは無条件に俺を慕ってくれる存在。まだ見ぬその子に恥じないように、その子がずっと慕ってくれるように。

「頑張ろう」

幸いにも、そうやって頑張っている人がとても身近にいる。俺が世界を愛せる理由が増えることを、きっと彼女も喜んでくれる。

部屋の真ん中で小さく握った拳は、まだ誰にも知られない俺の決意表明だった。