軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

おねえさん、いまさら連絡先を交換する

肉炒めの野菜添えを昼食に食べてから数時間後。俺は部屋の明かりを少し落とし、間接照明のオレンジ色の光の中で、ノートPCのキーボードをカタカタと叩いていた。

画面に映っているのは、noteの編集画面だ。

俺は趣味で、ミニシアター系の映画のレビューや、カルチャー系の考察記事めいたものを書いて、細々と公開している。Filmarksなんかにも長文の感想を投稿したりする。フォロワーなんて両手で数えられるほどしかいないが、誰かに読まれて、あわよくば「こいつ、ちょっとセンスあるな」と評価されたい。そんな淡い期待と下心が入り混じった、俺の密かな発信活動だ。

今日は先日観た、北欧のインディーズ映画についての考察をまとめているところだ。

『主人公の徹底した孤独は、現代社会における承認欲求の代替行為としての……』

いかにも頭が良さそうに見える、だが実のところ自分でもホントにわかってるのか微妙に妖しい小難しい単語を並べ立て、悦に浸る。

と、その時。

ピンポーン、と控えめなチャイムが鳴った。

「ちわ」

ドアを開けると、すっかり見慣れたヨレヨレのフーディ姿の山葉さんが立っていた。手には今日はめずらしくビールだ。

「いらっしゃい。どうぞ」

山葉さんはサンダルを脱ぐと、自分の部屋のようにリビングへと歩いていき、ローテーブルの上のPC画面をチラリと見た。

「あれ、なんかやってた? もしかして、レポートとか?」

「っ!」

俺は慌ててPCの画面を閉じようとしたが、指が空回りして上手くいかない。

「あ、いや、レポートじゃないです。その、ちょっと……」

誤魔化そうとしたが、彼女のジト目が『隠し事?』とばかりに細められたのを見て、俺は観念して正直に白状した。

「……noteに、映画の感想を書いてて。その、趣味で」

それを聞いた山葉さんは、少しだけ目を丸くした。

「へー。鈴木くん、そういうのやってんの? 読ませてよ」

「いや! それはちょっと、本当に無理です!」

俺は反射的にPCを体で隠すように覆い被さった。

無理だ。絶対に無理だ。

あわよくば誰かに褒められたいという下心はあれど、こんな拗らせた自意識の塊みたいな理屈っぽい文章をリアルの知人に読まれるなんて、裸を見られるよりもずっと恥ずかしい。

「えー、なんでよ。減らんよ」

「減ります! 俺の、精神的な尊厳が!」

必死な俺の剣幕に、山葉さんは「ふーん、ケチ」と少しつまらなそうに唇を尖らせると、諦めたようにいつものソファの定位置に腰を下ろし、ビールのプルタブをプシュッと開けた。

プロジェクターを起動し、いつものようにシットコムを流し始める。

だが、手元のグラスに落ちた水滴を無意味に指でなぞるばかりで、ちっとも落ち着かなかった。

隣でクスクスと笑いながら画面を見ている山葉さんを、横目で盗み見る。彼女は俺の拒絶を気にした様子はないが、俺の中では妙な罪悪感と、別の葛藤が渦巻いていた。

俺の趣味を、この人は『痛い』と笑わなかった。自家焙煎のコーヒーも、スパイスカレーも、詳しくもないのにかったクラフトジンもスコッチも、レコードで集めているジャズやロックも、まだ読んでなくて本棚を飾っているフランス文学でさえも。

なら、俺が書いたどうしようもないかもしれない文章も、この人なら。

「……あの」

シットコムが一話終わったタイミングで、俺は意を決して口を開いた。

「……ん?」

「さっきの……やっぱり、読んでみてください。URL、送るんで」

自意識が焼き切れそうだったが、自分からそう言ってしまった。

山葉さんは少し驚いた顔をした後、にんまりと笑った。こういう時のこの人の顔は、悪戯好きの子どものようにも、余裕たっぷりの大人のようにも見える。不思議だ。

「え、いいの? 読む読む」

「ただ、本当に痛いかもしれないんで。あんまり引かないでくださいよ……」

言い訳がましく念を押しつつ、スマホを取り出す。

そして、俺はある重大な事実に気がついた。

「あ……えっと。俺、山葉さんの連絡先、知りません」

俺の言葉に、山葉さんはスマホを取り出しかけたままピタリと止まった。

「……あ」

沈黙が落ちる。

そして、二人で同時に吹き出してしまった。

「ウケる。うちら、毎晩一緒に酒飲んで配信観て、今日のお昼なんて一緒にスーパー行ってご飯作って食べたのに、連絡先すら交換してなかったのかよ」

「バグってますね、距離感」

俺たちは笑い合いながら、今更すぎる手つきでスマホを取り出した。

「じゃ、インスタで。えーっと……」

自分のQRコードを出そうとした山葉さんは、ふと画面の上で指を止め、ほんの一瞬だけ何かを迷うように視線を落とした。

「……んー、まあ鈴木くんだし、いっか。はい、これ」

小さく呟いて、俺に画面を差し出す。

俺がそれを読み込むと、彼女のプロフィール画面が表示された。

アイコンは自撮りなどではなく、どこかの街角を切り取ったような、飾らないがセンスのいい写真。アカウント名も本名ではない。フォロワーは数百人いるのに、フォロー中の数字は『0』になっていた。

少しアンバランスなアカウントだなと思いながら、フォローボタンをタップする。

『相手があなたをフォローしました』

数秒後、すぐに通知が返ってきた。山葉さんと、相互フォロワーになった。

彼女のページをリロードすると、フォロー中の数字がたったの『1』に変わっている。

とっさのときに使うためのアカウント、ということなのかもしれない。

とはいえ、ただの隣人だったはずの俺たちの間に、初めてデジタルな繋がりが生まれた瞬間だった。

DMでnoteのURLを送る。

山葉さんはシットコムを一時停止するとそれをタップし、画面を見つめ始めた。

スマホのバックライトが、彼女のタレ目気味の三白眼をぼんやりと照らしている。真剣な横顔。

俺は、まな板の上の鯉のような気分で、隣で生きた心地がしなかった。ジンの入ったグラスを握る手に、じっとりと汗が滲む。

画面をスクロールする指の動きが止まる。

「……ふふっ」

不意に、山葉さんが小さく吹き出した。

「な、なんですか。やっぱり痛いですか」

「んー……。なんか、めっちゃ『鈴木くんっぽい』なーって」

山葉さんはスマホから視線を上げ、袖口で口元を抑えて笑った。

「鈴木くんさ、理屈っぽすぎだって。なにこれ、『カタルシスの欠如がもたらす現代的ニヒリズム』って。カタカナ多すぎ」

グサリ。

俺の急所を的確にえぐる指摘に、顔から火が出そうになる。

「す、すいません……。やっぱり、カッコつけて難しい言葉使っちゃう癖があって……」

「でもさ」

俺の言葉を遮り、山葉さんはスマホの画面を指でトントンと叩いた。

「書いてあること自体は、面白いよ」

「……え?」

「あたしもこの映画観たことあるけど、そんなふうに考えたことなかったもん。『愛されないことへの恐怖が、主人公を狂気に駆り立てた』かぁ。……変なこと考えてて、面白」

山葉さんは、もう一度画面に目を落とし、クスリと笑った。

「だからさ、もう少し肩の力抜いて書けばいいのに。無理して難しい言葉使わなくても、鈴木くんの見えてるモノ? 視点? みたいなのは、ちゃんと面白いからさ。知らんけど」

知らんけど、と彼女は照れ隠しのように付け足して、ビールを煽った。

俺は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

理屈っぽいとか意識エベレストとか、散々いじられたのに。なぜだか、悪い気はしなかった。

むしろ、見栄を張って着込んだ重いコートのポケットから、本当に見せたかったものだけをヒョイとつまみ出されたような、不思議な心地よさがあった。

「……ありがとうございます。ちょっと、書き直してみます」

「ん。次書いたら教えてよ。愛読者のお姉さんに」

「……はい」

俺たちは再びシットコムの続きを再生した。

隣から伝わってくる彼女の体温と、スマホに残った彼女のSNSのアカウント。

いつの間にか、二人を隔てるように置かれていたクッションは床に転がり落ちていて、肩と肩が触れ合いそうなほど近くにあった。