作品タイトル不明
22.
静かに扉を開けてロンの寝室に入る。
彼はベッドから半分起き上がっていた。
「ロン君」
「エリカ姉様……カーヴェル……」
彼の頬は赤くこちらに向けた眼差しもぼんやりしている。
目元が少し腫れているように見えるのは先程まで泣いていたからだろうか。
「ごめんなさい……」
「何に対して謝っているの?」
私が尋ねるとロンは驚いた顔をして、暫くしてからぽつりと答えた。
「みんなに、迷惑をかけたこと……」
「迷惑なんてかけられていないわ、ねえカーヴェル」
「はい奥様」
私たちが微笑みながら言うがロンは納得しない。
「でも、兄様は絶対怒ってるよ……」
「怒っていないわよ、怒られて当然だと言っていたわ」
「え……」
「具合が悪いのにごめんなさいね、私はこれだけを伝えに来たの」
そう言いながら手袋を外しロンの額に触れる。自分の掌よりは熱いのはわかる。
子供の体温であることを考えれば微熱程度になるだろうか。
ロンの目もしっかりとこちらを視線で捉えている。
これならもう少し話をしても大丈夫そうだ。私は手を離した。
「レオ君は貴方をもう奴隷だと思ってないし、そう言ったことを謝りたいそうよ」
「……嘘、だ」
「嘘じゃないわ、今から呼んでくる?」
私がそう言うとロンは勢いよく首を振った。
やっぱり心の準備が要るらしい。
「二度と奴隷扱いしないと彼は私に誓ったわ。私が今伝えたいのはそれだけ」
私はロンの側から静かに離れる。そしてカーヴェルに視線を向けた。
彼は彼で伝えたいことがあった筈だ。
若き家令はこちらの視線を正しく読みロンの側に跪いた。
それをロンは不思議そうな顔で見る。
「カーヴェル」
「ロン様、実は私も弟なのです」
突然そんなことを言われてロンは驚いた顔をする。
私は知っていたがロンにとっては初耳だったからかもしれない。
「そうなんだ……」
「ええ、ずっとしっかり者の兄と弱虫の弟と言われておりました」
「えっ」
驚いた声がロンと私の両方から漏れる。
私はばつが悪くなり明後日の方を向いた。
(カーヴェルはロンに集中しているから気づいていない筈……)
そう己に言い聞かせゆっくりと視線を戻す。
一瞬彼の琥珀色の瞳がこちらを向いていた気がしたが錯覚だと判断した。
「兄はしっかり者というか非常に気が強くて、年上の相手とも臆さず交渉をする人でした」
「なんか、凄いね……レオ兄様みたい」
「ですが私は逆で、年下の子供にさえ口喧嘩で負けて泣いて帰ってきたりしました」
「えっ」
随分と意外な過去だ。
だが今回は唇を噛み締めて耐えたので私は声をあげなかった。ロンだけだ。
「だから私は兄がずっと苦手でした」
「えっ」
「えっ」
うっかり口が緩みロンと二人揃って驚いてしまう。
でもこれは仕方ない。
(だってカーヴェルってお兄さんの事尊敬している感じだったもの)
子供から大人になるまでに関係性が変化したのだろうか。
きっとロンの為に話している内容なのに申し訳ないが好奇心がわいてくる。
「兄が悪い訳では無くて、兄のようになれない自分が嫌だったのです」
「……カーヴェルもそうだったんだね」
ロンが安心したように言う。
私はその時初めてこの子供が自分の兄に憧れていたことを知った。
でもカーヴェルはきっと以前から知っていたから今この話をするのだろう。
「でも人には向き不向きがあって、私はどうしても兄のように大人と激しい口論をしてでも自分の主張を通すことは出来なかった」
「じゃあカーヴェルは今もずっとお兄様が苦手なままなの……?」
悲しそうにロンが言う。
カーヴェルに同情しているだけでなく自分とレオの今後を考えて憂鬱になっているのかもしれない。
けれど美貌の家令は鮮やかに笑っていいえと答えた。
「今は兄と仲が良いですよ。口喧嘩も偶にしますけれど」
「良かった……でもどうして?」
不思議そうに訊くロンにカーヴェルは優しく告げた。
「兄と私は互いに足りない部分を補う事が出来ると気付いたからです」
「……足りない部分?」
「昔の兄は勇敢でしたが、同世代の少女には怖がられていました」
厳密に言うと兄が好意を持っていた少女にですね。
そうカーヴェルは悪戯っぽく笑う。
「結果、なんと兄は弟である私の真似をしようとし始めました」
「お兄様なのに弟の真似を?!」
「そうです。でも結局上手く行かなくて私が二人の間に立って伝達役を頑張る事になりましたけれど」
当時を思い出したのか楽しそうにカーヴェルが言う。
「その時初めて気づいたのです。人間には相性があって兄が得意な物と私が得意な物は違っていた方が良いのだと」
そうすればどうしても無理な時は代わりにこなしてあげられますからね。
カーヴェルが言う。ロンはその言葉を聞いて無言で暫く考え込んでいた。
その青い瞳には先程まで無かった新しい光が宿っている気がした。
そしてロンはカーヴェルに向かって尋ねた。
「ねえ、じゃあカーヴェルは……自分の兄様に助けて貰ったことはあるの?」
彼の言葉にカーヴェルは沢山ありますよと微笑んだ。
「兄はいつでも私や母の代わりに色々な物と戦ってくれていました。……彼の気がとても強かったのは、そうしないと長男として立っていられなかったからです」
父が不在な家庭で。私は彼が口に出さなかった言葉を聞いた気がした。
「長男として……」
「それにもう少し早く気づけなかった事は今でも後悔しています。兄も私も嫌い合っていた訳では無いのだから」
苦く笑い締めくくるカーヴェルの言葉をロンは黙って真剣に聞いていた。