軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 ジョンソン副長

「わあ、すごい! ジョンソンさん、もう一回!」

俺が口から吐き出した煙草の煙が、大きな輪になって空へと上がっていく。

エルシャが目を丸くして、ちいさな手でそれを掴もうとする。

細かい輪を、頬を叩いてポポポと吐いてやれば、手を叩いて喜ぶ。可愛いもんだ。

詰所のアイドルは、夜勤明けの冴えない中年男にも、惜しみなく癒しを与えてくれる。

霧の爆弾魔事件の犯人が逮捕されてまだ三日。騒ぎが収まり切らないこの日の夜勤は、さすがにキツかった。無理が効かない年齢を自覚する。

「あー、面白かった! あっ、そろそろ時間です。行ってきますね!」

元気いっぱいに手を振って学校へ向かったエルシャと入れ違いで、ダグラスが中庭へ顔を出した。

「ジョンソン、まだいたのか。疲れているだろう、早く帰って寝ろ」

ぶっきらぼうな物言いは、出会った頃から変わらねぇのな。

五年前の新聞で『霧を払う騎士』なんて格好いい二つ名を見ていた時は、俺とは一生縁のないエリート様だと思ってた。

妻子が犠牲になった挙句に左遷されたと聞いた時も「踏んだり蹴ったりだなあ」なんて他人事で。

だから、ダグラスが二年前に隊長として赴任してきた時は面食らった。

『元特務捜査隊のエースが、なんでこんな庶民の詰所に?』

俺を含めて隊員たちは、誰もが口に出さずにそう思っていた。そして、妙な視線を俺に向けて来る。

前任の隊長が定年で引退した後は、副長だった俺が隊長へと昇格する予定だったからな。

正直、俺だって『あれ? 次の隊長、俺じゃねぇの?』って、思わなかったわけじゃない。

だが、よく考えたら柄じゃないし、責任と給料を天秤にかければ副長くらいが丁度いい。養わなけりゃならない家族がいる訳でもないし。

赴任当時のダグラスは、どこか投げやりなところがあって、言葉を尽くすことを疎かにしていた。

情もあるし、気づかいだって充分しているのに、人を寄せ付けない雰囲気がそれを台無しにしていた。

まあ、今でも言葉足らずは変わってないんだけどな。

俺は、やつを放って置けなかった。

『ああ! もう一言、言ってやらないと伝わらねぇって!』

ダグラスがぶっきらぼうに命じて、隊員がしょんぼりしてるときは、大抵俺の出番だった。

「違う違う、あれは怒ってるんじゃねぇんだ。心配してんだよ」

そう言って、帰りに一杯奢ってやる。

よく副長のことを『女房役』なんて言ったりするけれど、俺はどちらかと言うと『おかん』だったと思う。我ながらお節介を焼きまくった。

一年が過ぎる頃には、隊員はすっかりダグラスの物言いや態度に慣れて、『うちの隊長、格好いい!』なんて尻尾を振って懐きだした。

まったく調子の良い連中だよ。

そうしてダグラスがうちの隊長になってから二年が過ぎて、エルシャが詰所にやって来た。

ガリガリに痩せた、傷だらけの女の子だ。

ダグラスはその薄い肩に自分の上着をかけて、誰にも触らせまいとするみたいに立っていた。

二人は妙な速度で近づいていった。

エルシャはやつの後ろをちょこちょこついて回り、やつはやつで、仕事中でも構わずエルシャを側に置いた。

エルシャは行儀も聞き分けも良くて、仕事の邪魔なんてしなかったけれど、俺は二人の距離感に、どこか危うさと痛々しさを感じていた。

ダグラスは失った『愛する、庇護する存在』を。エルシャは『求めても得られなかった大きな背中を』。二人はお互いに、必要としているものが、噛み合い過ぎている。

ぴたりと噛み合い過ぎた歯車は、遊びも逃げ場もない。ほんの少しの衝撃で、ガタガタに壊れてしまうかも知れない。

その時二人はきっと、更に大きな傷を負ってしまう。今のうちに、距離を取る助言をした方がいいんじゃないか? 俺はそんなことを考えて、ヒヤヒヤしながら二人を眺めていた。

けれど、エルシャは意外に逞しくて、寄りかかるばかりの子供じゃなかった。小さなこぶしをギュッと握りしめ、細い両足をふんばって自分で立ち上がろうとした。

ダグラスはそんなエルシャを、いつでも支えられる距離で、見守ることを覚えていった。

これならきっと大丈夫だ。そのうちエルシャが『ダグラスお父さん、臭いから一緒に寝るのイヤ!』とか何とか言い出して、ダグラスが涙目になるみたいな、当たり前の父娘みたいな光景が、見られる日が来るかも知れない。

そう、安堵していたのに。

あの事件が再燃した時、一番近くにいた俺は生きた心地がしなかった。

ダグラスの目が、どんどん濁っていった。五年前と同じ、復讐だけを宿した、いつ折れてもおかしくない、ヤバイ目だ。

エバンスから、あいつの辞表を見せられた時は心臓が跳ね上がった。

「あの馬鹿、絶対、一人で刺し違える気だ!」

膝の痛みも忘れて、王都中の路地裏を泥だらけになって走り回った。あんなに必死になったのは、二十年以上の警ら隊人生で初めてだったかもしれない。

だから。

あの銀笛の音が夜の闇を切り裂いて聞こえた瞬間、俺はその場にへたり込んじまった。

「……生きてやがった」

安堵か、脱力か、それとも怒りか。自分でもよくわからねえまま駆けつけて、開口一番怒鳴りつけた。

『てめぇ……! なに考えてんだ!』

涙目になって食ってかかった俺に、あいつはなんて言ったと思う?

『すまん』

……それだけだ。たった三文字で済ましやがった。

俺たちの肝を冷やした責任を、そんな短い言葉で片付けられてたまるかってんだ。

そんな俺たちを、エルシャが微笑ましそうに見つめて『ふふ』と肩をすくめて笑った。不思議な子供だ。たった七歳の幼女のくせに……時々、お袋に会った時みたいな気分にさせられる。

だが、あいつを踏み留まらせたのは、間違いなくエルシャだ。……まったく大した子供だよ。俺も、エバンスも、ダグラスのお袋さんですら、出来なかったことを。あの小さな身体でやり遂げちまった。

俺は、あの時二人を引き離したりしないで良かったと、心の底から思った。

「おーい、隊長。今日こそは奢ってもらわねえと気が済まねえからな!」

去っていく背中に、俺はわざと大きな声を張り上げた。

ダグラスは振り返りもしなかったが、少しだけ肩をすくめたように見えた。

ったく、愛想のねえやつだ。

でも、復讐に燃えていたあの恐ろしい目じゃない。いつもの、仏頂面で、最高に無愛想な、八番街の隊長の目に戻ってる。

俺はもう一本、新しい煙草に火をつけた。

肺に染みる紫煙が、今日は妙に染み渡る。

王都は今日も相変わらず煙たいけれど。……空を見上げれば、霧の向こうに一番星が見えていた。