軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話 ドアマット幼女と警ら隊 その弍

皆さまこんばんは。

エルシャ・グリーンウッド六歳です。

警ら隊のダグラスさんのガッシリとした腕に抱えられています。いわゆる子供抱っこです。恥ずかしくなどありません。なぜならわたしは 中(・) 身(・) も六歳の子供だからです。

あの時走馬灯が見せてくれたのは、確かに人生の坂道を登りきって折り返した人の記憶と知識でした。ですが、わたしはその人の人格を受け継いだわけではありません。

わたしは、今でも六歳のわたしのままなのです。

けれど変わったこともあります。以前のエルシャは、ただ嵐が過ぎ去るのを待っていました。考えることをやめて、後妻とその娘の言う通りに行動していました。それ以外に方法を見つけられなかったのです。

今は視点がひとつ増えたような、頭の中の回路が整ったような心持ちでいます。感情も思考もクリアです。

わたしが悪いのではないと、はっきり言うことが出来ます。

ここが勝負の別れ目かも知れません。警ら隊はわたしを連れ出せるほどの、権力があるのでしょうか。ダメならば、自力で何とかしなければなりません。

けれど少なくとも、わたしを抱っこしているこの人は、このままわたしを後妻へと引き渡したりはしない気がします。

ダグラスさんは片方の手でわたしを抱え、もう片方の手でオイルランタンを持って踏み台へと降り立ちました。安定感が半端ないです。つい、くんくんしてしまった警ら隊の制服からは夜の匂いがしました。

踏み台から降りるともう1人警ら隊の人がいて、敬礼をしてから声をかけて来ました。

「隊長、両親は虐待を否定しています。どうしますか?」

「俺が話をしよう。この子を頼む」

ダグラスさんが、わたしをその人に抱き渡そうとします。わたしは警ら隊の制服の胸のあたりをぎゅっと掴んで抵抗しました。

「わたしも行きます」

「君はここで待っていてくれ」

そんなやり取りは、子供に聞かせるような話ではない。そういうことでしょうけれど、ダグラスさんは言葉を濁しました。

ここ一年の間、わたしの周囲では見つけられなかった配慮です。ダグラスさんへの好感度がまたひとつ上がりました。

「わたしの話をするんですよね? だったらわたしも行きます」

「だが……」

「行きます。降ろして下さい」

もう一度ゆっくり口にすると、ダグラスさんはわたしの背中をトントンと叩き、『わかった。だが、無理をする必要はない』と言って、わたしを抱っこから降ろしてくれました。

父親と後妻のいる応接室へと入ると、眩しさに目が眩みました。日が暮れると屋根裏部屋へ上がる日々だったため、野生動物のように身構えてしまいました。

明るさに目が慣れてくると、ソファの奥の席に父親と後妻が座っているのが見えました。父親は視線を 彷徨(さまよ) わせています。後妻は扇子を広げて口元を隠し、前髪の向こうから恐ろしい眼で睨んでいます。

俯(うつむ) かない。絶対に、俯いてなどやるものか。

わたしは真っ直ぐ前を向き、震える足で歩を進めました。

「私は知らん。 ソ(・) レ(・) のことは妻に任せている」

何も聞かれていないのに、父親が顎でわたしを指し示すようにして言いました。

「仕事が忙しく、あまり家にも帰っていない」

「あなたったら……酷いわ! ねぇ隊長さん、聞いて下さいよ。その子は被害妄想が酷くて手を焼いておりますの。子供の言うことなんか信じませんよね? 反抗的で手がつけられないほど暴れるんです。頭がおかしいの」

「医師に相談したことは?」

「ありませんよ! そんなのは家の恥になりますから!」

「なぜ、屋根裏部屋に?」

「何でもかんでも投げるんです。危ないし物を壊されたら困るわ」

後妻が扇子で顔を隠し、泣き崩れるように父親にしなだれかかります。

「この子はずいぶんと痩せているし、身だしなみも整えてもらってないように見受けられるが?」

わたしの私物はみんな取り上げられてしまっていて、今着ているワンピースしか持っていません。自分で洗っているけれど、基本的には着たきりスズメです。お風呂も使わせてもらえません。

「ちゃんと用意しておりますのよ。反抗して食べないし、着替えも拒否するんです」

後妻の嘘に少し感心してしまいました。破綻していないし、なかなか説得力があります。

「私は少しこの子と話したが、少しの異常も感じなかった」

「まぁ! 何を根拠におっしゃるの? 専門の知識がおありなんです?」

ダグラスさんがやり込められてしまいそうです。後妻は口も世渡りも上手いのです。

「ダグラスさん、わたしが話しても良いですか?」

「ああ」

ダグラスさんは、申し訳なさそうに頷いてくれました。充分です、ダグラスさん。味方をしてくれた。それだけでとても心強いです。

「これは昼間、その人に頭からかけられた紅茶のシミです。熱かったです」

わたしは、ワンピースの肩口から広がる茶色く変色した部分を指差して言いました。そして勢い良く頭からワンピース脱ぎ捨てます。

わたしの奇行に後妻が小さな悲鳴を上げ、父親は眉間に皺を深くしています。

ダグラスさんと二人の警ら隊の人は、シュミーズから出たわたしの細過ぎる手足に、痛ましげな視線を向けています。

「この膝のアザは、昨日その人に突き飛ばされた時に出来ました。背中のアザはその人の娘に蹴られた跡です」

「う……嘘よ! そんなことしないわ!」

「この腕のアザは二日前に、強く掴まれて引き倒された時のものです」

どんどんいきます。後妻の言葉なんて待ちません。

「その時わたしの巻き添えで倒れた花瓶が割れました。その罰だと、ムチで背中や顔を合計9回叩かれて複数箇所から出血しました」

額のかさぶた、肩のみみず腫れを順番に指差します。

「その人がわたしに初めて暴力を振るったのは、8ヶ月と22日前の午後です。頬を叩かれました。その人の娘に『わたしのドレスを勝手に着ないで』と言っただけです」

「だ、黙りなさい! その口を閉じないと……」

後妻が立ち上がって、わたしを指差して言いました。

「閉じないと……どうするんだ?」

地を這うような声がしました。ダグラスさんです。わたしの肩に警ら隊の上着をかけてくれました。後妻は口をパクパクとしています。ふふ、金魚みたい。

「今までムチで叩かれたのは、合計で266回。頬や顔を手で叩かれたのは187回、突き飛ばされたのは43回、物をぶつけられたのは83回。わたしは、あなたのわたしへの暴力と暴言を、全て覚えています」

金魚の後妻は怖くないです。目を逸らさないで言ってやります。

「かっ、勝手に暴れて、自分で傷を作っているのよ! わたしはやってないわ!」

「例えばわたしが、あの人の言う通りに『頭のおかしい子供』で、この傷は自分で付けた傷だったとしても、少しの手当もしてもらっていません」

ダグラスさんを見上げて言います。とても大柄な人なので幼女の立ち位置からだと、顔は遠いのですが。

「わたしの分の食事が、テーブルに用意されなくなってから今日で152日目です。見ているだけの食事を2週間続けましたが諦めました。メイドたちに声をかけてもお願いしても、返事もしてもらえませんでした」

お茶を運んで来たメイドのリサが、気まずそうに目を伏せています。

「食事が届けられるのは、使用人の夕食が終わった後の1日に1度きり、賄いの残りの具のないスープだけです。この家でわたしは、多分大人にはなれません。その前に死んでしまうと思います」

手近にあるズボンの太腿あたりを、つい握ってしまいます。 縋(すが) るような惨めなことはしたくないのですが、震える手が勝手に動いてしまいました。

「奥さん、この子はこのまま保護させて頂く。怪我の手当をしなければならない」

「待て……そんなことは許可できない」

黙ったままだった父親が、小さな声で言いました。改めて見ると、変なチョビ髭の貧相なおじさんです。わたしはこんな人に、なぜ構って欲しいと思っていたのでしょう。

「ダグラスさん、あの男の人は、わたしの実の父親 だった気がします(・・・・・・・・) 。言うことを聞かないとダメですか?」

「いや、俺の判断で君を保護出来る」

ダグラスさんが、わたしをまた抱き上げてくれました。なぜでしょう。この腕はわたしに驚くほどフィットしますね。

「西区八番街警ら隊ダグラス・リードが少女の身の危険を確認した。隊長権限でこのまま身柄を保護させて頂く。今後のことは追って通知する。撤収!」

「「はっ!」」

二人の警ら隊の男の人が、揃ってピッと敬礼しました。ダグラスさんも敬礼を返します。

格好いいです。どうしましょう。ダグラスさんへの好感度が天井知らずです。ですがダメです。依存は淑女に相応しくありません。

ダグラスさんが、大股で部屋を出てゆきます。ぐんぐん進みます。速いのに腕の中は快適です。

後妻と父親が何か言っていますが、ダグラスさんは止まりません。

玄関へ出ると、後妻の娘が階段の踊り場からこっちを見ています。あっかんべーとしてやろうかと思いましたが、やめておきます。もう関係のない人です。

玄関の扉が開くと、朝焼けの空が見えました。

屋根裏部屋での夜明けは、いつも恐ろしいものでした。嫌なことしか起こらない、一日のはじまりだったからです。

わたしはもう、この家には二度と戻らない。そのためには、どんなことでもする。

カーンと一回、朝の鐘が鳴りました。その音に驚いた小鳥が一羽、楡の木の枝から飛び立ちました。翼の先が赤い鳥です。チーチーと鳴きながら空に舞い上がります。

その様子を見ていたら、ハラハラと涙がこぼれました。鳥は、こんなにも簡単に飛んで行けるのです。

「うわーん!」

わたしは大声で泣きました。ダグラスさんのシャツの胸のあたりに、シミが広がります。鼻水も出てしまいましたが、仕方ないですよね。

だってわたしは、まだたった六歳の幼女なのだから。