作品タイトル不明
370.義弟は心から望む。
「あ〜あ、…つまらないパーティーだったわぁ。」
…女性が歩く。波立つ真紅の髪を指で弄りながら、心からつまらなそうにそうぼやいた。
豪奢な装飾に色とりどりの花、高級な酒と料理。
城下の民の生活からは考えられないほど贅沢の限りを尽くした大広間のパーティー。それは全て、今回の主役でもある彼女の要望通りのものだった。だが、彼女も馬鹿ではない。来賓数が年々減っていることも、大広間内に浮き立つものが全くなく、静けきっていたことも理解していた。
パーティー中も王座に座しながら、少しの料理とワインしか口に付けず、その女性はつまらなそうに足を組むばかりだった。彼女自身、来賓に礼を尽くすつもりも楽しませるつもりも全くなかったのだから。
「ああ、もう付いてこなくて良いわよステイル。」
背後に控え続ける摂政を指先だけで払いながら、彼女は振り返ることなく靴を鳴らして歩いた。自分の私室とは別方向に歩む女王に、初めて彼は口を開く。
「……どちらへ、行かれるのでしょうか。女王陛下。」
低く、抑揚のない声が無表情のまま放たれる。
眼鏡の奥にある漆黒の瞳が濁り、更には人形のように顔の筋肉が口以外は全く動いていなかった。
彼の言葉に女王はピタリと足を止めた。前を真っ直ぐ向いたままだった彼女が一拍の間の後、ゆっくりと彼へその身体を向けた。
引き攣ったように醜い笑みと共に。
「決まっているじゃない。愛しい愛しい婚約者に会いに行ってあげるの。」
ニタァァ…と歪んだ笑みを広げ、口端を引き上げながら笑う女王にステイルは怖じけることなく見返した。全く感情も感じられないその瞳で、短く「失礼致しました」と答えると女王は思い出したように笑い声を上げ、今度こそその場から去っていく。先ほどと打って変わり小さくステップを踏みながら、ご機嫌で歩く彼女の姿すらステイルは顔色ひとつ変えはしなかった。
…またレオン王子で憂さ晴らしか。
頭を上げ、女王の背中が見えなくなるまでその場に佇みながらステイルは小さく息を吐く。
レオンと婚約し、そして彼が別人のように変貌して部屋に引き篭もるようになってから女王が時折こうして彼の部屋へ自ら訪ねていることを彼はよく知っていた。…そこで、何が行われているのかも。
女王がアネモネ王国の民を城の拷問部屋で嬲り殺しにしたことも知っている。当時まで使われていなかったその部屋の手配も、更には女王の望むままにレオンを〝誑かした〟民全員をその部屋に収容させたのも彼の仕事だったのだから。
レオンがその日を境に心を病み、使い物にならなくなったことも、そして女王が暇を見つけてはそんな彼の傷口を抉り続けていることも知っている。…だが。
…まぁ、ティアラに奴の注意が向かないのならばそれで良い。
ステイルにとってはどうでも良いことだった。
心配なのは、女王の矛先が義妹であるティアラに向いてしまうこと。だからこそ今さっきも、まさか女王がティアラに何かしに行くつもりなのではないかと案じ、自ら問い掛けた。そして女王の目的がティアラでないと確認が取れた時点でステイルの興味は消えていた。
…不憫だとは思う。彼もまた死よりも辛い生き地獄を味わっていることも理解している。
夜な夜な彼の悲鳴が部屋から溢れる度に、王居内でそれを聞いた者達からは余計に女王の恐ろしい噂が囁かれるようになった。
更にはレオンが部屋に引きこもっていることを知る王宮内の衛兵や侍女達からは、女王がレオン王子の部屋に入った途端に響き渡るその悲鳴に、彼がその美しい見目を買われて女王に愛玩の如く飼われているのか、鬱憤を晴らす為の生き人形と化しているのか、…それともいっそ悲鳴というのもただの噂で、実際は女王との慰みごとによる喘ぎ声かと様々な憶測と噂が行き交っていた。
だが、それでもステイルはその噂を正そうとも、彼の本当の扱いを広めようとも思わなかった。それどころか彼の身の回りの世話をする侍女達にも厳しく口止めをし、女王の意思のもと真実が漏れ出ないようにと手を打っていた。
長い廊下で女王の姿が完全に消えたところで、ステイルも足を動かした。踵を返し、女王とは反対方向へと進む。
…だが所詮は女誑しの報いだ。
女王の反感を買ったきっかけともなった事件。
第一王子であるレオン王子は我が国へ訪れる前夜に城下で民と酒に溺れていたという。
もともと女誑しの王子だという噂は知っていた。女王との婚姻前に最後の自由を味わいたかったのか、それとも単に後先考えずに快楽を求め続けた結果か。
無駄とも言えたアネモネ王国との諍いと戦争。その橋渡しの為に必要な婚姻。女誑しの屑王子と悪魔の如き外道女王ならばお似合いだ。
アネモネ王国としても厄介払いができ、我が国としてもあの悪魔の情欲の生贄ができて両国とも円満な婚姻となる筈だったのだが。…あの屑が。
奴が余計な道楽に走ったせいで、折角纏まりかけていた両国間に再び亀裂が入るところだった。女王がアネモネ王国の民を嬲り殺す〝だけ〟で満足したから良かったものを。下手をすれば我が国の民まで再び戦に巻き込むことになるところだった。
王族としての特権ばかりを振り翳し、己が欲求のみを優先させた王族の面汚し。その欲のままに多くの女を泣かせ続けた報いが来たのだと思えば、これも当然の結果だ。
自室に戻り、扉の鍵を締める。既に締め切られたカーテンと窓を確認し、明かりを消した。
暗闇に包まれてやっと、落ち着いたようにステイルは大きく息を吐いた。黒縁の眼鏡を指で押さえ、先程まで道すがら考えていたことを思い出す。すると、まるでタイミングを計ったかのように聞き慣れた悲鳴が何処からともなく漏れてきた。
「あああああぁぁぁぁああっ…‼︎いやだッいやだぁああ‼︎‼︎もう人は人は人はっ…‼︎あああああああああああああああああ‼︎」
最初は嫌気がさしたその叫喚も、今は耳障りな雑音でしかない。
同じ王宮内のせいか、窓越しにそれは漏れ聞こえ時折女王の笑い声が聞こえてくることもあった。最初の頃は数度、女王の付き添いや本当に拷問でもされているのかと興味本位に瞬間移動で覗きに行ったこともあるが、全て女王がその手を下すことなく言葉でなじり続けているだけだった。
むしろ、己が手を汚さずに言葉のみで王配を踠き苦しませることに悦楽を味わっているようにも見えた。
「…今は聞き心地も悪くない。」
声を潜め、口端を吊り上げて彼は笑う。黒いその笑みが闇に溶けた。
レオンの悲鳴が響いている間は少なくとも、彼の大事な存在が女王の手にかかっていないという証なのだから。
最後に一度だけ深呼吸をしたステイルは、瞬間移動を使った。視界が切り替わり、暗闇の中から灯りのついた空間へと変わる。視界にその姿が入るより先にステイルは口を開く。女王に対しては決して出ない、穏やかな声色で。
「まったく…また本を読んで夜更かしをしていたのか?ティアラ。」
ステイルの言葉にソファーに腰掛けた女性が立ち上がる。「兄様っ!」と声を弾ませ、嬉しそうに彼のもとへと駆け寄った。
ステイルにとって、唯一無二の存在。彼に残されたたった一人の家族。
「ちゃんと良い子にしていたか?今日は会いに来るのが遅れてすまなかったな。」
穏やかに笑い、ティアラの頭を撫でる。柔らかな彼女の金色の髪を指がすり抜ける度にステイルは身体の余計な力が抜けていくのを感じた。「そんなことないわ、毎日兄様が会いに来てくれて嬉しい」と鈴の音のような彼女の声に、先ほどまでの醜い叫喚の跡が綺麗に洗い流された。
「兄様こそ、疲れていない?今日は────様の誕生祭だったのでしょう。きっと忙しかった筈よ。」
「大丈夫だ、ちゃんと無事に終わった。…お前に早く会いたかったよ。」
そう言って自分より背の低い彼女の顔を上から覗けば、柔らかな笑みが返ってきた。陽の光のような彼女の細い身体を抱き締めれば「毎日お仕事お疲れ様」と言って彼の背に優しく腕を回した。
…俺の、唯一の光。
彼女の存在をこの腕に確かめながら、そう想う。
妹だけは…ティアラだけは必ず守り抜いてみせると。
ティアラの十六の誕生日まで残り八ヶ月。そうすれば彼女は嫁ぎ、この国を出ることになるだろう。
女王の手の届かない、遠くの地に。
ティアラと離れることに酷く胸は痛む。
隣国程度ならば嫁いだ後も瞬間移動で会いに行けるが、それより遠い地であれば許可無しに俺自身が女王から離れることはできない。彼女をこの手から失うことはこの上ない損失だ。だが、このまま女王のいるこの国に居続けることよりも遥かに安全だ。…何より、そうすればティアラは離れの塔から解放されて自由になれるのだから。彼女の幸せの為ならば、俺自身がどうなろうと構いはしない。
ただ一つ憂いがあるとすれば、ティアラの婚約者を決める権利は女王に…あの女にかかっていること。
こうしてティアラを離れの塔に閉じ込めている女王がティアラに良い相手を用意するとは思えない。どうにか俺がティアラを守ってやらないと。
女王が適当に選んだ相手が運良く良い相手であれば良し。そうでなければ、どんな手を使ってでもティアラからその男を引き剥がす。…隷属に堕とされたこの身でできる限りの全ての手で、必ず。
気が付けばティアラを抱き締める腕に力がこもった。「兄様…?」と尋ねられるが、疲労を言い訳に暫くそのまま彼女を抱く。必ず守り抜くという誓いと共に。
…名ばかりの王配、レオン・アドニス・コロナリア。
女王の鬱憤の吐け口。
彼を飼い殺しにしてから、女王は今まで民で発散していた快楽を彼一人で済ますことが増えた。
もしこのままティアラへの興味を女王が無くせば、面倒な婚約者選びは摂政である俺に委ねられるかもしれない。そうでなくとも、彼で遊んでいる間はきっとこのままティアラにまで奴の手は及ばないだろう。離れの塔よりもずっと身近な場所で最高の玩具を得たのだから。
先のチャイネンシス王国侵略とサーシス王国の支配後からはあの女の機嫌も上々だ。ヨアン元国王とセドリック王子という新たな玩具も手に入れたお陰だ。
どうかこのまま女王の犠牲と成り果ててくれ、レオン。
お前の不幸こそが、ティアラの幸福へと繋がるのだから。
お前が苦しめば苦しむほど、ティアラの平穏が約束される。民もまた女王の標的にされることが減っていく。
己が欲求のままに快楽を貪り、女を泣かせ、王族としての規律を蔑ろにした報いなのだから。穢れた王子は清らかなティアラの為に朽ちていくことこそが相応しい。
そして、欲を言うならば出来る限り永く、いっそ女王が死ぬまで使い潰されることなく飽きさせることなく残留し続けてくれ。
王配として与えられた豪奢で広く恵まれたあの牢獄で。
永遠に苦しみ踠き、あの女を悦ばせる為だけに生き長らえてくれ。
全ては、我が国の民と俺の大事な大事なティアラの為に。
……
…
「どうも、ステイル王子。この度はプライド第一王女の御誕生日おめでとうございます。」
レオン王子に声を掛けられ、俺も身体を向けた。…しまった、全く彼が近づいていることに気づかなかった。どうやら来賓と話し過ぎて少し呆けてしまっていたらしい。
先程まで多くの来賓に囲まれていた筈だが、それを受け流してまで俺のところまで挨拶に来てくれたようだ。
言葉と挨拶を返しながら、グラスを互いに合わせる。
我が国に頻繁に訪れてくれる彼だが、俺が最後に直接会ったのはアーサー昇進祝いの食材調達の為にアネモネ王国へ瞬間移動した時だった。その後に訪れてくれた時も、プライドがアネモネ王国に定期訪問した時にも、俺は摂政業務とジルベールから王配業務を教わる為に同行していなかった。
俺が声を潜めて食材提供の礼を伝えると「またいつでもお申し出ください」と滑らかな笑みで返してくれた。
「早いものですね、プライドが十八歳とは。」
「ええ。姉君の女王戴冠も遠いものではないでしょう。」
流石ですね、と笑顔で相槌を打ってくれるレオン王子だが、彼こそ戴冠は時間の問題だとヴェスト叔父様も話していた。近隣諸国でも彼の手腕と人柄は評判で、いまやアネモネ王国の顔と言っても過言ではないほどの人物だ。二年前まで社交界に殆ど出てこなかったことが出し惜しみだったと思われるのも頷ける。
「ステイル王子の御誕生日は来月でしたね。是非ともその折にはお祝いさせて頂けると嬉しいです。」
「ありがとうございます、恐縮です。是非ともいらっしゃって下さい。レオン王子の御誕生日には素晴らしいパーティーに御招き頂きましたから。」
二年前から、レオン王子の誕生祭も大々的に行われるようになった。
それまでも同盟国となってからはアネモネ王国の王族の誕生祭等の式典に母上が招かれたことは何度もあったが、その度にレオン王子は〝具合が悪く〟欠席だったらしい。第一王子の彼に倣って当時の第二、第三王子も同様に大々的な誕生祭は行われずに国内で祝うにとどまったらしいが、…今やレオン王子が大々的な場に出る度に女性の黄色い悲鳴が絶えない。レオン王子目当てでアネモネ王国と親交や交易を深めたがる王族貴族も多いと聞く。……まぁ、それは当然プライドのいる我が国もだが。
「素晴らしい人気ですね、プライドは。僕も元婚約者として鼻が高いです。」
なんて。と小声で悪戯のように笑うレオン王子は、俺の考えたことを読んだように目でプライドを指した。
今も何人もの男性がプライドに声を掛けては、……数度の挨拶で去っていく。今までは話し込むことが多いプライドだったが、今日はわりと上手く断っているようだ。背中を俄かに丸くして去っていく男性を見る度に気を抜くと口端が緩みそうになる。たかが数度顔を合わせた程度で彼女を得られるなど考えるだけで論外だ。
「はい、僕も義弟として嬉しい限りです。プライド第一王女は僕にとっても我が国にとっても自慢の王女ですから。」
俺からも笑顔を作って返せば、レオン王子が滑らかな笑みをそのままに「羨ましいな」と呟いた。
翡翠色の瞳が微弱に揺れたが、…それが第一王女としてのプライドの人気に対してのものか、堂々とプライドを慕える王子や令息達へのものか、……〝弟〟に自慢と言われる姉としてのプライドへのものかはわからない。
「ああ、そういえばなのですが。」
俺の顔色を見てか、グラスの残りを飲みきるレオン王子は傍にいた侍女からワイングラスを取り替えると同時に話も変えた。ステイル王子も替えますかと聞かれ、俺はまだ一口残っているのでと断る。レオン王子はグラスを軽く掲げて笑み、口を開いた。
「ステイル王子はもうハナズオ連合王国の方々とはお話しされましたか。」
レオン王子の言葉で、ふと自然にプライドとは別方向にある人垣に目がいく。
ハナズオ連合王国。公的な場に姿を現すことすら今回が初めてとなる彼らの注目は高い。
主役であるプライドの次、来賓としては不動の人気を誇るレオン王子以上に注目されているだろう。今まで閉ざされていた国である彼らがアネモネ王国との交易を皮切りに今度はフリージア王国と同盟。さらにはそれに伴って国を開く準備を着々と進めているのだから当然だ。我が国とも是非交易をと直接交渉の機会を逃そうとする者がいるわけがない。
フリージア王国としても、更に同盟を広げたことで各国からの評判も上がった。ハナズオ連合王国の防衛成功とラジヤ帝国との和平も相まって大国としても名をさらに高めることもできた。
「いえ、残念ながら。…ですが、そろそろ姉君との挨拶を交わすようですし、その後に僕やティアラも話せるのではないかと期待しております。」
話していればちょうど、目をやっていた人垣が動き出した。
ヨアン国王が上手くその場を受け流し、一番背の高いランス国王がその間を抜けるようにして先陣を切っていく。さらに、…セドリック王子が一番背後から話しかけてくる来賓一人ひとりに言葉を最後まで返しながら兄の後へと続いていった。
立派な体格のランス国王もそうだが、やはりセドリック王子はこうやって遠目で眺めても人目を引く。ランス国王と並ぶ金色の髪が余計にそうさせ、何よりセドリック王子の男性的に整った容姿は擦れ違う女性の誰もが必ず振り返り、顔を紅潮させては目を奪われていた。以前のようにジャラジャラと装飾の音がしない分、アレでも前よりは目立ってない方だが。
レオン王子が「本当ですね」と共に眺めながら、また思い出したように声を漏らし、俺へと語りかけた。
「防衛戦の折には、……〝御協力〟ありがとうございました。ステイル王子とはこれからも良い関係であれればと心から思います。」
含みを持たせた彼の言葉と共にその瞳が妖艶に光った。彼が言わんとしていることはわかる。俺も「僕もです」と伝えて手を差し出せばすぐに掴み、握手を交わしてくれた。
彼はあくまで〝アネモネ王国の〟民。…だが、味方としてならば俺にとっても心強い存在と最近では思えるようになった。
俺やアーサーのようにプライドに救われた彼が、このまま自国で幸福に在り続けて欲しいと。…心から思うほどに。