軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

317.第二王子は学んだ。

兄君に救われてから八ヶ月と三日後。

城下に視察へ行くという兄君に俺も付いていった。

城下自体は俺も初めてではない。

今までも教師やバートランド摂政、ダリオ宰相などと勉学の為に降りたこともある。…〝神子〟と呼ばれる俺の力を試す為に。

だが、兄君と共に行く城下は、この時が初めてだった。共に居る者が違うだけで、景色が全く異なって見えるのだということを初めてその身で味わった。

兄君は俺に〝教える〟だけではなく、〝会話〟をしてくれた。

「見ろ、セドリック。お前と同じくらいの歳の子どもだ。」

ー まるで、当然のことのように語り掛けてくれた。

「…ん?あれか。木登りだな。…なるほど、お前も身体を動かす遊びなどをするのも良いかもしれんな。どうだ?」

ー いつも、俺のことを考えてくれる。

「おぉ、この辺はいつ来ても賑やかだな。お前は降りたことがあるか?…よし、ならば行こう。」

ー そして、笑ってくれた。

兄君と共に降りた先は、王都から少し離れた城下町の広場だった。俺や兄君を一目見るために多くの民が集い、声を上げた。

…俺への物珍しがるような奇異の目が、ひたすらに恐怖だった。

数十あった目の数も、その色も全て覚えている。子どもが何人、大人が何人。今思えばどれも親しみの目だったが、あの時の俺にはそれも理解できなかった。

その視線が目に入った途端、俺は何も言えず民の声に応え続ける兄君の背にひたすら隠れ続けた。

八カ月と三日前の俺ならば何も思わず佇み続けていたというのに、何故か今は兄君以外の人間全てが嫌で、そして怖かった。

〝人見知り〟…と呼ばれるものに酷似した症状だと、ダリオ宰相が話していた。俺の知識には無いものだ。ダリオ宰相曰く、通常は五ヶ月から二歳の間に発症し、知らぬ人間に対し嫌ったり恥ずかしがることを言うらしいが、…俺の場合は、年齢も五歳。更に知らぬ人間だけではない。

兄君以外の人間、全てが怖かった。

ダリオ宰相も、父上も、母上も侍女も護衛も上層部も民も大人も子どもも男も女も誰もが怖かった。

一度会った人間は、すれ違っただけの相手も覚えている。だが、会った頻度など関係なく誰もが怖かった。特に大人と相対すれば鳥肌が立ち、時には言葉を発することも難しかった。こうして兄君の背中越しに覗くだけで精一杯だった。

「待てよ兄貴!」

「早く来いって!第一王子と第二王子だぞ⁈」

また、子ども二人の声が人垣の奥から聞こえた。大人の間を潜り縫うように顔を覗かせたのは俺と歳の近い二人だった。会話から、どうやら二人は兄弟らしい。

『俺達は、兄弟だ』

…兄君は、俺を兄弟と言ってくれた。

兄弟がどういうものか、具体的に学んだことはない。ただ、あの時は兄君がくれた言葉全てがひたすら嬉しかった。

兄君が背後に隠れたままの俺の頭を撫で、そろそろ馬車に戻るかと声を掛けてくれた。

頷き、そのまま護衛と共に馬車へと戻る。扉を閉め、馬車が揺れ出すと「お前の名を呼んでくれていた民も多くいた。…お前の姿を見れて、喜んでいたぞ」と笑んでくれた。頷いてそれに応えるとまた頭を撫でられた。

兄君は、俺に優しい。だからこの時、俺は産まれて初めて自分の意思で兄君に我儘を望んだ。

「…兄…、…っ。」

最初は言おうとしても、上手く言葉にできなかった。

言葉は誰よりも早く習得した筈なのに、たったその一言を言うのが難しかった。

俺の言葉に兄君は撫でる手を止め、静かに促すことなく俺を待ってくれた。

今度こそと、言いたい欲求が恐れに勝ち、もう一度俺は言葉を振り絞る。

「…あっ…、あ…あに、き…。」

王族としては学ばなかった呼び方だ。だが、あの兄弟のように親しげに呼び合う仲が羨ましく、そして憧れた。

視線を落としたまま、身体中が不思議と熱く火照った。兄君の反応を見るのも億劫で顔を上げる勇気もない俺に、…兄貴はゆっくりと再び頭へ置いたままの手を動かした。

「なんだ?…セドリック。」

わしゃりと撫でられ、優しい声で返された。

反射的に顔を上げれば俺の言葉を受け入れてくれた笑みが、真っ直ぐに注がれていた。

嬉しくて、見上げれば兄君は…〝兄貴〟は続けるように「好きに呼べ」と言ってくれた。

撫でられた手は大きく、力強かった。

再び、兄貴と呼べば「なんだ?」と同じように笑みで返してくれた。

それから、俺は兄君を〝兄貴〟と呼んだ。

王族が呼ばない、俺だけが許された呼び名が、この上なく特別なものに感じた。今までの呼び名の何倍も、この人が俺の兄なのだということを実感することができた。

ランス・シルバ・ローウェル。

俺にとって、何物よりも大事な兄。

俺の命の恩人であり、唯一無二の家族。

その兄貴を、最も苦しめていたのが俺自身であることを、この時の俺は全く気づいていなかった。