作品タイトル不明
Ⅱ429.騎士子息は憶う。
「…………暇だなぁ」
ベッドにごろんと転がりながら天井を見上げる。
いつもの見慣れた天井よりも綺麗で、兄ちゃんが借りてくれたこの部屋は結構良い宿なんだなとそんなところで思う。やることが何もなくて、こんなことなら昨日のうちに本とか借りておけば良かった。
いつもなら洗濯したり干したり掃除したり夕食の準備したりで一日なんてあっという間だったのに。今は食べ物も買ったのが机にあるし、洗濯する場所もなければするほどの衣類もない。兄ちゃんが買ってくれた服も畳んだまま。朝起きてから寝衣で着替える気にもなれない。いっそ夜までこの格好でも兄ちゃんなら騙せるんじゃないかなと思う。
昨日がいろいろあった所為で頭も身体もあんまり動かせる気にならない。
ベッドに寝たきりってこんな感覚なんだと思うけれど、何度も寝返りを打つだけだ。昨日のことが全部夢だったんじゃないかなと何度も思うけれど、見慣れない部屋と天井が視界に入るたびに現実だと教えられる。村も家も部屋も全部焼けちゃって、母さんと一緒に逃げて、騎士をあんだけ大勢見れて……それで。
『第一王女、プライド・ロイヤル・アイビーの名の下に宣言します……‼︎』
「……王女、……ちっちゃぁ……」
鮮やかな深紅が揺れ広がった瞬間と、僕を覗いた紫色の瞳が鮮明過ぎるくらい目に浮かぶ。
騎士団があれで動きを止めて言うことを聞いたってことは、本当にアレが王女様ってことなんだよね?……確かもう成人してるはずなのに、僕より小さかった。
兄ちゃんも叙任式で〝お綺麗〟とは言っていたけれど、あんな小さい子だなんて言ってなかった。ていうかなんで王女様があんな辺鄙な村にきてたんだろ。見どころもないし狭いし森ばっかで虫もいるし空気が綺麗なところ以外全然良いところがないのに。
しかもよりにもよって僕ん家に来て盗賊相手に平然としていて今思い出しても信じられない。
僕のところにきてくれたってことはやっぱり〝予知〟したのかな。それともやっぱり兄ちゃんがうっかり言ったとか。でも兄ちゃん、王女様と仲良しなんて一度も話してくれなかった。
うっかり知らなくて失礼なこととか嫌なことたくさん言っちゃったけど大丈夫かなと、もうこんなこと考えるのも何十回目だろう。ジャンヌはすごく良い子で格好良かったけれど、何回か怒ってた。もう一度話してみたいしまた会いたいと思うけど、どうせ無理だというのもわかる。だって相手は王女様だし。
昨日の酷いことも、信じられないことも全部。本当に全部の全部が今はあの子の色で塗りつぶされている。
あの時は怖かったし辛くて痛くて血が熱そのものみたいに熱くて視界が真っ赤で仕方がなかったし、もうあのまま消えちゃいたいと本気で思ったのに今は思い出そうとすると殆どがジャンヌのことばかりだ。
あの子が王女様で、僕の能力を知って家まで来て助けてくれて、逃げようとするのも許してくれなくて、……あんなに。
『貴方が生まれてから与えられた当然の権利なのだから』
あんなに、優しいことを言ってくれた。
家族以外で優しい言葉を言ってくれる人なんてここ数年いなかったから、それだけでもちょっと息が止まった。しかも兄ちゃんどころか家族にも誰にも言ってないことまで見透かされちゃっているようで、最初はそういう特殊能力者なんじゃないかとも思った。心を読むとか、覗くとか。……予知って、一体どこまで予知したんだろう。
そんなことを考えればぐるぐる嫌な想像ばっかが頭を回る。僕が村の人全員殺しちゃうとか、山ごと火事にしちゃうとか、自殺しちゃうとか……いやたかが僕一人が死ぬくらいで王女様が来るわけないか。むしろ特殊能力のことを考えたら僕がうまく死んじゃう方がずっと被害を抑えやすい。
「……ほんとに、役に立たないなぁ……」
かすれた声を吐きながら、仰向けた体でぼんやりと天井へ手を伸ばす。
左腕はちょっと動かすだけで痛むけど、右手は包帯も巻いていない。握って開いて、空気を撫でて、本当にこうしているだけなら普通なのに。
何にも触れなければ傷付かない。傷付かなければ、ほかの人を傷つけることもない。でも、ちょっとでも痛いことをすると僕の特殊能力は全部に広がる。
昔からこの特殊能力が嫌いだった。自慢じゃないけれど今まで役に立ったことなんて一度もない。子どもの頃は友達もわりといたし女の子にもモテたしわりと人気者だったのに、この特殊能力に目覚めた途端に全部がひっくり返った。
ある日僕がうっかり転んで膝を擦りむいたら、その周辺にいた人も一斉に痛いと声を上げた。
僕がちょうど地面に擦りむけた時の位置と全く同じ位置にあった足が多かった。あの時もたぶん僕の所為だったんだろうなと今は思う。特に裸足の子が僕と同じくらい痛そうで、歩いてもいなかったのに擦り向けていた人もいた。
友達と遊んでいて木の皮で指を切ったら、やっぱり周りの子も同じ位置の服が切れたり同じくらい血が滲んでいる子も出た。僕が傷付くと同じ位置に傷が広がるとわかったのはそれからだ。
切り傷だったら切り傷。僕の指の皮程度の切り傷なら固い木は傷付かないけれど、友達の服や柔らかい肌は切れた。
僕だけの怪我が僕だけの話にならないんだと知った途端、痛いのが嫌な皆は離れていった。僕だってきっとこんな特殊能力者がいたら離れるんだろうなぁと思う。だって痛いの嫌いだし。それでもあの時は範囲も大人が両手を広げたくらいだった。
それから一年くらいは僕も怪我は気を付けて、それでも外には普通に出れた。それなりに気を付けてれば田舎の村で怪我することなんてあんまりない。足元さえ見てればわりと平気だった。
友達は離れたままだったけれど、僕が手を振れば振り返してくれたし女の子は笑いかけてもくれた。村の人だって僕が近づかなければまだ普通に答えていた。なのに今みたいに皆に嫌われちゃったのは、……やっぱ僕が悪いのかな。
『こっちくんな化け物!』
そう言って、初めて石を投げられた。
近くにほかにも何人かいたけど、確か最初に投げたのはジャンだったかな。あいつずっとアメリのことが好きで、アメリはたぶん僕のことが好きだったから。遠巻きに手を振れば返してくれて、頬をリンゴみたいにして笑ってくれるから可愛くて僕も結構好きな方だった。
石は最初は肩に当たって、拡散したんだろうけど周りに人はいなかった。だってそうならないようにしてきたんだから。でも僕に当たったジャン達は楽しかったみたいで、笑いながら石を投げてきた。小石だったけど結構痛くて、それも途中から何人も仲間作って投げてくるからすごい嫌だった。
やめてといっても止めてくれるわけないし大人もいなかったしアメリ達もいないし、むしろどんどん投げてきて。額に当たって頭に当たって庇った腕に当たって、とうとう目にも当たった。瞑ったから目に入りはしなかったけどものすごく痛くって。…………ぷつりと何かが切れた。
『やめて!!!!』
そう僕が声を上げたのと殆ど同時にちょっと大きい石が腕にまたぶつかった。
その瞬間、さっきまで笑ってたジャン達が一斉に「痛い」って口々に言って手を止めた。頭とか額とか肩とか石を振り上げた手とかを抑えて目を丸くした。僕もそれを見た途端、範囲が広くなったんだとすぐにわかった。みんなが距離を取ってたのに、近づいてきてないのにって口々に言う中で僕もすごくあの時は頭にきてて、迷わず足元に落ちてた石を拾った。
石を投げられるよりずっと良いやって思って、腕をわざと小石で切った。尖ったものを選んだお陰で簡単に皮膚が切れて、ちょっと勢い余って肉も結構切れた。
痛いとか熱いとか血が思ったよりとかよりも、あの時は同時に響いたジャン達の悲鳴が気持ちよかった。ぎゃあ、とか。本当に笑っちゃうような悲鳴を上げて身体のいろいろな場所を押さえつけて痛がって血で顔を青くして。
『なに痛がってるの?僕はもっと、もっともっともっと痛かったのに!!!』
たかが一回の石と一回切れただけで可哀そうな振りをするのがむかついてそう叫んだら、今度は何人か泣き出した。
誰も石を振り上げることもできなくなって、そのくせ謝らないからもう二度か三度繰り返し腕を切ってやった。苛々する度に胸が締め付けられる度に今度はジャン達だけじゃなくて、その傍にあった木までピシリと切り傷をつくった。
やめてくれとか、逃げろとかあっちが言い出して、逃がしたくないから思い余って自分の足も刺した。殆ど同時に皆が足を押さえて転がった。
あのままずっと僕らだけだったら本当に殺しちゃってたかもなと思う。村の大人達が駆けつけてきて止めてくれてよかった。
大人達も僕が石を投げられたことは周囲にたくさん転がっていた石の山で信じてくれたけど、同時に僕がジャン達にやったこともすぐ気づいた。
村から少し離れていた筈なのに、僕の特殊能力は数十メートル先の村の大人達にも何人か届いていた。腕が急に切れたとか、お腹とか足とか居た場所や高さでバラバラだったけれど皆が同じくらい痛い思いをしたんだと後から知った。
僕は僕に石を投げなかった人どころか、手を振ったり返事をしてくれた人達まで同じくらい傷つけた。
あの時は僕の代わりに母さんや兄ちゃんが謝って回って大変だった。
ライラが慰めてくれたけど、その頬も切れていた。僕が最後に足を刺した時の拡散だった。村で遊んでて僕の叫びが聞こえて駆け付けてきてくれたら巻き込まれた。跡が残らなかったのは本当に幸運だった。
石は二度と投げられなくなったけど、誰も手を振り返してすらくれなくなった。アメリも含めて皆挨拶をしても睨むか聞こえないふりするか、怯えるかばっかで。
『ごめん兄ちゃん。……もう僕、外にあんま出たくないや』
それからはなるべく家にいるようにした。
村中に謝り回ってくれた兄ちゃんや母さんも心配するし、ずっとというわけじゃないけどそれでも必要以上はずっと家にいることにした。
家の中なら安全だし落ち着くし、ちょっと怪我をしても距離をある程度保てば母さん達も怪我しない。家の中にいる限りは外の人とも距離を保てる。家の中は毎日やることがあったし、もともと掃除も料理も洗濯も嫌いじゃなかったからこれはこれで過ごしやすかった。
母さんやライラともずっと一緒にいられるし、兄ちゃんが帰ってきたらすぐ会える。もともと村の人には距離をとられた時から何も期待なんかしていない。手を振り返して貰えなくなっても、別に悲しくはならなかった。たぶん、石を投げられる前からもうとっくに僕は村の人が嫌いだった。
毎日家のことをして、朝起きて料理作って掃除して洗濯して毎日同じことの繰り返し。もう誰も傷つけずに済むなら良いやと思ったし、母さんもライラも僕を好きでいてくれたから平気だった。それに兄ちゃんが
『ッ受かった!昇進だ‼︎これで正真正銘父さんと同じ騎士だ‼︎』
……兄ちゃんが、騎士になってくれたから。
父ちゃんは、ライラがお腹にいた頃に死んじゃった。すごく格好良くて最期まで家族自慢の父ちゃんだった。
昔から騎士になるんだって意気込んでた兄ちゃんもすぐに新兵になるのはできなかったけど、本隊昇進は思ったよりわりと早かった。
てっきり父ちゃんと同じ四番隊に入るのかなと思ったけれど、兄ちゃんが入ったのは八番隊でそれでもすごく嬉しそうだった。
それからは家に帰ってくるたびに騎士の話を聞かせてくれて、家に閉じこもった僕にとってはライラの話にも増して兄ちゃんの話が一番の楽しみだった。
父ちゃんの影響で兄ちゃんも僕も騎士が大好きだった。兄ちゃんも帰ってくれば新兵の頃は本隊騎士の話で、本隊に上がってからはライラがうんざりしちゃうくらい任務の話とか先輩騎士とかの話とか特に上官の……。
コンコン。
「……すみません。ブラッド・ゲイルさんの部屋ってここでいいですか……?」
突然のノックに転がったまま顔だけ扉に向けて起こす。
誰だろう。宿の人かなと思ったけれど、それにしては言い回しがおかしい気がする。兄ちゃんの名前じゃなくて僕の名前なんて。
母さんや兄ちゃんに来客とかはあったしこういう時にどうすれば良いかはわかるけど、ここは僕しかいない借りてる部屋だ。
僕がここにいるのを知ってるなんてと思えば、まさか人攫いかなと頭に過る。だって城下だし、こういう都会は人攫いとか人狩りとか裏稼業も多いって聞いたことがある。兄ちゃんだって見回りで何人か捕まえたって話してた。
嫌な予感に一気に目が覚めて今度は身体ごと起こしたけれど逃げ場もない。
毛布を頭から被ったままベッドの上にしゃがみこむ。なるべく音が出ないように居ない振りをするけれど、扉の向こうからは一定間隔でまたノックが鳴らされるだけだった。「ここって聞いたんですけど」とか「寝てたらすみません」と言われても返事はしない。
ベッドの下に隠れる前に、一応ナイフをと引き出しにベッドの上からそっと手を伸ばした時だった。
「ノーマンさんから聞きました。騎士のアーサー・ベレスフォードと申します」
え?!!!
思ってもみなかった言葉に頭が真っ白になる。引き出しに伸ばした手が途中で止まって心臓まで一瞬止まった。
アーサー⁈アーサー・ベレスフォード⁈
よく聞いたその名前に、自分が何をしようとしてたのかもわからなくなる。自分でも目が限界まで丸く開いているのがよくわかる。
嘘かもと思うけど、でも本物だったらと考えたらそっちに頭の半分以上が回って白黒にバシャバシャ光った。
どこか聞き覚えのある声の気がして、もしかして夢かなと引っ込めた手で頬を引っ張る。
感情が変になりすぎて、扉の向こうの人が「……すみません、今何かやりました?」と聞いてくる。まずい拡散がまた範囲広がったまま頬引っ張った。
「自分、本物のフリージア王国騎士団の騎士です。お兄さんと同じ八番隊です。ノーマンさんからは名前言えば開けて貰えるって言われたンすけど、……何か証拠とかいりますか?」
「ッちょっ、ちょっと待ってください……」
兄ちゃんの所属隊まで知ってる。たぶん本物だとわかった瞬間、毛布を払って勝手に声が出た。
独り言みたいな声だったけど、すぐに「はい」と短い返事がきた。なんだかすごく騎士っぽいと思いながら、僕は慌てて寝衣を脱ぐ。ベッドに放り投げた瞬間裏返しのままにしちゃったと気づくけど、今は着替えることの方で忙しいから毛布の中に押し込む。やっぱり兄ちゃんに服を買ってもらえてよかった。
慌てて皺の伸びた服に腕を通しながら、もしかして気づかなかっただけで昨日の村にも来てたのかなと考える。でも、どの騎士も兄ちゃんから聞いたような人じゃなかった。
バタバタ着替え終わってから、散らかしたのだけ片づけてベッドを整える。そこで足音を消してそっと扉に歩み寄る。
うわー、うわーーーーーーー、と声に出さないだけで頭の中が繰り返す。着替えたばかりなのに汗が湿って深く呼吸を繰り返してやっと扉の向こうに呼びかける言葉を決めた。
「……えーと騎士さんが何の御用ですか?兄ちゃんから僕何も聞いてなくて」
嬉しいなぁ。これが本物ならすっごく。
言いながら頬が緩む。流石にすぐ開けれないけど、だけど本物の気がしてわくわくする。扉の向こうの声は「あ、はい」と畏まったような言葉で言うからますます兄ちゃんの言ってたアーサー隊長ぽい。
「昨日のことが心配で気になって。ノーマンさんに頼んで様子を見に来させて貰いました。話とか、……できたら嬉しいです」
うわぁ、アーサー隊長っぽい。
やっぱり兄ちゃんから聞いてたアーサー隊長だなぁと思う。
扉を開ける為に手を掛ける。昨日のことも知ってるし、宿の人が通したのを考えても大丈夫そう。
鍵穴から覗けば、兄ちゃんのと殆ど同じ白の団服と銀髪が目に入った。どうしてわざわざきてくれたのかわからないけれど、騎士なら安心かなと扉の鍵を開
「本物って証拠に、質問とかありますか?自分が答えられることなら何でもお答えします」
「何でも⁇」
開、けようとしていた手が止まる。
噂の聖騎士に答えて貰える機会なんてきっと二度とない。
最終的に扉を開けたのは、三十分後のことだった。
うわぁぁぁああ、と。扉を開けた瞬間、間違いない本物に今度は頭で終わらず部屋いっぱい響く喉から声が出た。