作品タイトル不明
Ⅱ307.頤使少女は緊張を走らせ、
「ヴェスト叔父様、それは一体っ……〝奪った〟とは……?」
戸惑いのままプライドはカップに指を掛けられなくなった。
動悸が低く身体に鳴り響く中、痺れそうな舌でやっと言えた言葉がそれだった。カタカタと指が震える中で悠然と紅茶を嗜むヴェストは「言葉の通りだ」と一言返す。やはりそう切り返すかと頭の中で頷きながら、問いを続けた彼女を見返した。
肩身を狭め、説明を求める彼女が一方的に捲し立てることはしないと確認してから改めて口を開く。
「プライド。私が特殊能力者であることは知っているだろう」
「ええ、勿論です。ステイルと同様に母上の義弟となられたヴェスト叔父様も、希少もしくは優秀な特殊能力者であることは存じています」
だが、どんな特殊能力者かは知らされていなかった。
ステイルが必要以上特殊能力を隠しているのと同じように、ヴェストの特殊能力は極一部の人間にしか明かされていない。
それがまさかこんなところで明かされることになるとは、プライド自身想像もしていなかった。
緊張から頬に一筋の汗が滴る中、もう一度口の中を飲み込む。この部屋にヴェストが現れた時から彼の特殊能力が関連していることを想定しなかったわけではない。
女王の片腕である彼の特殊能力であれば、ライアーの記憶を蘇らせることも可能だとも考えられる。しかし、今の言い方ではまるで……と優秀な頭脳が結論に辿り突くと同時に、ヴェストは見計らったように答えを告げた。
「記憶消去。それが私の特殊能力だ」
やっぱり……‼︎
そう思いながらプライドは肺に酸素を届けた。十九年間知らされなかったヴェストの特殊能力に、空いた口が塞がらない。
まだ納得いかないことはある。しかし、ジルベールがここでヴェストとの邂逅の場を作ってくれた理由がよくわかった。
あくまで誰と特定できないように慎重を期したのも当然である。相手は国の最上層部の一人、更には特殊能力を秘匿している存在。しかも記憶消去など、表沙汰になれば今後の外交にも影響を及ぼしかねない。
ただでさえ、特殊能力者の存在が理解されない他国に記憶消去ができる摂政など驚異でしかない。
カップを置き、自身の青い髪を手でぴしりと押さえ整えたヴェストは自身の膝で指を組んだ。まだ彼女の疑問が尽きないこともわかった上で問いを待つ。自分からの問いはそれに全て解答してからでも遅くはない。
カップを置いたヴェストと対象的に、プライドは自身を落ち着ける為に冷め切った紅茶を口に含んだ。カップに指をかけ直し、一口二口と味わってから慎重にテーブルに置く。
音を立てないようにと意識をしても動揺は綺麗にカップの受け皿に着地した。カチャン、と小さな食器の音の後、プライドも膝についた両手でぐっと拳を作った。
「お聞かせ願えますか、ヴェスト叔父様。何故、そのようなことを……?我が国の刑罰では記憶消去など存在しません。第一、我が国を襲ったとはいえライアーも含めて彼らはあくまで奴隷被害者です」
「当時、彼らを捕縛した後の処理についてはお前も知っているな?」
間も開けずに返したヴェストの言葉に、プライドは強く頷いた。
奪還戦自体、自分が深く関わった事象である。元はといえば自分がアダムに操られなければフリージア王国に彼らが戦力として投下されることもなかった。当然その時の各被害への対処も彼女は全て把握している。
自分の所為で被害に遭った民がどうなったのか気にならないわけがない。奴隷被害者達についても同様である。
自国の法通り、彼らは厳しい罰は受けなかった。
奴隷として洗脳を受けていたこともあり、洗脳が解けた者から全員裁判で女王と〝契約〟を交わし、後は保護観察処分で済まされた。契約の内容も〝従属〟や〝隷属〟のように厳しい縛りではない。あくまで〝今後フリージア王国への裏切り行為を禁じる〟ことと〝奪還戦から今日まで得た情報流出の禁止〟のみ。
保護観察下という名のもと、民としての生活復帰ができるように元の親類等への引き渡しやその者に合わせた仕事の斡旋も提供している。定期的に衛兵が職場で不遇な扱いを受けていないか、もしくは洗脳の後遺症や違法行為に手を染めていないかの確認に回るのみという、国民の目から見ても充分過ぎる保証である。下級層の住民からすれば羨ましい待遇ですらある。……ただし、だからといってわざと人身売買に身を落とそうとする者はいない。
プライドが確認の意も込め、当時の彼らの処遇を並べれば間違いないとヴェストも頷いた。決してそこに記憶消去などという罰は存在しないことも確認した上で、今度は彼が口を開く。
「先ず、記憶消去したことは〝刑罰〟ではない。あれは私個人からの特別な〝処置〟だ。」
「処置……?それは、〝契約〟のことではなく……?」
ラジヤ帝国の命令のもと国を襲ったこと、国や民に多大な影響を及ぼしたこと。それを不問とする代わりの契約。たとえ再び何らかのきっかけで洗脳が再発したり完全に解けていなかったとしても、契約下の彼らは二度とフリージア王国への反逆行為はできなくなる。小犯罪の抑止になるわけではないが、ある程度の安全保障にもなる。
それとは別だ、と首を振るヴェストは膝上の指を組み直すことなく彼女の目を覗いた。父親と同じ紫色の瞳を見つめながら、その揺らぎまで見逃さないように捉える。
「奴隷被害者の後遺症についてはお前も知っているだろう。そして、彼らが受けてきた〝教育〟という名の〝洗脳〟も本来であればそう簡単に解けるものではない」
低められた声と、残酷な現実を突きつけられプライドの肩が僅かに揺れた。
彼女の目が戸惑いから思考に入り、そして理解へと浸っていくのをヴェストは観察し続ける。
叔父の話を聞いた途端、〝確かに〟と彼女の中でも新たな疑問が頭に浮かんだ。
奪還線からまだたったの三ヶ月程度しか経過していない。そしてライヤーが裁判を受けたのは二ヶ月前。たったのひと月程度で社会復帰が叶うほどに奴隷への洗脳は優しいものか。
洗脳下は城内の独房に捕縛される身であるほど危険性を持ち合わせている彼らが、今は全員自由の身である。当時の奴隷被害舎達全員が裁判を受けられるほどに回復し、契約を交わし、民の暮らしへと戻っている。
そして自分の知る限り、その奴隷被害者達が事件を起こしたという報告も届いていない。
「それに、洗脳が解けても全員が正気でいられるわけではない。私が処すまでもなく心的外傷で記憶を無くす者も昔から多い。それほどまでに〝非人道的〟な経験をしたということだ。……そして、それが原因で自殺や新たな他者への傷害犯罪、正気を失った事例も多く報告されている」
中には自身を売り払った人身売買組織への復讐や自分を奴隷として扱った他国への復讐行為へと手を染めた者もいる。そう国の摂政から告げられれば、プライドも唇を噛み締めた。
自身もアダムに操作されていた経験があるからよくわかる。過去の記憶がどれほどその身を蝕むか。一瞬でも思い出すだけで息が止まる感覚も思考が白くなることも知っている。そして罪を犯しただけの自分と違い、奴隷被害者の彼らはその名の通り純粋な被害者である。
ただただ苦しめられ、人外の扱いを受け、地を舐め続けるよりも手足を落とされるよりも苦しい行為を強制されてきた。そんな彼らにとって過去の記憶など〝毒〟でしかない。
「だから、私が摂政になってからはあくまで個人的に彼らの記憶を消している。ローザもアルバートも、そしてジルベールも知っていることだ。私の代でなくなればまた通常通りの処置になるか、代わりを見つけることになるかは知らないが……まぁ、お前達の代でも望まれれば暫く手を貸すことぐらいはできるだろう」
記憶系統の特殊能力者はただでさえ珍しい。
そして記憶消去という特殊能力にもなれば、城に招き入れること自体に相当のリスクも存在する。現摂政であり、女王と従属の契約を結ぶヴェストだからこそ、可能な処置でもあった。
女王の片腕として国同士の交渉や会議の場にも立ち会い、ペンすら持ち込み禁止にした部屋で時にはその交渉自体を な(・) か(・) っ(・) た(・) こ(・) と(・) に(・) し(・) て(・) 終わらせることも。
ラジヤ帝国のように一方的にフリージア王国への密接を図る彼らの予定を把握した後で、記憶を消し、偶然を装い自分達との予定を〝合わないように〟工作することも。
こちらから情報開示を行い相手の出方を確認し、その後に記憶を消して新たに対処を試みることも。
情報を開示した側の記憶を消し、こちらが把握した情報を開示した本人にすら〝開示したこと自体〟を記憶ごと隠蔽することも。
全て、彼が女王の片腕として人知れず為してきた功績のほんの一部。今までも多く暗躍してきた彼は、その手腕で未だに一つの綻びすら生じさせたことはない。
自分の代になっても必要があれば手を貸してくれるというヴェストの言葉をありがたいとは思いつつ、プライドは口を噤んだ。
自分の前世でも確かに辛い記憶に苛まれている人間に対し、その事実自体をなかったことにする方向での療法も聞いたことはある。しかしだからといってライアーのように自分のことを全て忘れさせるのが本当に処置として正しいのかと疑問は抱く。
沈黙を貫きながら揺らぐプライドの感情を手に取るように汲み取ったヴェストは、そこで「私の話はこれくらいで良いだろう」と自ら切った。
今は彼女の揺らぎの正体を解消すべく、本題へと戻る。
「そのライアーという人物の記憶だが、お前の言う通り記憶全てを失ってしまったというのならば私の能力による弊害だ。問題があるというならば、当然責任も取ろう」
あくまで自分が消した記憶しか戻せないが、と断りながら言うヴェストにプライドもいつの間にか狭まっていた眉の間が開いた。
ありがとうございます!と頭を下げ、先ずはライアーの記憶を取り戻せることに喜ぶ。そして、……ふと別の疑問が頭に過ぎる。
ヴェスト叔父様……?と声を漏らすプライドに、やはり気付いたかと思いつつヴェストも一言で返した。頭の良い彼女ならば自分が言うまでもなくその疑問を提示するであろうこともわかっていた。
紅茶を一口また味わおうと思ったが、もう残り一口分しかないことを確認し今はやめた。見開かれる大きな彼女の目が鏡のようにヴェストを写す。
「その、……〝記憶全てを失ってしまった〟ということはつまり、ヴェスト叔父様にも想定外だったということでしょうか?」
「私が尋ねたいのもそれだ」
恐る恐る開かれた言葉に、ヴェストはやはり間髪入れなかった。
ここからが本題だと言わんばかりに、今まで定規でも差していたかのように真っ直ぐ伸びていた彼の背が前のめりなる。指を込んだ手に僅かに力を込め、一度言葉を切った。
眉間の皺が再び刻まれる叔父の眼差しにプライドも小さく喉を鳴らしてから姿勢を正した。
てっきり敢えて奴隷被害者の記憶を丸ごと消しているのかと考えたプライドだが、それではヴェストの言い方は妙である。さらによく考えれば、ライアー以外の奴隷被害者の中には家族の元へ帰っている者もいる。ならばどうしてライアーだけが記憶を全て失ってしまったのか。まさか自他共に厳しいヴェストが抜かったとも思えない。
「問題は何故、そのライアーという人物が全ての記憶を失ったかだ。私の特殊能力はあくまで消すだけで、相手の記憶を覗いたり読み取ることはできない。だから奴隷被害者達の記憶を消すときも細かに消すべきか否かを判別することはできない。できるのは消す記憶を指定することだけだ」
あくまで消す記憶を選択するだけで、具体像までは確認できない。
単に〝辛い記憶〟や〝哀しい記憶〟では当然奴隷だった時以外の記憶も無くしてしまう。だからといって期間を指定しようにも、誰がどれだけの期間奴隷でいたかはヴェストにもわからない。そして洗脳を受けているのなら尚更本人達にもその問いに答えることは不可能だった。
つまりはヴェストの消すその〝条件〟指定がライアーに何らかの問題が生じたのかとプライドは理解する。まず奴隷被害者の洗脳を解く為ならば、もっとも簡単なのは〝調教〟されている間の記憶を消すことだ。教え込まれた洗脳経験が頭から消えれば、おのずと彼らも正気に戻る。
そして、ヴェストの言う通り彼らが奴隷とされるべく捕らえられていた間の心的外傷も防ぐ為の記憶消去であれば、当然消すべきなのは
「そして私が消したのは〝奴隷であった記憶〟と〝裏稼業に関わった間の記憶〟だけだ」
ビクッ!!とプライドの肩が激しく上下した。
ヴェストの今日一番低めた声と覇気に、きっと彼は既にことの真相を掴んでいるのだと確信する。
汗が額や頬だけでなく首筋まで伝い、口端がぴくぴくと引き攣った。レイから聞いていた過去と、前世のゲームでの設定。そして〝裏稼業〟という言葉を聞けば、結果は一つしかない。
一瞬本気でこの場から逃げ出したい衝動に駆られながらも意思を持ち彼女はソファーに踏み止まる。これからこそが、自分が闘わねばならぬ正念場なのだと理解する。
もちろん裏稼業への自衛に必要な知識は残している、と告げながら眼差しを鋭くするヴェストにそれだけで窒息させられそうになる。ぞくぞくと背筋が冷たくなってきた。
「プライド。そのライアーという人物は、人身売買もしくは 裏(・) 稼(・) 業(・) に(・) 深く関わってきた人間ではないか?」