軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

Ⅱ303.頤使少女は聞き、

「さっきは本当に申し訳ありませんでした。……レイに代わって心から謝ります」

ライアー、……いやトーマスさんに向け深々と頭を下げればステイルとアーサーも続いてくれた。

何気なく確かめるようにトーマスさんへ肩を支えに回るようにしてアーサーがそっと手を置いたけれど、トーマスさんからの反応は全くない。……うん、そうだろう。

地面に座り込んだままの彼は、私達を見上げてもぽかんと口を開けたままだ。額や頬に、首筋まで汗がべったりと張り付いていて、どれほど彼にとって心臓に悪かっただろうと反省する。

私からもしゃがみ、ハンカチでそっと彼の汗を額から拭った。もともと家畜の世話中で汚れていた所為で、流れる汗もうっすらと色がついている。拭き取っては面を変えるを繰り返し、首筋まで拭い進めたところで、ゆっくりと彼の咽喉が上下した。

君達は……と小さく漏らした後、私からも手を引き彼へ視線を合わせればトーマスさんは短い髪を掻き上げた。短い髪は掻き上げられても髪の流れも髪型も変わらない。

それから地面に膝を崩し、ゆっくりと座り直した。レイがさっき取り巻いた炎の余波で、ぬかるんでいた地面がこの周辺だけ乾いている。

ステイルが私の隣に片膝をつき、アーサーが背後に控える中、トーマスさんは順々に私達を顔事動かして見比べた。

「私は……、君達とも知り合いなのですか?」

「いいえ。私達はレイの人捜しに協力していただけです。貴方を探していたのはレイだけです」

レイ、という言葉にトーマスさんが確認するように視線をアラン隊長の去った方へと向けた。

抱えられたレイを注視するように複雑そうに眉を寄せている。トーマスさんからしてもあそこまで言われれば、レイが自分の過去の関係者だということは察しがつくだろう。

思わず口の中を飲み込みながら、湿り出す手の平を私はぎゅっと握った。彼の顔色から目を離さないようにと意識して、慎重に言葉を選ぶべく頭を働かせる。

今の彼に、過去の話題で安易に刺激することは危険だ。それは私だけでなくステイルもアーサーもきっとわかっている。

「…………彼は。……昔の私をご存じなのですね。皆さんは、彼から何か聞いてはいますか」

「?ええ、……ほんの少しですが」

あれ?

落ち着き払ったトーマスさんの言葉に、思わず目が丸くなる。

静かに視線をレイへと注いだ彼は、肯定する私に向けてまた顔を戻した。じっと温かみのある鼬色の眼差しを私に合わせる彼は、間違いなく何か言いたげだった。

文脈から考えれば、予想はできる。けれどそれをライアー……いやトーマスさんから言われるのは想像もしていなかった。

もしかして、いやまさかと思いながらも、目を逸らせず言葉を待てば思った通りの言葉が続けられた。さざ波のような静かな声は、嘘偽り無く私へと流された。

「……聞かせてくれますか。私はあの御方に、一体何をしたのか」

その覗くような眼差しは、真剣そのものだった。

子ども相手にも構わず真摯に向き合ってくれるトーマスさんに思わず肩を狭める。ゲームと違うその反応に、半分期待して……半分、不安が残る。

トーマスさんは、過去の自分を全く知らない。

多分今までの話から考えても、彼は自分が元罪人だということは想像できても奴隷被害者だったことすら覚えていない。二ヶ月前……つまり、アラン隊長達が彼を捕らえたという奪還戦の記憶すら彼は覚えていない。その証拠に自分を捕まえたであろうアラン隊長にも、その騎士の格好にも何ら反応を示さなかった。やっぱり彼の言う通りラジヤ帝国の戦力として関わったことで裁判に掛けられた以前の記憶が消えているということになる。……そして、別段珍しいことじゃない。

奴隷被害者。

その言葉の重さは、私もよく知っている。

ある日を境に人狩りに遭い、口に出来ないような扱いを受けたショックで記憶や心を閉ざしてしまう人は昔から多い。

アーサーが触れても記憶を取り戻さなかったのもそういうことだ。〝疾患〟ではなく、……〝自分を守る為に〟心理的に閉じていると考えられる。

記憶喪失の細かい分類はわからないけれど、医学的な記憶喪失と心理的な記憶喪失じゃきっと根本が違う。ランス国王の時みたいに〝原因〟の所為での疾患と疑えた時は良いけれど、ライアーの場合は〝原因〟自体を包み隠してしまっているだけだ。

あくまでアーサーの特殊能力は万物の病を癒やすこと。全てを正常に戻すこととは少し違う。

特に〝調教〟という名の洗脳を受けた奴隷は、自分が奴隷だった時に何をしていたかも覚えていない場合も多い。完全に主人の命令を聞くだけの生きた人形のように、自己の為の思考すら働かなくなる。

そうでなくても、酷い扱いや拷問に等しいことを受け続けた結果、保護された後も頭が思い出すことを拒否して苦しんだり記憶を無くす人は多い。逆に覚えている所為で永遠に過去に苛まれ病み続ける人も、廃人になる人も、自ら命を落とす人もいる。

特にライアーは、ラジヤに戦力として故郷でもある我が国に投下された特上の奴隷だ。きっと他の奴隷と同じようにラジヤ側からおぞましい洗脳を徹底的に受けていたに違いない。

ゲームのライアーも、……苦しんでいた。過去のことを話していると、時折に頭を抱えて苦しみ出す場面があった。

「何か思い出しそうになると頭が痛くなって前後まで忘れてしまう」「悍ましいことばかり思い出しそうになる」と言うライアーは、何か思い出しかけてもパニックを起こした後は「申し訳ありません、いま何と仰りましたか?」と話題そのものを忘れてしまう時もあるほど傷が深かった。

だからこそレイと再会した時には既に過去との決別も受け入れていた。こんなに苦しむということは、きっと思い出したくないのだろうとそう結論付けていた。

もしそれを今のレイに言ったら、今度こそ躊躇う間もなく黒い炎がこの辺一体を焼け野原にしてしまうだろう。

子どものレイを助ける為に一人追っ手を食い止めた彼は、最終的に人身売買に捕まり記憶を失うほど酷い目にあったと考えるのが自然だ。

城下で人身売買に遭うなんて、やっぱりファーナム兄弟やネイトと同じ女王プライドの治安悪化が元凶……と言いたいけれど、今回は違うらしい。

現実でも起きているということは、実際はラスボスプライドは関係ない。プレイヤーが勝手にプライドの支配下時代だろうなと思っていただけだ。資料通り六年前とすれば、ジルベール宰相が人身売買に本腰を入れる前だろうか。王道ルートのレイはラスボスプライドとは無関係ということになる。

ゲームでは過去と決別していたライアーは、過去のことをレイからも望んで聞こうとせずむしろ断っていた。……なのに。

「……良いの、ですか……?」

ええ、と。トーマスさんの意思は変わらない。まさか彼が自分から聞きたがってくれるなんて思わなかった。

これもゲームとは違う。少なくとも自分の過去に触れることを恐れていない。これも現実の嬉しい変化か、それとも未だ記憶を無くしたばかりで過去を思い出して苦しんだことがないだけか。だけどどちらにせよ、ゲームと違って過去を知ることを恐れていないトーマスさんに話せるのなら。……そしてほんの少しでも思い出してくれれば。今度こそレイも、〝ライアー〟との会話に気持ちの整理がつくかもしれない。

わかりました、と。ステイルとアーサーと目で意思を確認してからトーマスさんに頷いた。

流石にいきなり奴隷被害者だったことは話せないけれど、レイ本人から聞かされた彼との関係だけでも話す分は問題ない筈だ。もともとは彼の思い出でもあるのだから。

きっとレイ自身も、最初から互いの思い出を第三者から聞かせるのは痛みを伴うことになる。

「俺からも補足を」

並んだステイルが進言してくれ、私達は二人でトーマスさんにレイとライアーのことを説明した。