軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

Ⅱ288.子息だった青年は失った。

レイ・カレン。

そう呼ばれることすら許されなくなった、俺の名だ。

地方の田舎にある、由緒正しき男爵家。

小さな町の中心地に一角を構えたその屋敷で俺は生まれた。絵に書いたような贅沢三昧の生活とは違うが、富裕層として衣食住に困らない生活だ。

勉学は家庭教師ですらなく父が教えてくれ、母とも仲睦まじく当時は何も不満はなかった。特殊能力に目覚めた時すら、普通ではない黒い焔を父も母も喜ぶばかりで寧ろ珍しい特殊能力を得た俺は将来を約束されたとすら思えたが、……唐突に終わった。

父が豹変したその瞬間に。

「ッ黙れ化け物‼︎‼︎お前が黒い炎などを出す理由がよくわかった‼︎お前は悪魔の息子だ‼︎‼︎二度と私を父上と呼ぶな‼︎」

……本当に、突然だった。

昨日までは温厚に振る舞っていた父が、突然人が変わったかのように見たことのない形相を向けてくるようになった。

毎日のように愛を語り抱き締めていた母へ手を上げ、六歳の俺を足蹴にした。父からの訳の分からない暴力にも母は怒るどころか毎日泣いて謝るばかりで、まだ幼かった俺には現実かどうかすら分からなかった。

父を〝貴方〟ではなく、いつの日か〝旦那様〟と使用人のように呼ぶようになった母は、ごめんなさいごめんなさいと泣きながら足蹴にされる俺を庇い続けた。

どうして父が別人のようになったかは、何度聞いても教えてくれなかった。

「お母さんが全て悪いのっ……本当に、本当にごめんなさい……!」

そう言って、父からの暴力を俺の分も受け続けた。

何度振るわれても泣きながら謝罪しかしない母に父は、その頻度も暴力も日を経るごとに激しくなった。

屋敷の中で母の味方は使用人達だけだった。そして彼らも、母を慰め傷の手当てをすることはできても、雇い主である父を止めることなどできるわけもなかった。

父から花瓶で叩かれようと、罵詈雑言を吐かれようと、熱湯を浴びせられようと、誰もそれを止めることはできない。そしてとうとう……父からの暴力は〝拷問〟と呼べるほど、母程度が庇いきれる域でもなくなった。

母が自分よりも、俺を苦しめる方が哀しみ嘆き必死に許しを求めるようになってからは特に。

二週間以上続いた父からの暴力に先に耐えられなくなったのは、母より俺だった。

当然だ。意味もわからず突然態度を豹変され、殴られ蹴られ踏み潰され部屋を物置に変えられ、床に叩きつけられた料理もどきしか与えられず、その理由を俺だけが知らなかった。

足蹴にされ、倒れ込んだまま顔を上から靴で踏みつけられた時、父への恐怖が怒りに変わった。

声よりも先に特殊能力が暴走し、黒い炎が俺の周囲を取り巻いた。まだ特殊能力も未熟だった俺の炎はボワリボワリと足元や空中で火量こそ俺を取り巻く程度だったが、火力だけは普通の火とは違う。簡単に周囲を燃やし広がる。

黒い炎が至近距離にあるだけで絨毯も、壁も、カーテンも棚も燃やし、あっという間に足元を火の海に変えそして

俺の、顔も。

「あ゛ッあ゛あ゛ッッあ゛あ゛熱い‼︎熱い゛熱い゛熱い゛‼︎‼︎父上‼︎足を退げでぇええ‼︎‼︎」

「私を父上と呼ぶなと何度言えばわかる⁈このまま自らの炎で燃え死ねこの悪魔が‼︎‼︎」

俺の特殊能力は、黒炎を発することだけ。身体の一部を炎にするわけでもなければ、自らの火力に耐性があるわけでもない。

だから最初に俺が特殊能力に目覚めた頃は父が俺達家族全員分の防火製の布で作った服や靴や手袋を用意してくれた。たとえ俺がどんなに特殊能力を抑えきれなくなっても屋敷や俺達を守れるようにと。

そしてこの時。床に転がった俺の顔を踏みつけている靴も同様だった。俺だけが発せられた黒い炎へ顔の左半分を炙られた。顔以外の左半身も転がったまま絨毯の火に焼かれたが、足先から手まで防火性の服や靴に守られた。唯一黒炎に間近で炙られつづけた剥き出しの顔だけが、死も生温いと思えるほどの重苦だった。

まるで溶けた鉄でも浴びせられたように頭の中も視界も熱と痛みが一色になり、父の足元でただ手足をバタつかせることしかできなかった。

屋敷中を防火性の布に変えられていた筈にも関わらず、どうしてよりにもよって〝毛皮〟の絨毯が敷かれたそこでわざわざ俺が暴力を受け続けていたのか気付く余裕もなかった。

殴られ続けていた母が、隣から必死に細い手で俺の顔から父の足を退かせようとしたが当然敵わない。火を消そうと、手を燃え盛る絨毯に何度も叩きつけても簡単には消えなかった。一番消えて欲しい黒炎はいつまでも俺の意思関係なく滾り続けた。

熱い、熱いと。暴れる度に服から晒された手足が何度も絨毯の火へ自分から叩きつけ、必死に黒炎からだけでも顔を剥がそうとしても大人の父に上から踏まれて勝てるわけもなかった。

自分の肉が焼け、溶けていく臭いの中で必死に許しを求めたが、俺の意識が消えるまで炙られ続けた。

「見ろキャロル‼︎‼︎お前が一夜を愉しんだ証の悪魔だ‼︎穢らわしいお前達の血が混じ合ったから黒炎など出す悪魔が生まれたんだ‼︎」

「お願いしますやめて下さい旦那様‼︎レイは悪くないんです‼︎私の身が穢れていることは認めます‼︎けれど本当に、本当に私は貴方だけを愛して……‼︎」

黙れ売女‼︎と狂ったように声を荒げる父と泣き叫び許しを請う母の叫びを聞きながら、俺も喉が枯れるまで張り上げ続けた。熱い、死ぬ、許して、と〝あ゛〟の一音で声に濁り、父にすら聞き取れる声ではなくなっても、子どもの俺にはそれしかできることがなかった。燃え上がる絨毯の煙と炎と激痛でとうとう気が遠くなり、そこで死んだと思った。

目を覚ませば、ベッドの上で顔中に包帯を巻かれていた。俺と同じように防火性の服に守られ、手足しか炙られていなかった筈の母が顔にも包帯を巻き、右腕を折り首から吊るしながら目の前で泣いていた姿を見て、何となく死ななかった理由はわかった。

「その醜い姿で今は生かしてやる。悪魔に相応しい生涯だ」

そして殺されずに済んだ、理由も。

泣き続ける母の焦げた翡翠色の髪を引っ張り「これで一生私以外の男に相手にされることもなくなった」と醜く笑った父の顔は一生忘れない。

母の顔ははっきりと火傷の痕が残り、顔の色はまるで病気にでもなったかのように赤と白のまだらになった。そして俺の左半分は、……〝痕〟では済まなかった。単なる炎ではなく普通は存在しないという黒炎に炙られた結果、ただ焼けるのではなく皮膚も肉も溶け、焦げ、鏡を直視できない顔になった。

包帯を取って過ごせるようになった時には、既に父の手によって俺と母の〝事実〟は町中に知れ渡っていた。

息子の特殊能力が暴走した所為で酷い怪我を負った夫人。それを救い、妻子の心が癒えるまで屋敷で介護し続ける夫。

俺と、そして母の醜い怪我の姿だけは正確に伝えられていた。

その噂を初めて窓の内側から聞いた時、俺はもう二度と屋敷から出られないと思った。俺自身、鏡を見る度に布を被って自ら顔を隠し、時にはベッドの中に隠れ、部屋に引き籠るばかりで外に出ることを望まなかった。人生の勝者の証とすら思っていた特殊能力も、今はこの姿で外に出たら化け物と呼ばれる要因の一つとしか思えなかった。

毎日のように暴力を振るいに来ていた父が訪れなくなったと同時に、母も訪れることがなくなった。屋敷の自室で一人布を被って一日が過ぎるのを毎日待ち続けた。使用人が来ることも許されず、髪は伸び散らかり垢が溜まり汚れ続けた身でただ茫然と。

このまま一生部屋から出ずに死んでいくのだと疑わなかった。

一年後再び現れた父に、突然荷馬車へ押し込められるまで。

一年間、感情を殺して息を潜め続けた俺の部屋に父は突然現れた。

あまりに突然の再開に恐怖で動けなかった俺は躊躇いなく殴られ、気が付けば藁の中に縛られ押し込められていた。少しでも感情を溢せば毛皮の次はこのまま藁と一緒に今度こそ全身が火だまりになるのだろうと、馬車に揺らされ続ける間はそればかりを考えていた。

何時間も揺られ、馬車が暫く経っても動かなくなったことにやっと目的地に着いたのかと思った。父が俺を殺すつもりなのか、それともどこかに売られるのかと。そう考え続けながら布で塞がれた口で必死に許しを乞いた。他ならない、俺をそんな目に合わせた張本人である父に。

だが、それから太陽が再び陰り出しても誰かが現れるどころか、荷馬車すら動かされなかった。

飲まず食わずで泣き続け、ただただ恐怖ばかりで黒い炎も出なかった。そして、出そうとする気力もとっくに尽き果てていた。今度こそこのまま死ぬのかと、……やっと終わるのかと思ったその時。

ガタリ。

急に、荷馬車が揺れた。

あまりに唐突な揺れに藁の中で身を硬らせる中、耳を澄ませば聞き覚えのない男達の声ばかりが聞こえてきた。

「よし、誰もいねぇ」

「見ろよ、荷物が詰まれっぱなしだ。さっさと運んじまうぞ」

「馬は俺が貰うぜ。ちょうど欲しがってる当てがある」

「じゃあ荷は俺らが貰うぜ」

複数の男の声に、勝手に身体が震えた。

一年間も引き篭もっていた所為か、それとも父親の顔が頭に過ぎったせいか。助けを呼ぼうという考えすら浮かばなかった。

むしろ見つからないようにと願い、震える身体にこのままでどちらにせよ見つかってしまうとばかり怯え続けた。

ガタンガタンと次第にいくつもの足音と共に荷車が揺れ、荷物が下される振動が何度も続いた。藁で視界も塞がれたままにも関わらず目を限界まで開き続けた。俺と一緒に積み込まれていた荷物が次々と取り除かれそして

「ッうわ⁈おい!なんか藁ん中に居るぞ‼︎」

見つかった。藁も運ぼうとしたのか、適当に藁へ突っ込んだ手が俺に触れ、すぐに引っ込められた。

仲間らしき声がいくつも聞こえ、藁が慎重に取り払われればとうとう縛られたまま声の正体を目にした。

小汚い格好をした男達。馬車に積まれていたものであろう荷物を地面に積み下ろし、引いていた馬の手綱を引いていた奴らも俺の姿には目を丸くしていた。口を一度大きく開け、そして状況を俺よりも先に正しく理解した男達は次の瞬間、糸が切れたように一斉にゲラゲラと笑い出した。

「なんだあこういうことかよ‼︎‼︎」

「嬉しいじゃねぇか!!馬一匹にガキ一匹たあ大した差し入れだ!」

「きったねぇガキだがなぁ⁈ベチョベチョのグチャ漏れじゃねぇか‼︎」

「売れるのかよこんなガキ⁈」

「ばーか!ここはフリージアだぜ?」

俺の拘束を解こうとする素振りもなく、ただ指を指して汚れまみれで放置された俺を嘲笑う。

噂にしか聞いたことのない人身売買という連中かと考えながら、笑う男達から目が離せない。死ぬことよりも恐ろしく、……父よりはマシな人間かもと思いながら身体が何も反応しなかった。

さっきまで荷物を降ろしていた男達も、そこで再び荷物を馬車に積み直した。「なら持ち主は戻ってこねぇな」と笑いながら、馬も荷馬車に繋ぎ直し出す。

「見ろよ、こっちの箱ん中は全部酒だ」「そりゃあ良い!今夜は飲み明かせる」「こっちも悪くねぇ毛皮だ!こりゃあ高く売れる!」と話を聞きながら、全てが可燃性のものであることに恐怖が戻った。父が何のつもりで俺をここに積んだのか、その理由の一端に勘付けた。

荷物を一通り物色した後、男の一人がとうとう俺の顔を覗き込む。手入れもされず伸びきった俺の髪を一掴みに持ちあげ、顔を覗かれた。とうとう左半分の顔もその目に晒されれば「うげぇ‼︎」と野太い声が上がった。

「おい見ろ‼︎このガキとんでもねぇ傷モンだ!こりゃあ捨てられるわけだ‼︎」

まるで汚物そのものを見るような目で見られ、晒され、あまりにわかりきっていた眼差しに涙も出なかった。

ただ、今目の前の全てが俺の悪い夢であってくれと頭の中で何度も何度も願い続けた。最終的にはまた大声で笑われ、汚い指で示された。

「半分は綺麗な顔してるから売れると思ったがこりゃあ売れねぇな‼︎」

「特殊能力者か買い手が好きモンでもねぇ限り底値以下だろこんなガキ!」

「でも見ろよ、うま〜く焼けてるぜ?こりゃあ事故じゃねぇなあ?」

「ぎゃはは!お楽しみ済みかよ!こりゃあアッチの方もどうされてるかわかったもんじゃ」

「おー、じゃあ俺様が貰うわ」

……笑う男達の中に、奴は居た。

割って入るわけでもなく、奴らの中の一人として立っていた。最後の荷物を積み直した手で横から俺の顔を覗き込んできた。顰めるわけでもなく、嘲笑でもなく、ただただ〝普通のガキ〟を見る目で俺を見た。

「なんだぁライアー!テメェはこういうのが趣味かよ⁈」

「女好きなのは知ってるが半分焼けたガキなんざフリージア人でも大した値はつかねぇぞ!大体人身売買のツテなんかあるのかよ?言っとくがお前の行き付けじゃこんなガキ」

「いやでも半分はイケてるだろ?これはあと十年経ったら絶対良い女になる!こりゃもう俺様の交渉の腕が鳴るっつーか」

「お前のは〝交渉〟じゃなくて〝詐欺〟って言うんだよ!この大嘘つきが‼︎」

ギャハハハハハ‼︎と笑われる中、奴は「いやマジでイケる!」「じゃあ俺様は分け前コレ一匹と酒一本で」と俺の目の前で男達と話を付けた。

上機嫌の男達は馬車に乗り、酒一瓶と俺だけを地面に降ろしてその場を去った。「ありがとうよ兄弟!」「愛してるぜ!」「また今度もよろしくさん」と気軽な声を掛けた男は、そのまま馬車が角を曲がるまで手を降り続け、そして地面に転がる俺を見下ろした。

「さぁ〜てお嬢ちゃん。取り敢えずはそのクソ汚ねぇ格好からなんとかするぞ」

酒を片手に、そう言って鋭い垂れた目で笑った男こそがライアー。

……初対面に俺を女と勘違いした、大馬鹿だ。