軽量なろうリーダー

天使戦線 〜金のナマケモノ、銀のコアラ〜

作者: 三香

本文

アルゴール王国の人々は、姿は人間であるが獣人の血が流れている。

その血はバランスがとても良く、人間の魔力と獣人の腕力や体力や俊敏力を兼ね備え、周辺諸国随一の強国として絶大な影響力があった。

しかし稀に。

獣人としての特性がプラス方面ではなくマイナス方面に強く出現する者もいた。

ラビュス侯爵家の双子、シフォンリーゼとマリリンルーゼもマイナスの獣性があらわれた子どもだった。

シフォンリーゼはナマケモノ。

マリリンルーゼはコアラ。

どちらもマイナス特化の獣性であった。

なにしろナマケモノもコアラも睡眠時間は20時間。起きている時間は1日に4時間しかないのである。

しかも動作が超スローモーション。

平民では労働力にならない。

貴族の娘としては政略結婚に使えない。

自然界では絶滅スレスレで生存できても、シビアな人間界では社会不適合者である。

両親のラビュス侯爵夫妻が愛してくれたことは最大の幸運であった。平民でも貴族でも役立たずとして廃棄されることが暗黙の了解だったから。

かよわきいのち……、なのだ。

しかし悪いことだけではない。

神が能力に1、見た目に99と全振りした容姿の最上の可愛さがコアラにはあった。

ナマケモノには特定のファンにぶっ刺さりそうな愛嬌のある顔が。それに野生のナマケモノもコアラも大人になっても子どものままのIQであるが、シフォンリーゼとマリリンルーゼは人間であるので成長とともに知能が高くなり賢かった。とはいえ根っこはナマケモノとコアラなので獣性が及ぼす言動への影響は大きい。

それに貴族なので政略による婚約者がいるのだが。

令息側が一目惚れで骨なしクラゲのようにメロメロのドロドロになってしまっていた。

ラビュス侯爵家の庭園での初めての顔合わせで。

「「手を」」

と、シフォンリーゼとマリリンルーゼはそれぞれの婚約者の手を握った。

「「こんなにも魔力が乱れて濁ってしまって……。さぞやお辛かったでしょう。私たちに魔力を流して循環させてくださいませ。魔力を綺麗にいたします」」

魔力の多い者は、多さ故に制御が難しい。たとえば何かの衝撃で一刹那コントロールを失っただけで魔力の暴走に繋がることもあるし、日常でも魔力の使いすぎで混濁して汚染の果てにという場合もあった。原因は様々であるが制御不能の魔力暴走となった場合は高確率で死亡、最悪の低確率では狂ってしまい天も地も破壊してしまうのである。

「「私たちは魔力がほとんどありません。ですから魔力抵抗なく貴方様の魔力の澱みを受け入れて浄化することができます。浄化能力者は、最弱の者ほど最強の方との相性が運命のようにぴったりと合うのです。今まで最弱の者に浄化能力が発現したことがありませんでしたから、認識をされることはありませんでしたが」」

シフォンリーゼの婚約者は、金髪金眼のレオルド。

マリリンルーゼの婚約者は、銀髪銀眼のセリュウス。

レオルドとセリュウスは驚愕して目を見開いた。

「生まれて初めて身体が軽い……」

「ええ……、常にあった倦怠感が消えています……」

「「確かに最弱の者が浄化の力を所有したことはなかった。まさか強者と弱者の間でそのような相互作用があったとは……」」

家の利益を重視した政略の婚約であった。

しかし政略にしても、数多ある縁談から家が選んだのがラビュス侯爵家であったことにレオルドとセリュウスは失望をしていた。相手の令嬢の獣性が最弱のナマケモノとコアラであったからだ。

それが、まさか、このような幸運付きであったとは。

浄化能力は上位種の力を所有する者にとっては切望する能力である。

シフォンリーゼとマリリンルーゼを溺愛しているラビュス侯爵夫妻が秘匿していたのだ。

シフォンリーゼとマリリンルーゼが浄化能力持ちであるなど、王家とて知らない。知られていれば王家に取り上げられていただろう。

シフォンリーゼとマリリンルーゼが眉を下げた。

「「私たちは4時間しか起きていられません。歩くことも遅いです。浄化能力も弱く、一日に一人だけです」」

最弱、出来損ない、と貴族社会で無責任に囁かれる言葉は積み重なる。

噂は評価となり。

日ごと年ごと。

雪のように静かに。

形がなくとも、尖ったナイフのように人の身を削るのだ。

「「それでも貴重な浄化能力です。両親は私たちが使い潰されることを心配しました。だから王国で最も強いと評判のレオルド様とセリュウス様に守ってもらえるようにと婚約を選んでくれたのです」」

この時、レオルドとセリュウスは思い違いを痛感した。自分たちは選ぶ立場ではなかった。選ばれる立場であったのだ。なるほど。だからラビュス侯爵家の希望通りに双子同時の見合いとなったのだ。迂闊なことに顔合わせをする前からヒントは散りばめられていたのである。

レオルドやセリュウスの他にも上位種はいる。王家とても浄化能力持ちのシフォンリーゼとマリリンルーゼならば諸手をあげて歓迎するのは確実であった。

それほどに上位種にとって浄化能力者は得難く重要なのである。

レオルドはシフォンリーゼの手を握りかえした。

「選んでくれてありがとう」

セリュウスもマリリンルーゼの手を優しく握る。

「守ります、何かあっても。ですので生涯を共にしてください」

頭痛もない。身体が重くない。吐き気もしない。蓄積したような疲労感もない。これほど快調なコンデションを味わってしまえば二度と元には戻りたくはなかった。

にっこりとシフォンリーゼとマリリンルーゼが微笑む。かわいい。心の栄養になりそうな可愛さである。

「「実は両親におねだりしたのです。レオルド様とセリュウス様とお見合いをしたい、と」」

ズバキューン!! と胸に刺さった。不可視の何かが。

「「ぐぅっ!」」

と、レオルドとセリュウスは胸を押さえて呻いた。

鍵のかかっていた扉を開くみたいに。

論理の余地なく、言語化もできない、心の底からの感情が。

呼吸するかのように、愛おしい、愛おしいという気持ちがこみ上げて来て止まらない。

シフォンリーゼとマリリンルーゼを意識するようになると、レオルドとセリュウスの嗅覚が何倍にも鋭くなった。

くらくらする。

春の蕾が開花するように儚く、羽化したばかりの蝶が濡れた翅を震わすような透明感のある甘い香りが漂った。シフォンリーゼとマリリンルーゼの香りである。その甘い香りに、嗅覚の優れたレオルドとセリュウスは鼻血を噴き出しそうになったのだった。

レオルドとセリュウスは流れるような動作で片膝をついた。世界が変わったかのような幸福。それぞれ、シフォンリーゼとマリリンルーゼの指先に真摯な口づけをする。

「俺のものだ」

「わたしの愛しい人」

シフォンリーゼとマリリンルーゼの心臓が高鳴る。触れられた指先が熱い。真っ赤になって、

「「これからよろしくお願いいたします」」

と告げたのであった。

アルゴール王国には、ひとつの法則がある。

強さと容姿が比例することであった。

強い者ほど人間としての容姿が、類まれな美神のごとき美しさとなるのだ。

レオルドもセリュウスも、神が祝福の光を降り注いで誕生させたかのような王国有数の圧倒的な美貌であった。

つまり強さにおいても美しさにおいてもレベルカンストの、最終兵器と呼ばれるほどの卓越した魔法騎士であるのだ。それ故に魔力が澱み、苦しむことが過去には多々あったが今は魔力を浄化してくれるシフォンリーゼとマリリンルーゼがいる。

レオルドとセリュウスにとって、シフォンリーゼとマリリンルーゼは愛しい婚約者であると同時に浄化という生命線に繋がる命綱でもあるのだった。

しかも魔力の相性もいい。

最弱ゆえにシフォンリーゼとマリリンルーゼの魔力は水のごとく透明に等しい。属性の色がないのだ。それが最強を癒せる最弱の所以なのである。

相性が悪いとピリピリとした苦痛があって不快なのだが、シフォンリーゼとマリリンルーゼとの相性は至福のような心地よさ一択であった。

文字通り身(魔力)も心(愛)も鷲掴みされているのである。

法則的な意味では、王国の最底辺の容姿になる予定だったとてつもなく弱いシフォンリーゼとマリリンルーゼが、獣性の特徴である容姿の【可愛い】を出現させることができたのは奇跡のような天佑であった。もっとも婚約者たちは、シフォンリーゼとマリリンルーゼの容姿ではなく魂そのものに惹かれているので顔立ちに重きをおいていなかった。

シフォンリーゼとマリリンルーゼは婚約を結ぶと同時に番契約も結んだ。

神の前で愛を誓っても浮気をする者が多い結婚とは異なり、番契約は相手を唯一無二とする魔法契約である。結婚よりも重くかけがえのないものなのだ。

反すれば心臓が停止するほどの罰があった。レオルドとセリュウスが懇願をしたのだ。命を賭してもシフォンリーゼとマリリンルーゼを離したくない、と。

そして重要なのが、番契約を結んでいる者に横恋慕をする者や害そうとする者にも魔法による罰が与えられることである。加えて番を害そうとした者の排除は正当な権利として法律の枠外となっていた。相手をなぶり殺しにしても法的には罰せられないのである。

つつかれただけでコロンと逝ってしまいそうな弱いシフォンリーゼとマリリンルーゼと違い、絶対強者のレオルドとセリュウスには番契約は足枷にしかならない。

最弱のシフォンリーゼとマリリンルーゼへの愛と安全のために、レオルドとセリュウスは自分の心臓を捧げたのである。

透明感のある明るい青色のブルートパーズみたいな澄んだ空の下。

アルゴール王国の騎士団正門に一台の馬車が停まった。

ポテ、と馬車からシフォンリーゼが降りてマリリンルーゼが続く。

ポテ、ポテ、とシフォンリーゼとマリリンルーゼは手を繋いでゆっくりと歩き出した。

シュバババッッ!!

途端に周囲から、ひらひらと飛んでいた蝶々やブンブンと飛んでいた蜜蜂が脱兎のごとく逃げ出す。蝶々や蜜蜂だけではない。あらゆる虫が逃げ出した。梢で囀っていた小鳥も、塀の上で昼寝をしていた猫も、一目散に逃げる。

騎士団の正門に立つ兵士たちも額から脂汗を流して逃げ腰になっていた。

シフォンリーゼとマリリンルーゼには、レオルドとセリュウスの威嚇臭がおぞましいほどに染み込んでいたからだ。普通の人間や動物では耐えきれず夥しい負担となるほどの威嚇臭である。

ゆえにシフォンリーゼとマリリンルーゼに仕える者たちは上位種に近い強さを所有する者たちばかりであった。

全力でノロノロ歩くシフォンリーゼとマリリンルーゼを護衛兼侍女たちが油断なく警護する。

「レオルド様とセリュウス様は部屋で待っていてくれるかしら?」

「約束したもの。大丈夫よ、マリリン」

今日はランチデートなのだ。

レオルドもセリュウスも王国騎士団に所属していた。最高位の魔法騎士である。従兄弟同士であるレオルドとセリュウスは仲がよく、バディを組む仲間でもあった。

本当はレオルドもセリュウスも正門まで迎えに行きたいのだが、シフォンリーゼとマリリンルーゼは人間である。運動も必要と毎日歩く時間が決められていた。側にいると抱き上げてしまうレオルドとセリュウスなので、部屋の中でウロウロしながら待っている状態であった。

そんなレオルドとセリュウスの凄まじい威嚇臭にも平然と涼しい顔をする者が極少数存在した。

「へぇ、珍しい。侯爵家の双子だ。レオルドとセリュウスに会いに来たのか? よくも騎士団に顔を出せるものだ。政略とはいえレオルドとセリュウスも気の毒に」

騎士団に鍛錬に来ていた第二王子アレウスであった。

「最弱の分際でレオルドとセリュウスの婚約者になるとは、まさに寄生虫じゃないか。恥をしれ。弱いおまえたちは目障りだ」

吐き捨てられた言葉にビクリと怯えて震えたマリリンルーゼをシフォンリーゼが庇って前に出る。同じようなトロトロな性格でもシフォンリーゼの方は芯が強く、マリリンルーゼの方が繊細であった。侍女たちも身を挺したいが王族が相手では形勢が不利すぎた。

キッとシフォンリーゼがアレウスを睨む。

が、ナマケモノの獣性は飾りではない。まったく迫力がなかった。

「生意気な。王族に逆らう気か」

舌打ちをしたアレウスが傲然とした顔でシフォンリーゼを見下す。自分は正しい、と高圧的な態度をとっているが単なる価値観の押し付けである。加えて、貴族家で決定している婚約に不当な難癖をつける権利は王家にはない。

ナイフのような苛虐の言葉を浴びてブルブル震えているマリリンルーゼの姿に、シフォンリーゼは表情を険しくした。

すぅと息を吸い込む。弱いシフォンリーゼには歯向かう術はないが、対抗する最強の剣と盾は持っていた。

「レオルド様ーーーーーーッッ!!!!」

ビリビリと空気を揺らすほどの大声をシフォンリーゼは上げた。

瞬時に。

大気を切り裂いてレオルドが飛んでくる。

予想外のシフォンリーゼの大声にアレウスが唖然とする間もなかった。

レオルドの背中には魔力で形成された羽根が光の結晶のように煌めいていた。続いてセリュウスも羽根を輝かせて現れる。降臨した金色と銀色の天使のごとく神々しい。

「いじめられました!」

ビシッとアレウスを指差して、遠慮なくシフォンリーゼがチクる。

相手が王族であれども、強さを最上位に置いて重んじるアルゴール王国においてのレオルドとセリュウスの権勢は絶大であった。

レオルドとセリュウスから衝撃波のような覇気が波打って噴出して、アレウスに襲いかかった。

「可愛いシフォンリーゼを?」

「愛しいマリリンルーゼを?」

「「いじめた、と?」」

ドス黒い威圧感がうねった。重力のごとく重い。

アレウスは果敢にも踏ん張るが顔色は青い。苦しそうに喘いだ。

レオルドの後ろから顔をのぞかせているシフォンリーゼは、震えるマリリンルーゼを抱いたままプンスコピーと怒っていた。

私の妹のマリリンを怯えさせたんだもの、小説のヒーローだけれどもボコボコにされちゃえ、と。ぷるぷる震えるコアラを虐める人は極悪人よ!

実はシフォンリーゼには前世の記憶があった。

だから、この世界が『残酷な天使』という小説の世界であることも理解していた。

アレウスがヒーローで。

ヒロインは、聖女として召喚される女子高校生であった。

小説の内容は、アルゴール王国に竜が来襲して、それを退けようとしたセリュウスを含む上位種たちが複数死亡。レオルドも満身創痍となって魔力暴走の果てに狂化、魔王に墜ちてしまうのだ。

そこでアルゴール王国は、強力な浄化能力を有する聖女を召還するのである。

ここまでが小説の冒頭部分で、その後は魔王レオルドを討つためにドラマチックに恋を絡めながら展開されていくのだ。

なので、時系列的には冒頭すらまだ始まっていない。

そもそも両親は弱いシフォンリーゼとマリリンルーゼを結婚させるつもりは欠片もなかった。社交界でも侮蔑されているのだ、夫となる者に虐げられると両親は考えていたのである。

作中でもレオルドとセリュウスに婚約者はいない。

シフォンリーゼが両親を説き伏せて、マリリンルーゼを誘って、ようやくレオルドとセリュウスとのお見合いとなった経緯があった。

竜との戦闘の時に浄化されていれば、セリュウスたちも死亡せずにレオルドも狂化して魔王に堕ちることはなかった。アルゴール王国には幾人も浄化能力者はいるが、狂化寸前の上位種を浄化できる能力者はいなかったのである。

ゆえに、シフォンリーゼはマリリンルーゼとともに浄化のためにレオルドとセリュウスと婚約を結んだのであった。

思いかけずにベタ惚れされて、もしかして設定がズレてしまったかも、とは思っているがトロトロな性格なのでシフォンリーゼは気にもしていなかった。

レオルド様はハッピー、私もハッピー、マリリンルーゼもセリュウス様もハッピー、いいこといっぱいと暢気であったのだ。

しかもレオルドたちとアレウスの一触即発な睨み合いも、美形のガン飛ばしって大迫力、怪獣大戦争みたい、とノホホンとしていた。

仕方ない。シフォンリーゼの根っこの部分はトロトロでトロトロなトロトロのナマケモノであるのだから。前世の知識でちょっぴり表面をコーティングしているだけなのだ。

その時、マリリンルーゼがグリグリとシフォンリーゼの肩に頭を押し付けてきた。お寝むの合図である。

「マリリン、眠いの?」

「うん、シフォン。目の前で眠り猫が誘惑してくるの」

シフォンリーゼがセリュウスに顔を向けた。

「セリュウス様。マリリンがお寝むです。もう眠り猫が尻尾を振っているみたいです」

「わかりました。マリリンルーゼをこちらに」

慌ててセリュウスが手を広げてマリリンルーゼを受けとる。

「レオルド様、抱っこ。私も眠いです」

一瞬で戦線離脱したレオルドがシフォンリーゼを抱き上げた。もはやアレウスなど眼中にない。

シフォンリーゼはレオルドの首に腕をまわした。

野生のナマケモノもコアラも掴まる木は必需品である。シフォンリーゼとマリリンルーゼは心の安定のためにレオルドとセリュウスにしっかりとしがみつく。

「レオルド様、せっかくのデートなのにごめんなさい」

「起きたらね、デートしよう」

「はい……」

ふあぁ、と欠伸とともにシフォンリーゼが応える。

「「よしよし、側にいるよ。安心してお眠り」」

「「……腕の中、あったかぃ……」」

「おやすみ、マリリンルーゼ」

「おやすみ、シフォンリーゼ」

「「……は、ぃ。おやすみ、な、さ、ぃ……」」

セリュウスはマリリンルーゼを。

レオルドはシフォンリーゼを抱き上げて。

魔力の羽根で大事にくるんで、健やかであれ幸福であれと願って赤ん坊をあやす母親のごとく身体を左右に揺らしている。

しかもゴッドハンド。

美神のごとき美貌で微笑んで、撫でる手つきが睡眠導入剤のように素晴らしい。

見た目的には公開イチャラブのように婚約者同士でくっついているので、アレウスは絶句して立ちつくした。先ほどまでバチバチと火花を散らしていたのに、今は全身全霊を傾けて婚約者をあやすレオルドとセリュウスの姿を咀嚼できずに思考が停止する。

しかし、その眼差しは。

アレウスを睥睨する双眸は、心臓が止まらないのが不思議なほどに冷たい。

「「後ほどケジメをつけに行きますので」」

凍えた魔力をのせた宣言を浴びせられて、本当にアレウスは心臓で迸る血が固まる錯覚に襲われた。

―――その時。

王国の上空で巨大な魔力の塊が出現した。

レオルドが。

セリュウスが。

アレウスが、他の上位種たちが空を仰いだ。突き破るみたいに扉を開き国王がテラスに駆け出してくる。誰かの悲鳴を無情の風が運ぶ。すでに空へと飛び出している上位種もいた。

眠りかけていたシフォンリーゼがパッと目を開ける。つられてマリリンルーゼも目覚めた。

竜が来た、とシフォンリーゼは背筋を震わす。

竜は生きた天災である。

生と死の境界であり。

有と無の区別を刻むモノであった。

人間の世界には滅多に現れることはない。何故、人間の国を襲うのか理由は不明である。竜そのものが生態も行動も何もかもが未判明なのだ。が、過去には竜によって滅ぼされた王国は幾つもあった。武の国であるアルゴール王国とて総力戦でもって竜に勝利できるかは賭けでしかない。

シフォンリーゼがレオルドの、マリリンルーゼがセリュウスの、日常の騎士の仕事で濁った魔力を浄化する。万全の体調で戦闘に臨んでもらうために。十全の状態であればレオルドもセリュウスも限界突破で強い。

小説のレオルドとセリュウスは魔力が疲労した状態で竜と戦った。が、完璧なレオルドとセリュウスが力を合わせれば竜とも互角で戦えるだろう。

「「ご武運を」」

シフォンリーゼがレオルドの頬に。

マリリンルーゼがセリュウスの頬に口づけをする。

「もし魔力を暴走させた方がいらっしゃった時は、私の所へ落としてくださいませ」

シフォンリーゼがレオルドの耳元でこっそりと告げた。レオルドが息を呑む。

「しかし、浄化は1日に1回だけだろう?」

「そうです。それ以上は身体が壊れます。なのでマリリンには無理をさせられません。けれども私はマリリンよりは強いのです。それに王国の危機です。過酷でも貴族の責任を全うしなくてはならないのが今です」

「駄目だ。シフォンリーゼを失う可能性のあることなんて許容できない!」

「アルゴール王国に生まれた者として皆様が戦うのです。私もアルゴール王国の貴族として義務を果たしたいのです」

「シフォンリーゼとマリリンルーゼを侮蔑した奴らなど救う価値はない!」

「…………お願いをきいていただけないのなら、婚約を解消します。きっとマリリンも。まだマリリンの中ではセリュウス様よりも私の方が大事な存在ですから」

とんでもない脅しにレオルドが青ざめる。

抱擁されているマリリンルーゼには聴こえていなかったが、セリュウスの耳にはバッチリと届いていた。セリュウスも顔色を変えた。

「……レオルド様、セリュウス様、お願いをきいてもらえますね?」

シフォンリーゼの指先が震えていた。シフォンリーゼとて恐いのだ。しかし小説の未来を知っている。おそらく今が未来への分岐点なのだ。覚悟を決めて、シフォンリーゼは勇気を奮い立たせた。

そんなシフォンリーゼの姿に、苦渋の決断で、不本意満載の表情をしたレオルドとセリュウスが頷く。しかしレオルドの双眸は剣呑に細められたままであった。

ギャオオオォッッッ!!!

咆哮で空気がうねる。

領土の支配者のごとく。

眠りから醒めた神のように。

世界を軋ませるような不気味な叫びとともに太古の夜空のごとき黒い竜が王国へと降りて来た。

「「駆逐する」」

バサリ、と魔力の羽根が風を巻き上げた。腰に携えていた鞘から剣を抜き、レオルドとセリュウスが飛び立つ。

「滅せよ!!」

国王が命じた。

ガァン! ガァン!

銅鑼が打ち鳴らされる。

アレウスも、他の上位種たちも。王族たちも。魔力の羽根を広げて一直線に竜へと向かって行く。輝く翼が翻り、神話で語られる剣や槍を持った天使が戦場に赴くごとく壮麗で勇ましい。

小説『残酷な天使』。その題名の由来は、魔力の羽根を有するアルゴール王国の上位種たちの美しく残忍な戦闘スタイルにあった。

王国の誰もが空を見上げた。

目を凝らす。恐怖で血管が収縮して血が逆流したような絶体絶命な顔つきで、誰もが戦闘を見ていた。

ドオオオオォンンッ!!

一瞬、世界から音が消えたような爆音が響く。

眩しい光が空間を走った。

空を裂く雷のごとく、竜の魔力とレオルドたちの魔力が正面からぶつかった。

空気が撓み。

空間が歪む。

天を貫く火柱の轟音。

閃光で、地上の人々の閉じた瞼の裏が焼け付く。

レオルドたちが放つ炎が空を煉獄の火の海と化した。

人間の形をした、背に魔力の羽根が羽ばたかせた残酷な天使たちが竜に最も致命傷を与えられるとの伝承がある業火で空を真っ赤に焦がしたのだ。

しかし灼熱の滝のような紅蓮の炎に攻撃されても竜は怯まない。咆哮が音速を超える高エネルギー波となってレオルドたちを襲った。火が交わって灰すらも溶けるような。骨が揺すられ、肌が焼かれて、物理的な破壊波に晒された一部の上位種たちは防御できなかった。

ガガンッ!

ドゴンッ!

地響きを立てて地上に幾人も翼をもぎ取られた鳥のように落下する。

皆、重症である。なかでも筆頭公爵家嫡子は瀕死の状態であった。

小説における最初の死者である。

「手をっ!」

シフォンリーゼが焼け爛れて白煙を纏った嫡子の手を握った。

嫡子の目が驚愕に見開かれる。暴走寸前となっている上位種の魔力を浄化できるなんて神業である。信じられない。鋭敏な嗅覚がシフォンリーゼの透明感のある甘い香りを捉えた。グラリと目眩がする。天にも昇る気持ちで嫡子はシフォンリーゼの手を握り返した。

魔力の暴走さえ鎮めてしまえば、上位種には驚異的な再生能力がある。自己治癒が可能なのだ。

シフォンリーゼの全身が、月夜に咲く儚い花のように淡く光った。シフォンリーゼの命を代償とした、まさに蜉蝣の光であった。

ドガンッ!

瀕死の第一王子が墜ちてきた。ちぎれた羽根が光の破片となって舞い落ちる。

だが、シフォンリーゼは浄化中で動けない。

マリリンルーゼが第一王子の手を取った。

「マリリン、ダメ!」

「私も頑張る! シフォンだけを犠牲になんてさせない!」

マリリンルーゼが淡く光る。

魔力暴走の苦悶に白皙の美貌を歪ませながら第一王子がマリリンルーゼを見つめた。清涼な水が沁み込む感覚。滝のマイナスイオンのような清々しい快感に第一王子が目を細めた。

しかし、マリリンルーゼには限界であった。

浄化後、ゴポリ、と口から赤い硝子の破片みたいな血を迸らせ倒れてしまった。

すかさず侍女たちがマリリンルーゼを受けとめる。

「マリリンを頼むわね」

「「「お任せください、シフォンリーゼ様」」」

シフォンリーゼは侍女たちにマリリンルーゼを託すと、次の瀕死者の手を取る。

ヌルリと血が手に伝った。

シフォンリーゼも血を流していた。指先からも口元からも。マリリンルーゼよりは強いといっても微々たる差なのだ。前世のコーティングで強さを装っているだけなのである。

「感謝する。恩は忘れない」

翼が煌めいた。公爵家嫡子も第一王子も再び優雅な曲線を描いて空へと上り、凄惨な戦線に戻って行く。

ゴオオオォ!

ドドドーン!

ガガガガッ!

空気中を伝播する屈折、反射、切断の無数の光。

拡散する火。

加速する風。

星降るように数百数千の火の粉が降り注ぎ、魔力が弾け飛ぶ。

麗しい天使たちが竜を囲んだ。

剣光が走った。恐ろしい声で美しく歌うような天使たちが剣を振り下ろす。

焦熱のインフェルノ。

空が朱と金色に燃え、血のごとく赤く紅く脈動する。

炎は太陽すらも呑み込んで、空を赤いオーロラのごとく発光させていた。

猛烈な火炎の中をレオルドが閃光となって斬り込む。放たれた黄金の矢のごとく、早く、速く、疾く。剣に纏わせた電撃が大気を鳴動させて轟いた。

遥か上空では爆風と炸裂音が渦巻いているが、シフォンリーゼには見る余裕がない。せめてレオルドの安否だけでも知りたいのに、わずかな時間さえも瀕死者に注ぐのが精一杯であった。

ふわり、とシフォンリーゼが光った。

シフォンリーゼの命が儚く燃える。

レオルドが魔王にならないように。

死す運命の人間が死なないことによって小説の流れが転換するようにと必死であった。

一人を浄化する度に、シフォンリーゼから血が失われていく。全身が痛かった。視界が明滅する。細い毛細血管が破壊されて指先から血が流れた。身体の中でブチブチと何かが千切れる感覚があった。

一人。

二人。

三人。

四人。

五人。

六人目、血が喉に貼り付き咳き込みながらシフォンリーゼは手を離さない。もう、ほとんど目は見えていなかった。触れる触覚も、匂いも感じ取れなくなっていた。光も、散る花弁のように淡くあえかだ。

六人目は第三王子であった。

「……俺の運命……」

命の恩人である血まみれのシフォンリーゼを第三王子は恍惚の眼差しで見る。

「絶対に違う」

ボロボロになったレオルドが、シフォンリーゼを第三王子から引き離して抱き上げた。スリリ、とシフォンリーゼの髪に頬を擦り寄せる。

「あっ!」

第三王子が手を伸ばすが、レオルドは距離を広げた。

「……レオルド様」

集点が定まらない。レオルドが霞む。それでも蒼白な顔色でシフォンリーゼは微笑む。レオルドも泣きそうな顔で微笑み返した。

シフォンリーゼの予想通り、戦闘前に浄化をして完璧なコンデションであったためレオルドは狂化をすることはなかった。

「竜を追い払ったよ」

レオルドが、血だらけのシフォンリーゼを労るように優しく口元の血を拭った。だが、その指先は冷たく痺れている。シフォンリーゼの血が焦燥と悲哀となってレオルドの心臓を射抜いていた。

番なのだ。

シフォンリーゼの噎せ返るような血の匂いに平静でいられるはずがなかった。

「ご無事で……。嬉しい。お許しください、私は悪い子です。たくさんの人が傷ついているのに、レオルド様のご無事が凄く嬉しいのです……」

力を振り絞ってシフォンリーゼがレオルドを再び浄化しようとするが、とうにデッドラインは超えていた。意識を失ってしまう。

満身創痍のセリュウスと、アレウスや他の上位種たちも空から降りてきた。

「「「「「勝ったぞっっ!!!」」」」」

地上の人々が口々に勝利を叫んだ。

正確にはレオルドに深手を負わされた竜が逃げ去っただけのだが、王国に被害はなかった。王国が無傷の状態で、竜を追い払えたことは奇跡に等しい。人々が歓喜に沸いた。

けれども。

セリュウスはマリリンルーゼをかき抱いて。

レオルドはシフォンリーゼを抱きしめて、ひび割れた慟哭の悲鳴を上げた。

「マリリンルーゼッ!」

「シフォンリーゼッ!」

固く閉じられた瞳に恐怖が胸の底から、暗く、頭をもたげる。額に冷たい汗がふきだした。

絶叫する。

「「医師を呼べ! 早くっ!!」」

その日からマリリンルーゼとシフォンリーゼは眠り続けた。長く深い昏睡であった。

両親であるラビュス侯爵夫妻も、レオルドもセリュウスも心配のあまり真っ暗な海で溺れるように息ができなくて、心が重く沈んだ。

王家からも高位貴族たちからも見舞いの品が山のように贈られてきたが、全てが煩わしかった。

4日後、夢から弾き出されるように。

先にマリリンルーゼが目覚め。

翌日シフォンリーゼが目覚めた。

しかしシフォンリーゼには後遺症が残った。

光が眩しくなり視力が弱くなってしまったのである。

なので日中は、シフォンリーゼはレースの包帯をまいて目を保護するようになった。

「シフォンだけ後遺症が……」

涙を零すマリリンルーゼをセリュウスが慰める。

「一時は意識が消失していました。これだけ回復できたことは極めて低い確率だと医師は言っていました。もしかしたら将来は視力も回復するかも知れません」

「そうね。シフォンとは双子なのですもの。まず私がシフォンの回復を信じないと……」

部屋からテラスに出てゆくシフォンリーゼとレオルドを見送って、マリリンルーゼが言った。

「シフォンリーゼ、ゆったりゆるゆる歩こうね」

「はい、レオルド様。ありがとうございます」

レースの包帯をまいたシフォンリーゼがレオルドに寄り添われてラビュス侯爵家の庭園をゆっくりゆっくりと歩く。レオルドにとっては静止状態のような歩行であった。

「あの、レオルド様。王家からラビュス侯爵家に求婚の申し込みがきているらしいです……」

「不安かい? シフォンリーゼとは番契約を結んでいるから横恋慕は禁止されている。番契約は不可侵な神聖なものだ。それに俺は竜を撃退した英雄だ。王家とて俺を無視できない。愛しいシフォンリーゼを誰にも渡さないよ」

ホッとシフォンリーゼが息を吐く。

王子妃になんてなりたくなかった。

小説の未来を回避するために浄化能力を示しすぎたと後悔をしていたのだ。

それでもレオルドが魔王にならなかったので、何度考えても時間を戻せるとしても、するべき後悔だったとシフォンリーゼは思った。

王国は無事だった。

レオルドは魔王に堕ちることはなかった。

故に聖女を召喚することはない。物語は始まらないのだ。

結末は異なるけれどもハッピーエンドの方がいいよね、とシフォンリーゼは微笑んだ。

小説では魔王が圧倒的に強くて王国滅亡のバッドエンドだったもの、と。

だから。

大好きな。

お父様も。

お母様も。

妹のマリリンも死ぬ未来はないのだ、と。

今はレオルドを心から愛しているが。

レオルドが嫉妬するので、墓場まで持っていって柩の蓋で封じる話であるが。

それが、是が非でもレオルドと婚約を結んだ本当の理由であった。ひた隠ししていた浄化能力を初めての顔合わせで躊躇なく使ったのも婚約の継続のためだった。

風が吹く。

さわさわと葉擦れの音が緑の音楽を奏で、おとぎの国の入り口みたいな薔薇のアーチをシフォンリーゼはレオルドとくぐった。

ラビュス侯爵家の庭園は薔薇が咲き溢れていた。

火の色を宿す真紅の薔薇や。

貴婦人みたいに気品のある紫の薔薇や。

檸檬の香りがするような鮮やかな黄色の薔薇などが多種多様に咲き誇っている。

「レオルド様、薔薇の香りがします」

「よい香りだが風が強い。寒くないか、シフォンリーゼ?」

シフォンリーゼの後頭部で蝶々の形で結ばれたレースの包帯を風が翅のように靡かせる。レオルドが魔力の羽根をひろげて防いだ。

「レオルド様といっしょですもの。寒くなんかありません」

だが、レースの包帯をまいているシフォンリーゼには見えていなかった。レオルドの顔が。シフォンリーゼを奪おうとする者に対して苛烈な報復を計画する冷酷な双眸が。竜を屠り、魔王になるほどのレオルドの本性がシフォンリーゼには見えていなかったのである。

何も知らず。

何も気付かず。

トロトロのトロトロでトロトロのまま。

その後もシフォンリーゼは、レオルドの黄金の羽根に包まれて幸福な人生をおくったのであった。

金狼にとって番は唯一無二である。

番を守るためならば手段を選ぶことはない。人道や禁忌すら問題にならない。

レオルドが再度の来襲に備える名分で王国における自身の地位を不動にするために、竜をわざと逃がしたことは誰も知ることはなかった。

小説『残酷な天使』より抜粋。

―――番を持つ天使は、番以外を【世界のゴミ】と思っている―――彼らは番と出会った時に世界が始まり、番の死とともに世界が終わるのだ―――