作品タイトル不明
第二十一話:畿内への布石
天文五年 如月 / 西暦一五三六年 二月
鳴門の激流を「石の門」で封じ込めた三郎の噂は、瞬く間に紀伊水道を越え、畿内へと波及した。これまでは「阿波の神童」という、どこか遠い国の寓話のように聞こえていた話が、物流の停滞と通行税という実害を伴って、京や堺の権力者たちの喉元に突きつけられたのである。
三郎は、勝瑞城の広間で、三好長慶と松永久秀を前に、新たな巨大図面を広げていた。
「若君、先ほど堺の会合衆より、泣き言に近い書状が届きましたぞ」
久秀が、皮肉な笑みを浮かべながら書状を放り出す。
「鳴門を通る塩の税が高すぎる、と。彼らにとって、海を物理的に仕切られるなど前代未聞。若君のせいで、商人たちの算盤が狂いっぱなしにございます」
「……いいよ、久秀。文句があるなら、彼ら自身に『道』を造らせればいい」
三郎は、4歳の指先で図面の一点を指した。それは、淡路島を縦断し、明石海峡を越えて摂津、そして京へと至る、かつてない規模の「官道」の構想図だった。
「長慶。海を支配した次は、陸だ。これまでの道は、雨が降れば 泥濘(ぬかるみ) になり、荷車も通れない。僕は、ここをすべて『石』で固める。幅三間(約5.4メートル)、全行程を水平に保ち、どんな大雨でも崩れない排水溝を備えた、石の街道だ」
「若君……。それは、もはや一国を治めるための道ではございませぬな。天下の軍勢を、一日のうちに京へ送り込むための『大動脈』だ」
長慶の瞳が、野心で鋭く光った。三郎が提示しているのは、単なる移動手段ではない。三好軍の機動力を極限まで高め、畿内の諸勢力を物理的な「速度」で圧倒するための軍事インフラだった。
「ただし、この道を作るには莫大な金と人手、そして、沿道の国人衆の立ち退きが必要になる。……長慶、君にその覚悟はある?」
「……若君。お主が引いた線の通りに、山を削り、民を動かしましょう。三好の命運、すべてお主の設計図に預けます」
三郎は、長慶の決意を静かに受け止めた。
(……よし。この道ができれば、物資が安く、速く届くようになる。それは戦の道具にもなるが、飢饉の時に人を救う力にもなる。僕が生き残るための檻は、そのまま、この国を繋ぐ鎖になるんだ)
三郎は、自ら配合した「水硬性石灰」のサンプルを、広間の床に置いた。
それは、一度固まれば数百年は崩れない、現代のコンクリートの先駆けとなる「魔法の泥」だった。
しかし、その計画の最大の障害は、地形でも金でもなかった。
京の将軍家、そして細川晴元。三好の背後にいる巨大な主家が、この「阿波の若君」による異常な技術革新を、ついに自らへの反逆の兆しとして捉え始めたのである。
「……久秀。京の動きはどうだ」
「不穏にございます。若君を『将軍家の若君』としてではなく、『三好の怪物』として始末せよとの密命が、すでに阿波へ向かっているとの噂も」
三郎は、ふっと息を吐いた。
(……やっぱり、ゆっくり昼寝なんてさせてくれないか)
4歳の少年の手による、日本史上初の「高速道路計画」。
それは、室町幕府という古い秩序を根底から踏み潰す、静かなる宣戦布告であった。