作品タイトル不明
第十二話:錦の檻
天文四年 水無月 / 西暦一五三五年 六月
撫養(むや) の港に、一艘の華麗な屋形船が入港した。
京の足利将軍家から派遣された名代、**細川右馬頭元常(ほそかわ うまのかみ もとつね)**である。
三郎は、父・義維の隣で「将軍家の一門」として最上座に座らされていた。本来、三好孫次郎は足利の 陪臣(ばいしん) に過ぎない。孫次郎はそれを弁え、元常に対しても、そして三郎に対しても、隙のない礼節を保ちながら控えていた。
「義維殿。将軍家(足利義晴)は、この三郎殿が阿波で成された数々の神業……もとい、『石の魔法』に深く感銘を受けておられる」
元常は、三郎の父に対しては一門としての体面を保つが、その瞳は品定めをする商人のように四歳の三郎を舐め回した。
「ついては、この三郎殿を京へ召し出し、幕府直轄として都の守りを固める『普請奉行』の職を与えたいとの仰せだ」
広間の空気が凍りついた。
「召し出し」という美名に隠された、技術の独占。京の将軍家は、三好の勢力拡大を支える三郎の「知恵」を、力ずくで奪いに来たのだ。
「……三郎、よかったな! 将軍家がお前を求められているのだ。これで平島家が京へ返り咲く足がかりとなろう!」
父・義維は、家格の向上という甘い毒に酔い、背後の三好家が浮かべた不穏な影に気づかない。三郎は、傍らに控える孫次郎を盗み見た。孫次郎は微塵も動揺を見せず、静かに口を開いた。
「細川殿。三郎殿は足利の貴種。京へお迎えするのは誉れ高きこと。……なれど、若君はまだ四歳。京までの長旅、さらに都の荒れた治安の中、万が一のことがあれば、我ら三好は亡き先代に顔向けできませぬ」
「三好の若造が。これは公方様の御意志。陪臣の身で異を唱えるか?」
元常の傲慢な言葉に、孫次郎の眉がわずかに動いた。家格の差を突かれた屈辱。だが、三郎には分かっていた。ここで孫次郎が折れれば、自分は京の政争の具として使い潰される。逆に、孫次郎が強引に拒めば、三好は「足利を拉致する逆賊」として討伐の口実を与えてしまう。
(……家格が上の俺が、この場を収めるしかない。それも、俺が『無能』だと思わせる形で)
三郎はおもむろに立ち上がると、元常の目の前に歩み寄った。
「右馬頭様! 京へ行けば、もっと大きなお砂場があるのですか? 僕は、阿波の山を全部『石』に変える遊びに飽きたところなんです!」
三郎は、四歳児特有の無邪気な、しかしどこか狂気を孕んだ笑顔を見せた。
「でも、僕の石は……たまに爆発して、お城ごと飛んでいっちゃうんです。京のお城も、僕がお手伝いしたら、ドカン! ってなっちゃうかも」
三郎は、懐から取り出した生石灰の塊を、元常が持っていた茶碗の水の中にわざと落とした。
――シュアァァァッ!
激しい熱気と蒸気が元常の顔を直撃する。
「うわあああッ! 何だ、この熱は! 呪いか!?」
「あはは! 面白ーい! 京の街も、僕が全部こうしてあげますね!」
三郎は手を叩いて笑い転げた。その瞳は全く笑っていない。
元常の顔が恐怖で土気色になった。彼に見えたのは、聖童ではなく、国を焼き尽くす「災厄の神子」の姿だった。
「ひ、卑怯な……! 義維殿、この童は……あまりに危うい! このような者を京へ連れて行けば、幕府が滅びかねぬ!」
元常は、捨て台詞を残して逃げるように広間を去っていった。嵐が去った後、孫次郎は一人笑い続ける三郎を、複雑な表情で見つめていた。
「……三郎殿。お主、わざと狂態を演じたな。京の権力さえも、その『泥』で汚して追い払うか」
「孫次郎。私は、家格という檻の中で死ぬのは御免だ。……これでしばらくは、京も手を出してこないだろう」
三郎は、汚れた手を着物で拭った。
足利の血筋という「最強の家格」を、自ら「狂気」でコーティングして守る。四歳の少年の生存戦略は、ついに室町幕府という巨大なシステムさえも欺き始めた。