軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6

◇◇◇

「兄様」

「リリ」

ヴィクター兄様のところへ行く。

先ほど目が合ったこともあり、兄は私たちが来るのを待っていてくれた。

兄の着ている黒の盛装は彼の硬質な雰囲気と合っていて、カチリと嵌まる。今日は縁のない眼鏡を掛けていたが、見覚えがない。新しくしつらえたものだろうか。無駄な出費を嫌う兄なので、前の眼鏡が駄目になったのだろうとなんとなく納得した。

「ご挨拶が遅れました」

「いや、アラン殿下と一緒いたのだろう? 殿下は?」

「ウィルフレッド殿下とお話があるそうです。先に兄様のところへ行くようにと」

「そうか」

アルの方へ視線を移した兄は納得したように頷いた。そうして私の隣にいるクロエに目を向ける。

「彼女は?」

「クロエ・カーライル伯爵令嬢。私の友達です。その……ヴィクター兄様にも紹介したくて連れてきました。彼女、今日がデビュタントで」

「ああ、先ほどウィルフレッド殿下とダンスをしていた……そうか、あなたが」

「ぴゃっ……」

――ぴゃっ?

なんだ、今の声は。

変な音が隣から聞こえると思いそちらを見れば、クロエが真っ赤な顔で兄様を見つめていた。

「……え?」

「ふぁあああああ……」

彼女は首や顔、耳まで赤くし、兄を凝視している。白いドレスを着ているせいか、白と赤のコントラストが実に見事だ。

友人のただならぬ様子に、私は思わず彼女に声を掛けた。

「ク、クロエ。大丈夫?」

「だ、だいじょうぶ、よ……」

「……」

残念ながら全然大丈夫に見えない。

クロエは顔を真っ赤にしながら、カクカクとまるで壊れたおもちゃのように頭を下げた。

「し、失礼いたしました。リ、リズ様にはいつもよくしていただいています。ク、クロエ・カーライル、でしゅ」

「……」

「……」

噛んだ。間違いなく今のは噛んでいた。

かーっとクロエの顔が更に赤くなる。兄もどういうリアクションを取れば良いのかと、ものすごく困った顔をしていた。

「す、すいませっ……」

羞恥の極みに至ったクロエが今度は勢いよく頭を下げる。

兄は、少し迷ったような顔をしたあと、「顔を上げて下さい」と優しく言った。

完璧に作り上げた笑顔だ。社交辞令用のものだということはすぐに分かった。

「緊張させてしまったみたいですね。こちらこそ申し遅れました。ヴィクター・ベルトランです。妹がずいぶんと世話になっているようですね」

丁寧な口調で兄がクロエに接する。こういう兄を見るのは初めてだが、そういえばアルが、兄様は物腰が柔らかいと言っていた。厳しい態度を取るのは、きちんとしていない相手に対してだけだと。

その時はどういう意味か分からなかったが、クロエを前にしている兄を見てようやく理解した。

兄に微笑まれたクロエはぽーっと兄に見惚れている。ツンツンと肘で突くと、彼女はハッと我に返った。

「い、いえっ。わ、私こそいつもリリには助けてもらって……世話になっているのは私の方で……。えと、今日だってリリが来てくれたから、私……ああ、何言ってるんだろう……」

緊張しすぎて、自分でも何を言っているのか分からないようだ。

本格的に混乱し始めたクロエの肩を、私はポンポンと叩いた。少し落ち着けという意味を込めたそれをクロエは理解したようで、私に目を向けると、彼女はうんうんと何度も頷いていた。

「クロエ」

「分かってる。分かってるわ」

「……全然、分かってないわね」

クロエの顔を見て確信した。全く冷静になれていない。

「なるほど」

私たちの様子を見ていた兄の表情が柔らかいものに変わった。どうやら今のやり取りで私たちがちゃんと友人であると理解してくれたようだ。

「そうですか。妹が迷惑を掛けていないのなら何よりです。――リリ。どうやら友達というのは本当のようだな」

「……だから、クロエは友達だと言ったでしょう? 兄様。私、嘘なんてついてません」

「――ああ、そうだな」

少し間が空いたのは、以前の私ならやりかねないと思ったからだろう。確かにそれは否定できないところだが、それは昔の話。今は違う。

そして頬を染めたまま未だ兄を見つめ続けるクロエを見て、理解した。

――クロエってば、ヴィクター兄様に惚れたのね。

これはいわゆる一目惚れというやつであろう。私も一年にも満たない前に、アルに対して同じようなことをしたからよく分かる。

クロエの表情はまさに恋する乙女といった感じで、端から見ていると、なんだかニマニマしてしまう。

――ふーん。

まさかクロエが兄に惚れるとは思わなかった。だけど冷静に考えて、兄は格好良いと十分言える外見をしているし、将来有望の公爵家次期当主だ。

性格も、最近までは分からなかったが、今は意外と優しいところもある人だと知っている。自慢の兄の一人なのだ。

――クロエってば、なかなか見る目があるわね。

これは、クロエの親友としては協力するべき場面だろうか。そんな風に思っていると、話を終えたらしいアルとウィルフレッド王子がこちらにやってきた。

アルと目が合うと、彼は優しく微笑み、小さく手を振ってくれる。

それにはにかみながらも応えると、私を見ていたクロエがクスクスと笑い始めた。さっきまで兄を見て赤くなっていたというのに変わり身が早い。

「リリ、ねえ、自覚してる? 今、すごく可愛い顔をしていたわ」

その言葉に、無言になってしまう。私はじとっとクロエを見ながら言った。

「……それ、今のクロエにだけは言われたくないと思うの」

「え? どうして?」

「……あのねえ」

そんなに分かりやすい顔をしておいて、気づかれていないとでも思っているのだろうか。

とはいえ、私だってこんなところで友人の恋を暴露するような無粋な真似はしないし、したくない。ここは黙っておいて、あとで根掘り葉掘り問い詰めてやろうと決め、彼女には「さあ?」とだけ返しておいた。

だが、私だけが隠していても、意味はない。初めて恋を知ったクロエの態度は誰の目にも分かりやすかったらしく、やってきたウィルフレッド王子は、すぐに彼女の想いを察してしまった。

愕然とした声で、ウィルフレッド王子は呟く。

「……嘘だろ。なんで、ヴィクタールート?」

――ヴィクタールート?

何の話だ。

首を傾げていると、いつの間にか隣に来ていたアルが、私の腰を抱き寄せていた。

「リリ、お待たせ」

「アル」

「うん、ちょっと待ってね」

アルは溜息を吐きながら、ウィルフレッド王子に言った。

「ウィル。今日はもう余計なことはせずに下がれとさっき言ったばかりだろう。カーライル嬢に挨拶が済めば帰ると答えたお前の言葉は嘘なのかな?」

アルに冷たい目で見られ、ウィルフレッド王子が焦ったように口を開く。

「あ、兄上……オレは……でも!」

「でもじゃない。約束を守れないようなら、お前は今後一切カーライル嬢に近づくな。……カーライル嬢。僕の弟が失礼なことをしたね。約束も何もなくいきなりパートナーなどと言われて怖かっただろう。それでも愚弟に付き合ってくれて感謝するよ」

「い、いえ……私は……」

クロエが慌てて首を横に振る。アルはそれに「ありがとう」と小さく微笑み、今度は絶対零度の視線を自分の弟に向けた。

「ウィル。彼女と親しくなりたいのなら、段階を踏め。それなら僕も何も言わないから。お前も王子だというのなら、ルールは守るように。分かったね?」

「……分かったよ」

アルに睨まれ、ウィルフレッド王子は渋々ながらも頷いた。そうしてヴィクター兄様をキッと睨んでからクロエに言った。

「……クロエ嬢。今日は突然押しかけて申し訳ありませんでした。ですが、オレは冗談や酔狂であなたのエスコート役を買って出たわけではありません。それを忘れないで下さい。……次は、伯爵を通します」

「殿下……」

ウィルフレッド王子の言葉に、クロエは驚いたように目を見張った。ウィルフレッド王子は悔しげに顔を歪める。

「本当は屋敷まで送りたかったのですが、兄に戻れと言われてしまいましたので。申し訳ありません」

「い、いいえ……」

「それでは、また。失礼します」

唇を引き結び、ウィルフレッド王子が夜会会場を出て行く。鋭く前を見据える横顔が印象的だった。

それまで黙ったままだったヴィクター兄様がアルに声を掛ける。

「殿下、今のは?」

「ヴィクター。ああ、ちょっと弟がおいたをしてね。いつものことだから気にしなくて良いよ」

「そう、ですか」

アルの線引きを受け、兄はそれ以上は聞かずに引き下がった。自分が知る必要のないことと思ったのだろう。

アルが申し訳なさそうにヴィクター兄様に言った。

「さっきの様子。もしかしたら、ウィルは君にもちょっかいを出してくるかもしれない。あまり迷惑を掛けるようなら僕に言って。何とかするから」

「私に、ですか?」

心当たりがないという顔をするヴィクター兄様を見て、私は兄様がクロエの気持ちに気づいていないことを理解した。

――兄様、鈍いわ。

クロエが兄様を好きなことは誰が見ても明らかなのに、当の本人が気づかないとか嘘のようだと思うが、兄は本気で分かっていない。

だが、それも仕方ないのかもしれない。兄はずっと仕事一辺倒できた人だ。恋愛なんて考えたこともないのだろう。

アルもヴィクター兄様が分かっていないことに気づいたのか、苦笑していた。

「あー、うん。何もなければそれで良いんだ。カーライル嬢、ダンスも終わったことだし、今夜はもう帰ってくれて構わないよ。怖かったでしょう」

「い、良いんですか?」

ぱっとクロエの顔が輝く。ずっと第二王子と一緒だったのだ。疲れたというのもあるだろう。アルが頷くと、クロエは嬉しそうに何度も礼を言った。

帰ろうとするクロエを引き留め、アルに言う。

「アル。私、馬車までクロエを送っていきます。一人で帰すのは心配で」

「そうだね。その方がいいか。リリ。君はその後、どうする?」

悩むまでもない。私はすぐに答えた。

「クロエを送ったあとは、こちらに戻ります。その、まだアルとはダンスも踊っていないのですもの」

夜会はこれからだし、帰るには少し早い時間だ。それなら戻ってきて、アルと少しくらい一緒の時間を過ごしたかった。

私の言葉を聞いたアルが、嬉しそうに頷く。

「分かった。じゃ、そうしようか。君と踊れるのを楽しみにしているよ。あ、そうそう、何もないとは思うけど、万が一ということもあるから、一応護衛の兵士は付けるからね。それは我慢してよ」

「はい」

馬車乗り場まではそう距離があるわけではないが、デビュタントの直前、破落戸に襲われたこともある。素直に首肯し、クロエを連れて、夜会会場を出た。