軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

序章 夢の続き

「まだ、夢でも見ているみたい……」

フワフワした気持ちで息を吐く。その息は、自分で思っていたよりもずっとずっと甘かった。

◇◇◇

デビュタントの夜会は恙なく終わり、屋敷へと帰ってきた私は、夢見心地のまま部屋着に着替えてソファへと腰掛けた。

「おかえりなさいませ、お嬢様。お疲れになったでしょう。お茶をどうぞ」

「ええ」

執事のルークがお茶を出してくれたのでそれを飲む。

普段は一口飲めば、彼が何を淹れてくれたのか分かるのに、今日だけは全く味を感じなかった。だけど気にならない。ぼうっとお茶を飲みつつけていると、ルークが言った。

「……お嬢様。ずいぶんと上の空ですね。本日のお茶はカモミールですよ」

「そう……美味しいわね」

「味なんて分かっていらっしゃらないくせに。いっそ、唐辛子でも入れてみれば良かったですか?」

「唐辛子……それも美味しいかもしれないわね」

私の回答を聞き、これは駄目だと匙を投げたルークはあからさまに溜息を吐いた。

「どうせ夜会で、殿下と上手く行ったとか、そういう話なんでしょうけど、いい加減現実世界に戻ってきて下さい。お顔が緩んでみっともないですよ」

「ゆ、緩んでなんて! で、でもルーク。何も言っていないのに、よくアルと何かあったって分かるわね」

みっともないと言われ、慌てて顔を引き締めた。ぼうっとしていた自覚はあったので、誤魔化すべく近くで様子を窺っていた猫のノエルを抱え、膝に乗せる。

そんな私を呆れたような顔で見たルークは、「分かりますよ」と言いながらお茶のおかわりを淹れてくれた。夜だというのに、彼の着ている執事服はよれた様子もない。ピシッと背を伸ばし、甲斐甲斐しく私の世話を焼きながら、ルークが言った。

「帰ってきてからずっと、お顔がポワポワしていらっしゃいますからね。良いことがあったと一目瞭然です。そしてお嬢様にとっての良いこととは、アラン殿下関係に決まってますから。その様子ですと、無事、告白はできたみたいですね。殿下と恋人になられたのですか?」

「……え、ええ」

ポワポワとは一体何だろうと思いつつも頷く。

そう。私はルークの言う通り、この国、ローズブレイド王国の第一王子、アラン――アルと、つい先ほど正式な! 恋人になった。

私はずっとアルのことを、私が『悪役令嬢』にならないために協力してもらっているのだと思っていた。彼とは婚約者という間柄ではあるが、それだって協力の一環で必要だから便宜的に婚約者になっているのだとずっと信じてきた。

だけど、この前、彼はそれを全部違うのだと言ってくれた。

私のことが好きなのだと、将来的には私と結婚するつもりなのだと言ってくれたのだ。

それに対し、ようやく答えを返すことができたのが、さっきのデビュタントの夜会。

一生懸命『アルを好きだ』という気持ちを告げた私を彼は抱き締め、そうして口づけをしてくれたのだ。

恋人同士でなければ決してしないであろう、唇と唇が触れる、優しくも甘い口づけを彼はくれた。

それがあまりにも幸せで、夢でも見ているんじゃないかと思ってしまうくらい、現実とは思えなくて、だけど私を抱き締める彼は嘘ではなくて……ああもう、自分でも何を言っているのか分からない。

とにかくすっかり舞い上がった私をアルは、もう遅いからと馬車まで送ってくれて、「また連絡するよ」と言ってくれたのだ。

「せっかく恋人になれたんだ。たくさん君と話したいし、デートもしたい。可愛い君と恋人らしく手を繋いで、時には触れ合いたい。そういうことを僕と一緒に経験していこう? 良いよね?」

馬車の扉が閉まる間際、こんなことを言われた私が、正常でいられなくなるのは当たり前で、それから今の今までずっと、心ここにあらず、というか、アルのことばかり考えていたのである。

「ア、アルは今日も素敵だったわ。その……あ、あんな素敵な人が私を好いて下さっているなんて……」

今夜あったことを思い出すと顔が勝手に熱くなる。思わず、両手を頬に当てると、ルークは心底疲れたという顔をして言った。

「良かったですね。こちらとしても、無事、両想いになって下さってホッとしました。それでなくとも普段から無自覚でイチャイチャされて鬱陶しかったんですから。あれで付き合っていない、恋人同士ではないと言われても誰も信じませんよ。あ、婚約者でしたっけ。婚約者。……はあ。外堀なんてとうに埋められているんですから、さっさとくっついてくれってこちらはずっと思っていましたよ」

「……」

――うちの執事が今夜も絶好調に毒舌な件について。

綺麗な銀色の髪の、見た目だけは抜群に良い私の専属執事は、すっかり主人に対して口が悪い。まあ、気を許してもらえていると分かるから良いのだけれど。

だけど、イチャイチャしていると言われるのは納得できない。何故ならそんなことはしていないからだ。

「イチャイチャなんて、していないわ。そ、そんなのはしたないもの」

夜会中、人目のないところでとはいえ、口づけを交わしたことを思い出しつつも、ルークは知らないのだからと思い文句を言う。

だが、ルークはじとっと私を見つめてきた。

「え、何を言ってるんですか、お嬢様。殿下に膝枕をして差し上げていたのは、つい最近の話だったと記憶しておりますけど? あれがイチャイチャでなければ何と言うのか、教えて欲しいくらいなんですが」

「……」

残念ながら言い返せなかった。

アルが屋敷に来てくれた時に、彼に膝枕をしたことを思い出す。あ、あれは恥ずかしかった。でも……それ以上にとっても幸せだったと思う。

先ほどよりも赤くなった私に、ルークは「はいはい」と話を終わらせるように数回手を叩いた。

「これ以上は止めておきましょう。胸焼けするだけだと分かっていますし。――まあ、色々言いましたけど、良かったですね、お嬢様。あとは何事もなく、殿下と結婚する運びになれば言うことはありません」

「そ、そうね……」

アルと結婚……。

想像して、恥ずかしくなってしまった。

あと数年もすれば、私は花嫁衣装を着て、彼に嫁ぐのか。それは何と幸せなことなのだろう。

「は、早くアルのお嫁さんになりたいわ」

顔を伏せ、羞恥に悶えながらも言うと、ルークは私からノエルを取り上げて言った。

「そういう台詞は、殿下に直接おっしゃって下さい。私に言われても困ります」

「ア、アルに……」

それはなかなか難易度が高い。

だけど、そう言えば、アルは喜んでくれるだろうか。

「僕もだよ。君を早く奥さんにしたいな」なんて言ってくれたりするのだろうか。

想像した。うん、ものすごく幸せだ。

「……」

「……お嬢様。はあ……妄想の世界に浸らないで下さいよ。……殿下と両想いになって、お嬢様、なんだかポンコツ化が進んでいませんか? それでは目標とする完璧令嬢にはほど遠いと思いますけど」

「わ、分かっているわ!」

痛いところを突かれた。

ルークの尤もな指摘に、私は慌てて妄想を振り払った。

そうだ。確かに、私は悪役令嬢ではなくなったかもしれない。だけど完璧令嬢にはほど遠いし、いつまた悪役令嬢に戻ってしまうかも分からないのだ。

人間、ちょっとやそっとでは性根を変えることはできないだろう。

昔の自分が出てしまうことだって十分にあり得る。

それを可能な限り避けるためには、今までの努力を止めるのではなく、更に身を引き締めて頑張り続けなくてはならないのだ。

――それはとても辛い道のりだろうけれど。

本当の意味で、『完璧令嬢』になれる日が来るかも分からないけれど。

「アルと一緒にいるためだもの。できる限りの努力はするわ」

彼から離れたくない。彼の気持ちを失いたくない。

今までとは全く違う。

今度は、ウィルフレッド王子に見返すためではない。

これは完璧に自分のため。アルに相応しい女性になるための努力なのだ。

しっかりと決意を込めて頷く。

それを見たルークは「僭越ながら、私も引き続き協力させていただきます」ととても良い笑顔で言ってくれた。