作品タイトル不明
その時〇〇は!:細川高国
―― 1533年、師走。
摂津国。尼崎近辺。
夜気は冷たかった。風が海から吹き込み、陣屋の灯を揺らしている。
一人の男が、黙って文を読んでいた。
細川高国。管領として幕府を握り、京を動かした男。
だが今は… その権勢も、かつてほど絶対なものではない。
細川家は割れた。かろうじて、先の細川晴元との争いで勝利することができたにもかかわらず、畿内は荒れていた。
その中で届いた、京からの急報。
『四国四州を朝廷直轄と定む』
『永代四州近衛家へ委ねる』
『正二位 天領四州稀人特別区管理職』
高国は長く沈黙した。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
側近たちは顔を上げられない。
「やられたな」
その声に怒気は薄い。
むしろ、深い疲労と、苦味。
四国。
そこは本来、細川家の地盤だった。
阿波。讃岐。土佐。伊予。
守護職を通じ、細川が影響を持ってきた場所。
それを、帝が“天領”とした。
つまり、細川を飛び越えた。高国は文を机へ置いた。
「将軍家すら通しておらぬ」
そこが異常だった。
室町幕府の根幹。
守護制度。
恩賞秩序。
それら全てへ、朝廷が直接楔を打ち込んだ。
しかも、相手は武家ではない。
否。武家でもあり、公家でもある。
『四州近衛』… (否、 阿(・) 波(・) 三(・) 好(・) )
高国は目を細めた。
「嫌らしい」
「は……」
「源氏でも平氏でもない」
低い声。
「しかも“藤原”だ」
部屋が静まる。そこが厄介だった。
武家同士なら、討てる。
だが摂家分流。帝の信任厚い近衛…… よりによって『近衛』
まさか、あの『阿波三好』が『近衛』と結びつくだなんて… 想定外だった
下手に敵対すれば、こちらが“朝敵”になる。
高国は苦く笑う。
「武では斬れぬ相手か」
その時、側近の一人が慎重に言った。
「ですが……まだ十一歳にございます」
「だから怖いのだ」
即答だった。
高国の目は鋭かった。
「十一で、この重さを受け切った」
普通なら潰れる。
官位。勅。錦の御旗。
どれか一つでも、家が傾く。だが稀仁は、あの阿波の童、三好の小僧は受けた。
落ちなかった。逃げなかった。
細(・) 川(・) 晴(・) 元(・) を(・) わ(・) ず(・) か(・) 数(・) え(・) 三(・) 歳(・) で(・) 見(・) 限(・) っ(・) た(・) 子(・) 供(・) 。
「器だな」
高国は静かに言う。誰も反論できない。
そして、高国が本当に恐れているのは、別の部分だった。
『民を生かせ』
『国を富ませよ』
『学を広げよ』
戦の言葉がない。そこが異様。普通の戦国の大名は、兵を集める。
だが四州近衛は、民を集めている。学を配っている。海を繋いでいる。
高国は海図へ目を向けた。
「阿波は、港を押さえていたな」
「は」
「堺とも繋がる」
つまり、銭が流れる。人が流れ、情報が流れる。
高国は低く笑った。
「厄介だ」
戦は止められる。
しかし、富は止めにくい。学は広がる。海は閉じられない。
高国は、ゆっくり立ち上がった。
「武だけではなくなる」
側近が顔を上げる。
「時代、でございましょうか」
「まだ分からぬ」
高国は障子を開けた。冬の海風が吹き込む。
「だが」
遠く西を見る。
「もし、あれが本当に“国”を作り始めたなら」
静かな声。
「細川も変わらねば、飲まれる」
側近たちは息を呑んだ。
細川高国……
旧秩序の中心にいた男が、その終わりの気配を認めている。
高国はふと笑った。
「面白いではないか」
「十一歳の正二位殿」
その笑みには、敵意だけではない。
強者へ向ける、奇妙な敬意が混じっていた。
そして同時刻。
阿波では、今日からすでに戻っていた当の稀仁が、永寿内親王から、
「よし様、錦の御旗を床の間へ立てかけるのはやめてください」
と真顔で怒られていた。
「だって置き場所が!」
「国宝扱いです!」
(国宝って概念まだないんだけどなぁ……)
などと、稀仁は遠い目をしていた。