作品タイトル不明
その時〇〇は!:足利義晴
―― 1533年、師走。
京。室町第。
正式な知らせを受け取ったのは、夜だった。
風が鳴る。冷たい冬の風が、板戸を微かに揺らしていた。
将軍足利義晴は、一人で文を読んでいた。
二十二歳。
まだまだ若いはずだが、その目は既に疲れていた。
京を追われ。近江へ逃れ。戻り。また争い。
細川家の内紛は将軍権威の空洞化を引き起こし、畿内の混乱を招いた。
既に処断されている畿内三好一族や細川晴元。
しかし、血の臭いはまだ京から消えていない。
義晴は静かに文を閉じた。
「……やってくれたな」
低い声だった。
近習たちは誰も顔を上げられない。
文には『あの朝議』の内容が記されている。
『四国四州を朝廷直轄と定む』
『永代四州近衛家へ委ねる』
『正二位 天領四州稀人特別区管理職』
そして、
『錦の御旗を授与』
義晴は苦く笑った。
「将軍を、通しておらぬ」
そこだった、最も重いのは。
室町幕府とは何か。
将軍が恩賞を与え、守護を認め、秩序を裁定する。それが室町だったはずだ。
だが今回、帝は… 将軍を飛び越えた。
直接四国という『天領国』を定め、統治者を任じ、新制度を作った。
義晴は天井を見上げた。
「父上なら、怒鳴っておられたな」
先代将軍・義稙の気性を思い出し、皮肉に笑う。
しかし義晴は今回のことに対して怒鳴れなかった。
怒鳴れるほど今の足利には、将軍権力が強くない。
そのことは将軍である義治本人が一番知っている。
長い沈黙の後、側近の一人が恐る恐る言った。
「……止められませなんだか」
義晴は笑った。
「止める?」
乾いた声。
「帝をか?」
「……」
「錦の御旗を掲げた相手へ、将軍が異を唱えるか?」
誰も答えられない。
朝敵。その言葉の重みは、この時代では絶対だった。
将軍ですら逆らえない。
義晴は静かに呟く。
「見事だ」
それは嫌味ではなかった。
本心だった。
「“正統”を押さえた」
武ではない。
兵でもない。
朝廷。
官位。
勅。
錦の御旗。
つまり“戦う前に勝つ”形。
義晴は目を細める。
「しかも相手は十一歳」
信じ難かった。
普通なら潰れる。
重圧で壊れる。
だが稀仁は受け切った。
義晴はぽつりと言った。
「……化け物か」
その時だった。
別の側近が慎重に口を開く。
「ですが、四州近衛は敵対の意思は薄いかと」
「なぜそう思う」
「“剣で天下を取るな”との勅が」
義晴は少し黙った。
確かに、あれは異様だった。
普通なら… 帝は忠義や武功を称える。
だが今回は違う。
『民を生かせ』『国を富ませよ』『学を広げよ』
まるで、国家そのものの再設計しろとでもいうような…
義晴は静かに笑った。
「余より、将軍らしい」
部屋が凍った。
「上様……!」
「事実だ」
義晴は苦く笑う。
「余は京を守れぬ」
「……」
「だが、あの子は四国を守ろうとしている」
その言葉は重かった。
将軍自身が、そう認めてしまった。
義晴は立ち上がり、庭を見る。
冬の月。白い光。
「奇妙だな」
ぽつり。
「本来なら、恐れるべきなのだ」
朝廷直轄。新制度。正統の集中。
それは将軍権威を削るはずだ。
けれど義晴の胸にあったのは、怒りよりも別の感情だった。
――羨望。
「……余も」
小さな声。
「そういう国を、作ってみたかった」
側近たちは何も言えなかった。
将軍は、あまりにも長く“戦乱の調停者”でしかなかった。
だが四州近衛は違う。
“国を作る者”。
義晴はふと笑う。
「会えば、どんな顔をするのだろうな」
「十一歳の正二位殿は」
そして少し間を置き。
「案外、泣きそうな顔で困っておるやもしれん」
それは妙に正解だった。
実際その頃、
稀仁が錦の御旗の扱いについて、
(いやこれ保管どうすんの? 燃えたら切腹案件では?)
とか本気で頭を抱えていたのだから。