作品タイトル不明
『生きたい国』
港の灯が、川面へ細く揺れている。荷船の軋む音。遠くで、夜番の声。
徳島は、まだ未完成だった。だからこそ、皆必死に生きていた。
「……優しいだけじゃ、国は守れないからね」
ぽつりと呟く。『はるちゃん』は静かにこちらを見た。
話題は『戦に関わるもの』
「はい」
否定しない。それが少し救いだった。
「豊かな国は、人を呼ぶ」
私(長慶)は港を見ながら言った。
「でも同時に、“狙われる”」
乱世だ。奪う方が早い。
自ら田畑を育てるより、港を整えるより。
他国から奪った方が、短期では得。
「だから武もいる」
「……弩と、ばりすた」
思い出したように『はるちゃん』は呟いた。
私(長慶)は苦笑した。
「うん。あれ」
阿波の新兵器。大型弩。据え置き式大型弓砲――バリスタ。
まだ数はまだまだ少ない。けれど、それは“城を守る武器”としては、この時代では異質だった。
でも、それはほんの手始めだ。あと十年もすれば『南蛮船』がやってくる。
『鉄砲』が日本に入ってくる。史実上においても『戦』を根底から変えるものだ。
つまりその時までに、日本の 『(・) 戦(・) 国(・) 』(・) を(・) 終(・) わ(・) ら(・) せ(・) な(・) い(・) と(・) 。
もちろんそんなことは流石に誰にもいえない。
「攻めるためではなく?」
「基本、防御寄り」
少し驚いた顔をする『はるちゃん』。
「珍しいのですね」
「この時代(戦国)だとね」
普通は、奪うための軍備を考える。
だが私(長慶)は違う。
港を焼かれたくない。
倉を壊されたくない。
橋を落とされたくない。
積み上げた暮らしを、守りたい。
「だから徳島城は、“籠もる城”でもある」
「……なるほど」
『はるちゃん』は静かに城下を見た。
川。
町。
灯。
人。
全て“守る対象”なのだ、この人(長慶)にとっては。
ーー 家法
翌朝、徳島城・政所。
小一郎が、新しく清書された文書を広げていた。
「四州家法、改訂版です」
周囲の奉行衆が顔をしかめる。
「また増えた」
「若様(長慶)、細かすぎます」
「衛生項目が増えております」
私(長慶)は咳払いした。
「重要だから!」
実際、重要だった。
『井戸へ汚物を流すべからず』
『病人は隔離すること』
『産屋は清潔に』
『水場の管理を怠るな』
武家の家法なのに、やたら生活臭い。
海雲が横で笑う。
「昔は“喧嘩を慎め”程度じゃったのう」
「今では“厠の蓋を閉めろ”ですからね」
森彦太郎が真顔で言う。
周囲が吹き出した。
「……実際、病が減っております」
一宮次郎九郎が静かに言った。
そう、もう結果が出始めている。
徳島城下では、冬場の腹下しが減った。
熱病も減少傾向。
乳幼児の生存率も上がり始めている。
完全ではない。まだまだ人は死ぬ。けれど“変化”はある。
ーー 寺子屋制度
「それと」
小一郎が次の帳面を出す。
「寺子屋の増設希望が増えております」
「また?」
「はい」
今、阿波では寺子屋制度が急速に広がっていた。
読み書き、算術はごく基本。
武士だけではない。町人。農民。女子供まで。
最初は反発も強かった。
『百姓に学など不要』
『女へ文字など危険』
しかし…
帳面を読める農民は騙されにくい。
計算できる商人は利益を出す。
文字を書ける職人は注文を受けやすい。
結局は「銭になる」…そこが強かった。
大西小太郎が笑う。
「最近、農村でも“算”が流行っておりますぞ」
「そうなんだ……」
「米勘定が合わぬと村側から突っ込まれるとか」
(苦笑)
従来のやり方を知る者にとっては厳しいだろう。
でもそれは良いことでもある。
誤魔化しが減る。無茶な徴収が減る。
結果“逃散”が減る。
ーー 三好学校
「三好学校の方も、人が増えすぎております」
新開太郎が疲れた顔で言う。
「職業訓練所も満杯です」
三好学校。
寺子屋より上位。より専門的な教育機関。
船大工。
鍛冶。
測量。
土木。
薬草。
会計。
ガラス。
阿波焼。
等々。“仕事へ直結する学”を教える場。
もちろん一連の『学び』を終えた後、『行政官』として採用も始まっている。
戦国では、かなり異質だった。
海雲が腕を組む。
「昔の武家なら、“武芸だけ教えればよい”じゃったろうな」
「でも今は”作れる人(職人)”が圧倒的に足りない」
橋。船。倉。全部、人の技術で出来ている。
そして技術者は、一朝一夕では育たない。
ーー 阿波国人たちの実感
ある日の評定後、古参国人の一人が、しみじみと言った。
「……昔は、“民が増える”など恐ろしい話だった」
周囲が静かになる。
「飯が減る」
「揉め事が増える」
「治めきれぬ」
それが普通の感覚だった。だが今は違う。
「人が増えると、町が大きくなる」
「港が回る」
「税が増える」
循環し始めていた。
その変化が、彼らにも見えている。
「“人がいること”そのものが力になるとはな」
誰かがぽつりと言った。
『はるちゃん』の見たもの
その日の午後。
『はるちゃん』は、寺子屋を訪れていた。
板へ文字を書く子供たち。
読み上げる声。
女の子もいる。
「……本当に、女子も」
驚いている『はるちゃん』に、教師役の僧が頭を下げる。
「殿様(長慶)の方針にございます」
その時、小さな女の子が『はるちゃん』にぺこりと頭を下げた。
「こんにちは!」
元気いっぱいだった。『はるちゃん』は少し目を丸くした後、ふわりと笑う。
「こんにちは」
少女は誇らしげに板を見せる。
「字を書けます!」
そこには、拙い文字。
だが確かに、自分の名前が書かれていた。
一瞬言葉を失った『はるちゃん』。
戦国の女子。公家でも武家でもない。
普通なら文字など知らずに生きる。
けれどこの子は違う。
学んでいる、未来を持っている。
『はるちゃん』は静かに思う。
(……これもまた“国を変える”ということ)
刀だけではない。
城だけでもない。
人の生き方そのものを、少しずつ変えていく。
夜・天守
夜、私(長慶)はまた、港を見ていた。
最近ずっとここにいる気がする。
そこへ『はるちゃん』が来る。
「また考え事ですか?」
「予算が足りない」
「現実的ですね……」
隣へ立つ『はるちゃん』。
しばらく無言。
そして『はるちゃん』は、静かに言った。
「よし様」
「ん?」
「この国は、きっと強くなります」
私(長慶)は苦笑した。
「なってくれないと困る」
港の灯を見つめる、『はるちゃん』。
「皆、“ここで生きたい”と思い始めています」
その言葉が、不思議なくらい、胸へ響いた。
戦国で、
“逃げたい国”ではなく。
“生きたい国”になる。
それは…
城を一つ落とすより、ずっと難しいことだった。