軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

運命の恋人は

「お嬢様、レジー! こっち、こっち」

「オーナー!」

会場に着くや掛けられた声のほうに顔を向けると、ロッシュやアカデミーの職員たちが目に入った。

「元気そうですね、フィオナさん」

「ご無沙汰しております、リスター調査官。皆さんも、お会いできて嬉しいです」

笑み交わし、旧交を温める。レジナルドはフィオナをリスターに託すと、早速ロッシュを連れて件の階段を見に行ってしまった。

楽団の演奏もあってダンスを楽しんでいる人たちもいるが、立食スタイルのパーティーは比較的カジュアルな雰囲気で全体的に和やかだ。

美術関係者がほとんどだからか、聞こえてくる話題も絵に関することばかりで、貴族のパーティーにありがちな腹の探り合いもない。

(これなら大丈夫そう)

見渡すと顔見知りの事務方スタッフが多く、ドレスアップしてそれぞれ話に花を咲かせている。

ようやく緊張を解くと、リスターがフィオナの成果を祝ってくる。

「フィオナさんは、国を出られてからますます活躍の幅が広がりましたね。ポアレを見つけただけでなく貸し出しまで話をつけるとは、さすがですよ」

「運が良かったのです。まさかランベール夫人がお持ちとは知りませんでした」

「運もあるかもしれませんが、あの方はなかなかコレクションを公開なさらないので有名ですし」

「そこは、デンゼルの件でアカデミーの信頼がありましたから。夫人が応じてくださったのは、皆さんのおかげです」

前回、信用に足る実績を作ったのはリスターたちで、それがあっての今回である。そう言い切るフィオナに、リスターは苦笑した。

「相変わらずですね。おや、噂をすれば」

言われてリスターの視線を辿れば、ランベール夫人が到着したところだった。いつもの杖の代わりに、若い男性に腕を預けている。

「フィオナさん、まあ、綺麗だこと! いつもそうしていればいいのに」

「ランベール夫人も素敵です。ドレスでは大きな絵を運べませんし、荷造りにも邪魔なのです」

大真面目に返答するフィオナに、夫人はころころと楽しげに笑う。

「あなたのそういうところが気に入っていますよ。こちらは私の孫のリアム。送ってもらったの」

「はじめまして。祖母からあなたのことはよく聞いています」

夫人によく似た上品な顔立ちの男性が、如才なくフィオナの手の甲に挨拶のキスをする。夫人は満足そうに頷くと、リスターたちに顔を向けた。

「アカデミーの皆さん、今回もよろしく頼みますよ」

「責任持ってお預かりします、ランベール夫人」

「ああ、リアム。こちらで少しお話をしているから時間を潰していらっしゃい。フィオナさんとダンスでもしたらいいのではなくて?」

「えっ?」

「はい、おばあ様」

フィオナが何かを言う暇もなく、ランベール夫人はボーイに椅子を持ってこさせると腰を落ち着け、貸し出す絵について語り始めてしまった。

「あの、私は踊るつもりはなくて」

「私もです。ですが、祖母には逆らえないので一曲だけお付き合いください」

戸惑うフィオナに、リアムが小声で耳打ちをする。

流れるように手を引かれて、気付けば踊りの輪の中にいた。

顔見知りに挨拶を終えたら壁の花になるつもりだった。

しかし、申し訳なさそうにするリアムの表情から、彼も仕方なしにこの場にいることが分かって邪険にもできない。

「困った祖母で申し訳ありません。言い出したら聞きませんし、断るとお小言が長いのですよ。三分だけ踊ってしまえば、三時間のお説教を逃れられますので」

「まあ、それは」

ランベール夫人に強引なところがあるのは、フィオナも断り切れなくてこの会に参加しているからよく分かる。つい笑ってしまった。

(仕方ない。一曲だけ)

フィオナとリアムは周囲の面々とも軽く会釈をすると、鳴り出した音楽に合わせてカドリーユを踊り始める。

ジャイルズとはワルツばかりを踊っていたし、今はほとんどパーティーに出ていない。

複数人のグループでくるくるとパートナーを替えながら踊るダンスは久しぶりで、それなりに楽しく、曲が終わるのはあっという間だった。

「お疲れさまでした。では、私はこれで」

「待ってください、フィオナさん」

ところが、お終いのお辞儀をしてフロアから去ろうとするフィオナの手を、リアムが引き止める。

「次はワルツのようです。せっかくですので、もう一曲いかがですか? 祖母の話はまだ終わっていませんし」

向こうを見れば、たしかに今も熱心に話し込んでいる。

「でも、一曲だけって」

「そのつもりでしたが、こんなに楽しく踊れたのは久しぶりです。終わらせるのが惜しくなりました」

急に積極的になったリアムに、フィオナは顔を強ばらせる。

ぐいと引き寄せられそうになり、思わず足を突っ張った。

(ちょ、ちょっと、これは)

礼儀と付き合いがあっても、リアムがなかなかの美青年でも、これ以上のダンスはお断りだ。

それになにより――ワルツを、ほかの人とは踊りたくないと思ってしまった。

「私、ワルツはちょっと……すみません」

「苦手ですか? リードしますから、ステップの心配はしなくて大丈夫ですよ」

「そういうことではなく」

だって何回も踊ったのだ。ジャイルズと、ワルツだけを。どうしたって思い出さずにいられない。

だがフィオナの断りを、リアムは貞淑な遠慮と捉えたようだ。

「控えめで可愛らしい方ですね」

「いえ、可愛くはないです。あの、本当にワルツはダメなのです、ごめんなさい」

今度こそ去ろうとするフィオナに腕を伸ばして、リアムはホールドを組んでこようとする。強引なのは祖母だけでなく孫もらしい。

(あー、もう!)

今日のパーティーは二国間の親善の場でもある。野暮な騒ぎは避けたいし目立ちたくはない。

だが、リアムとワルツを踊る気はこれっぽっちもない。

この手を振り払うか、いや、躓いたフリで足を踏んで逃げようか――と、物騒な想像を実現しかけたとき。

「失礼。その手を離せ」

突然背後から伸びてきた手がリアムを引き剥がした。そのまま庇うようにフィオナの肩を抱き、守るように懐に入れられる。

ふわりとシダーウッドの香りに包まれて、心臓がどくんと音を立てた。

(……え?)

腕の中からなんとか顔を上げれば、絶対零度の灰碧の瞳が自分を、いや、リアムを冷たく見下ろしている。

あまりの怒気に周囲の気温が下がったのは間違いない。

「っ、し、失礼しま……!」

それが証拠に、リアムは青い顔でおろおろと二、三歩下がると、ほとんど走るようにしてその場から逃げ出してしまった。

(ジル、様……?)

息を呑んで固まるフィオナの頭上で、盛大なため息が聞こえる。

思わずびくりと身体を竦めると、余計にフィオナを抱く腕に力が込められた。

(ど、うして?)

どうしてここにいるのか。

どうしてフィオナを助けたのか。

どうして今もこんなふうに――まるであの頃と同じように、触れるのか。

そろりと見上げた顔立ちは相変わらず恐ろしいほどに整っているが、二年前よりも精悍になった気がする。

なにひとつ言葉にならなくていると、フィオナの視線に堪らなくなったようにジャイルズは片手で顔を覆った。

「……フィオナ」

「ローウェル卿、もう少し待てませんでしたか?」

指の間から聞こえる懐かしい呼びかけに、いつの間にか近くにいたリスターの声が重なる。

「バンクロフト家の協力が決まったことの発表はこの後です。せっかく壇上で効果的な出番をご用意しておりましたのに」

「こんなところを見せられて、待てるわけがない」

「そのようですね。言っておきますけれど、彼のことは不慮ですよ」

苦笑するリスターと、むっすりと面白くなさそうな顔をする頭上のジャイルズを、フィオナは首と目だけを動かして交互に見る。

そんなフィオナに気づいたリスターが、年長者らしい笑みを浮かべた。

「企画展に、バンクロフト家所蔵の絵画をお借りできることになりました。これまで門外不出のコレクションですからね、いろいろと手間取りましたがローウェル卿のご尽力で、どうにか」

(そんな、知らなかった)

目録にも載っていなかったのは、ギリギリまで調整をしていたからだとリスターは述べる。

そうであれば、ジャイルズがここにいることはおかしくないが――頭では理解できても、感情がついてこない。

「フィオナ」

呼びかけられて、大げさに肩が震えた。

怖がっていると思われたのか、ジャイルズの腕が少し緩くなった隙に、おぼつかない足取りでふらりと一歩離れる。

だが、身体にはまだ温もりが残っている。肩に触れた手や指の感触もまざまざと……。

(…………無理!!)

「っ、フィオナ!?」

そのまま全力で駆けだした。

(なんで!? どうしてジル様が!? 無理、ムリ、むりーっ!)

まさか今日、会うなんて。

こんなのは予想外だ。

ぜんぜん、ちっとも、心の準備ができていない。

おやおや、というリスターの笑い声が聞こえた時には既に会場を出て、長い廊下をひた走りに走っていた。

「フィオナ、待ってくれ!」

(どうして追ってくるのーっ!?)

走るのは得意だ。しかし、ドレスにヒールでは本来の速さを発揮できない。足首にストラップがある靴なのが、せめてもの救いだ。

せめて時間を稼ごうと、目についた角をことごとく曲がり、空き部屋を通り抜ける。

「なぜ逃げる……!?」

(ジル様が! 追って! くるからです!!)

なぜなんて、自分でも分からない。

目の奥が熱くて胸が苦しい。涙が込み上げるのはきっと、走ったからだ。

すっかり人の気配がない界隈に入り込んだところでとうとう追いつかれそうになり、慌てて階段を駆け下りようとしたフィオナの足が、カツンと床に引っかかる。

「!?」

「危ない!」

ぐらりと視界が傾いたフィオナの腹部に腕が回り、強く引かれる。

内臓を押されるような圧迫感と同時に、全身に衝撃が走る――苦しさはあったが痛みはほとんどない。

ただ、ぎゅうと拘束されてくらくらと目が回り、自分のものか分からない心臓の音がやけに大きく聞こえた。

荒れた呼吸が落ち着くより前に、盛大な安堵の息に包まれる。

「間に合っ、た……」

そろりと身じろぎをして顔を上げると、階段の一番上から数段だけ下がったところにフィオナは座り込んでいた。

しかも、ジャイルズに抱きかかえられて、彼の身体の上に半分乗って。

(……なに、これ。どういう)

瞬きをした目に入ったのは、記憶にあるクラバットピンと、伸ばした腕の先で指が白くなるほど強く手摺の子柱を掴んだジャイルズの手。

(落ちるところだった、の)

古い階段は角度が急だ。あのまま転がり落ちていたら、大怪我は免れなかっただろう。首の骨を折っていたかもしれない。

今更ながら危ないところだったと気付いて、そわりと血の気が下がる。

よかった、とため息交じりの声に視線を上げれば、泣きそうに笑うジャイルズがフィオナを一心に見つめていた。

記憶のままの瞳の色に声が出ない。

「今度はフィオナを助けられた」

「……!!」

二年前のあの日、離宮で、伸ばされた指先を掠めて湖に落ちた。

今(・) 度(・) は(・) という言葉にジャイルズの想いが詰まっていて、これ以上ないほどフィオナの胸が締め付けられる。

「怪我はないか? 私も大丈夫だ……やっぱり危なっかしいな、君は」

そう言って、ゆっくりと階段の手摺を離した手が頬に触れる。

小さく震えた指先がフィオナを包み、強くはないが、ほどけない力で顔を向けさせられた。

「追いかけてばかりだ。今も、国を出てからの君のことも。……会いたかった」

自分も会いたかった。そう言いたいのに、次々と零れてくる大粒の涙が喉を塞ぐ。しゃくり上げ、震える肩も全部、ジャイルズの両腕に抱き込まれた。

息が整うに従い、フィオナを抱きしめたまま、これまでのことをぽつぽつと語る。

オルガから居場所を聞いたこと。

フィオナを思ってジャイルズからは連絡を取らなかったが、近況は皆が教えてくれていたこと。

「ロッシュから君の活躍を聞かされる度に、なんとも言えない気持ちになった。君はどこまでも羽ばたいていくから」

違う。

フィオナがジャイルズに追いつきたくて、必死にやってきたのだ。少しでも、同じところにいたくて。近づきたくて。

――時折耳に入る噂は、ジャイルズの功績を讃えるものばかり。

差が縮まることはないとその度に肩を落として、それでもずっと……好きで。

この足で立ちたかった。

一人の人として、自分らしく生きたいと願った。

いつか会えた時に、笑顔でいられるように。

「いくら頑張ってもフィオナには追いつかない」

それはフィオナのほうだ。

ぴったりとくっついたままの胸元で、首を横に振る。

顔が見たくて力のほとんど入らない腕をどうにか突っ張ると、二人の間に空間ができる。

熱を湛えた湖面のようなジャイルズの瞳が、フィオナをまっすぐに見つめていた――まるで目を離したら消えてしまうとでも言いたげな切実さに、また息を呑む。

耳の奥で鼓動が大きく響いた。

「本当は、今のままのほうが君らしくいられるのかもしれない。けれど私は、君と一緒にいたい」

――結婚してほしい。

囁くように、でもしっかりと、その言葉がフィオナに届く。

「……ジル、様」

「ようやく呼んだ」

一瞬、虚をつかれた顔をしたジャイルズが、ふわりと微笑む。その瞳があまりに柔らかく色づくから、またフィオナの両目から涙が落ちる。

「愛している。二年間、想わない日はなかった」

「わ、私……」

「ようやく少し準備が整って、来年から外務の仕事を一部任されることになった。フィオナと共に行きたい」

(……え?)

驚きに丸くなった瞳から、ぽろ、と最後の雫が落ちた。

「あまり領地には帰してあげられなくなるが。クレイバーン男爵からは、君がいいと言えば、と婚姻の許可をもらっている」

「ま、待って。あの、」

「ギャラリーの仕事は続けてくれ。できれば、我が家のコレクション目録の差し替えも頼みたい」

「ジル様っ」

「君の傍にいさせてほしい。この先の一生を、期限を切らずに」

息も、言葉も出なかった。

瞬きだけでなく鼓動も止まったかもしれない。

ガラスに閉じ込められたかのように固まるフィオナの頬を、首を、肩を腕を。

ジャイルズの手のひらが愛おしげに滑り降りて、指先で止まった。

「ミス・フィオナ・クレイバーン。この手を取る許しを」

――そうしようと思えば、フィオナの返事など必要ないのに。

どこまでも相手の意思を認めて、その上で一緒にいたいと求めてくれる。

灰碧の瞳にはフィオナが、琥珀にはジャイルズが。

見つめ合ったまま、フィオナは指先を握る手から自分の手を抜く。

そっと手袋を外した左手に現れた指輪に、ジャイルズの視線が引き寄せられた。

「……はい。一緒に、この先をずっと」

――期限は無しで。

笑顔で言えたと思う。

すぐに口を塞がれてしまったし、階段の裏から急に現れたレジナルドとロッシュに動転したから、その後のことはフィオナはよく覚えていない。

ただ、「また王都の噂になるだろうねえ」と揶揄うように呟く叔父の声を、どこか遠くで聞いたのだった。

END