軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エンカウント

「こんばんは、素敵な夜ですね」

偶然通りかかった風を装って二人の前に姿を現したフィオナは、軽くドレスの裾を摘まんで礼を取った。

不自然に見えないその行為に、ぱっとよそ行きの 表情(かお) に変えたリチャードと、一気に氷の面と化したジャイルズも立ち上がって礼を返す。

「これは可愛らしいご令嬢。楽しんでおられますか?」

「ええ、とても」

(わあ、さすが。さらっと「可愛い」だなんて)

美しかった母に生き写しの妹と違い、父によく似たフィオナの容姿は凡庸だ。

そうはいえ、事実ではなくても称えるのが社交と会話の潤滑油であることは間違いない。

フィオナもそれはよく分かっていて、にこりと微笑んでさりげない言葉を続ける。

「お庭に見惚れていたら、こんなに端まで来てしまいました」

「分かります。私達と一緒ですね」

人あしらいと女性の扱いに慣れているリチャードからは、僅かな厭味すら感じない。淀みない会話も見事なものだと、フィオナは素直に感嘆する。

こういったパーティーでは、紹介する者がいない状態で知らぬ同士が出会うことも多い。

その場合、挨拶を交わすのは礼儀だが、会話を続けられるかどうかは相手次第だ。

女性から逃れて来たらしいジャイルズからは、威圧感と警戒感がビリビリ伝わってくる。

だが、フィオナはそれに気がつかないふりで笑みを深めた。

「あの、実はこちらに」

「ジャイルズ様! こんなところに隠れるなんて、ひどいですわ!」

早速本題を切り出そうとしたその時、高音の笛のような女性の声がその場に響き渡った。

(え、早くないっ?)

まだ距離はあったはずなのに、と目を丸くするフィオナの背後から、明らかにジャイルズたちを探していたと思われる令嬢たちが現れた。

リチャードはおや、と眉を上げ、ジャイルズの能面のような無表情には磨きがかかる。予想通り、歓迎していないらしい。

間に合わなかったと、フィオナが肩を落とした時だった。

「ちょっと貴女、お退きなさい」

「っ!」

ドン、と令嬢たちのうちの誰かに背を押された。事故ではなく、わざとだ。

とっさのことに身を庇えず、ヒールの足がカクンと崩れる。

よろめいた体を受け止めたのはちょうど正面にいたジャイルズで、フィオナの華奢な体はその腕の中にすっぽりと危なげなく収まってしまった。

(!?)

倒れ込んだフィオナの頬にはジャケットの艶やかな生地が当たっている。

細く見えたわりに逞しい腕は支えるように腰に回されていて、すっかり抱き合う恰好だ。

驚いて腕の中で顔を上げると、自分を見下ろす灰碧の瞳と至近距離で視線が絡む。

(う……わ、きれいな顔。ルツェファーナの彫刻みたい)

美術館で見た、大理石の作品を思い起こさせる整った顔だった。

星明かりのように温度のないジャイルズの瞳を見上げたまま、フィオナは瞬きを繰り返す。

うっかり見入ってしまいそうになったが、その瞳の奥に不満が滲んでいるのに気付き、我に返った。

「も、申し訳ありません」

「いえ。大丈夫ですか」

「え?」

先程からジャイルズは、女性が苦手だと再三訴えていた。

だから、こうして接触しているのも嫌なはずで、まさか気遣われるとは思わなかったフィオナはまた驚いた。

(ああ、なるほど。邪険にできないから、余計に言い寄られちゃうんだろうな)

こうして自分をかばったのも、条件反射と紳士教育の賜物だろう。育ちがいいのも良し悪しだ。

「あの、はい。大丈夫で、……ッツ」

よろけた体を立て直そうと足に力を入れると、ツキンと右足首に痛みが走って、一瞬顔をしかめてしまう。

「……なにか?」

「あ、いえ、なんでもありません」

捻ってしまったようだが、ここで正直に怪我をしたなどと言えば、救護室だなんだの流れになってしまう。

今夜の夜会は王子殿下の誕生祝いだ。せっかくの寿ぎの宴を、来城者同士のトラブルによる負傷などでケチをつけたくはない。

鈍く痛む足を悟られないようにフィオナが作り笑いを浮かべたと同時に、先程と同じ金切り声が耳を突いた。

「馴れ馴れしいわね! いつまでそうしているのよっ」

「そんな、押したのは、」

無防備な背中を突き飛ばしたのは向こうだ。

反論しようと振り返れば、数人の令嬢たちが何やら口々に文句を言いながらフィオナを睨みつけている。

(あー、はいはい。私が邪魔なのね)

非を認める気も、話を聞く気もないことが強く伝わってきて、なにを言う気も失せてしまった。

言葉を飲み込んだのをいいことに、令嬢たちはフィオナを改めて押しのけて、ジャイルズとリチャードにどっと詰め寄る。

(はあ……戻ろう)

事前に来襲を教えたかったが、すでに手遅れだ。

これ以上ここにいても無駄と判断したフィオナは軽く息を吐くと、一礼をしてくるりと背を向ける。

誰も自分を見てもいないことは承知だったけれども、礼儀を欠かすのはよろしくない。

「あ、君!」

呼び止めたのはジャイルズか、リチャードか。

足の痛みをこらえて去るフィオナの耳には、令嬢たちの高い声に紛れて届かなかった。

§

戻る途中で、フィオナは庭園の散歩道を向こうから歩いてくる父の姿を見つけた。

手を振れば、こちらに気付いて小走りに近寄ってくる。

「お父様」

「ああフィオナ、行き違わなくて良かったよ。少し早いが、道が混む前に帰ろうかと……おや、足をどうかしたのか?」

「捻っちゃった。やっぱり踵の高い靴は苦手みたい」

夜の庭に見惚れて足元が疎かになった、とフィオナは誤魔化した。そんなに痛くないから大丈夫、とも。

「それならますます早く帰ろう。それにしても、少しは娘らしくなったと思ったのになあ。どうせまたよそ見をしたか、急に走ったかしたんだろう?」

「そんなことしません。ここ、王宮よ」

「違うか、じゃあ木登りか」

「お父様!」

「はは、悪い悪い」

顔立ちが似ている二人は、笑顔が特にそっくりだ。

仲良く言い合う父娘の様子に、通り過ぎる人もほほえましい視線を向ける。

「もう行きましょ。セシリアもきっとまだ起きて待っているわ」

「おお、そうだな」

父の腕を借りて進めば、馬車まではすぐだった。

痛む足首は熱を持ち始めたようだ。座席に座って、フィオナはほうと息を吐く。

(……結局、息抜きにはなったのかな?)

悩みそのものは何一つ解決していない上に、足のケガ。

結果を見れば踏んだり蹴ったりだが、なんとなく胸のあたりが軽くなっていた。一方的にだが「同志」を見つけたのが嬉しかったのかもしれない。

(あんな、二物も三物も与えられたような人でも、悩みがあるなんて)

伯爵家の跡取りで頭脳明晰、容姿端麗。

そんな綺羅星の人を少しだけ身近に感じて、勝手に口角が上がる。

(あきらめるのはまだ早い、か)

タイムリミットまであと半月。だが、 ま(・) だ(・) 半月あるとも言える。

手紙で相談した叔父からの返事も、そろそろ届いていい頃だ。なにかアドバイスが書いてあるかもしれない。

揺れる馬車の小窓にコツンと頭をつけたフィオナに、父男爵が話しかける。

「新しい知り合いはできたかい?」

「知り合い?」

父に訊かれて思い出すのは、先ほどの令嬢たちだ。

まさに獲物を狙うといった言葉がぴったりで、すごい迫力だった。

「う……ん、少し話した人はいたけど。オルガみたいな子は、なかなかいなそう」

フィオナは姿勢を戻すと、仲の良い友人の名を出して苦笑する。

「立派なご令嬢ばかりで、気後れしちゃった」

「おや、そうかい。まあ、ここは王都だからね」

彼女たちと面識はなかったが、自分より家格は上だと思う。ドレスも豪華だったし、振る舞いには自信がみなぎっていた。

一人ずつであれば楚々としているのだろうが、集団になるとちょっと恐ろしい。

(私の周りには、いなかったタイプね)

田舎貴族であるクレイバーン男爵家の交友関係は広くない。

付き合いがあるのは古くからの相手ばかりで、最近は、むしろ爵位のない人達との交流のほうが盛んだ。

フィオナの友人ものんびりというか、マイペースというか――つまり、先程の令嬢たちのように結婚願望が格段に強かったり、上昇志向だったりはしない。

貴族の女性が働いて自立することが一般的でないこの世の中。女の人生は、ほぼ婚姻で決まる。

「家と本人に少しでも有利な結婚を」と幼少の頃から教えられるし、それが幸せになる唯一の方法だと周囲も後押しをする。

だから、育てられた通りに育ったあの令嬢たちの行動は、間違っていない。

でも、とフィオナは思う。

条件で選んだ相手に向ける好意は、あくまで条件に対してのものだ。

きっかけとしてはいいだろうが、それが全てだったら虚しくはないだろうか。

好きという気持ちだけで、全てが回るわけではない。

分かってはいるが、それでもフィオナは、身分や外見といったパッケージだけでなく、その中身を好きになることを大事にしたいと思う。

この点も、目前に迫る婚約に素直に頷けない理由だ。

(だって、お父様とお母様の話をさんざん聞かされて育ったんだもの)

おしどり夫婦として知られ、実際に母を深く愛した父は、周囲に勧められても後添えを娶ることはせず今の歳でも独り身だ。

できれば自分もそんなふうに、心でも繋がる関係を築きたいと思う。

小庭園での令嬢たちは非常に一方的で、ジャイルズの都合や気持ちなど露ほども気にしていないように見えた。

彼が結婚を厭う原因が、そういった積極的なアプローチにあるのならば皮肉なことだ。

――フィオナを抱きとめた腕は安定感があったし、剣の技も見事だという噂も当たっているのだろう。

思い出したとたん、先程の接触がリアルに蘇る。

(……近かった、な)

本当に近かった。

ダンスを踊るよりも近くて、あんな距離で異性に触れることは滅多にない。父を除けば半年前、外国に旅立つ叔父との別れの挨拶の時まで遡る。

布越しに感じた体温まで蘇ってしまい、今更ながらに頬が熱くなる。少し冷やそうと、手を持ち上げた時だった。

「うん?」

袖口に、なにかが引っかかっている。

車内に灯る控えめな明かりの中で、フィオナはレースに絡まる短いチェーンをそっと外した。

(これ、もしかしてあの時……?)

「どうかしたのかい?」

「あ、ううん、なんでもない。でも、ちょっとだけ疲れたかな」

「そうか。着いたら起こしてあげるから、少し眠りなさい」

「そうするね。ありがとう、お父様」

これと似たものを、自分を支えた手首に見た記憶がある。

眠るふりで目を瞑りながら手のひらに握り込んだのは、車窓に広がる夜空と同じ黒色のオニキス――伯爵家の紋章が入ったカフリンクスだった。