軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

クレイバーン家の応接室

「……お話は、よく分かりました」

クレイバーン家の狭くも明るい応接室。男爵と向かい合わせに座り一通りの説明を終えたジャイルズは、返された言葉に小さくほっと息を吐いた。

「事後承諾になってしまった非はこちらに」

「め、滅相もない! ハンスからも話は聞いております。本当に、絵のことになると周りが見えなくなる娘でして……」

ゴードンをやり込めたことに始まり、昨日はルドルフを追いかけ捕まえた。

額縁の中にあった書状を見つけたのは偶然とはいえ、おかげで王位継承を絡めた派閥争いにまで関わってしまった。

とても一男爵令嬢とは思えない諸々の行動である。

恐縮しきりのクレイバーン男爵は、額の汗を拭いてジャイルズに頭を下げた。

「内密に保護していただけるとのことで、ヘイワード侯ご夫妻にも、なんとお礼を申し上げればよいか」

対外的には隠されていた書状云々のことを伏せて、あくまで「フィオナを気に入った侯爵夫人が、話し相手として手元に引き止めている」ということにした。

それは事情を知らない傍から見れば、行儀見習いの一環――フィオナがバンクロフト伯爵家へ嫁ぐための前準備とも取られかねない。

ノーマンとフィオナを結婚させたがっているクレイバーン男爵としては受け入れがたい提案のはずだが、娘の安全を第一に取ったことにジャイルズは胸を撫でおろす。

「彼女のためだけでなく、政治的な都合もあります。くれぐれも文書の件は口外厳禁で」

「もちろん承知しております!」

大きく頷いたクレイバーン男爵は、しかし、長いため息を吐く。

「……異存はあるでしょうが、なにかあってからでは遅い。予防策だと考えてもらえれば」

「いえ、思うところがないとは申せませんが……なにもしてやれないのがつくづく情けなくて……はは、今更ですが」

親なのに、と自嘲を滲ませた物言いに、ジャイルズは片眉を上げる。

乾いた笑いを口の端に載せて、男爵は話を続けた。

「私は、いい父親ではありません」

「そうでしょうか?」

クレイバーン一家の仲が良いことは周知の事実で、フィオナの言動の端々にも現れている。

領主としての手腕は物足りないかもしれないが、父親としては申し分ないはずの男爵の告白は、ジャイルズにとって少なからず意外だった。

「妻や下の娘が病弱だったこともありまして、フィオナのことは昔からハンスに任せっぱなしでした。親らしいことは何ひとつできておりません。妻が亡くなった時も、あの子の寂しさに寄り添ったのは、父の私ではなく義弟でしたし」

覚悟はしていたものの、最愛の伴侶を亡くした喪失感は大きかった。

憔悴した身で領地の舵取りをし、妻と同じところへ向かおうとする 下の娘(セシリア) を気にかけるので精一杯だったと、懺悔のように父男爵は打ち明ける。

「幼い時から聞き分けのいい娘に甘えてばかりきました。そんな負い目もあって、やりたいということには強く反対せずにいたのですが……」

「今回の件で彼女に責はありません。事前に発見できたことに感謝こそすれ、謗ることなど」

「世間はそうは見ないでしょう。表沙汰にしないでいただけることは、本当にありがたく思っております」

「男爵?」

礼を述べつつも、奥歯に物が挟まったような声音が気にかかる。

ジャイルズに視線で促されて、男爵は手の中でさんざん揉まれてすっかり皺が寄ったハンカチで汗を拭いた。

「はねっかえりではありますが、大事な、かけがえのない娘なのです。……あの子には幸せになってもらいたい。亡くなった妻の分も」

眼を一度瞑ると、男爵は意を決したように顔を上げる。

フィオナと同じ色の瞳から向けられた視線を、ジャイルズは躱さず受け止めた。

「ローウェル卿。フィオナには、格上の家に嫁ぐようなことは何一つ教えてございません。釣り合わない関係は次第に歪みを生むでしょう。娘には、そんな苦労をさせたくないのです」

言いにくそうにしながらも娘を思って必死に訴える姿に、ジャイルズは返す言葉を探す。

将来的な二人の仲を認めないと告げられて胸がざわつくが、フィオナとの恋人関係はあくまで芝居だ。

男爵の心配は杞憂でも、それを言うわけにはいかない。

心底憂慮しているのが伝わってくる以上、大丈夫だと簡単に請け合っていいものでもなかった。

「ご、ご無礼をお許しください。卿には僅かな瑕瑾もございません。父親として至らぬ身ではありますが、娘には身の丈に合った幸せを、と」

「……フィオナ嬢は、愛されていますね」

失言を詫びても主旨は曲げない男爵に、初めて気概というものを見たような気がする。

歳こそ下だがジャイルズは格上の貴族だ。そんな自分を相手に、娘のためとはいえここまで言える彼の、どこが父親らしくないというのか。

もし逆の立場だったら、ジャイルズの父は男爵のように息子のことを守ろうとしただろうか――そう問いかけて、考える意味がないと考えを振り払う。

(何を子どもみたいなことを……)

いつも、足りないとばかり言われてきた。

伯爵家の嫡男としての己しか求められずとも、それでいいと割り切っていた。

リチャードを含め周囲だって似たようなものだからと、期待などとっくに捨てていた。

――先だってのパーティーで、娘や孫と再会を果たしたタルボット卿の様子が、ジャイルズの脳裏を過ぎる。

フィオナと関わってからというもの、自分を取り巻くのは実利の関係しか結べない相手ばかりだと実感することが多い。

たとえば両親や、かつての婚約者もそうだ。

特に多忙な父とは用事がなければ顔を合わせもしない。ここに来る前も、業務連絡のように必要事項を伝え合っただけ。

人や物事に対して、疑心ではなく純粋な興味と好奇心を前面に持てるフィオナが羨ましいと思う。貴族的とはいえないが、健やかに育った証だ。

だが同時に、昨晩のことがまざまざと蘇る。

(……他人を信じすぎるのも問題だ)

偽の関係だと明言しているとはいえ、あまりに警戒感のない彼女が危うくて、自分だけが気まずい思いをしているのがもどかしかった。

少しは焦ればいいと仕掛けたのに、壁に追い詰められたフィオナは瞳を揺らしながら拒絶ではなく信頼を口にする。

ジャイルズでなければ部屋に入れなかった、などと言われてはどうしようもない。

――湯上りの柔い髪、滑らかな細い首、いつもと違う甘い石鹸の香り。

去り際の、頬に触れた唇。

夜会で扇情的に肌を見せつけ、身体を押し付けてくる女性たちは不愉快だとしか感じないのに。

「あ、あの、ローウェル卿」

「……失礼」

ぶり返しそうになった動揺を押し隠して黙り込んだジャイルズに慌てる男爵を、軽い咳払いで誤魔化した。

意識を戻せば、目の前にはフィオナがジャイルズと手を組むことになった原因の男爵がいる。

(彼女は結婚や社交で家に縛られることを拒んで、リチャードの提案に乗ったのだ)

空を飛びたいという鳥の羽を折って籠に入れたら、きっと損なってしまうだろう。

「心配はもっともだと理解しています。今は、そうとしか言えませんが」

自分の力で知見と人脈を広められるフィオナからすれば、ジャイルズなど路傍にある石も同じ。

釣り合いというなら、不足があるのは自分のほうだ。

「ま、まことに相済みません」

「文書に関しては、私が中心となって対処することになっています。不安はあるでしょうが、クレイバーン家に累が及ぶことのないよう手を尽くすので任せていただきたい」

「……どうぞ、お願いいたします」

もう一度深く首を垂れた男爵に頷いて見送りを辞退し、ジャイルズは応接室を後にした。

玄関ホールに向かうと、小ぶりなトランクケースを運んでいるハンスが見えた。

フィオナに頼まれた私物だろう。

服を始め必要なものは用意すると伝えてあるが、慣れたペンや仕事用のレターセットなどは手元に欲しいと言っていたと聞いている。

「ハン――、」

「じいや、待って。お姉様にこれも」

呼び掛けようとして、別な方向からの声に遮られる。

タタ、と軽い足音と共に現れたのは、フィオナの妹のセシリアだ。

何度目かに迎えに来た時に一応紹介はされたが、自他共に認める人見知りということもあり、挨拶以上の言葉を交わしてはいない。

フィオナより鮮やかな髪色と瞳は母譲りだという。面立ちは違うが、雰囲気はどこか似通っている姉妹だ。

「セシリア様。こちらをですか?」

「きっと一人で寂しいわ」

セシリアが差し出しているのは、白いウサギのぬいぐるみだ。

目を丸くするハンスに、真剣な顔でさらにぐいと押し付ける。そんなハンスとセシリアの元にもう一人、若い男性が姿を現した。

(ノーマン・ヘイズ。来ていたのか)

クレイバーン家の後継となる予定の幼馴染みの彼は、セシリアの頭にポンと手を置いて優しげな笑顔を向ける。

「セシリア、ハンスが困ってるよ」

「でも」

「寂しいのはフィオナじゃなくて、セシリアでしょう」

「だって……あ、」

頬を朱に染めてノーマンを見上げるセシリアは、ジャイルズに気がついてバツが悪そうにうろたえた。

「あの、じ、じいや。お願いね……!」

それだけ言って、ジャイルズにぎこちなく礼をするとセシリアは奥へと引っ込んでしまう。

年齢の割にしっかりしている妹だとフィオナは言ったが、身内以外には経験値の低さが如実に表れるようだ。

「ローウェル卿。セシリアに代わってお詫びを」

苦笑してセシリアを見送ったノーマンが向き直って、ジャイルズを迎えた。

「いや、構わない。驚かせてしまったようだ」

「そう仰っていただけると……実は、昨晩から少し動揺していまして」

「具合でも?」

ノーマンと視線を交わしたハンスが、話の続きを継いだ。

「いえ。フィオナ様が家に帰らないのは初めてですので、不安なようです」

セシリアの母代わりでもあるフィオナは、病弱な妹を心配してこれまで一度も外泊をしたことがなかったという。

貴族の子は、親といる時間が短いのが普通だ。乳母や教育係に任せきりという家庭も珍しくない。これも、クレイバーンの家の特徴なのだろう。

「ですが、セシリア様も来年は成人です。ちょうどいい機会かもしれません」

セシリアが消えた扉と、渡されたウサギのぬいぐるみを交互に眺めて、ハンスがポツリと言う。

「フィオナ様も来年になれば……この家には、おられないかもしれませんし」

「そうだねえ」

ジャイルズとフィオナの関係はこの二人にも当然秘密だが、裏のない相槌には彼女との絆が見える。

疎外感など思う必要はないはずだが――なんとなく、面白くない。

「……行ってやらないのか?」

セシリアが行った先を軽く示すと、ノーマンはにこりと頷いた。

「そうですね、では失礼します。ハンス、セシリアのことは心配するなってフィオナに伝えて」

「承知しました」

クレイバーンのタウンハウスは広くない。どうやら裏庭にいるらしい二人がなにか言う声が、開いた窓から聞こえてくる。

宥めるようなノーマンの口調は、すぐに気安いものに変わった。

「……私たちも行くか」

「はい」

トランクケースとウサギを抱いたハンスを連れて、ヘイワード侯爵家へと戻ったのだった。