軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

いざ、パーティーへ

左手の薬指にはまる指輪を見て、フィオナはため息をついていた。

滑らかなゴールドフープで、大粒のセンターストーンはカナリーイエローのダイヤモンド。

左右の脇石にはクリアカラーのダイヤがあしらわれており、三石でフィオナの華奢な指はすっかり隠れてしまっている。

昼の光も宵の灯りも受けて煌めく、フィオナの琥珀色の瞳にどこか似た色のこの指輪はジャイルズから贈られたものだ。

――先日訪れた、リチャード氏ご推薦とかいう評判のティールームは細道の先にあり、馬車が入れなかった。

見た目も味も大変満足な昼食のあと。

馬車が停めてあるところまで歩いて戻る途中で、なぜかブティックに寄り、気づけばフィオナの指にこれが着けられていたのだ。

いわゆるハイブランドの老舗で最初に見せられたのは、透明度の高いダイヤモンドを花形にあしらったクラスターリングだった。

それにもフィオナは目を丸くしたが、ジャイルズは気に入らなかったらしい。

なにやら店主に注文をつけて、次に出されたのがこれだった。

フィオナの顔の横に持ち上げて、瞳を覗き込むように比べられて。

なんの因果かサイズもぴったりで、満足そうな頷きひとつでそのままお持ち帰りと相成ったのだ。

人目がある間はなんとか堪えた。馬車に乗り込むと即、どういうことかとジャイルズを問い詰めても、右から左に流されてしまい話にならない。

ドレスを「必要経費」と、いつのまにか全額支払われてしまっていた時の二の舞になるわけにはいかなくて重ねて訴えれば、ジャイルズはあの整った顔でしれっと。

「……契約書代わりだ」

「え?」

「不履行があった時に備えて、それを担保にする」

つまり、ジャイルズが約束を違えた時は、この指輪はそのままフィオナの所有に。

フィオナが違反した場合は、この指輪の代金をジャイルズに支払う。そういうことにするのだと、ジャイルズは言う。

「契約書がないことを気にしていただろう?」

「そ、それはそう、ですけど……」

そこを突かれて反論のしようがなくなってしまった。

バンクロフト伯爵家には、嫡子の伴侶に代々継がれる指輪があるのだという。

まだ納得しきれないでいると、どうしても受け取らないなら由緒あるその指輪を持ってくる、とまで言われてしまい、とうとう降伏したのだった。

さすが、生まれながらに貴族の駆け引きのなかで揉まれてきただけはある。

田舎育ちのフィオナの説得など、赤子の手をひねるよりたやすいだろう。

(それにしたって、やりすぎじゃないかと思うけど)

指輪など宝飾品の贈り物を身に着けることが、二人の関係を印象付けるのに効果的なのは十分理解できる。

だが、これは「本物の」婚約者に渡すような指輪だ。

伯爵家ではこの程度が普通だと言われてしまえばどうしようもないが、少なくともフィオナにとっては普通ではない。

綺麗なものは好きだし、この指輪は文句なしに美しい。だが、眺めるのと身に着けるのは訳が違う。

値段など恐ろしくて聞けないこの指輪を「恋人のフリ」が終わる時までの間とはいえ、預かるだけで冷や汗ものだ。

それに、フィオナの普段のアクセサリーはブローチ程度。指輪など着けたことがなく、石の輝きも重さも、なにもかも落ち着かない。

何度目か分からないため息がこぼれたとき、部屋の扉がノックされた。

「フィオナ様、ローウェル卿がおみえです」

「ありがとう、じいや。今行くわ」

――泣いても笑っても指輪は無くならないし、出番はやって来る。舞台はすぐそこだ。

輝く指輪に目を落とし、深呼吸をする。

(こうなったら、今夜はこの指輪に一番目立ってもらわなくちゃね!)

気持ちを切り替えると、フィオナは部屋を後にした。

バーリー家のパーティーのため迎えに来たジャイルズは、二階から降りてきたフィオナの手に嵌る指輪を目ざとく見つけたようだった。

わざわざ左の手を取って、その指先に口付ける真似をする。

「よく似合っている」

「ありがとうございます。私には豪華すぎますが」

「そんなことはない」

(ラッセル卿の指導はすごいわね。言うことも動作もすっかり板について……)

また卒倒しそうになっている父を目の端に認めて、フィオナはあわてて手を引っ込める。

そんなフィオナに分かっていると言いたげな笑みを浮かべて、ジャイルズは父男爵へと向き合った。

「では、クレイバーン男爵。帰りは少し遅くなるかもしれないが、必ず無事にご息女をお送りするので」

「いってきます、お父様」

「あ、ああ。楽しんでおいで、フィオナ。む、むむ娘をよろしく頼みます、ローウェル卿」

相変わらず挙動不審になってしまう父に安心させるように頷いて、後ろのハンスとセシリアにも目配せをして外へ出た。

日が長い今の時季、夜会に向かう時分でも外はまだ明るい。

すっかり顔見知りになった御者とフットマンに声をかけ馬車へ乗り込むと、ジャイルズは当然のようにフィオナの隣に腰掛けてくる。

「あの、お花もありがとうございます。すごくきれいで、オーナーも感心していました」

「それなら良かった」

忙しいはずのジャイルズが、この一週間でフィオナと出かけなかったのは結局、昨日の一日だけ。

しかも、会えない代わりにと、仕事中のギャラリーに花束が届けられた。微に入り細に入りなリチャードのアドバイスは、完璧にもほどがある。

――触れたり、触れられたり。

手を繋ぐことや、別れ際の手や頬への軽いキスが中心だったが、短期間でさんざん繰り返したおかげか、全身が固まることは大分減った。

まだ多少胸は騒ぐが、なんとか平常心でカバーできる程度にはフィオナも慣れたと思う。

フィオナと違ってジャイルズの場合は最初から恋人のフリが上手だったが、さらに自然味を増した気がする。

今の姿だけを見たら、女性が苦手だとは誰も思わないだろう。

(このままだと「冷徹貴公子」を返上して「第二のラッセル卿」と呼ばれる日も遠くない気がするけど、いいのかなあ)

走りはじめた馬車の中で両貴公子に少々失礼なことを思いつつ、フィオナはドレスのポケットから金色の懐中時計を取り出した。

「ジャイルズ様、こちらを」

「時計?」

ジャイルズは、渡されたハンターケースの懐中時計をしげしげと眺める。

パチリと蓋を開けると、白い文字盤の上で端整な針が時を刻んでいた。

「契約書は、双方で交わすのが決まりです。私だけが持っていては意味がありません。お預かりしたこちらとは、比べ物になりませんけれど」

そう言って、フィオナは軽く手を持ち上げて指輪を見せる。

「私にも家にも、宝飾品はほとんどなくて。これは、私が働いて貯めたお金で、初めて自分用に求めたものです」

男爵家にあった宝石類は、母とセシリアの治療費のためにほとんどを売ってしまっていた。

その事実はフィオナが社交デビューの支度の際に判明したのだが、当然だと思ったし、父を詰る気持ちが湧くはずもない。

セシリアも寝込むことが少なくなって、ここ最近は医者にもさほどかからなくなった。

だがフィオナ自身、着飾ることにはあまり興味がない。

セシリアのデビューの時には買おうと思っていたが、自分は手元にある祖母からの借り物で十分だった。

フィオナの持ち物で契約に値するのは、叔父が描いてくれたベニヒワの絵とこの懐中時計だけ。

そして、絵があるのは王都のタウンハウスではなく領地の館だ。

必然的にこれしかない。

「仕事で行ったオークションで、見つけたのです」

ギャラリーオーナーのロッシュ氏に同行した、絵画のオークションで出会った時計だった。

出品物ではない。買い付け帰りの同業者が「絵と一緒に見つけてきた」といくつかの雑貨を見せてくれて、その中にあったのだった。

「アンティークだな」

「はい。骨董は詳しくないのですが、どうしてか目が離せなくて」

汚れており、中身は壊れて動かない。文字盤もくすんで細い針には錆も浮いていた。

パッと見て分かる由来も刻印もないが、蓋部分のアラベスク模様の彫りは繊細で、しっとりと手に馴染む重さと、雰囲気のある佇まいにどうしようもなく惹かれてしまった。

「大事なものだろう?」

「思い入れはありますね」

顔見知りだったこともあり結構まけてくれたが、それでも無理をして手に入れた品だった。

ジャイルズはなにか言いたげだが、契約書代わりなのだ。どうでもいいものなど渡すわけがない。

「中身はオーバーホールしましたから、ちゃんと使えますよ。領地に腕のいい職人がいるんです」

無口で頑固で偏屈で、弟子もいつかないような強面の時計師だが、腕は確かだ。

その彼に頼んで部品を一から磨き、時間をかけて直してもらったのだ。

汚れを落とせば、愛おしい時を刻んだであろう細かなキズすら美しく見えた。

幸いにも欠けたパーツはなく、ミニッツリピーターまで修復できたのは嬉しい驚きだった。

一度ジャイルズの手から戻してもらい、操作すると、チン、と響きのいい音が時を告げる。

星が降るように車内に満ちる小さな鐘の音に、車軸の音も霞む。

「指輪の対価としては、とても釣り合いませんが。お持ちいただけると、私としても安心です」

「……わかった。預らせてもらう」

ジャイルズは取り出した絹のハンカチに時計を丁寧に包むと、大事そうにジャケットの内側に入れる。

(そ、そこまでしなくても……!?)

フィオナにとって高価だったし気に入りの品とはいえ、ジャイルズならきっともっといいものを普段から使っているだろう。

なんとなく気恥ずかしいが、丁寧に扱ってもらえること自体は嬉しかった。

そうするうちに馬車はバーリー家に到着する。

エントランスに降り立った瞬間から、大勢の目が二人に注がれるのが分かった。

ここ数日で十分に噂の種を蒔けたのだろう。これまで外出先で受けてきたのとは比べ物にならないほど強い視線に、思わず怯みそうになる。

「……人の目って、こんなに力があったんですね」

驚きと興味と、猜疑と嫉妬。

真っすぐ立っていられたのは、役目を果たさなければという責任感と、隣にいるジャイルズのおかげだ。

身分と容姿とで、ジャイルズはずっと注目されてきたはず。

いつもこんなに多くの注目を浴びて平然としていたなんて、フィオナには信じられない。

「フィオナ」

「大丈夫です。少し、緊張しますけど」

注目されているのはフィオナ自身ではなく、あくまで「ジャイルズ・バンクロフトの恋人」だ。

そう自分に言い聞かせたけれど、うまく笑えなかったかもしれない。ジャイルズの腕に置いた指先にも、不自然に力がこもってしまう。

そんなフィオナの頬に、ジャイルズの指が触れる。

周囲が一層騒ついたが気にする余裕もなかった。

「周りは見なくていい。ずっと傍にいるから心配するな」

「っ、は、はい」

触れた手を耳の後ろに滑らせて。フィオナを囲うように軽く屈みこんだジャイルズに、そっと告げられる。

万が一にも芝居に気づかれないように、どうしても声は潜め気味だ。そのため話す距離が近いのはいつものこと。

心臓には優しくないものの、慣らされた距離に心は落ち着いた。

自分だけを見ろというジャイルズの言葉は傲慢にも聞こえるが、今回のパーティー参加の趣旨はあくまで二人の仲を見せつけ、広めるため。

特に、主催のバーリー伯爵の令嬢キャロラインにジャイルズを諦めてもらうのが狙いだ。社交は二の次で間違っていない。

――とはいえ。

(ラッセル卿に会ったら、一体どんなアドバイスをしているのか聞いておかないと……!)

男女交際のエキスパートなリチャードの助言は、頼もしくはある。

だが、これ以上エスカレートされてはたまらない。

抜け目なさそうなリチャードの笑顔を思い出しながら、フィオナは会場へと足を踏み入れたのだった。