軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

近づく距離

そうこうするうちに公園に着き、大きな池の外周に沿って作られた馬車道を周る。

新緑の木々は青く池には水鳥が遊び、散歩にはもってこいの日和だ。

公園には、同じように午前中の憩いを楽しみに来た人々も、馬車も多い。

速度を落として、フィオナたちをまじまじと眺めながら追い抜いていく者もいる。そんな周囲はあえて目に入れないで、ごく自然に楽しんでいる風を装った。

「ところで、小説は参考になったか?」

「そうですね。オルガは……あ、本をくれた友人ですけれど、ドラマティックな物語が好きなのです。主人公は王女殿下だったり、女海賊だったりでしたから、そういう点では参考になりませんでした」

「はは、それはそうだな」

正直に打ち明けると、ジャイルズは軽く笑った。

昨日の今日だが、冷徹貴公子もあくまで一人の人間なのだとフィオナは知った。

だから彼がこういうふうに感情をあらわにしてもそこまで驚かなくなったが、やはり珍しいのではないかと思う。

顔には出さないし、言わないが。

小説の主人公は、どれも自分とかけ離れた身分や立場だった。

緑豊かな田舎領地を駆け回って育ったフィオナには、王宮の陰謀も、荒れた海での戦いもピンとこない。

それでも登場人物の心情には共感することも多く、物語自体も面白かった。

そうして次々と読みふけった結果が、この寝不足である。

「でも、真似できそうなこともありました。どうやら恋人ができると、着るものや髪型が変わるようなのです」

「そうなのか?」

垢ぬけなかった娘が一気に見違えたり、髪を巻いたらお姫様のようになったり。

そんな鮮やかな変身が、多くの本に共通して書かれていた。

正直なところ、そこまで劇的に変わるものだろうか、という疑問はある。

服や髪型で、目鼻の位置や瞳の色が変わるわけはない。

なにを着ていてもどんな髪色でも、美人は美人だ。もとから綺麗な人だったのに、周囲が気づかなかっただけであろう。

だから、自分が服を替えたところで大した違いにはならないと思う。

しかし「バンクロフト伯爵子息の恋人」という仮の姿を演出するためには、意味があるように思えた――つまりは舞台衣装として、だ。

そんなフィオナの話を、ジャイルズは興味深そうに相槌を挟みながら聞く。

「ですので、知り合いのドレスメーカーのところに行こうと……」

「一緒に行こう」

「一人で行けますよ?」

まさかそう言われるとは思っていなかった。

目を丸くしたフィオナに、ジャイルズは淡々と返す。

「リックが言うには、服でも宝石でも、女性の買い物には付き合うものだそうだ。小説では違ったか?」

「ええと……そうですね、一緒だったり……男性が用意する場合も多かった、です。そういえば」

ほら、と頷かれて、同行が決まったらしい。

「明日行く予定にしていましたが、大丈夫ですか?」

「時間は」

それに答えると、ちょうど議会が終わる頃だと言う。示し合わせたようなタイミングで、偶然とは恐ろしい。

拒む理由がなくなってしまい、待ち合わせの場所まで即決されてしまった。まあ、小説とリチャードに倣うのが無難だろうと、半ば無理矢理納得するが……それにしても、だ。

「ラッセル卿は、本当に女性とのお付き合いに詳しいのですね。感心します」

「慣れているとは思っていたが、予想以上で私も改めて驚いたよ。そのリックからは、毎日一緒に行動しろとも言われたが」

「でもジャイルズ様は、議会やほかの社交もおありでしょう」

王都の社交シーズンは、もともと貴族院の議会が行われる期間だ。

今朝はあんなだった父も、会議に出席したり、家で遅くまで草稿をまとめたりしている。パーティーだって本来は議題の根回しや顔つなぎのための場で、仕事の延長である。

父よりも爵位が上のジャイルズなら、なおさら多忙だろう。その邪魔をするつもりはない。

「私のほうが融通が利きますから、なるべく合わせます」

「そうしてもらえると助かるが、いいのか?」

「ええ。私は一人で出来ることが多い仕事ですし」

一緒にやるお芝居なのだから協力して当たり前だと思ったのだが、ジャイルズは少し驚いたようだった。

(私、また変なこと言っちゃった?)

「あ、でも、商談や納品の立会いで、予定を動かせないときもありますけれど」

「いや、十分だ。そこまでしてもらわなくて構わない。君だって大事な仕事をしているのだから」

「……あの、はい。……ありがとうございます」

大事な仕事。ごく自然にそう評されて、フィオナは一瞬言葉に詰まった。

働くこと自体は、父やノーマン、それにハンスも容認してくれている。

だが一般的な貴族感覚としては、身分のある家に生まれた女性が、侍女や 付添人(コンパニオン) 以外で働くことは推奨されていない。

自分の仕事に理解を示し、尊重するような言葉を直接伝えられたのは初めてだった。

(なんだろう。すごく嬉しい)

横顔を見つめすぎたらしい。

フィオナの視線に気づいたジャイルズが、ふ、と目を細めた。

「それこそ、無理はしない、だな」

「……そうですね」

先ほどした約束を引き合いに出されて、自然と顔を見合わせて笑顔になった。

ジャイルズに対して構えていた気分が抜けて、フィオナはほっと息を吐く。

自分たちで決めたことだが、やはり慣れないことで不安もあるし、緊張していたようだ。

そうしてふと改めて周りに目を向けると、賑わう公園の馬車道を行く自分たちは、大注目を浴びていた。

中にはこちらを指さす人までいて、フィオナと視線が合いそうになると慌てて目を逸らす有様だ。

「ほらやっぱり、かなり見られていますよ」

「なるほど。リックの思惑通りのようだ……っと」

ちょうどその時、カタン、と片方の車輪が小石に乗り上げた。

軽く車体が傾いた反動でフィオナの体がジャイルズにさらに近づき、とっさに支えようとした手は固い腿の上に、揺れた頭は手綱を握る肩口にこてんとくっつく。

甘えてしなだれかかるような体勢を目撃した道行く女性たちが、一斉に扇を広げて顔を寄せ合った。

「……わあ、すごい」

「これはまた効果的だな」

感心したように言うジャイルズに、フィオナもこくこくと頷く。この分だと、かなり速いスピードで噂が駆け巡ること間違いなしだ。

今日の午後も議会があるというジャイルズの時間を無駄には出来ない。

周囲を気にするのはやめにして、今後の予定などの打ち合わせを続けることにする。

目下の第一目標は、今週末のバーリー伯爵の屋敷で行われる夜会である。

例の、ジャイルズに懸想している令嬢の家だ。

そこで仲の良さをしっかりと見せつけて、ジャイルズを諦めてもらおうという作戦である。

「私、伯爵家の夜会は初めてなのですが」

「顔ぶれ以外に大した違いはない。ただ、フィオナ。ダンスを踊ることになるが、足の具合は?」

「軽く捻っただけですから、もう大丈夫です。今日までは念のために包帯を巻いていますけれど、明日には外すつもりでいました」

「なら、安心だな」

そうは言ったが、さすがにカドリーユはまだ少し負担かもしれない。

複数のカップルが入れ替わりながら軽やかなステップを踏むダンスは、普段なら好きなのだが――まあ、一曲くらいなら大丈夫だろう。

「ああ、踊るのはワルツだけだから」

「えっ?」

「リールやカドリーユは踊らない」

「そ、そうですか」

まるでフィオナの心を読んだようなジャイルズの言葉に驚き、返答に困る。

パートナーとだけ踊るワルツは、まさに恋人や夫婦のためのダンスだ。ジャイルズは、それしか踊らないと言う。

(でも……そのほうが仲がいいアピールになるし、嘘もバレにくいのか。うん)

周囲の人達との接触が増えればその分、芝居だと見破られる可能性が高くなる。

他人との接触は必要最低限に。さらに、お互いしか目に入らない状態を徹底して維持しろ、というのはこれまたリチャードからの厳命だそうだ。

余計なことを話してしまったりして、ボロが出るのを防ぐためだろう。

フィオナの戸惑った返事を、ジャイルズは別の意味に受け取ったようだ。

「もしかしてワルツは苦手か?」

「一応踊れます。ただ、苦手というほど経験がありません」

フィオナはあまり夜会に参加せず、婚約者を積極的に探してこなかった。それゆえ、これまでにワルツを踊った相手は、父と叔父とノーマンくらいである。

流行りのステップではなく、スタンダードな足型であれば大丈夫だとは思うが、ジャイルズの求めるレベルによってはそれも難しいかもしれない。

その不安を告げると、ダンスのことではなく相手について聞き直された。

「ノーマン?」

「幼なじみです。父たちが決めた婚約相手の」

「……ああ、例の」

「そうです。この前の王宮での祝賀会の時も、彼とは踊りました」

上の空で踊って、足を踏んだのだ。

ノーマンは笑って許してくれたが、かなりしたたかに踏んでしまって悪いことをした。

(え、もしかしてあの王宮の祝賀会って……おととい? 色々ありすぎて、もうずっと前のことみたい)

密度の濃い数日を思い返していると、隣のジャイルズがなにやら難しい顔をしているのに気がついた。

「ジャイルズ様?」

「……フィオナ。これからは彼とも踊らないでくれ。この週末も君にダンスを申し込んでくる奴がいるだろうが、そちらも受けないように」

「でも、私なんかがお断りして、失礼に当たりませんか?」

今までのパーティーではダンスは申し訳程度で、オルガやほかの友達と壁際でお喋りに花を咲かせているのが主だった。

だが、フィオナ・クレイバーンに興味を持つ者はいないだろうが、「ジャイルズ・バンクロフトの恋人」となれば違うだろう。

フィオナとしても面倒ごとは避けたいし、絵の商談ならともかく貴族的な駆け引きは苦手だ。踊らなくていいのなら、それに越したことはない。

しかし、申し込まれて断れるかどうかはまた別の話だ。

「必要な場合は私が相手を選ぶ。そうでなければ、君が踊るのは私とだけだ」

ジャイルズにふざけた様子は一切なくて、フィオナは小さく息を呑む。

なんとなく、独占欲を感じるような言い方で――あるはずがないのに、そんなことを思ってしまった自分がおかしくなる。

「……ふふ、ラッセル卿のアドバイスは徹底していますね」

「いや、これはリックからでは……」

言いかけて、自分でも意外だったというように、ジャイルズはハッとして途中で言葉を止めた。

「今のは、その」

「あ、あの、はい。大丈夫です。ジャイルズ様とだけ、踊りますね」

焦って言い直そうとするジャイルズを今度はフィオナが遮って了承を伝えると、ほっとしたように前を向いて手綱を握り直す。

「……ああ。そうしてくれ」

なんとなくそれきり口を噤んだ二人の周りを、水面を渡った風が過ぎていった。

(恋人のフリって、思ったより大変かも……?)

お芝居のくせに、妙に胸の辺りがムズムズする。

ジャイルズの手元を見つめて、帰宅したら残りの小説も読もうと心に決めたのだった。