軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9.「普通」の歌声(1)

明くる朝、聖鼎杯二日目。

最も神に愛された女性――即ち聖女を決めるこの日、闘技場は昨日以上に盛り上がりを見せていた。

聖女という身分の性質上、候補生たちは派手に武技をぶつけ合うことはしない。

逆に、彼女たちが持つ、生命を癒し育む力を競い合うのである。

その競い合いの内容は回ごとに異なり、あるときは雨雲を最も早く呼べた女性が聖女となったし、あるときはけが人を最も多く回復させた者が聖女と呼ばれた。

聖女の能力の発現方法もまた様々で、ある者は祈り、またある者は舞い、またある者は歌う。

つまり観客からすれば、聖鼎杯の中でも聖女決定戦というのは、神秘的なショーを見物するようなものなのである。

候補生たちもそれを十分理解しており、かつ、観客の応援は、ときに審判たる枢機卿の判断をも左右しうるので、必然、彼女たちは観客の注目を集められるよう、華美に装うようになっていった。

こうしてますます聖女決定戦は、華やかなエンターテインメントの性質を強めていったのである。

その結果、候補生たちが入場する今、静謐を重んじる日頃の学院とは裏腹に、観客席からは大音量の歓声が湧き上がっている。

舞台入り口で順番待ちをしているエルマとイレーネは、しかし、候補生たちの華々しい入場をよそに、ひそひそ声で先ほどから真剣な会話を続けていた。

「よくって、エルマ? もう一度確認よ。今回のあなたのミッションは」

「勝たない、冴えない、目立たない……」

「そうよ。あなたは平々凡々な一留学生。くれぐれも、くれぐれも、ほかの聖女候補生を押しのけて課題を秒でクリアしてしまったり、その他もろもろ目立ったりしないよう、気を付けるのよ?」

「目立たない……」

そう。

昨日の「目立たないお返し」が原因で、かえって開会式で注目を集めてしまったエルマは、ルーカスとイレーネの両名から、

「『目立たない』の定義が間違っている!」

と、こってり絞られたのである。

今朝になってもやまないお説教攻撃に、体調不良も手伝ってか、エルマは心なしか、眼鏡のガラスをしょんぼりと曇らせながら、「最善を尽くします……」と神妙に頷いた。

とそのとき、候補生の少女の一人が、エルマたちにわざとぶつかるようにしながら入場門をくぐる。

とびきり目を引く装いをこらした彼女は、冴えない姿のエルマをじろじろ見つめ、「ふん」と鼻を鳴らすと、意地悪く小声で言い捨てていった。

「みすぼらしい聖女候補だこと。あなたの実力はどうあれ、この聖女戦は、観客からの実質的な人気投票を兼ねているのよ。みじめな思いをする前に、お家に帰って鏡でも見てきたらどう?」

「…………」

後姿を見送るエルマの眼鏡が、ちょっと嬉しそうに輝く。

なにかを期待するかのようにこちらを向いたエルマに、しかしイレーネは素早く言い聞かせた。

「違うから。あれ、フラグじゃないから。『ふん、Bランクめ』の言い換えでもないし、フリでもないから。繰り返すけれど、あなたが読んだ小説は、現実世界ではまったくもって普通ではないものの集合体だから」

「……………………そうなのですか」

至極残念そうな口調だった。

エルマとしては、マルクが貸してくれた小説が「まったくもって普通ではない」と断じられてしまったことが、いまだに腑に落ちないのである。

「……道を歩いていたらうっかり聖剣を引き抜いてしまったくだりとか、微笑むだけで次々と異性が陥落してくるくだりとか、かなりリアリティがあったので、今度こそは大丈夫と思っていたのですが……」

「そういうところよ、エルマ!?」

イレーネはとうとう絶叫したが、元勇者ギルベルトと三国一の娼婦ハイデマリーを父母に持つエルマとしては、こう唸るしかできないのだ。

「本当に……『普通』というのは難しいですよね……」

「青年向け小説なんかに手本を求めるからいけないのよ! この世で人生の指針にしていいのは、ごく一握りの薄い本だけなんだからね? もっと周囲を見回して、一番多数派の動きを真似るとか、一番地味な子を真似るとかすれば解決する話でしょ!」

「なるほど」

やけくそになって叫ばれた内容に、エルマはぽんと手を合わせそうな勢いで頷く。

と、そのときとうとう、エルマたちの出番がやってきた。

入場門をくぐり、粛々と指定された舞台上の持ち場に向かう。

が、冴えない姿のエルマに観客が一斉にブーイングを始めたのを聞き取り、イレーネが眉を顰めた。

「なんなのよ、聖女候補を見守る信徒っていうより、単に女の子を値踏みする男たちの集まりじゃないの。これがアウル教の象徴にして頂点を決める祭典だなんて、信じがたいわ」

「観光立国であるアウレリア国にとって、祭典というのは重要な資源ですから。教義と折り合いを付けざるを得ないのでしょうね」

「こんなの単なる腐敗よ」

吐き捨てるような自らの言葉にふとなにかを思ったのか、イレーネは口を引き結び、一瞬だけ観客席に視線を向ける。

それはまるで、誰かを探すような仕草だった。

普通なら誰にも気づかれないだろう、こっそりとした瞳の動きに、エルマだけが気付いて首を傾げたが、気を取り直すように拳を握ったイレーネが、

「さ、気合いを入れて平凡に徹しましょう!」

と叫んだ瞬間持ち場に着いたので、追及する機会は失われてしまった。

石畳の敷かれた、巨大な闘技場。

円形の舞台に、長方形を描くように等間隔で並ぶのは、ざっと三十名ほどの聖女候補生たちだ。

それぞれ、制服の上からできる限りの装いをこらし、用意された簡易の机と椅子の前に立っている。

入場すらもパフォーマンスの一部と捉えているのか、その立ち姿はまるで舞台女優のようだった。

同系色の衣装を身に付けた侍女を大量に引き連れて、彼女たちに引き立て役をさせている者すらいる。

数少ない例外は、一番端で既定の制服に身を包んだ、眼鏡姿の冴えない少女――つまりエルマと、その隣に位置する、亜麻色の髪の少女――クロエくらいか。

筆頭候補と目されているはずの彼女は、エルマと同じく、なんの変哲もない白い制服をまとい、観客の視線を避けるかのようにそっと目を伏せていた。

地味な子、というイレーネの言葉を反芻しながら、エルマはじっと彼女を見つめた。

「お手本……」

「ねえねえエルマ、言動を真似るならあの子なんていいんじゃない? ちょっと素朴な感じで、田舎臭さもあって、いかにも普通という感じ」

イレーネはと言えば、自分たちから少し離れた列の、いかにも衣装に着られた感じの少女を指さしている。

が、エルマはあくまでクロエに視線を固定したまま、小声でイレーネに問うた。

「口角が下がり、下唇が引き上げられる……感情抑制方向に作用する、緊張の微表情ですね。こういった場で、感情を殺そうとするほどに緊張するのは、普通のことですか?」

「いたって普通よ。三十年に一度の晴れの場で、なんなら一族の期待まで背負って出場している候補だっているはずだもの。緊張しないほうがおかしいでしょ」

「なるほど」

とそのとき、視線の先のクロエが、ちらりと顔を上げて、怯えたような表情を見せた。

彼女の見る先には、派手に着飾った候補生がいる。

先程エルマにぶつかってきた少女だ。

彼女は懐からちらりとなにかを取り出すと、威嚇するようにクロエを見返す。

エルマはことりと首を傾げた。

「時々、周囲――ライバルと思われる人物に対して怯えた視線を走らせるのも普通ですか? なお、ライバルのほうは時々、紙きれのようなものを取り出しては、ご満悦で眺めています。これらも普通のことですか?」

「普通なんじゃない? 紙きれはたぶん、お守りとか護符とかでしょう? この場にあって、圧倒的なライバルたちを前におどおどするのは、気弱系モブにとっていたって一般的な行動よ」

折しも、イレーネが見ていた少女がおどおどと周囲を見回す。そのために、二人は完全に食い違ったまま会話を成立させてしまっていた。

「わかりました。私、彼女をお手本に行動してみようと思います」

「いいと思うわ。でも念のため、全体感を忘れないというか……時々は候補生全体を見回して、多数派の動きに倣うのよ」

「はい」

もはや彼女たちの目標は聖鼎杯優勝などではない。

それよりもはるかに難しい、モブ的行動の体現であった。

「それではこれより、聖鼎杯聖女部門を執り行います。候補生たちは、これより配られる鉢をひとつずつ受け取るように」

枢機卿の一人が闘技場の中央から朗々と宣言し、聖女の部の開始を告げる。

今回進行を務めるのは、小柄な老年の枢機卿だ。

頼りない毛髪をそよがせる彼こそがまた、この度の依頼を寄越した親ルーデン派の主要人物――チェルソ であった。

チェルソは、子犬のようにつぶらな瞳を潤ませ、そっとエルマに頷きかける。

それは訳すならば、「どうか優勝を」という懇願だ。

親ルーデン派の命運を君に託す、とでもいわんばかりの態度で、それに気付いたエルマが逡巡の気配を浮かべたが、そこにもイレーネがすかさず声をかけた。

「なにも優勝するな、とは言っていないわ。あなたの場合、本気で臨むと、きっと聖鼎杯どころじゃない事態に発展してしまう。全力で優勝から遠ざかる努力をして初めて、ちょうど普通の優勝に落ち着く、私たちはそう読んでいるのよ。あなたの行動は、裏切りでも命令違反でもないわ」

「はい」

エルマが静かに頷いたところに、植物の苗が植わった鉢が配られはじめる。

候補生に鉢を渡す用務員の中には、冴えない風貌に身をやつしたルーカスの姿もあった。

彼は視線が合うと、「やりすぎないように」と口の動きだけで伝えてきたので、双方向からの懸念を感じ取ったエルマは、真顔で親指を立ててみせた。

ルーカスたちはかえって不安を煽られた。

「今あなたたちに配られたのは、すべてこの闘技場にも植えられている、我がアウレリア国の国樹、アローロの苗です。ただし、これらの苗は、すべて一部を傷つけられている」

鉢が全員に配られたのを見届けると、チェルソはか細い声で説明を始める。

最後の部分でざわめいた候補生たちに、老年の枢機卿は頷いてみせた。

「そう。今回の課題とは即ち、植物の治癒と、育成。鉢の苗を再生させ、かつ誰よりも大きく育てた者が聖女の冠を戴くこととなります」

治癒と育成は、一見似たような能力に思われるが、その実、前者は破壊されたものを修繕するという「状態を変える」力、後者は対象の持つ性質を発展させるという「状態を強化する」力である。

両者を併せ持つ候補者はまずなく、誰もが完遂に不安を覚えた。

いや、先に苗を再生させねば育成はできないので、育成よりも治癒の能力のほうが有利ということか。

治癒の能力に覚えのある候補生たちが、徐々に落ち着きを取り戻しはじめる。

中には、 育成(・・) の能力が図抜けているクロエに対し、優越感の滲む視線を送る者もあった。

「周囲の反応を見るに、かなり難しい課題のようね……。エルマ、まさかあなた、実は治癒も育成もできる二種の聖力の持ち主、なんてことはないわよね?」

「そもそも聖力を持ち合わせた覚えはございませんね」

「そう。そうよね」

イレーネの声に、わずかな安堵が滲む。

ついでに言えば用務員に扮したルーカスも、「これなら今回は、エルマ無双もあるまい」と、密かに胸を撫でおろした。

緊張。覚悟。優越。不安。

闘技場に佇む候補生たちの間に、緊迫した空気が張り詰める。

「それでは、候補生たちに神のご加護を。聖鼎杯聖女の部――開始」

チェルソの宣言とともに、少女たちが一斉に鉢を手に取った。