軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1.タロット占い

「信じがたい」

噎せ返るような退廃と優雅の気配。

それらが濃厚に立ち込める、薄暗い居室の片隅で、ひとりの老人が声を震わせた。

「ありえぬ。度しがたい。冒涜だ。許されない」

肩を覆うほどの白い髪に、グレーの瞳、聖職者然とした佇まい。

往時には大国ルーデンの宰相まで務めた男――クレメンスである。

監獄送りとなり、すっかりこの異様な空間にも馴染みはじめた彼は、この日、とある書物を片手に握りしめ、身をわななかせていた。

「どうしたのォ、【虚飾】。わからない数字があったら【怠惰】に聞くといいわよ」

「おや、元老害貴族とはいえ、宰相をも務めていた【虚飾】ならば、その程度の帳簿の解読など、造作もないと思っていましたが」

「粉飾でも見つけたのかな、【虚飾】だけに?」

ソファで各々寛ぎながら声を掛けてきたのは、リーゼル、モーガン、ホルストの三名である。

きっ、と音を立てる勢いで振り向いたクレメンスが、

「そのような恥ずかしい二つ名を許した覚えはない!」

と鋭く吠えると、紅茶を啜っていたホルストは、

「許してクレメンスぅ」

と舌を出しながら肩をすくめた。

そう。

妻との一件で、ありとあらゆる見栄と社会的権威を剥ぎ取られたクレメンスは、そんな彼を気に入った監獄の面々によって二つ名を与えられ、ハイデマリーの予言したとおり、すっかり彼らの玩具となっているのである。

虚飾――一時は八つ目の大罪に数えられていたことのある、古き悪徳の名だ。

クレメンスは、「監獄の七人」の補佐のような立ち位置を与えられ、その経験と知識を生かし、獄内の経理を管理していた。

ただし、既に本性が露呈しているにも拘わらず、懸命に元宰相の矜持を守ろうとしている姿をいじられながら、である。

「まったく、 表の(・・) 帳簿を見たときには、多少は数字の読める詐欺師がいるものだと思っておったのに、……なんだ、このふざけた『帳簿』は」

「おや、元宰相殿にお褒めの言葉を頂戴するなど、汗顔の至り。 表(・) のほうでは、『この世の地獄』にふさわしい帳簿を目指していたつもりですが、専門家の目からも違和感はなかったようで?」

「ふん、嫌みなほどに隙のない帳簿だったわ。逆に怪しいほどにな。検めるのが若造の税務官ではなく、私だったら、半年も経たずに踏み込み調査をしている。ここに送り込んだ豚面の看守では、到底管理できないだろう緻密な帳簿である、とな」

吐き捨てるような口調だが、そこには確かに、優れた同業者への称賛のようなものが滲んでいた。

クレメンスはもともと、経理畑出身の宰相。

無能な駒を唾棄するほどに嫌う代わりに、有能な人間には心を許しやすいきらいがあるのだ。

必然、元詐欺師として監獄の経済を掌握していたモーガンとは馬が合うようで、二人は時折、こき下ろし合っているのか褒め合っているのかわからない会話を交わしていた。

モーガンとしてもまた、元貴族という出自は鼻に付くものの、経験に裏打ちされたクレメンスの数字的勘の鋭さについては、一目置いているようだ。

「それほどお褒めいただけるのならば、いったい何に問題が?」

「しらばっくれるな。裏帳簿として渡されたこれ。これはいったいなんなのだ」

クレメンスが再び怒りも露わに掲げてみせたのは、擦りきれた一冊のノートである。

表紙にはやけに堂々と「裏帳簿」の文字と年度が記入され、めくってみれば、ばらばらの筆跡、言語で「10月下旬 晴れ 北1、西3」「南南東に新規 1」など、なんとも解釈に悩む文言が散らばっている。

のみならず、時折紙面には「腹減った」「美髪クリーム (蜂蜜ver)コンセプト設計 5月中」「研磨剤 (箱入り・ベルンシュタイン商会) 前のパッケージのもの」など、明らかに帳簿に記す内容ではない単語までもが現れた。

「これは日記か? 業務メモか? 買い物リストか? だいたい、単位はなんなのだ、これは収入なのか、支出なのか? 支出ならば項目は方角ではなく品名で書け、分類しろ、ルーデン語に統一しろ、旅の宿に置かれた感想ノートではあるまいし、回し書きするな!」

あまりにごもっともな指摘に、一同は肩をすくめる。

と、そのとき――、

「――チェックメイト」

それまで沈黙を守っていた美貌の女性が、甘く密やかな声を上げた。

ゆるく波打つ銀髪に、物憂げな藍色の瞳。

麗しの元娼婦、ハイデマリーだ。

彼女は、いきり立つクレメンスをなにげなくやり過ごすと、目の前で頭を抱えるイザークに向かって、そっと笑みをこぼした。

「もう、【暴食】ったら。そんなにすぐに負けたのでは、つまらなくってよ」

「俺がチェスに、弱いと、知っていて、誘ったのは、そちらのくせに……」

「だって、そういう気分だったのだもの」

悪びれもせずにそう答えると、監獄の女王は、駒の佇む盤面をじっと見つめた。

「――北5、東2。時期は……そうねえ、来月の終わりごろかしら。きっと、とても雨の強い日よ」

「北5、東2、11月末、雨だってさ。ほら、【虚飾】、書いといてよ」

「なんだと?」

会話に取り残されたクレメンスが聞き返すと、ホルストは「だから」と溜息をつく。

彼は、出来の悪い生徒に説明するような口調で、ゆっくりと続けた。

「あなたが『これはいったいなんだ』っていうから、親切にも【色欲】が教えてくれてるんでしょ。裏帳簿に散らばる言葉の意味をさ」

「…………?」

クレメンスは怪訝そうに眉を寄せる。

教えるもなにも、見たところ、ハイデマリーはチェックメイトを決めた駒の位置を、東西南北に置き換えて伝えているだけだ。

いや、それにしては日時やら気候といった、余計な情報も加わっているが、いったいそれがなんだというのか。

「ゲームの記録か?」

「記録っていうか、予言かな」

「なにを――」

クレメンスが追及しようとしたとき、がちゃりと扉が開いて、もう一人の「大罪人」が入ってきた。

がっしりとした体躯に、精悍な顔立ち。

くせのある豊かな黒髪と、深みのある碧い双眸が印象的な、元勇者。

ギルベルトである。

彼はその片方の手に、二通の封書を持っていた。

「朗報だ。以前、フェリクス新王からせしめた示談金――もとい、下賜された慰労金だが、北方の金脈と西方の銀脈で運用していたら、どちらも新たな鉱脈を発掘したそうだ。北方で一つ、西方で三つ、な」

「あ、北1、西3のやつか」

「ご名答」

ギルベルトが静かに唇の端を持ち上げると、一同がひゅーと歓声を上げる。

一番近くにいたリーゼルが、クレメンスからひょいと裏帳簿を取り上げると、「10月下旬 晴れ 北1、西3」と書かれた部分の「下旬」を棒線で消し、「25日」と書き加えた。

「うーん、金の唸る音が聞こえてきそうだわねえ」

ワードローブを一新しようかしら、と嘯くリーゼルの前で、クレメンスは呆然とする。

いったい、これはなんだ。

脳が理解を拒否していると、それをどう受け止めたのか、ホルストが呆れ顔で説明してくれた。

「だからさ、僕たちと、僕たちの大事なお姫様が満足する環境を維持するためには、莫大な費用が必要なわけ。だからこうして、【色欲】の アドバイス(・・・・・) に従って、ときどき資金を運用しているのさ。利率は、ざっと……いくらかな、計算するのがあほらしいくらい。毎日、ばかみたいに金が転がり込んでくる」

記録しようとするそばから増えますしね、と、静かに頷くのはモーガンだ。

そのほか、この場の誰も、そんな大量の金が延々と増え続けることについて、なんの疑問も覚えていないようだった。

「いったい……なにを……」

クレメンスは元宰相だ。

十の支出に対して、一の収入を実現するのがどれほど困難なことかは、身をもって知っている。

それを、「毎日」「ばかみたいに」金が転がり込んでくるなどと。

「歴戦の財務官ですら、資金を五年連続で微増できれば褒章ものだ。それを、利率計算があほらしいくらい、だと……?」

「うん、まあ。【色欲】の言うとおりに金を撒いて来れば、あとは勝手に、ばんばん増えてくるんだもんねえ。なんか把握しがいがないっていうか」

「昔は【暴食】が拳で金脈を掘って、【貪欲】が錬金術で石を金にして、みたいなこともしてたけど、あのときのほうが金儲けの醍醐味はあったわよねえ」

「ねー」

ホルストとリーゼルがのほほんと会話しているが、それすらも耳に入らない。

あまりにありえない事態に、クレメンスはただ、目の前の光景を凝視するしかなかった。

(ありえない、といえば――)

視線はふと、惹きつけられるようにしてある人物へと向かう。

贅を凝らした居室の最奥。

ソファにゆったりと背をもたせかけ、今日もしどけない恰好で、夫となったギルベルトの肩に頬を預ける、麗しの娼婦。

彼女はいったい、何者なのか。

(過ぎた美貌、関心を強制的に惹きつけるような瞳や声。そして……まるで未来や真実を見通すかのような、振舞い)

思えばクレメンスは、初めて彼女に会った時から、そのほっそりとした肢体から滲み出る異様な迫力を感じ取っていたのだ。

それに、彼女が時折発揮する、まるで占い師のような力。

(は……。動揺しすぎだ。真実を見通すなど、本来は聖者に数えられてもおかしくない神聖な力。娼婦に備わっているというのなら、せいぜい人を騙すための、怪しげな術に違いない)

いや――。

ハイデマリーの濡れたような藍色の瞳を見て、ふとクレメンスは思った。

可能性ならもうひとつ。

邪なる力で人間の魂を翻弄する、魔族――。

「どうなさったの、クレメンス?」

まるで心を読んだかのようなタイミングで話しかけられ、クレメンスははっと息を呑んだ。

「わたくしの勘の鋭さに、感動で言葉も出ないかしら?」

「勘……」

「ええ。女ですもの」

異様なほどの能力を、勘の一言で片づける。

クレメンスが何も言えずに立ち尽くしていると、ハイデマリーは繊細な鎖骨を見せつけるように、軽く肩をすくめた。

「そうね。わたくし、占いの類は、少しばかり得意なの」

「『占い』……」

「ええ。いかにも、女らしい遊びでしょう? 殿方には退屈な話題かしら」

むしろ自身が退屈だとでもいうように、彼女は小さなあくびを漏らすと、「失礼」といたずらっぽく微笑んだ。

「チェスにも飽きたわ。このままでは寝てしまいそう。ねえ、クレメンス。わたくしたち、新しいゲームを始めるべきだわ」

「新しいゲーム……?」

「そう」

彼女が頷いた次の瞬間には、その白い手に、カードの束が握られていた。

「タロット、ってご存知かしら」

「今そのカードの束はどこから出てきた!?」

「谷間よ」

ハイデマリーはクレメンスの問いをしれっと受け流すと、返事も待たずにテーブルにカードを広げはじめた。

「そうねえ。あなたはカードゲームは苦手のようだから、競い合うのではなく、占いにしましょう。占うのはなにがいいかしら。あなたの未来? わたくしたちの過去? それとも、愛しいあの子の今現在……」

愚者。

魔術師。

教皇に悪魔、星、太陽。

美しく金彩の施された華美なカードが、次々と並べられてゆく。

古びてはいるが、まるで一枚一枚が高価な絵画のようだ。

王宮の秘蔵品と言われても、なんら違和感はない。

まるで一介の娼婦が国宝並みの宝石を持っているようなものだが、それもまた、この空間では日常茶飯事だ。

ハイデマリーはカードを切り、五枚のカードを選び出すと、十字の形でテーブルに伏せる。

そうして、おもむろに顔を上げると、神聖さすら感じさせる静かな声で問うた。

「さあ。どのカードをめくりましょうか――」