軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

38.エピローグ

「んもう。そんなに落ち込まなくたっていいではないの」

「もういい加減、顔を上げないか。ほら、窓を覗いてみろ、空がきれいだぞ」

イレーネとルーカスは、もう何度目になるかわからぬ慰めの言葉を掛けた。

澄み渡った秋空の下、房を垂れるぶどう畑の合間をうねる、穏やかな農道。

フレンツェル家を辞し、王都へと帰還する、馬車でのことである。

迅速な王命完遂により、収穫祭の休み期間もあと三日ほど残しての、早々の帰還。

本当なら、馬車内の空気は、達成感と解放感に満ち溢れた会話が繰り広げられようものだが、

「――……そうは、仰いましても……」

屋敷を出発してからこちら、どんよりと暗雲を背負ったまま座席に沈み込む人物がいた。

誰あろう、エルマである。

彼女のそんな態度は、実は昨日の収穫祭のときから続いていた。

「ああ、なんて麗しいお姿! 人の領域を超えた(・・・・・・・・) 美しさだわ!」

「いやあそれにしても、この稼ぎっぷり! とても 尋常じゃない(・・・・・・) ぜ!」

「魔蛾を美しい蝶のように変えたのも、あんたなんだって? わあ、それってまさに、聖書に乗りそうな、 百年に一度(・・・・・) の奇跡、偉業じゃないか!」

そう。

祭りの空気とエルマの圧倒的美貌と偉業に興奮したエーリヒたち領民の面々から、ひたすらその「異様さ」を褒められつづけるという、彼女にしてみれば衝撃としか言えない数時間を過ごしたためである。

「い、いえ、そんな、このくらい、べつに『普通』の――」

「かああああっ! 聞いたか、みんな! 天使様のこの謙虚なお心よ!」

「おう、エーリヒ。おまえ本当に天使様に感謝しなきゃいけねえぞ。どうだ、そのたんまり頂いた金で銅像でも建てるってのは」

あげく、すでにワインをしこたま浴びていた領民たちは、ノリでそんなことまで言い出す。

「おう、いいなあ! 俺のぶどう畑の真ん中に建ててやらあよ!」

「あら、それじゃあたしたちが拝みに行くのに不便じゃないの。もっと教会みたいにさ、町の真ん中に建てなきゃ」

「で、そこは当然日々人が集って、領民中の憧れの場所になるわけでしょ?」

「そう、それで、これが決まり文句になるんだ、『今日はエルマエル像の前で待ち合わせね』」

「告白に呼び出す手紙も『エルマエル像の前でお待ちしています』」

「子供がいたずらした時にゃ、『エルマエル様が見てる』!」

口々に妄想を広げ、どっと笑う。

魔蛾の脅威の去ったフレンツェルの人々は、皆陽気で、気さくで、お茶目だった。

その中で、唯一エルマだけが引きつった表情を浮かべていた――。

「……私は、いつの間にあだ名をつけられ、あげく記念像を建てられてしまうほどのことを、しでかしてしまったのかと……」

馬車内でぼそぼそと懺悔するエルマの表情は、どこまでも暗い。

例えるならそれは、夜に書いたポエムを額に飾られ、あげく誰彼構わず披露されるような心持ちなのだろう。

イレーネとルーカスは、さすがに同情の視線を向けた。

「まあ、最終的には殿下が、なんとか建立を防いでくれたから、よかったではないの」

「ああ。既にデボラが起案しケヴィンが審議し、ヨーナス殿が可決しようとしていたところだったから、かなり瀬戸際だったがな」

敵は身内にいたのである。

「その点でも、大変ご迷惑をお掛けしました……」

エルマはますますしょんぼりと視線を俯かせた。

ちなみに彼女は今現在、諸事情によって――具体的には、見送るデボラに「次にお会いするそのときまでわたくしが脳内にエルマ様のご尊顔を寸分の狂いもなく再現できるように、どうぞどうぞそのお顔を目に焼き付けさせてくださいませええええええ!」と縋られた――素顔を晒している。

長い睫毛は白い頬に淡い影を落とし、憂いを帯びた夜明け色の瞳は、得も言われぬ深みをまとって、人の目を引き付ける。

薄く色づいた唇から漏れる吐息は悩ましく、落とした肩ははかなげで、傍にいるだけで見る者の胸が締め付けられそうな哀れさである。

今の彼女が「お情けを」とでも呟こうものなら、大陸の半分くらいの人間が、財布を全開にして駆け寄りそうなほどには、破壊力のある憂い姿であった。

ルーカスとイレーネは小声でささやきを交わし合った。

「――おい、イレーネ。なんとかならんのか。こいつのこういった姿は、先ほどから最上級魔獣なみの苛烈さで、俺の精神に攻撃をかましてくるのだが」

「満面の笑みに比べれば、視界の暴力度も半分程度、とご自身に言い聞かせることですわ」

エルマ被害者の会員同士、ふたりの間にはもはや連帯意識や友情すら漂う。

素早く交わした視線で、「ここは自分が先陣」と理解したイレーネは、ごほんと咳払いをした。

足の角度をずらし、隣に座すエルマの顔を、正面から覗き込む。

それから、おもむろに切り出した。

「ねえ、エルマ。勝手な話だけれど、私はあなたが今回も『普通』にはなれなかったことを、嬉しく思ったりもしているのよ」

「『今回も』…………」

「そこに引っ掛からないでよろしい。事実なんだからしょうがないじゃない。――でもおかげで、あなたはまだ私たちと一緒にいてくれる。そう思うと、嬉しいの」

もやっとしたらしいエルマを容赦なく遮りつつも、イレーネの声は優しい。

あなたは自分にとって大切な友人なのだと、傍にいられることが少なくとも一人の人間を喜ばせているのだと、それが伝わるように、心を込めて彼女は話した。

「『普通』のお墨付きをもらえそうにないのがなによ。ぶっ飛んでいるのがなによ。あなたはいつだって私の自慢の、そして大好きな友人だわ。そんなあなたと、収穫祭の残りも、これからの日々も、一緒に過ごせるのだと思うと、私はとても嬉しい」

「――……イレーネ……」

ストレートな物言いに、エルマはちょっと息を呑んで目を見開く。

「…………」

けれど、しばしの沈黙ののち、拗ねたような表情になって、呟いた。

「……でも私は、収穫祭の間に、 監獄(いえ) に戻りたかったです」

「エルマ……」

素直な反論に、イレーネは言葉を失った。

家族で集い、実りを喜び合う収穫祭。

成人してもいない子どもが家に帰りたがるのは当然のことだと納得すると同時に、片やでは、やはり自分たちではエルマを引き留めるに足らぬ存在なのかと、ちくりと胸が痛む。

「……そんなに、帰りたかったのね」

「それはもう」

相槌にもしっかり頷き返され、痛みはますます強まった。

が。

「イレーネを連れて、家族に紹介したかったのです」

「え……――?」

思いもせぬ続きの言葉に、イレーネは翠の瞳を大きく見開いてしまう。

きょとんとする彼女に、エルマは「『え?』って」と、ちょっと唇を尖らせた。

「イレーネが教えてくれたのではありませんか。収穫祭の日には、家族で集まって一年を振り返ったり、踊ったり、新しいワインの樽を開けたり、あとは親しい友人を紹介しあったりするのだと」

「――…………!」

まさかそれをエルマが覚えていたのだとは思わず、イレーネは絶句した。

そんな友人には気付かぬ様子で、エルマは拗ねた表情のまま、小声で呟いている。

「『市で小物を買って贈り合ったり』というのもしてみたかったのに……結局市で買い物はできませんでしたし、……花冠も、お揃いではありませんでした」

「――…………」

イレーネは、ようやく理解した。

エルマは、かつて自分の説いた「収穫祭かくあるべし」というのを信じて、愚直にそれを実行せんがために、市に行きたがっていたのだ。

花冠を着けて市に出たがっていたわりに、周囲から大量の花冠を捧げられても困惑顔だったのは、そのため。

彼女は単なる花冠が欲しかったのではない。

イレーネと――シャバで初めてできた友人と、お揃いの花冠が欲しかったのだ。

それが、「友情の証」だから。

「……殿下。馬車の行き先、東のほうに変えられませんか?」

なんだか、形容しがたい、めまいのような感覚を抱きながら、イレーネは真顔で挙手した。

「王都には戻らず、残りの収穫祭の数日、我が家で過ごしましょう。里帰りです。ええ、親しい友人を連れた里帰り。上司・職場・国王陛下、誰がなんと言おうとも、誰にも邪魔させるものですか!」

「許可する」

イレーネが裂帛の気合いを込めた提案は、幸いなことに即座に許可された。

「さすがに、今のを聞いてなお王都帰りを強行するほど、野暮ではない」

「え…………?」

戸惑ったのは、エルマのほうである。

ぼやきに夢中になるあまり、すっかり展開に取り残されてしまった彼女は、「ええと、それはつまり……?」と不思議そうに友人を見つめた。

そんなエルマの両手をしっかり握りしめ、イレーネは告げる。

「エルマ。やりましょう、収穫祭。私はしがない男爵家の娘だし、フレンツェルの屋敷ほどの部屋は用意できないけれど、特別親しい友人を寝泊りさせるくらいのことはできるわ」

「…………」

「それで、前に私が言ったこと、全部やるのよ。あなたを親友だと家族に紹介して、それからみんなでこの一年を振り返って、踊って、新しいワインの樽を開けるの。ノイマンの領にだって市は出るわ。そこで小物を買って、プレゼント交換して、お揃いの花冠を付けましょう。よくって? これはもう、決定事項よ!」

鼻息も荒くイレーネが言い切ると、エルマはまん丸に目を見開いた。

そして、

「――…………」

ゆっくりとイレーネの手から逃れると、その両手で、そっと自らの頬を押さえた。

「……私……友人の家に招かれるなんて、初めてです。……うれしい」

その、咲き初めの薔薇のように、淡く紅潮した頬。

夜明け色の瞳は、まるで朝陽が射したかのようにうっすらと赤みを強めて潤み、口の両端にかかった白い掌は、それでも、嬉しくてたまらないというように綻ぶ唇を、完全には隠してはくれなかった。

化粧も眼鏡も取り去ってしまったからこそ見える、彼女の真実の表情。

息が止まるほど可憐で、胸が苦しくなるほどいじらしいその姿に、

「――…………っ!」

イレーネとルーカスの両名は、ばっ! と音を立てて胸を押さえ、その場に蹲った。

「なんていうダイレクトアタック……っ! 私、今、うっかり新たな扉に手を掛けてしまいそうな自分の幻が見えましたわ……!」

「堪えろイレーネ。その扉、開けた先に待つのは魔境だ……! くそ、俺もこの場で常識圏外生命体を抱きしめてしまうところだった」

仲良く馬車の座席に崩れ落ちる二人に、エルマは怪訝そうに眉を寄せる。

「……いったい、それはなんのポーズですか?」

「なんのポーズだと思うか、あなたも、自分の胸に手を当てて、よーく考えてごらんなさいよ……っ!」

イレーネが八つ当たり気味に言い返すと、エルマはますます不思議そうに小首を傾げ、「これもなにか、一般的な仕草なのですか?」と、素直に自分の胸に手を当てた。

穏やかな農道、質素ながら快適に整えられた馬車は、秋の日差しを浴びながらのんびりと王都を目指す。

心地よい座席には、胸に手を当てた――というか、押さえ込んだ男女が三人。

特になにが起こるわけではないのに、いつまでも蹲っている相手を、エルマは困惑して見つめた。

やがて、ひとり腕を外し、ぽつんと呟く。

「……本当に、シャバの『普通』というのは、難しいですね」

目の前に広がる道とは裏腹に、彼女の『普通』を目指す道のりは、未だ険しいようであった。