軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

32.シャバの「愛」はもどかしい(2)

ゴ……ッ!

途端に、とても袋が立てたのだとは思われない、鈍器的な音が轟く。

「なんだこれ!?」

ぎょっとしたエーリヒに、エルマは粛々と頷いた。

「金貨です。貨幣がかさばっていたので、まずは一番高額かつ、持ち運びやすいものからお渡しさせていただきました」

「金貨なの!? これ全部金貨が入ってんの!?」

「はい。ちなみに銅貨は少々場所を取っていてですね――」

エルマは薄暗い舞台裏から「よいしょ」となにかを引きずってくる。

――ズ……ズズ……ッ

そんな、陸揚げされた巨大生物が引きずられるがごとき重低音を響かせながら、彼女は小首を傾げた。

「これがあと五袋あるのですが、夜の部まで終了してから、まとめてのお渡しでよいでしょうか」

「――――!?」

象が一頭収まりそうな巨大な袋を見て、エーリヒはいよいよ卒倒しそうになった。

これだけ大量の貨幣など、造幣局の役人くらいでないとお目にかかったことがないはずだ。

おそらく、家が建つ。

いや、フレンツェルの物価水準に照らせば、教会や城だって建てられる。

ぶどう作りに関しては強い矜持を持つとはいえ、基本的に小市民でしかないエーリヒは、理解の範疇を超えた事態に、もはやリアクションを忘れた。

が、一周回って平静に見えるその驚愕は、エルマには純粋な無感動として受け止められたらしい。

彼女はなぜだか誇らしげな顔になると――というか実際には、眼鏡が誇らしげに光っただけだが――、傍らで同じく固まっているルーカスやイレーネにちらっと視線を向けた。

「――どうでしょう、お二方?」

「…………は?」

なにについて水を向けられているのか、二人にはさっぱりわからない。

怪訝な顔で問い返すと、エルマはもじもじとも、そわそわともつかない様子になって、「ですから」と付け加えた。

「まず、今回ですね、私、勇者のように猛々しく魔蟲を引きちぎるでもなく、魔術師のように凄まじい火を放つでもなく、声を使って関心を逸らすという、ごくごく一般的な方法で魔蛾を追い払ったじゃないですか」

「…………」

ちょっとなにを言っているのかよくわからない。

超音波を発生させることを「ごくごく一般的」と言っている時点で、既に常識の埒外の発言だったが、ふたりはひとまず突っ込みを堪えて、静聴の構えを見せた。

「かつ、『復讐からはなにも生まれない。傷つけられたら、それ以上に幸せになってやろう!』という、昨今の物語における王道的価値観に則って行動してみせたわけですよね?」

「…………」

まさかそれは、「補償なんかで満足せずに、がんがん魔蛾を搾取して稼いでやろうぜ!」という姿勢のことを指しているのであろうか。

エルマがなにを言わんとしているのかを察しはじめた二人は、次第に目の焦点を遠くへと逸らしていった。

「かつ……かつですよ。その『幸せになる』というのが、定量的にどの程度の状態を指すのかが最も悩ましかったのですが、エーリヒ様の反応を見るに、今回私は、特に反応するに値しない――すなわち、多すぎもせず、少なすぎもしない額を稼ぐということに見事成功したようです。これはつまり、『例のあの状態』を、私がすっかり身に付けたということの証左なのではないでしょうか」

「……おまえは……っ、たかだか三回のショーで、下手をすればフレンツェル領の年間税収にも匹敵する額を稼ぎ出したことについて、なんら違和感を覚えないのか……!?」

やめよう、突っ込むのは本当にやめよう、と思いながらも、面倒見のいいルーカスはついそう叫んでしまう。

するとエルマは、きょとんと首を傾げた。

「え……? だって普通、女性がひとたび歌えば国宝並みの宝石が捧げられ、ひとたび舞台に立てば複数の国から王冠を捧げられるものでしょう?」

「どこの神話界にお住まいの舞姫の話をしているんだおまえは!?」

ただの監獄内にお住まいの娼婦の話である。

ルーカスは全力で問い質したが、よもや母の教えが偏っているなどとは思わぬエルマは、くいと眼鏡のブリッジを持ち上げた。

「…………? そんなに驚かれることでしょうか。外科手術によるのではなく、あくまで手技によって女性を美しくし、魔族のように瞳で幻惑するのではなく、あくまで超音波という物理的手段によって魔蛾を使役し、それらを披露することで、あくまで適正な額を頂く」

そうして、大層嬉しそうに言い切った。

「これくらいなら、さすがに――『普通』ですよね?」

と。

「…………」

「…………」

自領の税収額をあっさりと半日で稼がれてしまったフレンツェル一家は、さすがにデボラたちも含めて瞬間で白い灰と化す。

エーリヒは硬直をキープし、イレーネはただ無言で視線を逸らした。

あ、あそこの露店の売り子、誘い受けっぽいな。

そしてルーカスと言えば――

「――……いや……、あの、だな……」

エルマにじっと見上げられて、静かに冷や汗を浮かべていた。

彼は幾多の女性たちとの、きわどい駆け引きすら平然とこなしてきた男だ。

居丈高なわがままも、あざとい媚びも、すいと躱すのは朝飯前のはずだった。

が、

(なんて無邪気に見上げてくるんだ、こいつは……!)

目の前の少女の、あまりのあどけなさというか、いじらしさに、返す言葉を失ってしまった。

だって、わかるのだ。

彼女は本気でそう思っているのだと。

間違いなく「普通だ」との 褒め言葉(・・・・) をもらえると信じて、むしろ必死さすらにじませて、眼鏡の奥から真剣にこちらを見つめているのだと。

例えるならそれは、ネズミの死骸を差し出して「プレゼントだよ! 褒めて?」と小首を傾げる子猫を前にしたような心持ちだ。

恐ろしく愛らしいのだが……いやだが「ねえわ!」と突っ込むべき場面であり……いやしかし凄まじく愛らしい。

ルーカスはふと、自分の脳のどこかが、ぐらりと音を立てて揺らぎはじめたのを感じた。

もう、いいのではないか。

これだけ「普通」を求めているのだから、そして、それほどまでにお墨付きをもらって家に帰りたがっているのだから、その願いを叶えてやるくらい。

ひたむきで、必死で、いとけない彼女の目標は、その根底にある「帰りたい」という願いを知ってしまえば、むしろ哀れだ。

しかも、彼女の実家は、目と鼻の先の距離にある。

十五の少女が、課題をこなして家に戻りたいと願っているのだから、それを叶えてやるくらい――

ルーカスが、つい好意と同情と誘惑とに負けて、無意識にエルマへと指を伸ばしてしまったそのとき、

「――まぁったく! なに言ってんだか!」

ひときわ大きな声が、彼の耳朶を打った。