軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11.「普通」のお手入れ(7)

動揺する周囲をよそに、デボラはふっと全身の力を抜き、寝台の上で大きく両腕を広げた。

(感じる……! わたくし、今、……宇宙を感じている……!)

人間の身体を構築せし小宇宙。

幾千の命を内包したそれが、創造と破壊を繰り返しながら大いなる宇宙と融合する様を思う。

デボラはうっとりと目を閉じながら、深遠で広大な宇宙の根本原理の片隅で、静寂と死と真実とを思った。

(ああ! 炸裂する光、衝突する生命。大いなる宇宙を吹き渡る真実の息吹と鼎たる肉体で唸りを上げときに澱み発露を求めて動きさまよう哀しくも愛おしい衝動の輝きが意識の外殻より立ち現れてトリ・ドーシャの円環を回しながらアーユスのサットヴァを目指してあmしょうyskwplpwjなcsぴskl)

もはやその先は言葉にならなかった。

言葉を失ったのは周囲も同様である。

突然恍惚の表情を浮かべ、次に絶叫し、かと思いきや鳥のように寝台から飛び立とうとしたデボラを前に、とうとう侍女たちが硬直の呪縛を逃れ、一斉に腰を上げる。

彼女たちの傲慢な主人は、寝台で大きくもんどり打った結果、床に叩きつけられ、視界から掻き消えた。

彼女たちは慌てて寝台に向かって身を乗り出したが――

「――…………ど……っ」

やがてむくりとその場に起き上がった「主人」の姿を見て、全員が全員、ぴたりと声を揃えて絶叫する羽目になった。

「どちら様ですかああああああっ!?」

なぜならば、そこには、小太りの不健康そうな女ではなく――ほっそりとした、健康的な肌色の、つぶらな瞳が愛らしい伯爵令嬢がいたのだから。

ルーカスもまた愕然としていたが、目の前の人物が妙齢の女性であることを思い出し、ひとまずくるりと壁を向く。

彼の背後では、しどけない下着姿の美少女が、ふわふわとした目つきで視線をさまよわせていた。

「わ……わたくしは……?」

夢うつつのまま、周囲を見回す目には、もはや隈のかけらもない。

パサついていたはずの藁色の髪は、収穫期の畑を思わせる艶やかな小麦色を呈し、たるんでいたはずの身体は、理想的と言える細さで女性らしい曲線を描いていた。

しかも――まるで全身の余分な肉を胸に集めたかのように、暴力的にバストアップしている。

エルマがすちゃっと差し出した鏡を見て、デボラは大きく目を見開いた。

奇跡の光景を見たように、鏡の中の自分と、己の頬に何度も触れ、彼女は泣きそうになりながら、エルマを振り返った。

「信じられない……! あなた、いったいなにをしたの……!?」

肌の色が違う。

髪の艶が異なる。

それだけならまだしも、もはや体のラインが別人のものだった。

エルマは怪訝そうに首を傾げた。

「ただ代謝を高め、脂肪に言うことを聞かせただけですが」

「なにそれ――――!」

その瞬間、デボラもイレーネも侍女たちも、ついでに壁を向いたルーカスまでも、完璧に心をひとつにして叫んだ。

脂肪と意思疎通できるのかよ! と。

脂肪をテイムせし者――エルマは、しかしその異常さなど全く気付かぬ様子である。

ただ彼女はとっくりとデボラを検分するように見渡し、満足げに頷くと、静かに問うた。

「いかがでしょうか、デボラ様。今のあなた様は、ずいぶんとお美しいと思いませんか」

「え…………」

文脈を掴みそこねたデボラは、戸惑いながら反射的に鏡を覗き込む。

そこには、太陽と称された母親の面影を確かに感じさせる、愛らしい少女が映り込んでいた。ついでに、たわわな二つの膨らみも。

「美しいわ……とても、とても……」

これが自分だなんて、未だに信じられない。

「ねえ、あなたは聖医導師か、さもなければ魔術師かなにかなの? 醜かったわたくしを欠片も残さず、こんなふうに変身させてしまうなんて――」

「いいえ、デボラ様」

何度も感嘆の溜息を漏らし、崇拝の色すら浮かべはじめてデボラが呟くと、エルマがそれを遮った。

「私は単にあなた様の代謝を高め、お肉に、本来あるべき位置へと移動願っただけ。これがあなた様の、もともとの姿でございます」

「もともと……」

「今一度問います。ご自身は瘴弱――つまり、魔に弱い体質のせいで不美人なのであり、かつ不美人は美人に嫌がらせを仕掛けても当然。だからデボラ様のイレーネに対する嫌がらせは、許されるべき。……はたしてそれは、真実でしょうか?」

その問いかけに、はっとする。

顔を上げ、じっと眼鏡姿の侍女を見つめながら、デボラは震える声で答えた。

「いいえ……」

いいえ。

だって、今の自分は醜女などではない。

瘴弱であっても、こんなにも美しくなれる――いや、本来ならばこの姿でいられたはずだったのだ。

今ならわかる。

デボラが醜かったのは、瘴気に身体を荒らされたからではなく、それを言い訳に屋敷に閉じこもり、不摂生な生活を続けたからだ。

その証拠に、ごく微量の瘴気をまとう虫くらいならば、口に入れてもなんの問題もないほどだった。

「わたくしが……わたくしが、悪かったのだわ……」

この少女はデボラの主張を根底から覆すと言っていた。

実際その通りになった。

主張どころか、凝り固まっていた価値観を根底から覆されてしまった。

思い込みも、とげとげしい態度も溶かし消してしまったデボラは、だからすとんと、自分でも驚くほど素直に謝ることができた。

「ごめんなさい。わたくしが……悪かったわ」

自身の非を認める言葉は、なぜだか自身の中でうわんと響いて、心の中で整理が付いていなかった物事たちを、たちどころに一本の線につないでしまう。

デボラは、自分が、これまでずっと傷ついていたのだということを、ようやく理解した。

「わたくし……拗ねてしまっていたのよ。ずっと、……魔蛾の鱗粉に触れて倒れたあの日から、ずっと」

屋敷に引きこもるきっかけとなった、ぶどう畑での魔蛾との接触。

あの日彼女がそこに赴いたのは、実は彼女なりの正義感を燃やしていたからだったのだ。

領主の娘として、領地であるぶどう畑を見て回ろうと。その数日前に亡くなってしまった母の遺志を継ぎ、自分こそが、頼れる次期女主人として、畑をしっかり把握しようと。

なのに、倒れてしまった。

肌は爛れ、全身が浮腫んだ。

そのとき、彼女は思ったのだ。

自分は領地のためによいことをしようとしたのに、なんてひどい。

不幸だ。ああ、まったくもって、不幸だ――と。

「自分で自分を憐れんで……以降どんどん身体が太っていっても、肌が荒れていっても、原因の根底にはあの日の出来事があるように思えていて……。わたくしは領地のためを思ってこの身を傷つけたのよ、哀れな女なのよ。なのにどうして、誰もわたくしを褒めて、労わってくれないのと……そう思っていて」

けれど、そうではなかった。

デボラが己の身体を損ねたのは、自分自身のせいだった。

そう思うと、羞恥で顔から火が出るかのようだった。

「わたくし……わたくし、……どうか、許して……。イレーネ嬢も……これまで八つ当たりしてきた、みんなも」

許しを請う声は、蚊が鳴くかのよう。

俯いてデボラが呟くと、イレーネと、それまでデボラと距離を取っていた侍女たちは、ちらりと視線を交わし合った。

それから、こほんと咳払いをして、各々、彼女に向かって穏やかに礼を取った。

「――もちろんですとも」

それが、彼女たちの和解の合図だった。

身も心もすっかり浄化されたデボラは、その返答に嬉しそうに頬を染める。

そこには、高慢で醜かった女の面影はない。ただただ、いじらしく愛らしい少女の姿があるだけだった。

デボラが侍女たちと歩み寄り、甲斐甲斐しくドレスを着せてもらっているその傍らで、どんよりと死んだ魚のような目をしてエルマに話しかける者があった。

「――おい、エルマ」

今朝まではたしかにデボラに執着されて閉口していた、しかし今となっては完全に存在を忘れられてしまったルーカスである。

「おまえ……何をやらかしてくれたんだ……」

「え?」

暗雲を背負ったルーカスをよそに、エルマは怪訝そうに、ことりと首を傾げる。

眼鏡でよく見えないが、きっと心底不思議そうな目をしているのだろうなと、ルーカスは思った。

「なにとおっしゃられましても……お手入れを施し、デボラ様にきれいになっていただくことで、ひがみ由来の苛立たしい諸言動を改めていただいただけですが」

「いやおまえ……」

はっきり言って「きれいになる」の次元を超えすぎているだろう。

おまえは手入れで人のチャクラを開くのか。体型や容姿を一変させるのか。

というかまがりなりにも伯爵令嬢の言動をはっきり「苛立たしい」と表現してしまうのか。

あまりに多くの突っ込みが一斉にあふれ出し、かえって言葉に詰まる。

唇を引き攣らせたルーカスに、エルマはふと顔を上げると、きらりと眼鏡を光らせた。

「ところで、いかがでしょうか、殿下」

「は?」

なぜか彼女は、ものすごく誇らしげな様子であった。

エルマはまっすぐにルーカスを見上げ、心なしか弾んだ口調で告げた。

「今回私は、客観的に見て理不尽な状況できちんと腹が立ちましたし、法的にも倫理的にも、まったく人の道を踏み外すことなく、相手から謝意を引き出すことに成功しました。これはつまり、例のあの言葉でもって、評されるべき状況なのではないでしょうか」

「…………」

彼女はもしや、人ひとりを魔改造し、精神を根底から作り変え、痩身美容術に革命を起こしておきながら、未だに人の道を踏み外していないとでも思っているのだろうか。

ルーカスは嫌な予感を覚えながら、努めて冷静な声で、エルマに指摘した。

「……その、だな、エルマ。おまえがなにかしらデボラ嬢の言動で腹を立てたのだとして、被害がこの程度に収まったのは奇跡的と言えるし、法的にも倫理的にも、おまえの行動に、たしかに問題はなかったかもしれない。だが、いいか。エルマ、普通、人間は手で揉んだだけで、人の容貌や性格を根底から改造してしまうことなど――」

「そうそう、そこなのですよね。メスを入れて整形したり、脂肪吸引をすればもっと効果的かつ短時間で事が済んだはずなのですが、この場面で観血的手術を披露するのは『普通』ではないかと思って、やめました」

「は?」

エルマの主張が理解できないのは、なにもルーカスが愚かだからではないはずだ。

愕然とするルーカスに、

「手を血に染めず、あくまで言語的および身体的対話によって和解を得る――」

エルマは誇らしげに眼鏡のブリッジを押し上げて問うた。

「さすがにこれならば、『普通』ですよね?」

空間が凍りつく。

なんとも言い難い沈黙が、二人の間に広がった。

まるで犬が尻尾を振るかのように、一心にこちらを見上げるその姿。

きらきらと瞳――いや、物理的には眼鏡のレンズ――を輝かせ、 「普通」の評価(褒め言葉) を期待する様は、いっそいじらしくもあるのだが――

ルーカスは、覚悟を決めて息を吐きだした。

「エルマ……おまえ……」

絆されそうになってしまう自分をぐっと戒め、低く告げる。

彼の視線の先――エルマの背後には、とても見逃せない現象が起こっていたからだ。

驚きの手技で、人ひとりをダイナミックに変身させてしまったことそれ自体も、もちろん驚きではあるが――

「普通、和解させた相手というのは、神を見上げるような狂信的な色を浮かべて、こちらに祈ってきたりしないと思うぞ」

高慢で不細工だったはずの、現・清純系美少女伯爵令嬢は、両手を組んで跪き、「感謝申し上げますわ、エルマ様ぁ……」と、うっとりこちらを見上げていた。