軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

23.「普通」のダンス(4)

情報や条件を緻密に組み合わせ、事前に完璧な筋書きを作り上げる。

それがクレメンスの強みだ。

だが言い換えればそれは、想定を超える出来事が起こると、とたんに心の均衡を失うという弱みでもある。

今、彼は、目の前の光景を強張った表情で見守っていた。

(なにが起こっているんだ……)

視線の先、人々が円形に取り囲むそこは、ダンスフロアである。

巨大なシャンデリアと鏡に彩られた舞踏会場では、使用人たちも加わった今、大勢の紳士淑女が入り乱れてワルツを披露しているはずであった。

が、

「ああ、見て……! なんて美しいターン!」

「そして滑らかなスイング……。動きそれ自体が音楽のようだ……!」

実際には、踊っているのはたった一組――ルーカスと、謎の少女しかいない。

当初踊っていた者たちは、二人のダンスのあまりの美しさに圧倒され、次々と会場を退いてしまったのだ。

滴るような赤いドレスを身に着けた美少女は、濃紺の騎士服をまとったルーカスにリードされながら、指の先まで繊細にワルツを踊る。

絡み合う視線、ときどき寄せられる頬、切なげに腕を滑る指先に交差する脚。

そのすべてがどきりとするような色香に溢れていて、女性を工作の駒としか考えていないクレメンスでさえ、注視せずにはいられないほどだった。

(これはまるで、物語だ……。そう、たとえば、美貌の娼婦と清廉な騎士が織りなす、胸を引き裂かれるような悲恋と、そして再会の物語……)

そう。きっと舞台は、引っかき傷のような三日月が浮かぶ青褪めた夜。

身分の差と悪意ある運命によって引き離された美しき娼婦が、夜露に濡れた草木に足を取られてその場に崩れ落ちる。

響く嗚咽、こぼれ落ちる涙。しかしそこにそっと差し伸べられる手。

細い肩をわななかせ、見上げた先には、甘い瞳をした精悍な青年。

呆然とする娼婦の手の甲にキスを落としながら、彼は熱に浮かされた表情のまま囁く。

恋の翼に、乗ってきました――

(――って、ちがうわ!)

クレメンスは近くの壁に頭を叩きつけたい衝動に駆られた。

妄想の翼を広げている場合ではない。

自分の計画が大幅に狂おうとしている、これは緊急事態なのだ。

当初の予定では、この円舞曲が一段落した後に、フェリクスが注ぎ分けた盟約のワインを配って回り、乾杯する――つまり、そこでルーカスの毒殺はなされるはずだった。

ということは、このワルツの間に、「フェリクス自らがワインを取り出し、開栓し、注ぎ分けている」現場を、多くの者たちに印象付けておかねばならない。

だというのに、この場にいる者たちは、全員が全員フェリクスではなく、ルーカスと少女の二人に熱視線を送っているではないか。

せっかく、美しいと評判の娘をフェリクスの周囲に配置しているにもかかわらず、である。

(いや、目撃情報は後からでも工作できる。最大の問題は、タイミングだ)

目立ちたがりの異国の音楽家には、クレメンスが鼻を擦ったら「トリルの準備をせよ」のサイン、そして耳に触れたら「トリルを弾け」の合図だと打ち合わせてある。

それに合わせて「至高のトリル」が披露され、それを聞き取った給仕係――クレメンスが弱みを握った下男――が、毒針を仕込んだ靴でルーカスの足を踏む、という流れなのだ。

これであれば、クレメンスはルーカスたちと距離を置いていても、彼が盟約のワインを口にしたタイミングで毒殺を決行させることができる。

――が。

(おい! ヨーラン・スヴァルド! こちらを見ぬか!)

先ほどからしきりに鼻を擦ってみせているというのに、ヨーランがいっこうにこちらに気付かないのである。

どうやら孤高の音楽家は、依頼主のことなどすっかり忘れて、この美貌の少女にくぎ付けになってしまっているようであった。

(なるほどたしかに、この娘のダンスには人を惹きつけるなにかがある。テンポを髪一筋も外さないステップ。旋律のニュアンスを余すことなく表す表情。そう……いわば、音楽そのものを体現したダンス、彼の音楽を舞踏へと転じるミューズ――って、だからそうではなく!)

ヨーランが夢中になってしまった理由を解説している場合ではない。

クレメンスは必死になって鼻を擦った。

(ヨーラン・スヴァルド! 気付け! おい!)

「いやあ。なんて美しい子だろうねえ」

とそこに、背後から間延びした口調で話しかけてくる者がある。

ぎょっとして振り向けば、それは夜会用の華やかなチュニックに身を包んだ青年――フェリクス王子であった。

「ああいうきれいな子こそ、僕の傍にって言ったのにさあ。集めてくれた子たち、みんな話もつまらないし、ついでに言うと香水もきつすぎるよ。クレメンス。君の今回の仕事ぶりはイマイチだったね?」

あはは、失敗、失敗。

そんな風に笑いながら、フェリクスはどぼどぼと手持ちのグラスにワインを注ぐ。

見れば、それこそ古めかしいラベルの貼られた年代物のボトル――盟約の杯に使うはずのワインであった。

(こいつ……いつの間に開栓しおった!)

神経を逆なでするような発言も許しがたいが、打ち合わせていた進行を無視して、早々にワインを注ぎはじめているフェリクスに、クレメンスは激高しそうになった。

ワインの開栓は曲が終わってから。

盟約の儀に移行してから行われるべきものだ。

だがフェリクスはそれらの常識にまったく頓着する様子もなく、貴重なワインを水でも汲むように注ぎ込む。

そうして、クレメンスを見てへらっと笑った。

「踊ると喉が渇くだろうからさあ。ちょうどこれを差し入れてあげようと思って。そこから、あの子を口説いてみよっかなって。あの娘、エルマって言うんだって。最近ちょっと噂だよね。知ってた?」

「……いえ、お恥ずかしながらここ最近、ずっと式の準備にかかりきりでしたので。……グラスですが、身分がありますから、弟君に先にお渡しくださいね」

ぎりぎりと歯ぎしりしそうになるのをこらえて、なんとかクレメンスは告げた。

ひとまずフェリクスがルーカスにワインを飲ませさえすれば、当初の予定通りだ。

だが、いよいよタイミングが差し迫っている。

クレメンスはさりげなさを装いながら、必死に音楽家に向かって鼻を擦りつづけた。

(おい! 気付け! ヨーラン・スヴァルド! 出番が近いぞ!)

「あはは、どうしたの、クレメンス。鼻血が出そう? 興奮しちゃった? よしなよ、老いらくの恋なんてみっともない」

ぶわりと殺意が溢れそうになったのも、致し方ないことであろう。

ほとんど睨みつけそうになっている視線の先、人だかりの向こうでは、今も美しいワルツが展開されている。

ダンスもいよいよ終曲部。

一番の盛り上がりに差し掛かろうというところだ。

だが、踊り手の表現する世界に対して、楽団の奏でる音楽がもうひとつ及ばない。

惜しいものよ、と誰かが溜息をこぼしかけたそのとき、ひたすらパートナーを見つめていた少女が思いもよらない行動に出た。

すなわち、楽団に視線を投げかけ、すいと腕を伸ばしたのだ。

まるで、誘うような仕草。

もっと盛り上がりを。

もっと調和を。

その艶めかしい手つきは、まるでこう叫んでいるようにも見えた。

楽団のみんな。私に力を――!

(なんなのだこの娘! 仲間と力を合わせて敵を倒す主人公かなにかか!)

自分でアテレコしてしまった内容に、クレメンスは自分で突っ込んでしまったが、実際、変化は劇的であった。

とたんに、ヨーランを筆頭とした楽団員たちが目の色を変え、渾身の音を奏ではじめたのである。

緊張をはらんだ低音。すすり泣くような旋律。

大きな感情のうねりが、楽器を、奏者を突き動かし、ひとつの世界を創りあげていく。

それは舞台の真ん中でステップを踏むふたりと融合し、とてつもなく壮大な物語を出現させた。

踊る少女の向こうに、美貌の娼婦の姿が見える。

彼女が求めた青年と、ふたりの間に芽生え、そして燃やし尽くされた情念の炎が見える。

忍んでも抑えようなく燃え上がる――そう、それこそが……愛!

「ああ……」

もはや「表現力」などという領域には収まらぬ、ブランニューな肉体言語に、誰ともなく感嘆の声が漏れる。涙を流す者もあった。

ひときわ高く鳴り響く音とともに、完璧なスローアウェイ・オーバースウェイ――。

王子の腕の中に崩れ落ちるようにして、大きく背をしならせた少女に、誰もが美貌の娼婦の愛と死、そして祈りを幻視した。

しん、と会場が静まり返る。

呼吸三つ分ほどの沈黙ののち、誰かが、思い出したように手を打った。

それが引き金となったように、一斉に拍手の波が広まる。

これが舞台だったなら、まさしくスタンディングオベーションといったところだ。

踊り切った少女は、しかし称賛にちらりとも心を動かされた様子はなく、むしろ周囲を見回して、真っ青な顔で佇んでいた貴族の娘相手になにか話しかけている。

いったいなにを告げたのか、隣の王子が慌てたような表情で素早く少女の口を塞いだところで、やりとりを見ていたフェリクスがのんびりと言った。

「いやあ、すごいなあ。ちょっと僕、このワインを差し入れてくるよ」

「――…………!」

まずい。

合図役のヨーランとは、まだアイコンタクトすら取れていないというのに。

(おい! ヨーラン・スヴァルド!)

クレメンスはもはや縋るような思いでヨーランに視線を向け、そこでぎょっと目を見開いた。

「――ミューズよ」

なぜならば、己の音楽の才に慢心しきっていたはずの若き音楽家は。

「私の本気と、あなたの本気。ぶつけては、みませんか」

まるで最高のライバルを見つけた少年のごとく、たぎるような挑戦心をその瞳に燃やし、おもむろにヴァイオリンをかき鳴らしはじめたのだから。