軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

28.エピローグ

満月の夜である。

豪邸がひしめく王都とは打って変わって、鬱蒼とした森と湖が連なるその場所の、ぽつんと立った屋敷の中で、密やかに息を荒げる者があった。

『……くそっ、一体どうなってやがる……!』

黒い装束をまとった男は、闇に紛れて通路を移動しながら、小さく毒づく。

独白はルーデン語ではないどころか、海をまたいだ別大陸の、耳慣れない言語であった。

それもそのはず、彼は、人里から徹底的に隔絶された環境で育った、暗殺業を稼業とする特殊な部族の一人だったのだから。

組織から下された命令にはすべて忠実に従い、任務は必ず全うするという、権力者にとっては実に使い勝手のよい、生きた兵器。

男は、その中でも一等、組織への忠誠心が高く、技量も優れた暗殺者であった。

が、そんな彼は今、「別荘での貴人暗殺」という、実にありふれた他愛もない任務で、これまでにないほど身の危険を感じている。

『くそ……っ!』

再び短く罵声を上げるとともに、彼は素早く床に伏せた。

途端に、頭上すれすれの位置を、仕掛け矢のようなものが勢いよく飛んで行く。

すぐ脇の壁に当たってめり込む、その深さを見て取って、男は静かに息を呑んだ。

『なんなんだ、ここは……!』

その一言に、男の荒ぶる感情のすべてが集約されていた。

ここは、閑静な別荘。

ルーデンの騎士団長が最近買った、少々辺鄙な場所にある別宅である。

事前に入手した間取り図を見る限り、いかにも普通の住居。

家の持ち主というのが、ルーデンの元王弟でもあるというので、多少警備が手厚いかと警戒したものの、別宅ということもあってか、かなり手薄だ。

結婚を機に臣籍降下し、もはや王族ではなくなった以上、一般貴族と同様の生活をするという意志表示でもあるのだろう。侵入は実に容易だった。

しかも今回の任務のターゲットは、騎士団長だというその男ではなく、その妻。

今年になって王城の侍女長に昇進したという女だ。

夫婦仲は冷えているのか、夫は妻を残して一足先に王都へ戻るという。

つまり、今回の任務は、戦闘力の無い女の屋敷に忍び込み、殺す、ただそれだけだった。

上はなぜか、「普通でないほどの美人」としか、女についての情報をくれなかったが、男もまた、特に詳しい情報を必要だとは思わなかった。

戦闘訓練を積んだ人間ならともかく、箱入りの女を殺すなど、赤子の手を捻るに等しい。

だというのに。

『はあ、はあ……っ!』

今、男は床に伏せ、冷や汗を浮かべて周囲を見回す羽目になっている。

侵入してからこちら、彼を襲ったのは、未知かつ怒涛のトラップだった。

廊下を進めば床を踏み抜き、地下牢と思しき場所に落ちかけ。

下水道を通って抜け出た先には、複雑な庭園迷路。厨房に踏み入れば飛び交う刃物の嵐、厩舎を通れば襲い掛かる魔牛の軍団、回廊の絵画を視界に入れるとなぜか猛烈な恐怖に襲われ、ついでに毎回、階段の段数を間違え転びかける。

この時点で、男はすでに疲労困憊の態だった。

おかしい。

先程からなぜか頭がぼんやりとする。

いや、頭だけでなく、手足の先が痺れてくるような――。

『しまっ……――』

男は慌てて床から身を起こしたが、すでに遅い。

先ほど壁にめり込んだ矢の先端から、じわりと黒い液体が滲み、それは床に伏せていた男の指先に触れてしまっていた。

神経毒。

ぐら……と力なく男が頭を垂れたのと、低い声が掛ったのは、同時だった。

「死んだふりか、刺客殿?」

腹に食い込む靴の感触。

ぞんざいに体をひっくり返され、声の主を見上げる形となって、男は目を見開いた。

『…………なぜ』

「なぜ俺がこの屋敷からまだ出発していないのか、……か?」

涼やかな相貌、精悍な体つき。

「ルーデン一の色男」の看板を長年にわたり背負っているその男は、ルーデンの騎士団長、ルーカス・フォン・ヴァルツァルク。

この屋敷の持ち主の夫であり、今日の昼、一足先に王都に戻っているはずの人物だった。

彼は、若々しさとともに貫禄を滲ませはじめたその顔で、冷ややかに刺客を見下ろした。

「それはもちろん、俺が一足先に王都に戻るという情報が、偽物だからだろうな」

「噂話の拡散なら、このイレーネの右に出る者はありませんもの」

「あらぁ、わたくしの名前も出してくれなきゃ嫌ですわ。刺客襲来の情報を駆け足で届けに来たのは、このわたくしですわよ」

佇むルーカスの後ろに、メイド服をまとった金髪の女と、やたら豊満な胸を張った女とが顔を出す。

さらに、通路の反対側からは、やけに間延びした声が掛かった。

「いやぁ、君たちもどんどん、僕の私兵としての振る舞いが板に付いてきたねぇ。僕の治世もこれで安泰だ。これからも無理せず、馬車馬のように働いてね」

刺客の存在をまるっと無視して、のんびりと三人に言葉を掛ける男。

金髪に平均的な体躯、狐を思わせる狡猾そうな緑の瞳――ルーデン王、フェリクスだ。

屋敷の主の異母兄とはいえ、なぜ一国の王がこの場にいるのか。

男が目を瞠れば、フェリクスは視線に気付いたのか、妙にうまいウインクを寄越した。

「小旅行、小旅行。ほらー、僕とルーカスってマブダチだからさー。べつに、毎年一回は家出する奥さんを、義理の妹の別荘まで追いかけに来たとか、そういうわけじゃないよ。ねえ、アナ?」

「……言っとくけど、ガルラン王国への一方的な砲撃準備を解消しない限り、あたしは王宮には帰らないからね」

「えー。君を馬鹿にしたガルラン王に、ちょっとお仕置きしようってだけじゃない」

「口には口で返せってんだよ! すぐに物理攻撃に走らないでくれる!?」

「息を荒げるしかできない刺客に対して、毒矢を放った君に言われてもねぇ」

フェリクスは、すぐ隣でふてくされた表情を浮かべた女性に向かって、やれやれと肩を竦める。

上質なドレスをまとったその女が、この国の王妃だということはすぐわかったが、出回っている肖像画の可憐な立ち姿とは裏腹に、彼女の口調は蓮っ葉で、しかも、やけに自然に弓を担いでいた。

間違いなく、男を狙撃したのは彼女だ。

「僕の愛が伝わるかと思ったのに、悲しいなぁ」

「重すぎるわ! っていうか、本当は外交上の理由があるくせに、あたしを口実に使うなっての。そういうとこが胸糞悪ぃんだよ」

「うーん。君のそういうところが、本当に好きなんだよねぇ」

国王夫妻は、刺客の男をそっちのけで、わいわいと応酬を続けている。

事態に完全に取り残された彼の前で、さらにぎょっとするような事態が起こった。

「――皆さま」

突然、目の前の壁が反転し、いかにもなんでもない感じで、女性が現れたのである。

ナイトドレスをまとったその人物は、夜目にも美しいとわかる顔で、静かに周囲を見回した。

月光を弾く肌は神秘的に白く、肩に流した髪は黒檀の輝き。

長い睫毛に彩られた瞳は、一匙の紅を溶かした夜空のようだ。

人間離れした美貌に、男はぽかんと口を開いて女を見上げた。

一拍遅れて、脳が情報を引っ張り上げる。

上いわく「普通でないほどの美人」。

つまり彼女こそが――エルマ。

エルマ・フォン・ヴァルツァルクだ。

奇妙な場所から平然と登場した彼女は、なぜか上等な銀のポットを手に、そっと微笑んだ。

「夜になっても賑やかですね。もしや眠れないのではと思い、ハーブティーをお持ちしました。ひとくち含めば、おやすみ三秒です」

『いや、この場面で気の利いた女主人みたいなこと言われても!』

というか、そんな過激な効果を持つ飲み物はハーブティーなどではない。ただの睡眠薬だ。

思わず母国語で叫んでしまった男の言葉は、奇しくもその場のツッコミを引き寄せる呼び水となったらしい。

エルマを取り囲む面々が、次々に呆れたように溜息を漏らした。

「なぜおまえまで出てくるんだ。余計に騒動が大きくなるだけだろうが。この程度の刺客、俺たちだけでどうとでもなるから、部屋で休んでいろとあれほど言ったろう」

さりげなくガウンを羽織らせ、艶めかしい体の輪郭を隠すのは、夫であるルーカス。

「そうよ。この別荘に遊びに来る条件として、ヴァルツァーでの二泊三日のブートキャンプを過ごした私たちよ? すでにこの刺客の所属組織について、腐った噂話を創作するところまで完了してるわ。だから寝てなさいよ」

「配本準備も万全ですわぁ。数日後には、大陸中の権力者たちが、この組織の上層部を色眼鏡で眺め――もとい、不信感を覚えて依頼を控えるようになるかと。なので、エルマエル様は心配ご無用ですわ」

やれやれ、といった様子で、異常なことを平然と言ってのけるのは、金髪のメイドと巨乳の女――つまりは、イレーネとデボラ。

「あんたたちってさ、なんでいつもそう奇妙な方法で敵を撃退しようとするわけ? もっと、刺客を脳解剖、マイクロチップで洗脳して組織を一掃とか、そういう『普通』の方法があるだろ? でもってエルマ、あんたはさっさと寝な。先週ずっと、遊びに来たバルドの相手をして、ろくに寝てないんだろ?」

「そうそう、さっさと寝室に帰りな、帰りなー。でもって、君は僕の腕の中に帰っておいでよ、アナ」

こめかみを押さえるのはルーデン王妃のアナ、そして、へらへらと笑いながら妻の背に腕を回すのが、ルーデン王フェリクスだ。

男は、ただただ絶句して、彼らのことを見上げていた。

組織内でも一、二の実力を誇り、たった一人で一国を壊滅させたこともある自分を指して、「どうとでもなる」?

すでに組織は突き止められ、そこへの印象操作までなされている?

後はなんと言った、マイクロチップ……?

理解が追い付かず、口を開けたままの男を見て取って、ルーカスが再度溜息を落とした。

「まったく……今どき、無謀にもこの『魔境』に飛び込んでくるなんてな。これだから、人里離れた暗殺部族で養成された箱入りは」

まるで、この屋敷が最難関ダンジョンのように言われ、男は怪訝さに眉を寄せる。

ルーカスはその様子を見て、いよいよその顔に同情の色を浮かべた。

「おまえもつくづく運の無い男だな。いくら情報操作したとはいえ、なんでよりにもよって、この六人が全員そろったタイミングで、のこのこ侵入してくるんだ」

と、夫の発言で、とうとうエルマは拗ねてしまったらしい。

彼女は麗しい顔をむうっと顰め、ポットを壁の向こう側に押し戻した。

「皆さま、口を開けば寝ろ、寝ろと……。それにルーカス様、私たちのことを異常者軍団のように仰らなくたってよいではありませんか。それぞれの『普通』のやり方で、招かれざるお客様を、もてなそうとしただけなのに」

だがそこで彼女は、ふとなにかに気付いたように、口元を綻ばせた。

夫の腕に触れながら、甘えるように彼を見上げる。

「それに、六人ではありません」

そうして彼女は、もう一方の手で自らの腹を撫でながら、愛情深い微笑みとともに、こう訂正した。

「――七人、ですよ」