軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

26.シャバの「恋」は難しい(5)

「――さて」

と、今度は、咳払いとともに真面目くさった声が響く。

ルーカスだ。

エルマはといえば、相変わらずバルドを抱っこしたまま、目を輝かせてアナに拍手をしていたが、ルーカスはそんな彼女の肩をつかみ、振り向かせた。

アナの襲撃に、ロドリゴの逆上、からのアナの王妃就任。

幾度にもわたって邪魔され、しかもそれらは一つ一つがかなり重大な案件であったが、ルーカスは半ばやけになって、流れを無視することを決めた。

「俺たちの本題はまだ解決していないぞ、エルマ。いい加減に言わせてくれ。いいか、俺は――」

「殿下!」

だが、ここにきて、当のエルマ本人が、ルーカスの引き戻しかけた流れをぶった切った。

「アナ様が見事ご立后を決めました。つまり私はぎりぎりの敗退。つまり……騎士爵位を勝ち取ったということになりますね!」

「あ、ああ……」

あまりに得意満面に言い切るので、うっかり頷いてしまう。

だが、それどころではないとすぐに思い直した彼は、再びぐっと身を乗り出した。

「その通りだ、見事だな。さて、それでだが――」

「ああ、よかった。これで私、……殿下に釣り合う、『普通』の女として、殿下を庭園に誘うことができます」

「…………」

動機はすでに聞いていたとはいえ、改めてそれを告げられると、妙な感動に襲われてなにも言えなくなってしまう。

まじまじとエルマを見下ろすと、相手は再び不安に襲われたようにバルドを抱きつぶしかけ、そしてそれに気づいたのか、はっと姿勢を正した。

一度、二度、三度。

バルドの頬に、ためらうように視線をさまよわせ、やがて意を決したように顔を上げる。

それから彼女は、さりげなくメイド服の裾から高級揺りかごを取り出すと、厳重におくるみに包んだ弟をそうっと横たえた。

初めて弟を「放置」し、エルマはまっすぐにルーカスの瞳を見つめた。

「……その、殿下。私、初期に比べればかなり『普通』を身に着けたつもりですが、それでもやはり、鈍い……一般的な心の機微を理解できないなど、至らぬところも、もしかしたらあるのかもしれません」

必死に言葉を選んでいるのだろう。

白い頬は淡く紅潮し、なにも抱えぬ手はそわそわと握り合わされている。

「いや、それは……」

「ですが、殿下が先ほど謝罪してくださった――こちらに譲ってくださったのを見て、まだ見捨てられたのではないと判断し、勇気を出して申し上げます」

常に眼鏡に隠されていた夜明け色の瞳は、今や、まぎれもない緊張を湛えてゆらゆらと潤んでいた。

もう、その瞳を見ただけで、なにもかも許して抱きしめたくなるような可憐さだ。

「私……まだまだ未熟で、殿下を見ると心拍すら普通に刻めず、殿下の美点であるはずの色男ぶりを苛立たしく感じたりと、合理的思考もできなくなり、……とにかくその、まだ『普通』を極めるには精進が必要な身の上では、ございますが……っ」

どうしたものか。

潤んだ瞳で上目遣いしてくる美少女が、ルーカスの心臓に言葉でもストレートアタックをぶちかましてくる。

ルーカスはただ、無表情で己の心臓を抑え、爆散の危機から己を守った。

「そんな身の上で、『普通』の師匠たる殿下にこのような申し出を差し上げるのも、いかにも身の程知らずではあるのですが、その……っ」

精神安定剤(バルド) を持たぬエルマは、とうとう顔を両手で覆ってしまった。

「私と、デート、を、してみませんか……っ?」

「…………」

「いえあの、別に身構えていただく必要はないというか、連れ込んでしまえばあとはこちらのも――もとい、全力で楽しい時間をプロデュースさせていただきますので、殿下はただ、友達感覚で、ひとまず庭園にお越しいただければと――」

「いやだ」

とうとう、ルーカスはやけに平坦な声でエルマの言説を遮った。

「え……っ」

「友達感覚など、ご免こうむる」

ショックに見開かれた目を、至近距離から覗き込む。

そこには、抑えきれない喜びで顔を緩めかけた、ルーカス自身が映り込んでいた。

きっと、と、彼は思う。

エルマは初めてなのだろう。

告白することも、誰かに思いを寄せること自体も。

だからこそ、好意を伝えることもなしに、デートの誘いに話が終始したりする。

この夜明け色の瞳に、こんなにも至近距離で映り込む男は自分が初めて。

その発想は、自分でも驚くほどルーカスを高揚させた。

真意が読めず、苛立たしく思うこともあったエルマの言動。

なのに今は、その拙さが、とびきり愛おしい。

「なあ、エルマ。……俺は、おまえが好きだ」

手本を見せねば、と彼は思った。

ぶっ飛んでいて、全方向に常軌を逸したこの少女に、普通の恋情がどんなもので、普通の告白がどんなものなのかを。

エルマはぽかん、とこちらを見上げている。

ルーカスは苦笑を刻もうとし、それに失敗して、自分が単なるにやけ顔になっていることに気付いた。

「おまえが好きだ。友人や部下としてではなく、異性として。その突飛な言動や、勢いよく斜め上に駆け上がる思考回路を、いつまでだって見ていたい。誰よりも、そばで」

「え……? あ……、え……?」

完璧な形の唇は、珍しく言葉を詰まらせてしまっている。

りんごのように頬を赤く染め、無意識に後ずさろうとする彼女を、ルーカスは一歩踏み込んで抱き留めた。

途端に、耳の縁まで真っ赤になるのが、ああ、なんてかわいい。

「眼鏡に隠された素朴な感情や、意外に純情なところも、好きだ。抱きしめたく……いや、抱き潰したくなる」

「や、あの、ちょ……、近……っ」

耳元で囁けば、エルマは腕を突っ張ってもがいた。

そんなところに限って、至って普通の少女の反応なのが、なんだか少々……いや、かなり愉快だった。

ルーカスはいよいよ色男の本領を発揮し、か弱い抵抗を見せるエルマに、滑らかな仕草で顔を近づけた。

「友達から、なんて言わないでくれ。俺の気持ちが、まだわからないか?」

「いえ、あの……っ、あの! じゅ、準備が……っ」

ここにきて心の準備など。

彼女を「普通」の少女にしおおせているこの状況が、たまらない。

ルーカスは幾人もの女性を虜にしてきた、悪戯っぽい笑みを浮かべ、エルマの唇をなぞった。

「あ……っ」

「エルマ。好きだ――」

そっと触れた唇は、まるでしっとりと朝露を湛えた花弁のよう。

ルーカスが顔の角度を変え、その甘露をむさぼろうとしたその瞬間、

――しゅぱっ。

なにか小さな摩擦音が響き、ついで彼の首筋に、ちくりとした痛みが走った。

「――……?」

ぐら、と視界がぼやける。

己の体がどさりと音を立てて崩れ落ちるまで、ルーカスは自身になにが起こったのかがわからなかった。

「あああ……、間に合いませんでした……っ」

エルマがすぐそばに跪き、抱き起こす気配がする。

しかしその声すら、ひどく遠い。

「この半年の間に【貪欲】のお兄様が、私の眼鏡に痴漢撃退システムを搭載したのです……っ」

劣情を持って近付いた人物を特定・追尾し、該当人物が重大な皮膚接触をした場合に麻酔針を発射するシステムで、とか、事前に解除すれば問題ないのだが「準備」が間に合わなかった、とか、エルマは慌てた口調でまくしたてていたが、そのほとんどがルーカスの意識にまで届かなかった。

『いやその眼鏡、どんな 闇遺物(ダーク・アーティファクト) よ!? こっわ!』

「いえ、麻酔針とサーモグラフィと追尾システムを組み合わせれば、だれでも簡単に作れるものではあるのですが……、あっ、こらバルたん、麻酔針に手を伸ばしてはめっ、ですよ! ……って、え……っ!? バルたん、いつの間に揺りかごを抜け出して……ま、まさか今、ずり這いを……!?」

「っていうかさー、これ後遺症とか大丈夫なの?」

なにやらエルマたちが会話しているのが、かろうじてわかる。

力なく床に伸びた指先に感じる、つるりと滑らかな感触。

恐らく眼鏡のつるだろう。

頬をくすぐる赤子の湿った吐息、「あうー」という愛らしい声と、小さな手、そして――

「だから言ったじゃないか、ルーカス。死んじゃわないように、気を付けてねって。……ま、独り言でだけど」

いい加減極まりない異母兄の呟きを最後に拾って、ルーカスの意識はぷつりと途絶えた。