軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8.「普通」の余興(3)

芸術という枠を逸脱し、聖術の域に進化してしまったエルマの歌声を前に、イレーネは膝から崩れ落ちた。

だがそこで、イレーネは、なぜ自分は起きたままなのだろうという疑問に気付く。

起きているのは、警備の騎士が数名と、貴族の何人か、そして、フェリクスにルーカス、イレーネやデボラ、アナといった面子だ。

「…………? もしやいつの間にか、私に耐性が付いていたのかしら?」

「いえ。やらねばならないことがある、と強く気を引き締めている方には影響しないよう、周波数を調整しながら歌わせていただいているのです」

そこで、ちょうど歌い終えたエルマが、イレーネの呟きを舞台上から拾って答える。

眼鏡のブリッジをくいと押し上げた彼女は、すやすやと眠りはじめたバルトのことを、愛おしげに見下ろした。

「仕事を控えた周囲の大人が、全員眠ってしまっては、バルたんの二十四時間見守り態勢に支障をきたしますので」

育児最適化されすぎである。

これまでどの候補者に対しても「5点」の札しか挙げてこなかったフェリクスも、その威力と都合のよさに、しみじみと頷いた。

「おー。これは兵器としての価値を感じる。10点」

「責任感の無い部下のあぶり出しに使えそうですな。10点」

隣で、上位貴族の男も頷きながら「10点」の札を挙げる。

市民代表の男は、

「おお……! 不眠症にあれだけ悩まされていた妻も、いびきを掻いて寝ているぞ……!?」

感動したように「10点」の札を挙げかけたが、少し考えて、「9点」に変えた。

彼には、市民席からの拍手や喝采を点数化する役目がある。聴衆が寝こけて、拍手も喝采も聞こえない今、満点を掲げるのは躊躇われたのである。

それでも、計29点。

これまでで最高得点だ。

「ほらもう……! 言わんこっちゃないじゃない……!」

イレーネは青褪めたが、エルマはやはり余裕の構えを崩さなかった。

「大丈夫。この後、アナ様が圧倒的ダンスを披露して、私のこれなど、しょせん『普通』レベルであったと、皆さまに気付かせてくださいますから」

「そんなこと言って……!」

少なくともイレーネは、エルマがこれまでに披露してきたものよりも見事なダンスなど、見たことがない。

まして、辺境の属国育ちの娘が見せるステップなど、新鮮さの欠片もないだろう。

イレーネは青褪めたが、それはアナも同様で、青い顔に険しい表情を乗せてこちらを睨みつけてきた。

『あんた……あたしを勝たせるってのは、嘘だったのかい。満点近くを叩き出された後に、あたしにどうしろってんだ?』

『そう、満点近く。満点ではございません』

だが、それにもエルマは揺るがない。

むしろ、動揺するアナの手に、なぜかバルドの手を重ね、正面から顔を覗き込んだ。

『この二日、いえ、これまでの長い年月、あなた様はずっとご自分を鍛えてこられた。命を懸けるようにして長期間鍛錬を重ねてきた――その事実には自信がおありでしょう?』

たしかに、養女時代は血反吐を吐きながら訓練に耐えてきたし、この二日は、「いきなり地上四階から突き飛ばされかけて急上昇した心拍を、三秒以内に元に戻す」といった、かなり生命危機に接したトレーニングもこなしてきた。

一拍置いて、ぎこちなく頷くアナに、エルマは優しく微笑んだ。

『ならば、大丈夫。あなた様には、バルたんの加護と、そして私の全力のサポートもございます。あとは――ご自分を信じてくださいませ』

ぱちん、と指を鳴らす。

するとたちまち、穏やかな眠りについていた観客たちが、一斉に身を起こしはじめた。

「お……? 俺、今、寝てた……?」

「なんだか、体がすごくすっきりしてる……」

どうやら、強制的、かつ健康的に、観客たちの目を覚ましたようである。

短い昼寝を経て、集中力も万全。

先程よりも強い眼差しで、揃って舞台を見下ろす観客たちに、アナはたじろぐ。

だが、再び『さあ』と優しく促されたことで、彼女は覚悟を決めた。

(実際、この二日で心臓はかなり強化されたし……そもそも、こんなことで 上がる(・・・) ようじゃ、流刑地育ちの看板が泣くぜ)

アナは舞台に上がって、短く名乗る。いよいよ出番だ。

――が、なぜかエルマも連れ立って登壇するのに気付いて、怪訝な顔つきになった。

『……なんで付いてくんの?』

『それはだって、私の「伴奏」が無いと、アナ様のダンスが成立しませんので』

『は?』

この時、アナはまだ、自分が接している少女の異常さを、完全には理解していなかったのだろう。

舞台下に控えるオーケストラを退け、エルマがなぜか鉄板を仕込んだ靴に履き替えた時点でもまだ、アナは、至って一般的なダンスステップを踏むつもりでいたのだから。

『おっと。アナ様がお履きの靴では、ステップの途中で飾りが割れてしまうかもしれません。サイズは合わせておきましたので、アナ様もどうぞ、こちらのダンスシューズにお召替えを』

『はっ!?』

さらには、エルマは滑らかな動きで、アナのガラス細工の靴をもぎ取ってしまう。

代わりに履かされた靴の底には、エルマのものと同様鉄板が仕込まれており、床を踏むと「カチン!」と小気味よい音を立てた。

硬いのに、履き心地はどこまでも優しく――なぜか、アナの足に絶妙にフィットしている。

『いや、ちょ、待て、返せよ、その靴はロドリゴ様が――』

フィットしているが、お守りを取り上げられた気持ちになったアナは、慌てて手を伸ばした。

が、エルマはそれをすいと受け流し、おもむろに片手を宙に掲げる。

「ミュージック……スタート」

――パチン!

エルマが指を鳴らすや、舞台上に取り付けられていた夜会用の松明が、一斉に炎を上げた!

――ぼぼぼぼぼぼ……っ、――ダン!

唸りのような着火音がぐるりと舞台を一周すると同時に、エルマが高らかに靴を踏み鳴らす。

それはまるで、鬨を告げる声のように、力強く辺りに響き渡った。

――タタタン、タタタン、タタタタタタタタタタタタタ!

鉄板を仕込んだ靴が、異様な速さでステップを刻む。

ただし、その上半身は微動だにせず抱っこを継続しており、彼女は単に音を刻んでいるだけだということがわかった。

まるで高まる鼓動のような、原始的な音。

だが、反響を伴い、波がうねるようにして広がってゆくその音は、聴衆の心を強制的に高揚させる。

誰ともなく、リズムに合わせて顎を上下に振りはじめた。

――タンッ! タ、タンッ! タ、タタタタン、タタタタン、タタタタタタタタタタタタ!

やがてスイングは、顎から肩に。肩から全身に。

観客席の全員が、まるで催眠にかかったように一斉に体を揺すりはじめる。

とうとう、熱のこもった手拍子まで沸き起こった。

『ちょ、え、な……っ』

ダンス用の赤いドレスをまとったアナは、舞台の真ん中で呆然と立ち尽くす。

観客全員が、まるで儀式のようにエキゾチックなリズムを刻むこの展開に、付いていけなかった。

が。

「――はっ!」

鋭い叫び声とともに、なにかが閃く気配を感じ取る。

アナは考えるよりも先に、素早く身をよじってそれを躱した。

――カ……ッ!

前髪を切り取るような距離で、横の壁になにかが突き刺さる。

毒針……にしては随分太い。

壁に先端をめり込ませたものの正体を理解して、アナはぎょっと目を見開いた。

『め、綿棒!?』

『バルたんのために世界樹から作った、安全性重視のソフトタッチ綿棒です』

『ソフトタッチな綿棒がなんで壁に突き刺さるんだよ!』

『そう……どんなに安全にデザインされた育児グッズでも、扱いにはよくよく気を付けねばなりませんよね』

噛み合わない答えを返しつつ、エルマは再び、バルトを抱っこしたまま投擲の構えを取った。

『さあ、参りますよ、アナ様』

『は!?』

もう、なにから突っ込んでよいのかわからない。

わからないまま、アナは、次々に飛んでくる凶器を躱しつづける羽目になった。

――タタタン、タタタン、タタタタタタタタタタタタタ!

――ヒュッ! ヒュッ! ヒュヒュヒュヒュヒュッヒュ!

エルマが刻むリズムに合わせ、綿棒は右へ、あるいは左へ。

アナは全身の集中力を極限まで高めて、ぎりぎりのところで避けつづける。

結果として、激しく首を振り、ときに華麗なターンを決めていることに、自分では気づいていなかった。

「お、おい、見ろよ……なんて機敏な動きなんだ……」

「ほかの踊り手とは段違いの、鬼気迫った迫力を感じるわね。靴が鳴らす音も、切羽詰まったダイナミックさがあるわ……!」

「彼女のステップには、 迸(ほとばし) るような生命の輝きが宿っている……!」

無心にリズムを刻んでいた観客たちも、アナの圧倒的なダンスに、思わず目を奪われる。

そこには、芸の域に留まらない、命が懸かったような切実な美があった。

大きく振り上げた足、ぴんと伸ばされた腕、汗の滴を飛ばしながら振り向く顔。

まるで、狩りの最中にある獣のような、緊張に満ちたしなやかさ。

観客たちは、ほう……と感嘆の溜息を漏らすと、ついで、アナの動きに引きずられるようにして、再び体を揺らしはじめた。

――タタタン、タタタン、タタタタタタタタタタタタタ!

揺れる。

揺らす。

この、鼓動のような、原始的なリズムに合わせて。

――ヒュッ! ヒュッ! ヒュヒュヒュヒュヒュッヒュ!

舞い上がるドレスの裾は、まるでサバンナに飛び散る赤い血のよう。

遠いどこかの大地が、ごご……と唸りを上げる。

一斉に土を踏み鳴らす動物たちの群れ。躍動する生命。

そう――大地の鼓動。

一気に駆け上がる心臓の音――それが一際大きく脈打った瞬間、誰もが、赤茶色の大地が噴火する様を思い浮かべた。

――……ダンッ!

身体を突き上げるような音とともに、最後の一投を躱したアナが、宙でポーズを決める。

観客たちもまた、一糸乱れぬ動きで、全員が両手を天に向かって突き出していた。

し……ん。

一瞬、辺りには針の落ちる音さえ聞こえそうな沈黙が満ちる。

「あぅー」

それを、愛らしい赤子の声が破った。

途端に、止まっていたかのような時間が流れ出す。

アナは呆然と舞台に座り込み、観客たちは我に返ると、ややあってから、一斉に力強い拍手を始めた。

「素晴らしい……!」

「舞台と観客が一体となった、なんて素晴らしいダンスだ!」

「ブラボー! ブラボー!」

まさに、万雷。

市民代表が、頬を紅潮させて高らかに「10点」の札を突き出す。

同時に、貴族代表も興奮の表情で、またフェリクスも愉快そうに、それぞれ「10点」の札を掲げた。

初めての、満点。

割れんばかりの拍手と賛辞を浴びたアナは、ぎこちなく、舞台端に佇むエルマを見やった。

相変わらず優しく赤子を抱っこした彼女は、視線に気付くと、ふと顔を上げる。

それから、悪戯っぽく笑みを浮かべて小首を傾げた。

「ほら。アナ様のダンスに比べれば、私の歌なんて、『普通』でしかなかったでしょう?」

慈愛深く――そして、大層得意げな表情であった。