軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4.「普通」の職場復帰(4)

『バルたんの歯固めのために東大陸から取り寄せた、 最高級乾燥海藻(おしゃぶりコンブ) です』

最初は板のように固いですが、噛み続けると、柔らかくなり旨みが広がりますよ。

流暢なエスピアナ語で、どこか誇らしげに解説されるが、そんなことが聞きたいわけではない。

昆布で自害を阻止された少女・アナスタシアは、巨大な昆布を口からはみ出させたまま、呆然とその場に座り込んだ。

『あんは……はひ者なんは……』

『ひとまず昆布を口から離しましょうか。人と話すときは、食べ物を口に入れない。シャバの常識ですよ』

自分で突っ込んでおきながら、いけしゃあしゃあとそんなことを言い放つ相手に、もはやどうリアクションしてよいのかわからない。

硬直したアナスタシアの傍に、エルマはそっと跪き、取り除いた昆布を袋に入れて『おやつにどうぞ』と持たせてやると、優しく微笑んだ。

『ご挨拶が遅れた非礼、心よりお詫び申し上げます。改めまして、私はエルマと申します。この王城で侍女をしておりますが、とある経緯から、選考会では候補者として参加を命じられました』

『え……あ……』

『ですが、私にはどうしても、最終選考で負けなくてはならない事情がございます。そのためには、あなた様のお力がぜひ必要なのです』

『え……』

立て板に水を流すようなトークに、アナスタシアは一音節しか挟めずにいる。

エルマはおもむろに眼鏡を外すと、ぎょっとした少女の両手を取り、至近距離から相手を見つめた。

『美貌よし、語学よし。体力、根性、柔軟性、なによりアグレッシブな行動傾向。この迎賓館に、あなた様以上に王妃適性の高い女性はいません。私が全面的に支援いたしますので、どうか、王妃選考会で優勝していただけませんか』

『いや、王妃適性って……。あんた、なに言ってんだ……』

刺客という正体はばれているはずなのに、それにまるで頓着せず話しかける相手に、アナが素の口調で呟く。

それを聞き取り、エルマはますます身を乗り出した。

『もしや、陛下の暗殺計画に支障をきたすことをご懸念でしょうか。でしたら、ご安心ください。選考会で勝ち進めば進むほど、陛下との接触機会は増えます。というか、王妃になってしまえば、陛下はエブリデイあなた様のお隣、オルウェイズ狙い放題。あなた様に美味しい状況でしかありませんよ。やる気が出ませんか?』

『いやそうじゃなくて、犯罪者をいそいそ王妃候補に仕立て上げるなんて、頭おかしいだろ、つってんですけど! あんたどういう神経してんだ!』

追い詰められすぎて、アナスタシアが半ギレになる。

が、エルマはことりと首を傾げるだけだった。

『普通の神経ですが……。バレなければ犯罪ではないと母は言っていましたし、そもそも暗殺を実行できていない時点で、あなた様はまだ犯罪者ではありませんよね? なんの問題がございましょう』

『!?』

謎理論に、アナスタシアは絶句してしまう。

「ちょっとエルマ、いったいなにを話し込んでいるのよ……?」

早口のエスピアナ語が理解できないイレーネが、半眼で問うが、

「ご自身を王妃候補に相応しくないと謙遜なさるアナスタシア様に、そんなことはないとお伝えし、理解を得ようとしているだけです」

エルマは空っとぼけた。

べつに、嘘ではない。

「ごまかさないでちょうだい。その子、他国からの暗殺者なんでしょう? そんな子を――」

「アナスタシア様。お伺いしますが、あなた様は、まさか暗殺者でいらっしゃるので?」

常識的にことを進めようとしたイレーネを遮り、エルマはアナスタシアに、ルーデン語で問うた。

『は? だからさっきから――』

「仮にそうだとしたら、私も陛下に忠誠を捧げる者の一人として、自害など許さぬうえで、苛烈極まる拷問を与える用意がございますが、……それでも、暗殺者であると?」

先ほど「フェリクス狙い放題」などと言った口で、悪びれもなくそんなことを告げる。

が、実際のところ、目の前の少女からわずかににじみ出る凄み。その一端を理解しただけで、アナスタシアは震えあがった。

どこにも隙が無い。そして、得体が知れない。

こんなの――敵うわけがない。

「だいたい」

視線一つで相手を圧倒したエルマは、【傲慢】の名に相応しく、世にも美しい笑みを刻んだ。

「昆布一つで動きを封じられる非力な女性が、――まさか、国の命運を背負った暗殺者だとでも?」

ぽきんっと、なにか乾いた音が聞こえる。

思うに、それはアナスタシアの鼻っ柱が天に召されたときの音だったのだろう。

『…………っ、…………っ、…………っ!』

涙目になった異国の少女を、イレーネはつい哀れみの目で見てしまった。

あ、これ、もうこれ以上追い詰めたらいけないやつだ。

「さあ、アナスタシア様。あなたは、暗殺者なんかではありませんよね?」

『…………う、うう……っ』

「ご本人も頷いていらっしゃいますし。なんら問題ございませんね。ねえ、デボラ様?」

「ええ! まったくもって、小麦一粒ぶんの問題もございませんわ、エルマエル様!」

無力化された当事者と、完全なるイエスマンによる、実質的な欠席裁判だった。

さあ、とエルマがアナスタシアの顎を持ち上げる。

いまだ身動きが取れずにいる相手に、エルマは刷り込むように囁いた。

「なにを迷うことがございましょう。あなた様は、ただ、私の手を取り、従うだけ。そうすれば、すべてが上手くゆくのです」

完璧に整った顔で微笑む様は、まるで女神のよう。

口調から滲む、絶対的捕食者の余裕に、獲物と化したアナスタシアはただ震えながら、差し出された手を見つめた。

ありえない展開。

この手を取るなんて、するはずがない。

ああでも、なぜだろう。

このほっそりとした白い手、そして夜明け色の瞳を見るだけで、なにがなんでも、服従しなくてはいけない気にさせられる――。

「――……ぅ、ふ……っ」

ところがそのとき、不意に高い声が一同の耳を打った。

「ぅ、うううんっ、ふえええええ……っ」

バルドである。

夜明けとともに自然に目を覚ました彼は、見知らぬ天井、というか 他人(イレーネ) に抱っこされた状況に気付き、火が付いたように泣き出したのだ。

「うぎゃあああああああん!」

「バ……っ! バルたんっ!」

エルマの変化は劇的だった。

それまで口元に帯びていた、傾国の娼婦を思わせる笑みをかなぐり捨て、さっと青褪める。

アナスタシアのことなどぽいと放し、素早く身を翻すと、バルドをイレーネから受け取った。

「お目目が覚めたんでしゅねー! 今週の平均より六分三十二秒も早いなんて……。ミルクかなー? うんちかなー? それとも寒かったかなー?」

左手で抱っこをしつつ、器用にも右手で、布鞄から次々と育児グッズを取り出してゆく。

哺乳瓶、粉ミルク、水筒、おむつの替え、ガーゼ、脱臭袋、ブランケット、羽織、帽子、靴下。

いったいこの小さな鞄にどうやって、という量だ。

それでも一向に泣き止まないのを見ると、彼女はますます焦った顔で、今度は全身から小道具を取り出した。

「た、退屈している……!? いいえ、それとも空気の味が変わって怯えて……!? あああ、バルたん、なぜなの……!?」

袖口からガラガラ、胸元からぬいぐるみ、ベルトから指人形、ドレスの内側からは、ボタンのたくさんついた機械やバイオリン、ベビーアロマや小型空気清浄機などなど。

「いや、だから、質量保存の法則を無視しすぎでしょ!?」

「まあっ、あのバイオリンは世界に一つしかないヴェルク工房の銘入り……! 見たところ、ほかのグッズもすべて一級品ですわね、さすがエルマエル様……!」

イレーネもデボラも、その異様な光景に、ツッコミと興奮を禁じ得ない。

唯一、突然放り出されたアナスタシアだけが、ぽかんとしていた。

『あの……』

恐る恐る話しかけるが、エルマは振り返りすらしない。

「さあバルたん、このヒーリングミュージックに心を委ねて……き、聴いてくれない、ですか……!? 暗示!? 暗示を掛けてしまった方が速攻で泣き止んでくれます!?」

先ほどまでの泰然ぶりはどこへやら、ほとんどパニックの様相である。

『あの……』

「丹田をアーユルヴェーダ式マッサージで刺激……いえ、それとも 催眠魔獣(ヒュノプス) を狩ってきた方が早い……? そ、それとも【貪欲】のお兄様のオーガニック麻酔……? ど、どうすれば……っ」

『ねえ、ちょっと――』

「可哀そうに、こんなに泣いて……! 愛らしく繊細な喉を傷めてしまうではありませんか! バルたん! どうしたら泣き止んでくれるのですか!?」

果ては、マッサージオイルや狩用の巨大斧、注射器までを、どこからか取り出し、エルマは無力さに打ちひしがれたまま弟に取り縋った。

「バルたん――」

『人の話聞けや!』

と、そこに、とうとう緊張の糸の切れたアナスタシアが声を荒げる。

彼女はばっと立ち上がり、つかつかとエルマに近寄ると、乱暴にバルドを奪った。

「あっ、なにを――」

『おい、ガキ。話が進まないから、さっさと泣きやんでくれる!? こっちには大人の話があるんだからね』

慣れた手つきで抱っこし、ぐっと顔を近付ける。

『べろべろばぁ~』

「うぎゃあああ――、…………ぅ?」

睨み顔から一転、見事な変顔を決めてみせたアナスタシアに、なんとバルドが泣き声を引っ込めた。

きょとんと見上げる赤子に、彼女は、先ほどエルマが外して床に置いていた眼鏡を、ぽいと放り与える。

『ほーら、これで遊んでな。壊していいぞ』

すると、バルドは不思議そうに眼鏡を握りしめ――やがて、きゃっきゃと声を上げて笑いだすではないか。

アナスタシアは鼻を鳴らし、

『大人が慌てるからガキは泣くし、媚びるから付け上がるのさ。こういうときは、適当にあしらう!』

なんでもないことのように、泣き止んだバルドをエルマに押し付けた。

『で、やっと本題に戻るけど。あたしじゃあんたに敵わないってことは、よくわかった。こうなりゃもう、腹をくくるしかない。だから、条件を――』

「て」

しかし、ぎゅうっとバルドを抱きしめたエルマの、その小さく震える声によって、問いは遮られてしまった。

『条件を聞きたいんだけど――……「て」?』

『天使ですか!?』

『は!?』

ばっと顔を上げ、エスピアナ語で叫びだしたエルマに、アナスタシアはぎょっとする。

『あなた様は! バルたんと、育児に悩む私に光を投げかけんとする、祝福の天使でいらっしゃいますか!?』

『あんた真顔でなに言ってんの!?』

『一瞬で涙を止めてみせる、SS級威力を誇る変顔……。数ある最高級おもちゃを差し置いて、眼鏡などという無機質極まりないもので見事バルたんの関心を攫うそのチョイス……。媚びず、揺るがず、凛とバルたんを導くその姿は、まさに私の思い描いてきた育児の理想形……』

エルマは感極まったように瞳を潤ませ、次いで、その場にすっと跪いた。

『アナスタシア様……。いえ、敬愛を込めて、【変顔】のアナお姉様とお呼びしても?』

『絶対やだ!』

震えながらエルマが差し伸べてきた右手を、アナスタシアは光の速さで振り払った。

いや、振り払おうとして、がしっと掴まれた。

『ひっ!』

『先ほどまでの傲慢な態度、心よりお詫び申し上げます。私ごときがあなた様を無理やり王妃の座に据え置くなんて、言語道断。私めは、あなた様に衷心より従い、 傅(かしず) き――』

エルマは、もう片方の手でバルドを抱っこしたまま、瞳をきらきらと輝かせてアナスタシアを見上げた。

『そうして、あなた様が必ず王妃となられますよう、全力で支えさせていただきます!』

『結果やることはなんら変わってないじゃん!?』

悲鳴のようなアナスタシアのツッコミが響く。

「なんか……」

一連のやり取りを見ていたイレーネは、ぽつりと呟いた。

「エスピアナ語はよくわからないけれど、……あの子は危険な暗殺者というより、哀れなエルマ被害者、……という理解でいいのよね?」

「なにを仰いますの。エルマエル様に奇跡を授けられようとしている、世界一幸運な人間ですわ」

デボラはうっとりと答える。

とりあえず、アナスタシア・ドン・ロドリゴは、あまり危険視しなくても大丈夫そうだな、と、イレーネはそんなことを思った。