軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

26.シャバの「普通」は愛おしい(1)

無事に生まれてきた子どもに万全のケアを施し、その傍らで、協力すべく監獄に集まって来てくれた人々をもてなし、丁重に送り返す頃には、すっかり日が高く昇っていた。

前夜の雨も上がり、獄舎を囲む森の緑は水分を含んでつやつやと輝いている。

危機と焦燥に揺れた夜は去り、今ヴァルツァー監獄には、生命の歓びを謳うような、初夏の日差しが溢れていた。

「ようやく一段落ですね。皆さま、本当にお疲れ様でございました」

最後の「協力者」の一団を見送ったエルマは、ほっと肩の力を抜く一同を居間に集め、紅茶を差し出す。

広いテーブルに着いた大罪人家族とルーカスたちは、さすがに疲労を隠せず、緩慢な動きでカップを受け取った。

「エルマ、おまえも少しは休んだらどうだ。ずっと眠っていないだろう」

エルマの美しい顔にも、うっすらと疲労の色が滲んでいることに気付いたルーカスは、思わし気な表情を浮かべる。

そう。

魔王覚醒の儀式、出産の介助、協力者への表敬に新生児の世話と、忙しく動き回っていたエルマは、皆には仮眠を勧めておきながら、自らは一睡もしていなかったのだ。

だが、

「いえいえ、二時間ごとに授乳と計量がございますし、着替えの用意や洗濯……何よりすやすやと愛らしい音を立てて眠るあの子を、毎時観察して記録とスケッチを残すミッションがございます。七日後の名付けに向け、検討会議も招集せねば。やることは山のようにありますし、不思議なことに、気力も山のように湧いてくるのです」

エルマは肩をぐるんぐるん回して応じた。その全身からはやる気が立ち上り、かと思えば突然にへら……と笑み崩れる。

「弟というのが、あんなに可愛い存在だなんて……。彼を世界に迎え入れたこの奇跡を、人類は皆、両の膝の皿を割って大地に身を投げ出すくらいの姿勢で感謝せねばなりませんね」

「あ、ああ……」

ナチュラル危険者と化したエルマに、ルーカスが顔を引き攣らせる。

産まれてきたのは、なぜかハイデマリーの銀髪でもギルベルトの黒髪でもない、金髪の愛らしい男の子だった。

とはいえ、瞼を閉じているためまだ瞳の色はわからないし、産後すぐなので体もくしゃくしゃとして、胸を引き絞るような可愛さというよりは、か弱さの方を強く感じさせる。

ルーカスのような外野の、それも男性からすれば、「小さいな」くらいの感想しかないのだが、大罪人たち、特にエルマには、既に絶世の美新生児に映っているようであった。

エルマはひとしきり、生まれたばかりの弟に対する賛辞をでれでれと続けてから、ふと表情を神妙なものに戻した。

「こうして喜びを噛み締められるのも、ひとえに皆様のおかげでございます」

そうして、まずはテレジアの方を向いて丁寧に頭を下げる。

「特にテレジア王太后陛下。あなた様が母の制止を振り切って私どもを呼んでくださったからこそ、こうして母は助かりました。勇敢にして慈愛深いあなた様に、心より感謝申し上げます」

「……べつに。あの女があまりにあまりに必死に『呼ぶな』と言うから、その逆をしたくなっただけだ」

テレジアはふんと鼻を鳴らしてひねくれた答えを寄越す。

が、香りも味わわずに紅茶のカップを傾ける仕草が、照れによるものだということは、微表情を読むまでもなく、誰の目にも明らかだった。

続いてエルマはルーカスに向き直ると、彼にも深々と礼を取る。

「そしてまた、ルーカス殿下。あの時あの場で進むべき道を示してくださったこと、本当に感謝しております。私どもの絶望を、きっぱりとした口調で切り捨ててくださった殿下の姿は、とても頼もしかったですし……その」

それから、トレーを胸の前できゅっと抱きしめ、紅潮した顔でおずおずとルーカスを見つめた。

「とても、格好よかった、です」

なんだこの可愛い生き物は。

昨夜は突然機嫌を損なわれてしまったので――途中からそれどころではなくなったとはいえ――、こんな素直な表情を向けられると、なおさら破壊力が凄まじい。

ルーカスは脊髄反射で右手をエルマの頬に持っていきかけ、ついで無表情のまま左手で封じた。

この常軌を逸した 大罪人(かぞく) たちの前でエルマを抱きしめたりしようものなら、待つのは死だ。

「……それは光栄だ」

少し考えて、無難な言葉を口から押し出す。

結果いささかぶっきらぼうな口調となったルーカスに、エルマは戸惑ったようだった。

「あの……ああ、そうですね、こうした場面では御礼よりもお詫びを申し上げるのが適切でしたね。その……このたびは大変なご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした」

そして何やら、そのように受け止められたらしい。

「 監獄(ここ) でなら少しはおもてなしができるかと思っておりましたのに、結局それもままならず……。どころか、殿下だけでなく、関係者各位まで巻き込んだ大騒動を引き起こしてしまいましたこと、誠に心苦しく――」

「馬鹿者」

しゅんとして謝罪を続けるエルマを、ルーカスは軽い溜息とともに遮った。

「協力した人間の大部分は、単におまえに恩を返しただけだし、そもそも見知った人間が弱り果てていたら、自分にできる手助けをするのなど『普通』のことだ」

恐る恐る、といった様子でこちらを窺う少女は、うっかり生命の危機を忘れて頬ずりしたくなるほどのいじらしさだ。

ルーカスは「ああもう」と内心で天を仰ぎながら、つい腕を伸ばし、俯いた拍子にこぼれた黒髪をくいと引っ張ってしまった。

「それが、大切な相手であるならばなおさら、な」

少しばかり距離を詰めて、声を潜めて。

どうせこの頓珍漢な少女は、百九十度くらいに捻じ曲がった解釈をするのだろうが、もう知ったことか。

少女は今度は何を思ったものか、夜明け色の瞳を零れそうなほどに見開いて、まじまじとこちらを見つめた。

「殿下……」

「なんだ」

「トゥ――、トゥンク」

「あん?」

トレーを盾のように掲げ、小声で告げてくる謎の言葉に、ついルーカスは怪訝に眉を寄せてしまう。

なんだその呪文は。

「はははもうなんだよ死んじゃえ君死んでしまえ」

やはり妙な解釈をされたようだと嘆いていると、なぜか向かいの席から殺気立った声が掛かった。

向き直って見れば、ホルストである。

彼は相変わらずの白衣姿で頬杖を突き、笑っていない目をして唇を吊り上げていた。

その手元には、エルマが淹れた温かな紅茶と――なぜか大量の紙の束がある。

ホルストは笑みを仕舞って溜息を吐くと、見るだけで胸やけを起こしそうな量の砂糖をカップに注ぎ入れ始めた。

「やだやだ、せっかくの第二子誕生の清々しい日に、胸糞悪い光景を見せないでくれる? おかげで、せっかく固めた僕の決意が、みるみる霧散しそうじゃないか」

「決意?」

「そ」

がしゃがしゃと液体を掻きまわしてから、ぽいとスプーンを投げ捨てる。

「君を勝者だと、認めるよ」

それから彼は、言葉も投げ捨てるようにして告げた。

「勝者……」

「まさか品定め、もとい、肝試しのこと、忘れてたわけじゃないでしょ? どちらが人体蘇生薬を作れるかの勝負、君はぼろぼろの老婆になって死ぬところだったマリーを救ったわけだから、君の勝ちだよ」

ルーカスは目を見開いた。

こじつけのような勝利認定だ。認める、と言っているわりに、不本意そうなのも気になる。

(だが――)

ハイデマリーのために、顔色を変えて奔走していたホルストを見てしまった今ならわかる。

これは彼なりの、謝意なのだと。

「つまり、君は、【 怠惰(モーガン) 】、【 暴食(イザーク) 】、【 嫉妬(リーゼル) 】に引き続き、この僕からも勝利をもぎ取ったわけだ。ただいまマリーの隣で絶賛笑み崩れ中の【 憤怒(ギルベルト) 】からも、くれぐれもよろしくとの伝言を言付かってる。結論すると――」

ホルストはぶすっと頬杖を突いたまま、ひらりと片手を振った。

「僕たちは、君をエルマの友人として認める」

薄い唇が、拗ねたように歪められた。

「ま、――ありがと、ってことで」

「んもう、素直じゃないわねえ! ルーカスくんは、友人どころか、あの大馬鹿マリーを救ってくれた恩人なのよ。もっと礼を尽くしなさいよ」

ホルストが素っ気なく告げると、隣に座っていたリーゼルがすぱんとその頭をはたく。

彼は、その中性的な美貌に、美しく見えるよう計算し尽くされた笑みを浮かべて、完璧なウインクを寄越した。

「あたしたち、ほんとに感謝してるのよ。あの時ルーカスくんがビシッと仕切ってくれなかったら、きっと今頃葬式でも上げてるもの。ああん、あの時のあなた、かっこよかったわ。もうあたし、なんでもしてあげたくなっちゃうくらい」

しなを作って放たれたその言葉は、一体どこまでが本気なものか。

顔を引き攣らせて、「それは、どうも……」と無難に答えたルーカスに、さらにモーガンもが穏やかに頷きかけた。

「そうですね、あなた様はエルマの友人として認められたわけですから、我々も友情を示さねば。何か御入用のものはございますか? エルマ以外の美少女ならば即座に『用立て』ますし、あるいは一国くらいなら落とせますよ」

「いや。ルーカス殿は、騎士だと、言うから、魔獣を、百匹ほど狩って、軍に、調教するほうが、喜ばれるかも、しれん」

イザークももぐもぐと茶菓子を頬張りながら、とんでもないことを言って寄越す。

「わぁお。エルマの友人になると、特典でもれなく世界の覇権が付いてくるのか。いいなー」

「いいものですか! これってもう、神か悪魔の領域ですわよ……!」

紅茶を啜りながらのほほんと感想を漏らしたフェリクスに、イレーネはこそこそと突っ込んだ。

気に入られれば、この世のあらゆる権力や快楽を与えてもらえる。

それはもはや、おとぎ話か何かだ。

そして多くのおとぎ話が示すように、もしそこで欲を掻こうものなら、彼らはすぐにその人物を、地獄の底へと引きずり落とすのだろう。

それを察してかどうか、

「…………いや結構」

ルーカスはしばしぽかんとした後、口の端を片方だけ持ち上げて、肩を竦めた。

「気持ちはありがたいが、それくらいなら、そこでのんびり紅茶を飲んでいる、うちの愚王をどうにかしてほしいものだ」

「え? そこで僕に振るの?」

「本人はすっかりお忘れのようだが、そもそも俺たちがここにいるのは、『全国民の前での裁判』とやらまで、あなたを見張るためで、なぜそうなったかと言えば、あなたがうかうかとくだらない謀反に巻き込まれたためだ」

きょとんと己の顔を指差す異母兄を、ルーカスはじろりと睨んでみせた。

「良識ある臣下ならば、誰が見てもエルヴィンの言いがかりとわかるのに、肝心の当事者は事情も話さず、諾々と監獄に身を寄せるこの有様。――義兄上、いい加減、腹の内を明かしていただけませんか」

そう。

品定めやらハイデマリーの命の危機、そして出産という騒動の連続で一同はすっかり忘れていたが、そもそもルーカスたちがこの場にいるのは、フェリクスが血統を騙った罪で監獄送りにされからであり、なぜそんなお粗末な謀反に巻き込まれてしまったかと言えば、フェリクスたち当事者が、エルヴィンに何も反撃をしないでいるためだ。

テレジアについては短い付き合いであるものの、噂とは裏腹に、実は聡明で果敢な女性であるとわかっている。フェリクスもまた、聖具ごときの曖昧な証拠で、やすやすと白旗を上げるような人物ではないはずだ。

だというのに、なぜ。

その真意が掴めず、ルーカスはやきもきしていたのであった。

「えー。だからさー。言ったじゃん、物証を押さえられて手も足も出ないって」

「謀反者の作らせた聖具ごときのなにが『物証』だと言うのです。先王の血を継ぐ、継がないにかかわらず、血を落としたら反応するように仕立てて、事実を捻じ曲げたに決まっている」

「事実だよ」

ルーカスが身を乗り出しかけたところに、水を差すような声が響く。

フェリクスの間延びした話し方とは似て非なる、投げ捨てるような口調で告げたのは、ホルストであった。

彼は相変わらず頬杖を突いたまま、気だるげに小首を傾げた。

「そこの狐顔が、先王ヴェルナーの実子でないというのは、事実だ」

「…………は?」

ぽかん、とするルーカスに、ホルストはぺらりと紙の束の一枚を取り出してみせた。

ひらひらと宙で翻しながら、とんでもない爆弾を投下する。

「たった今、血液によるDNA鑑定技術を確立したんだよね。それによって、早速君の願いを叶えてあげよう、ルーカスくん。フェリクス・フォン・ルーデンドルフと、先王ヴェルナー・フォン・ルーデンドルフの血縁可能性はゼロ。二人は赤の他人だ。嬉しい?」

「D……NA……?」

聞き慣れぬ単語に眉を寄せるルーカスに、ホルストは特に解説を加えることはせず、ただ悪戯小僧のように、にやりと口の端を持ち上げた。

「せっかく一万タイプもの血液が集まる機会を、僕が見逃すはずがないよね。――それについても感謝してるよ、色男くん」

よくわからないが、彼は儀式のために集めた血をちゃっかり利用して、何らかの技術を確立したらしい。

愕然とするルーカスたちを見て、ホルストは何を思ったか、釈明するように肩を竦めた。

「正確性はそこらの聖具よりはるかに高いと自負してるよ。信じられないなら論文を書いてもいいし、君たちの信用できる学者に再現をさせてもいい」

「いや……その点では、疑う点も無いが……」

人間性はさておき、監獄の住人たちの能力や、ある種の誠実さについては、ルーカスも腹で理解しているのである――ルーカス自身、それもどうかとは思うが。

「信憑性よりも今は、その内容だ。先王の実子では、ない……?」

そんなの、エルヴィンの言いがかりでしかないと思っていたのに。

ルーカスは目を見開いたままフェリクスと、テレジアを見た。

腹の内を見せぬ異母兄は、冷ややかな一瞥をホルストに向けるだけだったが、テレジアはさっと青褪めている。

それはそうだろう。

ホルストの持つ絶対的な科学の力によって、いよいよ己の罪が明らかにされようとしているのだから。

(先王の子ではないということは、つまり……やはり、彼女は不貞を働いていたということなのか……?)

冷酷非道な「 血塗れ(ブラッディ) テレジア」とあだ名されながら、その実、妹を庇うために不名誉をかぶってきたという彼女。

その本性は、意外にも潔く誠実だと、そう認識を改めつつあったところだったのに、そんな人物が夫以外の男と通じたというのか。

「ついでに言うと」

だが、ホルストが続けた言葉によって、ルーカスたちはさらなる混乱に突き落とされることになった。

「やめてくれ――」

「そこの王太后サマとフェリクス王も、親子関係にはない」

テレジアの制止と、ホルストによる衝撃的な指摘は、同時だった。