軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24.「普通」のピンチ(6)

無垢の木で作った邪悪な祭壇に、穢れた場所で育てた純白の綿から成る衣、本物より美しいまがい物の美術品、猛々しく生気の無い花。

魔力覚醒の儀式には、いかにも魔族好みの、矛盾し、ねじれた供物が必要とされる。

さらには、幾千の血塗られた金貨や、宝石といった、とてもすぐには用意できない宝飾品も。

だが、

「ちょうど監獄内で揃えやすいものばかりで、助かりました」

と、一人儀式の準備を進めていたエルマは告げた。

地獄とまで称される監獄の裏庭で育てた「木綿、その先へ」や、贋作の絵画、危険物でありながら無機物の「花火」、大罪人たちが私蔵していた宝飾品。

既にだいたいの供物が揃っていたので、あとは、祭壇と衣服を仕立てるだけで済んだのだ。

エルマは綿で 誂(あつら) えた純白のワンピースに着替え、緻密な彫刻を施した祭壇に供物を並べると、石床を掘って作った浅い槽に、白い足を踏み入れた。

「文献によれば、この槽内に、魔力覚醒を願う百万の生き物の血を注ぎ入れ、私のまとった衣がそれを吸いつくし――つまり私が全身に血をまとった状態になると、覚醒が起こるのだそうです」

血を浴びると酔う、ということですかね、と、エルマは補足した。

「酔う、という言葉の通り、強い魔力に目覚めた魔族――魔王は、しばしば、それまでとは全く異なる人格や言動を見せるようです。なので、もし……」

そこで、言いづらそうに口を閉ざす。

だが、儀式のために、ハイデマリーの元から離れて部屋に戻ってきたギルベルトの姿を認めると、おずおずと続けた。

「もし私が、皆さまのことを害するようなことがあれば、……殺してでも止めてください」

不穏な単語に、聴衆が一瞬息を呑む。

かつて「神殺しの英雄」とまで謳われた父に、縋るような視線を送ったエルマだったが、ギルベルトは静かに首を振るだけだった。

「覚醒したての魔王など、殺さずともどうにでもできる。それに――俺は、君の父親を知っている。エルマ、君の体に流れるのが彼の血である以上、滅多なことにはならないはずだ」

彼は、「娘」の夜明け色の瞳を優しく覗き込んだ。

「信じてくれ。君の父親たちのことを」

エルマは静かに息を呑んだ。

ギルベルトはこれまで、エルマに実の父が魔族であることを明かさなかった。

同時に、自分こそが実父であるという嘘を、刷り込むこともしなかった。

だが、今のたった一つの言葉で理解できた。

父親たち。

ギルベルトは、魔族の最後の生き残りであったという男のことも、自分自身も、そして監獄の大罪人たちのことも、等しくエルマの親として認めているのだ。

「……はい」

エルマはこくりと頷いた。

「信じております。お父様方」

「ご安心くださいませ、エルマエル様にはこのデボラも付いておりますわ!」

とその時、緊迫感漂う部屋に、明るい声が響く。

デボラは元気づけるためか、エルマのほっそりとした両手を取って、きゅっと握りしめた。

「不肖デボラ、エルマエル様がたとえどのようなキャラチェンジを果たしたとしても、全力で付いてまいります。ドジっ子でもいい、無気力系でもいい、狂気病みキャラでも実においしい、ああん、でもでも、欲を言えば色気滴るドS女王キャラなんかですと――あっ」

「デボラ様は少し自重という言葉を覚えるべきですわ!」

どうやら純粋な激励というわけでもなかったらしい。

横からイレーネが「いろいろ台無し!」と叫びながら、握った手をぶんと薙ぎ払ったが、おかげで室内の張り詰めた空気も解された。

エルマは「よろしくお願いいたします」とくすくす笑いながら、槽の中で跪く。

ちらりと目で合図すると、ホルストが頷き、小瓶からタンクに移していた大量の血を、静かに槽へと注ぎはじめた。

途端に、つんと鉄臭い匂いが立ち込める。

女性陣は慣れぬ血臭に唇を引き結んだが、そんな中で、エルマはふと、足の指先を浸しはじめた赤い液体に、興味を惹かれたように視線を向けた。

少しぬるつく、生温かな液体。

紅く――いや、今は薄暗い室内にあって、黒くさえ見える。

純白の衣がみるみる血を吸い上げ、裾から染まってゆくのと同時に、エルマはぽつりと呟きを漏らした。

「――あ……」

なんて、心地よい。

それはまるで、温かな湯に身を浸したときのよう。

それとも、羊水に浮かぶ胎児がこのような気持ちなのだろうか。

温かく、滑らかで、懐かしい匂いがする。

いや。

それと同時に、凍っていた血潮が、どくどくと音を立てて流れ出すような――。

じわり、じわりと血が衣服を這い上る様は、 傍(はた) からは邪悪な血が無垢な少女を穢しているかのようにも見えたが、その実、エルマは全身が歓喜に沸き立つのを感じていた。

ああ。

やはり、自分は魔族の娘であったのだ――。

「きもち……いい……」

可憐な唇から、幼い呟きが漏れる。

夜明け色だった瞳は、徐々に赤みが強くなり、今はうっすらと紫がかっていた。

「こんなに……きもちが、よくて……、……こわい……っ」

あどけない瞳は、未知の快感に怯えてうっすらと涙を浮かべている。

そのあまりに庇護欲をくすぐる姿に、一同は思わずうっと胸を押さえた。

「こ……これが覚醒状態か……!? 魔王がこんなに愛らしくていいのか……!?」

「こんな魔王がいたら、そりゃあ配下の魔族は世界を捧げたくなるってもんですわ……!」

ルーカスやイレーネはもちろんのこと、

「く……、十年ほど前の 幼気(いたいけ) なエルマの姿を思い出します……!」

「今は今であたし似の美少女だけど、やっぱこれはこれで破壊力が凄まじいわぁ……!」

「これが、魔王とは、とうてい、思えん……っ」

大罪人たちも十年ほど前の育児ライフが蘇ったのか、シャバの人間以上にダメージを食らっている。

が、

「こ……、こわくて、……あぁっ」

エルマが両腕できゅっと自身を抱きしめ、大きく息を吐きだした途端、

――ゴォッ!

凄まじいかまいたちが起こり、堅固なはずの壁と、一同の前髪の一部を切り取っていった。

「やっぱ魔王だーーー!!!」

破壊力千万なエルマに、皆が仲良く絶叫する。

しゃがみ込み、小さく震えるエルマは、見た目こそ繊細可憐な美少女だったが、その実、息吹ひとつで周囲の命を奪いかねない恐るべき存在だった。

ギルベルトもイザークも、本能的にじり、とエルマとの距離を測りはじめる。

だがそんな中にあって、デボラだけが槽の近くににじり寄り、選手に檄を飛ばす熱血コーチよろしく、エルマに声を掛けた。

「足りない足りない! まだ全然足りない! エルマエル様、あなたはまだまだ、素晴らしい魔王になれる! なれますとも!」

どうやら彼女は、ロリ庇護欲キャラよりも、もっとパンチのある魔王キャラを求めているらしい。

それを受けて、ということではないだろうが、衣にさらに血を吸わせたエルマは、そこでまた態度の変貌を見せた。

「ん……――」

どこか甘えるような、寛いだ声。

血がもたらす快感に慣れたのか、先程までのような怯えた素振りは見せず、ただ心地よさそうに目を細めている。

その瞳は一層青味を失い、ほとんど赤と呼んで差し支えない色になっていた。

「ほしい……もっと……」

二の腕を抱き締めていた両手をほどき、ゆるりと立ち上がる。

先程とは打って変わって、妖艶な立ち姿を見せた彼女は、紅い唇を見せつけるように舌舐めずりをした。

「血を……力を……もっと……!」

細く白い指が、血に染まった衣服に沿って、ねだるように体を撫でる。

渇きを宥めるつもりなのか、血に濡れた両手を喉に這わすエルマを見て、一同はばっと口元を押さえた。

「…………エ」

――エッロ……!!

それはなんて煽情的な。

見るもの全ての興奮を引き出さずにはいられない、暴力的なほどの美しさ。

鼻の付け根を揉んだり、口を引き結んだりして、諸々の発露を抑え込んでいる面々に、エルマはすぅっと目を細めて微笑みかけた。

「早く」

「……え?」

「早く、すべての血を寄越しなさい」

血で彩られた女王の命令に、一同は無意識のうちに跪いていた。

いや、「なにか」によって全身を地に打ち付けられたのだと言っていい。

呼吸を忘れるほどの色艶、そして肌が粟立つほどの威厳に、体がいつの間にか屈していた。

「これが……魔王となったエルマの姿なんだ……」

ホルストでさえ、熱に浮かされたように譫言を紡ぎ、血を注ぎ入れるペースを速めてゆく。

デボラは槽のすぐ側で五体投地しながら、狂信者さながらの表情でエルマを見上げていた。

「は、鼻血が……っ。けれど……まだ……! まだいけるまだいける! エ ロ(・) マエル様は、まだまだいける……!」

もはや呂律が回っていない。

それでも彼女は、崇拝するエルマの究極のその先を見届けようとしているようだった。

「大丈夫! できるできる! もっと、もっと熱くなれる! 崖っぷち、最高おおお!」

それとも気が狂ったのだろうか。

デボラの熱血応援が実を結んだのか、はたまた無意味だったのか、とうとう衣のすべてが血を含んだ時、エルマのまとう雰囲気が、また変化した。

「――……」

微笑みの形に細めていた瞳を、静かに閉じる。

ふと、力が抜けたようにその場に跪くと、彼女は静かに両手を広げた。

――ふわ……

どこからともなく風が起こる。

それは血生臭くもなければ、色香も含んでもおらず、夜空を映す湖面のように、ただ静かに澄み渡っていた。

血を吸った長い髪は、 射干玉(ぬばたま) の黒。

ゆっくりと持ち上げた瞼の下から現れたのは、宝石のように透き通った真紅。

形の良い唇が、そっと音を紡いだ。

「私に注がれたすべての血に、感謝を」

玲瓏たる声だ。

これまで無様な格好で膝をついたり口を押さえていたりした面々は、無意識に佇まいを正した。

血臭や叫び声で溢れていたはずの居室は、いつの間にか、夜の雪原のようにしんと静まり返っていた。

(な、なんか……)

漆黒に見える衣。

濡れた黒髪。

荘厳な空間。

厳粛な面持ちで両手を組むエルマを前に、人々は思った。

「この身に捧げられたあまねく血、その祈りを力に変えて」

凛と意思を宿した、純度の高い紅瞳。

「必ずや、救済を我が手に」

――なんか、一周回ってめっちゃ聖女っぽいんですけど!

魔王の血が覚醒したほうが、よほど聖女めいた言動になるという謎仕様であった。