作品タイトル不明
【30】
グレースのけがの手当てをしてから、最初に通された応接室に入ると、先に連れてこられていたミリアンとセヴランが騒いでいた。
「どうして!? どうしてあの女が継ぐの!?」
「デュノア伯爵位は僕のものだ! そうでしょ、父上!」
なんとなく状況がわかる気がしたが、ユーグはナタリーに尋ねた。
「どういう状況だ?」
「父がグレースに爵位を譲ると言ったんです」
「なるほど」
姉妹にも言われているが、父親のジョアキムはまだしも現実が見えている。現実的に考えて、セヴランが爵位を継ぐことはできない。グレースもあまり王妃に好かれてはいないが、法を犯したわけではないので彼女が相続するほうが自然だ。彼女は既婚者で、夫は貴族だ。ユーグのことであるが。
「いい加減にしないか。セヴランは王太子殿下の不興を被り、不敬罪に問われている。監督不行き届きとして私も処分を受ける。ミリアンは爵位を継ぐことができない。なら、グレースが相続するしかない」
「そんな……セヴランだって悪気があったわけじゃ、」
「相手は王族だ。それで済むわけがないだろう」
ジョアキムの言う通りだ。これでセヴランに反省の色でもあれば、もう少し違ったかもしれないが、どうもそんな様子はない。姉たちの話を聞くに、それほど頭もよくないようだ。姉は二人とも頭脳明晰なのに。
「ミリアン。君と争いたくなくて、私はいつも譲ってきた」
ジョアキムが真剣に言うが、物は言いようだな、とユーグは思った。多分、姉妹も同じことを思っていると思う。目が死んでいる。
「今となってはもう遅いが、私はちゃんと意見を述べるべきだったし、君は人の意見に耳を貸すべきだった」
「私のわがままだって言うの!」
「少なくとも、今の主張はそうだ。私は最初に、セヴランが爵位を継げる可能性は低いと言ったはずだ」
そのうえで、グレースをさらうことに関しては意見が一致したのだろう。ジョアキムはグレースに爵位を相続させたいが、結婚相手がユーグでは困る。もっと言うことを聞くような相手がいい。ミリアンはセヴランに爵位を継がせるため、金で役人を買収しようとしたのだろう。その資金を得るためにグレースを売ろうとした。ユーグと結婚しなければその予定だったのだから、と。
「では、グレースが相続すると言うことでよろしいですな」
「ええ」
レイモンの言葉に、ジョアキムははっきりとうなずいた。今となってはグレースを離婚させて別の相手を、と言う方法はもう使えない。グレースはユーグの妻のまま、デュノア伯爵位を相続する。女性は爵位を継げないので、デュノア伯爵はユーグが名乗ることになる。要件を満たせば女性も爵位を名乗れるが、今回は既婚女性が爵位を相続し、その夫は生きている。この場合は夫の方に爵位が行く。夫婦の共有財産とみなされるためだ。
と言うことは、純粋に考えてユーグは父よりも爵位が上になってしまう。このあたりのことは後で考えよう。ユーグはグレースと離婚する気はない。
ミリアンとセヴランがまだわめいているが、ジョアキムはもう取り合わなかった。もっと早くに彼が決断していれば、グレースもナタリーも苦労しなかったかもしれない。追い詰められて覚悟が決まったのかもしれないが。
爵位云々はともかく、ユーグたちは連れ去られたグレースを回収しに来たのだ。爵位はついでだ。これを解決しなければ、グレースを連れ戻せないから。
なので、レイモンは話が決まると「行くぞ」とサクッと切り上げることを告げた。グレースはもちろん、ナタリーも一緒だ。
「なぜお前も来るんだ」
「いいじゃない、別に」
ナタリーがしれっと言う。確かにグレースに説明しなければならないこともあるだろう。それに、デュノア伯爵家に残していけば、ミリアンとセヴランを再起不能にしそうである。
そのグレースは、ナタリーの肩に頭を預けて目を閉じていた。眠ってはいないと思うが、つかれているのだろう。顔色が悪い。帰りの馬車は、ナタリーがグレースの隣を占領していた。
「グレース! よかったぁ!」
出迎えてくれたのはアメリーとレナエルだった。レナエルは夫も子供も待っているだろうに、グレースの顔を見るために待っていたようだ。
「ごめんなさい、私が最後まで送ればよかったわ」
「いいえ。たまたま昨日だっただけで、いつか起こったことです。レナお姉様のせいではありません」
涙目のレナエルに、グレースはきっぱりと言った。レナエルが責任を感じるのもわかるが、グレースの言うことも正しい。いつかは起こったことで、それがたまたま昨日起こったのだ。
「とにかく、本当に無事でよかったわ……」
ひとしきりグレースの無事を確認してから、レナエルは嫁ぎ先のヴァンタール男爵家に帰って行った。夫と子供を放り出したままだからだ。ナタリーの話も聞きたいようだが、一旦帰らなければならないと思ったのだろう。後で顛末を教えてくれ、と言われた。
「ひとまずグレースは着替えていらっしゃい。おなかもすいたでしょう?」
「はい」
アメリーに優しく言われ、グレースはうなずいたが、どちらに対する頷きだろうか。
「疲れているところ悪いが、着替えたら居間の方に来てくれ。話し合わねばならないし、軽食をそちらに用意させる」
レイモンにも言われ、グレースはさすがに恐縮したように「恐れ入ります」と言った。グレースとナタリーは、それぞれの謙虚さと図太さを足して割ったらちょうどいいくらいになるのではないだろうか。
グレースは着替えるだけではなく、湯あみをして頬のちゃんとした治療も受けた。そのため少し遅くなってしまったが、ユーグは彼女をエスコートしに部屋に来ていた。
「遅くなりました……」
恐縮しきりのグレースが小さな声で言う。ユーグは「かまわない」と彼女の手を取る。
「女性の身支度は時間がかかるものだからな」
一般的な話である。怒りだす女性もいるだろうが、グレースは「そうでしょうか」と首をかしげている。彼女の生真面目で少しずれているところは、結婚した時から変わっていない。
居間として使っている部屋に入ると、他は全員揃っていた。サンドイッチなどの軽食が用意してあり、ちょっとしたお茶会だ。ユーグたちも朝が早かったので小腹がすいている。
「グレース、少しは落ち着いたかしら」
「はい。ありがとうございます」
アメリーに声をかけられて、グレースはうなずいた。実際、少し顔色がよく見える。そんなグレースを、エドメがまじまじと見つめていた。
「俺の妻がどうかしたか」
どんなに眺められてもスルーしているグレースに代わり、ユーグが兄に尋ねた。エドメは慌てたように「いや」と首を左右に振る。
「ナタリーの妹だよな。顔が似ている。もっと地味な印象だったから驚いた。きれいな子だな」
「グレースが美人なのは当然だろう」
「グレースは最初から可愛いわ」
ユーグとナタリーが同時に口を開いて別のことを言った。尤も、言っていることは似ている。
「二人とも、真顔で何を言っているんですか」
少し照れたようにグレースが突っ込みを入れた。不用意なことを言ったと、エドメが遠い目になる。