作品タイトル不明
1 失わせ屋、始めました(1)
王都から遠く離れた、のんびりした地方都市。
そのまた郊外にある、石造りの小さな家。
《ティナ、君がいないと予算が通らない。どうか魔塔に戻ってきてくれ。部長の椅子を用意してもいいし、君が再三問題提起していた過重労働についても、鋭意検討するから》
「鋭意検討する」とは、「検討するふりだけして、やらない予定」と同義である。
私はパチンと指を鳴らして、元上司からの手紙を魔法の火で燃やした。
彼からの手紙は、もう何通目だろう。
私の「精緻な幻影」と「正確な未来シミュレーション」による業績を横取りし、面倒な雑務はすべて押し付け、ぶっ倒れるまで働かせた男。
彼に泣きつかれたところで、戻る理由がひとつもない。
魔塔時代は給料を使う時間すらなかったから蓄えはあるし、少ないけれども退職金も出たし、祖母が遺した家庭菜園付き一戸建ては居心地がいいのだから。
「今さら後悔しても、もう遅い」
口に出してから、気づく。
どうやら人間は、失ってはじめて、「当たり前だと思っていたものの大切さ」に気づいて後悔するのがデフォルトなのだと。
手柄をもたらす部下、諫めてくれる婚約者、痛まない膝、詰まらない血管、フレッシュな記憶力、有り余る時間などなど…
「…ならば」
ひとつひらめいた私は、暇つぶしがてら商売を始めることにした。
◆
【失わせ屋――言葉では理解してくれないあの人に、後悔のお試し体験を】
そんな看板をかけた数日後、初めての客がためらいがちにドアを押した。
からからと鈴が鳴る。
「後悔のお試し体験っていうのが気になって、来たんですけど…」
「自ら破滅に向かっている人に、『精緻な幻影』と『高確度の未来シミュレーション』をもとに、大切なものを失った未来を体験させるんです」
「私が見せたいものを見せられるんですか?」
「それは保証できません。依頼主さんの希望に近い内容になるかどうかは、状況次第です。説明しますと…」
私の未来シミュレーションは、意図的に「見せたい未来」を作り出すようなものではない。
現状や対象者の考えをもとに、確率の高い結末を導き出すものだ。
「内容の操作はできませんが、だからこそリアルなのが売りです」
「うーん…」
初めての客は、新しいサービスに戸惑っているようだ。
「…ところで、どなたに後悔を体験させたいんですか?」
私に勧められるまま椅子に腰掛けた三十代半ばくらいの女性は、「夫に」と言った。
「本当に不摂生なんです。脂物ばかり食べて、せっかく薄味にしてもソースをダバダバかけてしまうし、お酒もやめてくれないし、運動もあんまり。散歩に誘っても『面倒』という一言で」
「心配なんですね」
「ええ。まだ小さい子どももいますから死なれたら困りますし、何より…あんな夫でも愛していますから」
愛する夫が身体が壊すことを心配してやって来た、優しい奥さん。
「不摂生を続けていたらどうなるか、体験させたいんです。それで改心して、生活を改めてくれたらと思って。『絶対後悔するよ』といくら言っても、聞いてくれませんから」
そう言いつつも、「本当に効果があるなら、ですけど」とまだ疑っている。
新しい商売だから、無理もない。
モニターも必要だと割り切って、「初めてのお客さんなので、後悔体験は無料にします。でも、もし気に入ったらオプションの購入を検討してくれませんか」と微笑みかける。
「本当に無料だし、オプションも強引な販売はいたしませんから」と何度も説明して、ようやく彼女は納得してくれた。
案内してもらって彼女の家に向かい、「どうもこんにちは」と彼女の夫の肩を叩いて、ふわりと術をかける。
「あなたの未来を、どうぞ」
◇
彼が見るのは、いわゆる生活習慣病の末期。
腎機能が低下し、炎天下で喉が焼けるほど渇いても、コップ一杯の水を飲むことも許されない水分制限。
味のしない食事を運んでくれる妻の服はボロボロで、平日の昼だというのに勉強好きな子どもは家にいる。学校に行けていないのだ。
自分が働けなくなり、けれど治療費はかかり、家族が苦しい生活をしていることがわかる。
「すまない…」
今さらどれだけ後悔しても、糖尿病の合併症は確実に彼の末端を蝕んでいく。
ハッと気づくと、足の指が終わりを告げるように真っ黒になっているのだ。
鼻につく腐敗臭。
「嫌だ、切らないでくれ!嫌だ…!」
壊死した足の指を切り落とされる痛み。
視界が白濁して、愛する家族の顔すら見えなくなる、恐怖。
それらすべてを五感で体験させたところで、私は術を解いた。
◇
依頼主の夫は椅子から転げ落ちながら現実へ戻ってきた。
奥さんの服を確認し、子どもが学校に行っていることを知ってほっとし、靴を脱いでまだつながっている足の指を触る。
額に脂汗が滲んでいる。
「い、今のは…なんだ…?夢…?にしてはいやにリアルな…」
「今の生活をこのまま続けたときの、あなたの未来です」
「そ、そんな…」
「本当にあの通りになるかどうかは、これからのあなた次第ですが」
沈黙のあと、夫は深く頭を垂れた。
「あんな未来は絶対に嫌だ。食事も、酒も、全部見直す」
「そうしてください。あなたを愛して心配して、そして頼りにもしているご家族のために」
私は、呆然としている奥さんを振り返る。
うん、モニターとしては最高の反応。
ここで間髪入れずオプションのご紹介を。
「今の幻影をカプセルに詰めました。飲むといつでもさっきの幻影を再体験できるので、初心を忘れたときに使えますよ。オプションでいかがです?」
「…あっ!?ええ、いいですね。すごくいい。もちろん買いますよ」
「今なら一ダースあたり銀貨一枚。明日以降は一ダースあたり銀貨二枚になります」
奥さんは、迷わずに財布から銀貨を二枚出した。私はその場で二十四個のカプセルを生成して、奥さんに納品する。
「毎度あり。追加購入もできますので、入り用になったらまた」
「お知り合いにもぜひ宣伝を」とお願いして、私は彼らの家を出た。