作品タイトル不明
聖都シエルへ
大事なことを忘れていたと、ふと思い出す。
「アルヴィ、どうしたの?」
「じ、実は、お使いを頼まれておりまして」
本来であれば国境近くの街で済ませるべきだったのだ。
「何を頼まれていたの?」
「あの、ご存じかわからないのですが、〝神学校・真なる兄弟の絆〟という小説を買ってくるように頼まれたのですが」
小説のタイトルを出した瞬間、エルヴィンの顔色がみるみる悪くなった。
「もしかしてご存じですか?」
「ご存じも何も、聖騎士の中で知らない人はいないくらい有名だよ!」
女性向けの内容かと個人的に思っていたのだが、そうではなかったようだ。
「その、男性にも人気が高い作品なんですね」
「違う、違う、違う! そうじゃなくて、その作品が神学校について詳しく書かれているって一時期、とんでもなく話題になったんだ」
興味本位で手に取った聖騎士の一人が、他の聖騎士に読んでみるようにと回し読みを始めたことにより、みるみるうちに有名になっていったという。
「神学校について、これまでは神秘のベールに隠されているって言われていたんだ」
けれども〝神学校・真なる兄弟の絆〟によって、これまで周知されることのなかった学園生活が明らかになっていったという。
「作者の名前は〝シャルロット・ド・ドリージャン〟。女性名だけれど、神学校の卒業生なんじゃないかって、噂になっていたんだ」
けれども神学校内の重要な情報は書かれていないため、身内や知人から聞いた話をネタに執筆したのではないか、と囁かれているという。
「あの濃密な恋愛描写は男には無理だよ……たぶん」
エルヴィンは半分も読まない間に、リタイアしたという。
「神学校についての書かれ方は興味深かったんだけれどね」
なんでも神学校の関係者に怒られない程度の詳しさだったという。
「アルヴィは読んだ?」
「いいえ、神学校の入学試験勉強で忙しかったので」
「えっ、勉強したの!? 入学試験なんて、名前さえ書いていれば合格するくらいのザル審査なのに」
入学するのは極めて簡単だが、卒業するのは難しいという。
在学期間は二年間だが、卒業資格を得られずに留年する者は少なくないという。
私も卒業できるのか、ドキドキだった。
「名前を書けばいいというのは、私もすべて終わってから知りました」
けれども頭に叩き込んだ知識は聖術の基礎になるというし、神学校での暮らしで役に立つこと間違いないだろう。
「国境の街で気付けばよかったのですが」
聖都シエルに到着するのは深夜。書店なんてどこも開いていないだろう。
明日は入学式なので、買いに行く暇なんてない。
「あー、でもあの街に書店はなかったような?」
「そうなのですか?」
「まあ、もしかしたら雑貨店に古本があるかもしれないけれど」
「古本でもいいと言っていましたが、アインホルン聖国オリジナルの初版が欲しいとかで」
「オリジナルの初版!? それは無理かも!」
エルヴィンはカッと目を見開きながら訴える。
「どうして無理なのでしょう?」
「発売してすぐに発禁本指定になって、回収されたらしい」
「神学校関係者に目を付けられたのですか?」
「いいや、違う。恋愛シーンが問題になったらしい」
「わあ……」
その後、すぐに修正版が出されて刊行されたのだとか。
「オリジナル初版は古本でも出回ってないと思う」
「どうしましょう」
「無理だって連絡したほうがいいよ」
「そうですね」
まさかそんなに入手が難しい物だったとは、思いもしなかった。
「まあ、もしかしたら下町のなんでも屋さんとかにあるかもしれないけれど」
「エルヴィン、お願いします!」
「いやいや、無理、無理!!」
手にすることすら恥ずかしいという。
「そうですか……」
「いや、まあ、その、夏のホリデーとかあるだろうから、そのときだったら一緒に探しに行ってもいいけれど」
「本当ですか!?」
「うん、休みがあったらね」
「ありがとうございます!!」
持つべきものは、親切な従兄なのだ。
エルヴィンに感謝したのは言うまでもない。
それから会話が尽きることなく、あっという間に聖都シエルに到着した。
建物も地面もすべて白で統一されているというが、夜なのであまりわからない。
街はすっかり静まり返っていた。
オブリガシオン王国であれば、まだこれくらいの時間は街は煌々と輝いている。
酔っ払いもいないし、逢瀬を楽しむ恋人同士の姿もない。
とても静かな夜だった。
エルヴィンは宿まで案内してくれた。
いい宿を予約してくれたようで、感謝しかない。
「エルヴィン、ありがとうございました」
「いえいえ! 何かあったら、頼ってよ」
次にエルヴィンに会えるのは夏のホリデーだろうか。
もっと早くやってきて、伯父にも挨拶したかったのだが、引き継ぎや準備に思っていた以上に時間がかかって、ギリギリのスケジュールになってしまった。
「いろいろ大変だろうけれど、頑張ってね」
「ええ」
エルヴィンとは握手と抱擁を交わし、別れることとなった。