軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第164話「ソフィア皇女、リカルド皇子と会談する」

その日『ノーザの町』に、帝国の皇子がやってきた。

皇子の名は、リカルド・ドルガリア。

兵団と共にやってきたリアナ皇女やソフィア皇女とは対照的に、わずかな兵士を連れての、お忍びでの来訪だった。

町に着いたリカルド皇子は、門を守る兵士に、会談の約束について告げた。

門の側で待機していたアイザック部隊長は、即座に対応した。

その後はアイザック部隊長が、皇子を会談の場へと案内することとなった。

会談の場所は、ソフィア皇女の屋敷にある広間。

参加者はリカルド皇子とソフィア皇女。

立会人として、皇子の部隊の隊長と、アイザック部隊長。

それと──謎の記録係の少年が、同室することになったのだった。

──ソフィア皇女視点──

「久しいな、ソフィア。お前の活躍は聞いている。聞いているとも」

会談の席に着くなり、リカルド皇子は言った。

「まずは、会談に応じてくれたことに感謝する。元気だったか?」

「はい。私には、この国境地帯の空気が合っているようです」

「ならば結構。では、このリカルドから、最初に言いたいことがある」

リカルド皇子は手を挙げて、芝居がかった仕草で、

「まずは謝罪しよう。このリカルドの部隊の者が、お前のいる宿に侵入してしまったことを。やむを得ぬことだったとはいえ、ここは詫びるのは礼儀だろうな」

「意外ですね。兄上」

軽く頭を下げるリカルドに、ソフィアは不思議そうな顔で、

「配下が不法な行為をしたことを、あっさりと認めるとは思いませんでした」

「勇者とは過ちを認め、成長するものだ。それに、調べればわかることをごまかしても仕方ない。うむ。時間の無駄だからな」

「……兄上とは、そういうお方でしたか」

ソフィアはドレスのスカートを握りしめ、応えた。

目の前にはリカルド皇子がいる。金髪の、人好きのする笑顔の青年だ。

リカルドは、ソフィアとは2歳違いの兄になる。皇位継承権を持ち、戦闘力も高い。幼いころから剣士や魔術師の指導を受け、帝王学も学んでいると聞いている。

すでに皇太子は長兄のディアスと決まっているが、即位前に皇太子が死んだ例もあれば、皇太子を 廃(はい) された例もある。

そんな時のために、リカルドは次期皇帝にふさわしい教育を受けてきたのだろう。

もっとも、離宮に閉じ込められていたソフィアが、彼と会う機会はなかったのだけれど。

( 噂(うわさ) では、親しみやすい人物と聞いていますが……)

目の前にいるリカルドは、自宅にいるかのようにくつろいでいる。

出されたお茶を焼き菓子も、部下に毒味をさせたあとは、普通に食べている。

ソフィアにも、案内役のアイザックにも、分け隔てなく笑いかけている。

確かに、気さくで親しみやすいようにも見えるのだが……。

(……配下の兵を私の宿舎や、魔王領の交易所に兵を侵入させてこの態度ですか)

帝都では、リカルド皇子の評判はふたつに分かれている。

──部下の心がわかる、親しみやすい皇子。

──人の心がわからない、近寄りがたい皇子。

このふたつだ。

同じ人間で、どうしてここまで評価が分かれるのか、ソフィアには分からない。

本当のことを言えば、ソフィアは兄と会うのが怖かった。

こちらに兵を送り込んできて、平気で会談を申し込んでくる神経が理解できなかった。そんな兄と向き合うのは恐ろしい。当たり前のことだ。

けれど──

(トール・カナンさまが、私を見てくださっています)

部屋の隅に置かれた机で、羊皮紙にペンを走らせている少年がいる。

記録係として立ち会ってくれた、トールだ。

彼が近くにいるだけで、不思議と力が湧いてくる。

相手が年長の皇子でも、父皇帝であったとしても恐れることはない。

──そんな気がするのだった。

「兄上がご自分の過ちを認め、謝罪されているのはわかりました」

ソフィアは兄リカルドに向けて、言った。

「ではうかがいます。兄上はなぜ、私の宿舎に部下を侵入させたのですか?」

「それは言えぬ! 残念だが言えぬのだよ」

「……言えない?」

「重要な任務のためだからな。このリカルドの口から言うわけにはいかない」

「『例の箱』の調査のためではないのですか?」

「……なんだ、知っていたのか」

悪びれない口調で、リカルドは、

「だったら話が早い。このリカルドは悪者が持ち去った、とある箱を探していた。だが、事は極秘で進める必要があった。そのため、お前がどのような情報を持っているか、調べる必要があったのだ」

「……あっさりと、お認めになりましたね」

「極秘のため、お前に許可を取るわけにはいかなかった。改めて謝罪しよう」

「兄上には私以外にも謝罪すべき相手がいらっしゃるのではないですか?」

ソフィアは背筋を伸ばして、きっぱりと告げた。

「兄上は、国境地帯の交易所にも兵士を侵入させていますね」

「重要な任務のためにな」

「あの交易所は『ノーザの町』と魔王領が共同で管理している場所です。当時は、魔王領の方々が 常駐(じょうちゅう) していました。そこに兄上の兵が無断で侵入したことで、交易所は大騒ぎになったのです」

最後の部分は嘘だ。

魔王領の人々は、リカルドの兵の侵入に、まったく動揺しなかった。

というよりも、侵入に気づく前にトールのマジックアイテムが、兵たちを無力化してしまった。

『三角コーン』と、謎の看板のようなアイテムだったと聞いている。

だから、魔王領の者たちには、まったく被害は出ていない。

(──ですが、おおげさに話すのも、交渉術のひとつですからね)

それはリカルドから、なるべく多くの譲歩を引き出すためだ。

こちらが握っている情報を伏せているのも、そのためだった。

「偉大なる帝国の皇子が、隣国に不当な行為を行ったのです。兄上はその被害の対価を払い、謝罪のお手紙を出すべきでしょう。違いますか?」

「わかった。では、ソフィアが魔王領と話をつけてくれ」

リカルドは言った。

胸を反らして、自信に満ちた表情で。

ソフィアは、不審なものを見るような目で、

「……兄上。あなたはなにをおっしゃっているのですか?」

「ソフィアは国境地帯の領主となることを望んだ。それは、魔王領となにかあったときの窓口となるためだろう? ならば今回の件も、お前が窓口となり、魔王領に謝罪すればよいのではないか?」

「ご自身で詫びるつもりはないと?」

「お前には詫びる。手間をかけさせる分の対価は支払う。それでいいだろう?」

「私が問題にしているのは、兄上のやり方で──」

「勇者をあがめる帝国の皇子が、魔族や亜人となれあうわけにはいかない。そんなこと、お前にもわかるだろうに」

リカルド皇子は『理解できない』とばかりに首をかしげている。

苦いものを飲み込んだような顔で、ソフィアは 頭(かぶり) を振る。

リカルド皇子は、彼女の兄だ。

なのに、まったく言葉が通じていないような気がした。

「それに、これはお前の利益にもなることだ」

ソフィアの内心には気づかず、リカルド皇子は続ける。

「このリカルドが、亜人や魔族に謝罪してしまったら、皇子としての価値が落ちる。お前に与えるメリットも小さくなってしまう。それはよくない。よくないぞ」

「……どういう意味です」

「このリカルドは重要な使命のためにここに来ている。いずれはその成果を帝都に持ち帰り、報酬をもらうこととなる。役目を果たしたことで立場も良くなり、地位も上がるはずだ。その結果、このリカルドは、お前に利益を 還元(かんげん) するのだよ。宿舎に兵を送り込んだ詫びと、魔王領との 折衝(せっしょう) を任せる手間賃としてな」

「だから……?」

「このリカルドがミスを認め、それが帝都に知られたら、得られるものは少なくなるだろう。お前に渡す 報酬(ほうしゅう) も減る。それはお前にとっても損だ。だから、このリカルドは魔王領とは関わらない。彼らの相手はお前に一任する。それだけのことだ」

当たり前のことのように、リカルド皇子は言った。

ソフィアはやっと、彼の言いたいことを理解した。

リカルド皇子は手柄を立てて、帝都に 凱旋(がいせん) するつもりでいる。

その手柄によって地位を上げて、大きな報酬を手にするつもりなのだ。

そのためには、ミスは無かったことにした方がいい。

ソフィアに謝罪したのも、彼女が今回の件を帝都に報告しないように釘を刺すためだろう。

代わりに、帝都に戻り、彼がこれから受ける利益を、ソフィアにも分け与える。

その利益は、リカルドの地位が高くなればなるほど大きくなる。

代わりに魔王領との交渉などは、すべてソフィアに任せる。

魔王領とトラブルを起こしたとなれば、リカルドの評価が下がるからだ。

だからリカルドは、彼が魔王領と起こしたトラブルを、ソフィアが解決することを望んでいる。

そうすることで彼の価値を上げるのに協力するべきだ、と──リカルド皇子は、そう言っているのだ。

(……兄上と私では、考えがまったく異なるのですね)

ソフィアは民でも異種族でも、敬意をもって接することにしている。

それが皇女としての正しいあり方だと信じているからだ。

だが、リカルドは自分の価値を高めることだけを考えている。

自分が利用したり、迷惑をかけたりした相手には、自分の利益の一部を分け与えることで納得させようとしている。

それがリカルド皇子のやり方なのだろう。

おそらく彼は、利益を求める部下には、慕われているのだろう。リカルドが手柄を立てるたびに、報酬がもらえるのなら当然だ。

逆に、自分を人間あつかいして欲しい部下からは、嫌われるだろう。

帝都で彼の評価が二分しているのは、そういうことなのだ。

(これが……私の兄だなんて、トール・カナンさまには知られたくなかったです……)

見ると、トールもソフィアと同じように、呆れた顔をしている。

彼が自分と同じ感覚を持っていることがうれしくて、ソフィアはほっと息をつく。

リカルド皇子と相対しているのはソフィアひとりではない。

トールが側にいて、彼女を見守ってくれているのだから。

(では、ここからが交渉の本番ですね)

利益をくれるというなら、限界まで引き出してみせましょう。

そんなことを考えて、ソフィアは気合いを入れる。

「兄上のお考えはわかりました」

ソフィアは穏やかに、兄に向かって宣言した。

「兄上の過ちについては、これ以上は問いません。ですが、兄上が私との会談を望んだのは、それだけではないでしょう? 兄上は『極秘任務のために、ある者と交渉を行うことになった』のですね。それについて協力を求めたいとのことですが……具体的には?」

「資金と、兵を」

リカルドは、短く答えた。

「『例の箱』を手に入れるため、資金と兵を借りたいのだ」

「あら、兄上はすでに『例の箱』の手がかりを見つけていらしたのですか?」

「所有者と話をすることができた。先方は『例の箱』を渡す代わりに金銭を要求している。だが、このリカルドの手元には、先方の条件を満たせるだけの金がない。奴を捕らえるにも、兵力が必要だ」

「私に言われても困ります」

ソフィアは口元を押さえて、作り笑いを浮かべる。

「私は大公カロンさまより、領地をお預かりしているだけ。金も兵も、私の所有物ではありません。それを得体の知れない者との交渉に使うわけには──」

「このリカルドが、対価を保証すると言ってもか?」

「対価とは?」

「『例の箱』の入手は、皇帝陛下とディアス兄から命じられた重要任務だ。それを果たせば、このリカルドへの評価は上がる。大きな報酬を手にすることもできるだろう」

「その報酬から、私どもへの対価をお支払いになると?」

「ああ、その通りだ。お前が払ったものは数倍になって返るだろう」

「そのような危ない投資話に乗るつもりはございません」

ソフィア皇女は立ち上がり、会釈する。

「どうぞ、お引き取りください。兄上」

「──な!?」

リカルド皇子が目を見開く。

一瞬、動揺をあらわにした彼は、すぐに表情を戻して、

「それでは、文書に残すのはどうだ」

「文書に?」

「このリカルドが『例の箱』を手に入れた場合、お前を帝都に呼び戻す。重要な任務に協力した者として、皇帝陛下にお伝えする。役立つ『協力者』として、皆にお前の活躍を伝える。そうすれば、帝都に戻れるかもしれぬ」

さわやかな笑顔で、リカルド皇子は言った。

金色の髪が、窓から差し込む光で輝いている。

帝国の皇子にふさわしい 威厳(いげん) と、自信に満ちた表情で、リカルドは、

「お前は皇帝一族として正当に扱われるようになる。離宮に閉じ込められることも、もうない。帝国のために才能を発揮できるだろう。成果を上げ続ければ、皇位継承権も得られるかもしれない」

「……そうですか」

「誰にもお前を『不要姫』などと呼ばせない。このリカルドが、帝都での強い味方となる。お前の功績を皆が認め、 讃(たた) えるようにしてみせよう!」

その言葉を聞いた瞬間、ソフィアはリカルドに期待するのを止めた。

兄の視界は恐ろしく狭い。自分と同じような人間しか、理解できない。

ソフィアがなにを求めているのか、まったく興味がない。

それが、はっきりとわかったのだ。

だからソフィアは、リカルドを見据えて、告げた。

「そういうことであれば、兄上を頼る必要はありません。私自身がその『例の箱』を見つけ出せばよいのですから」

「──!?」

リカルド皇子が絶句した。

「ま、待て。無理をすることはない。お前は病弱で──」

「私自身が『例の箱』を持つ者と交渉し、入手した後に帝都へと送りましょう。そうすれば兄上を通すこともなく、私自身が報酬をいただけるはずです」

「そうはならない。任務を受けたのはこのリカルドだ。お前が箱を 献上(けんじょう) しても──」

「言質くらいは取ることができます。『国境地帯は大公領の領地とする。ソフィアは終生、その地を領主として治めるべし』──と」

「……なに?」

「私は出世にも、名誉にも興味はございません。望むのは、この地の領主として、責務を全うすることのみ」

胸に手を当て、まるで神聖なる誓いでもあるかのように──ソフィアは宣言した。

「その願いが叶うのなら、私はどんな手でも使いましょう」

「……ありえない。このリカルドには、お前の考えが理解できないぞ!」

「理解してくださいとは言いません。それで、どうされますか? 兄上」

ソフィアは冷えた口調で、告げる。

「兄上が私の望みを叶えるのに協力してくださるのであれば、私は、兄上が『例の箱』を手に入れられるように協力いたしましょう。さもなければ、このままお帰り下さい。私は自力で『例の箱』を入手します。それをもって、帝都の高官たちと交渉いたしましょう」

「ぐ……ぐぬぬ」

「私としてはどちらでも構いません。兄上が『失敗』の汚名をかぶるかどうかの違いです。ですが、私としても、帝都の者と直接交渉するのは面倒ですので、兄上に協力いただければと」

「……どうしろというのだ」

「皇子として、正式な署名をいただきたいのです」

頃合いだった。

ソフィアは、最初から決めておいた言葉を口にした。

「私が『例の箱』の取得に協力する代わりに、一筆書いていただきます。『国境地帯は大公国の領地とする。ソフィアは終生、その地を領主として治める。以上のことにリカルド皇子は協力し、その実現に努める』と。その上で、このソフィアを、箱の入手に協力した者として、帝都に報告してください」

「それを断ったら……?」

「私は仲間と共に『例の箱』を手に入れます。大公さまにお願いして、それを帝都に運んでいただきます。そして大公さまの協力のもと、陛下と交渉いたしましょう。私の願いが叶うようにと」

これが、ソフィアの切り札のひとつだった。

もうひとつの切り札を見せるのは、リカルドが署名をしてからだ。

そして、リカルドの反応は──

「……お前は、それでいいのか。そんな報酬で! 本当に!?」

「構わないと申し上げました。兄上こそ、よろしいのですか?」

「な、なにがだ?」

「陛下直々に命じられた作戦に失敗した場合、他の皇子皇女の中で、立場が悪くなりましょう。リアナは別として……妹のダフネの下風に立つことに、あなたは耐えられるのですか?」

「お、お前には関係ない! それより、お前は──」

「はい?」

「帝都に帰らないということは、それは──」

「そうですね。帝都での出世争いから降りるということです」

静かな声で、ソフィアは告げた。

「兄上は、むなしいと思ったことはありませんか? 帝国は強さがすべてです。強さや力を示したものが上に立つことになっています。貴族も、皇子皇女も」

「当然だ。それが勇者以来の伝統なのだから」

「そのために 未来永劫(みらいえいごう) 、戦い続けなければならないとしても?」

「……なに?」

「強さや力を示すためには、誰かに勝利する必要があります。以前、リアナがここまで『魔獣ガルガロッサ』の討伐にきたのも、魔王領に強さを示すため。帝国が南方で行っている戦争もそうでしょう。帝国の者はみんな、常に、誰かに強さを示す機会や場所、相手を必要としているのです」

ソフィアはひと呼吸おいてから、

「では、戦う相手がいなくなったら、どうするのでしょうね」

ほんの思いつきだった。

トールが『ハード・クリーチャー』についての文書を読んだときに、気づいたことだ。

「例えば、帝国の者が最強になり、勝利する相手がいなくなったら……私たちは異世界から、より強きものを召喚することになるのではないでしょうか。より強力な勇者、あるいは、より強力な魔獣を。それと戦うことで、自分たちの強さを示すために。自分を鍛えるためではなく、他の者たちに『自分の方が強いのだぞ』と示すために」

「……あ」

声がした。

部屋の隅で記録を取っている、トールの声だ。

彼はソフィアの言葉に応えるように、こくこく、とうなずいている。

「……なるほど。そういう仮説も──」

「──ええ。強き者が、さらに強さを示すために、異世界から魔獣を召喚する。それが行き過ぎて、世界の 秩序(ちつじょ) が壊れてしまった……そういう世界も、どこかにあるのかもしれません」

「な、なにを言っているのだ!? ソフィアよ」

「気になさらないでください。少し、かっこいいことを言ってみたかっただけです」

聞かせたかった相手は、リカルドではないのだけれど。

ソフィアは苦笑いしながら、続ける。

「いずれにせよ、私は皇子と皇女のレースを降りることにいたしました。兄上には、それにご協力いただきたいのです。対価として、私は兄上が『例の箱』を入手することに協力しましょう」

「皇子と皇女のレースを降りる……お前はずっと、そんなことを考えていたのか?」

「いいえ。この考えを持つようになったのは、国境地帯に来てからです」

ソフィアは立ち上がり、笑って一礼した。

「国境地帯に来て、魔王領の方々と触れ合い……大切だと思える人と出会い……学び、考え、変わったのです。その変化を、私はとても好ましく思っていますよ」

「…………ぐ」

リカルドは歯がみした。

自分が妹姫を甘く見ていたことを、思い知らされたように。

リカルドはソフィアを『不要姫』として、見下していた。

彼が送り込んだ兵士を捕らえたのも、護衛が優秀だっただけだと。

ソフィアの護衛は大公国の兵士だ。元剣聖カロンの部下ならば、優秀なのは当然だ。リカルドの部下が、不意を突かれても仕方がない──そう思っていた。

だが、違った。

ソフィアはすでに、帝都にいた頃の彼女ではない。

リカルドには理解不能の価値観を持ち、別の視点で世界を見ている。

そして、リカルドにはそれがまったく読めない。

有利な条件で交渉するつもりが、すでに彼女の交渉術に絡め取られていた。

「お前に『例の箱』を手に入れることができるとは限るまい!」

思わずリカルドは声をあげる。

「交渉したいというなら、まずは力を見せろ。それなら協力する!」

「本当ですか?」

「ああ。お前に『例の箱』を入手できるほどの力があるなら、それを示すがいい。そうすれば、お前を対等の交渉相手として認めよう。お前の条件を飲んでもいい」

「一筆、書いていただけますか?」

「このリカルドが信用できないのか?」

「念のためです。 こんなことも(・・・・・・) あろうかと(・・・・・) 書類を用意しておきました。サインをお願いいたします」

「こんなこともあろうかと、だと?」

「私の尊敬するお方が、たまに使う言葉です。真似してみたくなりまして」

「……いいだろう。だが、お前に『例の箱』を入手する力がなかったら?」

「反省し、全面的に兄上に協力いたしましょう」

「わかった。ただし期限は4日だ。それまでにお前に力があることを示せ。ダリル・ザンノーの居場所か、箱の場所を見つけるのだ。いいな」

「承知いたしました」

「…………その大口、後悔するなよ」

「ご忠告、感謝いたします」

言いながら、ソフィアは記録係のトールに近づく。

彼は一礼してから、ソフィアに書類を手渡した。

本当に『こんなこともあろうかと』用意してあったのだろう。

書類には、ソフィアの提案について記されている。

さらに『どのような手段で協力したかは、一切問わないものとする』と書いてある。この記載についてリカルドが訊ねると、ソフィアはすました顔で「力は隠しておくべきですよ。兄上」と答える。

それからソフィアは、書類にリカルドが提示した条件を書き加えた。

それをリカルドに渡すと、彼はしばらく考えてから、書類にサインをした。

「これで契約は成立ですね。では、少し失礼いたします」

ソフィアは席を立った。

すぐに戻ります……そう言って、応接間のドアを開け、廊下へと出て行く。

「……ソフィアはなぜ、ここまで成長することができたのだ」

リカルドは困惑したようにつぶやいた。

「確かに、ソフィアは国境地帯をよく治め、巨大な魔獣とも戦っている。だが、力は弱いはず。なのに、このリカルドの前で堂々と……一体、その自信の源は……」

「失礼します」

不意に、記録係のトールが立ち上がった。

彼はリカルドと兵士たちに一礼して、応接間のドアに近づく。

さっき、ソフィアが出ていったのとは別のドアだ。彼はドアに手をかけたまま、護衛のアイザックの方を見る。アイザックがうなずくと、トールはゆっくりとドアを開けていく。

ドアの向こうは廊下になっていた。

その先で、ソフィアが手を振っている。なぜか、すごくいい笑顔で。

ソフィアの前には箱がある。黒い、よくわからない素材で作られた箱だ。正面には金属製のダイヤルがついている。

それを見て、リカルド皇子が目を見開く。

彼も気づいたのだろう。あの箱が、見たこともないタイプのものだということに。

「ソフィア──それは、まさか──例の?」

「今、そちらまで運びます。ご確認ください」

廊下の向こうでソフィアが腕を振り上げる。

「てーい!」

そして彼女は──すごく楽しそうに、黒い箱を後ろから──叩いた。

すぅ────っ。

がっこん。

板に乗った黒い箱が廊下を滑り──応接間の入り口の段差に激突して、止まった。

「な!?」

リカルド皇子が絶句する。

一目見れば分かる。あの箱はかなり、重いものだ。

現に記録係の少年トールと、部隊長アイザックが苦労して引きずり、板の上から応接間の床へと移動させている。あまりに重そうなので、リカルドの配下も手伝うほどだ。

やがて箱は、ずしん、と音を立てて、応接間の床に着地する。

だが、ソフィアはそれを、軽く押しただけで、廊下の端から端まで移動させた。

信じられないほどの怪力だった。

ぱたん。

記録係トールが応接間のドアを閉めた。

リカルドも護衛の兵士も、黒い箱に注目していた。

だから彼らは、廊下に妙な光沢があること──床にローションのようなものが塗られていることに──気づかなかった。

十数秒後、ソフィアが別のドアから、応接間に入ってきた。

「──ソ、ソフィア。お前は、一体」

「申し上げる必要はありません」

「ぐぬ……」

その細腕を恐れるように、リカルド皇子が後ずさる。

そんな彼に笑いかけながら、ソフィアは、

「申し遅れましたが、『例の箱』はすでに入手しております。私は約束を果たしました。あとは、兄上さまが約束を果たす番です」

「お、お前はどうやって、これを……?」

「それは問わないお約束です」

ソフィアは、さきほどリカルドが署名したばかりの書類を示した。

リカルドは荒い息をついて、

「だ、だが、これが例の箱だという証拠は──」

「ダリル・ザンノーの配下を捕らえております。彼らの証言が証拠となりましょう。箱と一緒に、兄上に引き渡しますよ」

そうしてソフィアは、リカルド皇子のサインが入った書類を、彼の目の前に示した。

「これで私は、兄上が『例の箱』を手に入れることに協力するという役目を完全に果たしました。兄上はこの箱を入手し、帝都へと持ち帰るのですから」

「……ぐ」

「次は兄上、あなたが約束を果たしてください」

ソフィアは『例の箱』を、ぽん、と叩いた。

「やめろソフィア! お前の力で叩いて、箱が壊れたらどうするのだ!?」

「力加減はしております」

(いつの間にか、怪力少女になってしまいましたね)

ソフィアは噴き出しそうになるのを、必死にこらえていた。

当たり前だけれど、ソフィアの腕力は帝都にいた頃と変わらない。いや、健康になった分だけ、少し強くなっているかもしれないけれど。

『例の箱』を動かせたのは、『MAXすべすべ化粧水プレミアム』の力だ。

これは、トールのアイディアだった。

帝国の皇子なら、力で交渉をこわしてしまうことも考えられる。

そういう相手には、単純な強さを見せつけた方がいい。

それは交渉の、最後の一押しになるはずだ。

ソフィアはトールの提案を受け入れた。

トールはまず、獣の皮を張った板を用意した。その皮にたっぷりと『MAXスベスベ化粧水プレミアム』を塗り込んで、廊下に置く。もちろん、獣の皮を下にして。

すると獣の皮には『MAXすべすべ効果』が発動する。人の肌に使うのと同じ理屈だ。

あとは板の上に『例の箱』を置いて、後ろから押せばいい。

『MAXすべすべ』状態になった板は、つーっと滑って、『例の箱』を運んでくれる。

あとはトールとアイザックが、『例の箱』を重たそうに、応接間に運び込めば作戦完了。

ソフィアがすごい怪力で、『例の箱』を動かしたように見えるはずだ。

あとはソフィアが別の廊下から応接間に戻るだけだ。

廊下についた化粧水を拭き取るのは大変だけど、まぁ、それは不可抗力だろう。

「ソフィア……ひとつだけ聞かせてくれないか」

「はい。兄上」

「病弱だったお前が……どうしてここまで成長したのだ。わからない。このリカルドにはまったくわからないぞ」

「この場所で、素敵な人と、色々な体験をしたからです」

「──な!?」

「国境地帯は、そういうことが起こる場所なのです。手練れの帝国兵を、私と部下が捕らえることができたり、交易所に入りこんだ兵が、突然、パニック状態に陥ったり」

「……むむ」

「その不思議さを受け入れられないなら、兄上は、帝都に帰ったほうがいいのではないでしょうか?」

その言葉が、最後の一撃になった。

リカルド皇子は肩を落とし……ソフィアの出した条件を受け入れると宣言した。

その後は、簡単な打ち合わせが続いた。

帝都に戻ったあと、リカルド皇子は、ソフィアの願いが叶うように尽くすこと。

その証明として、ソフィアと魔王領が捕らえた帝国兵の一部をこの地に残すこと。

皇帝直属の兵である彼らが、ふたりの契約の証人になること。

リカルドは『箱を入手した』件について、帝都に早馬を飛ばし、ソフィアがその入手に協力したことを告げる。

そうして、ソフィアの願いについて進言する。

高官会議に対しては、ソフィアが箱の入手に協力したと明言すること。

魔王領には、ソフィアを経由して、きちんと詫び状と金品を送ること。

最後に、ソフィアの願いが叶ったら、残された兵を解放すること。

──以上だ。

「確かに……これは奇妙な箱だ。一体、どうすれば開くのか……」

「箱をいじるのは後にしてください。持ち帰る途中で、好きになさればいいでしょう」

「あ、ああ。とにかく、このリカルドは『例の箱』を手に入れたのだ! 帝都に 凱旋(がいせん) するとしよう!」

「ダリル・ザンノーにお気をつけください。彼はまだ──」

「わかっている。対策は立ててある。あまりくどくど言うものではないぞ、ソフィア」

こうして、交渉は無事に終わり──

十数日後、帝都よりソフィアの元に、書状が到着することになるのだった。