軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第149話「ソフィア皇女、情報収集を行う」

──国境近くの森の中で──

「部隊はすでに出動したのだな。良いな」

森に設置された天幕の中で、リカルド皇子は言った。

帝都を出てから十数日。

調査部隊を率いたリカルド皇子は、国境近くの森で待機を続けていた。

森に隠れているのは『ノーザの町』の兵士たちに見つからないようにするためだ。

大公カロンは知恵者だ。帝都から調査部隊が出発したことも、すでに気づいているだろう。貴族なら、それくらいの情報網は持っているはずだ。

だが大公も、部隊を指揮しているのがリカルド皇子であることは知るまい。部隊が今、どこにいるのかも、わからないはずだ。

リカルド皇子の目的は、『例の箱』か、その手がかりを手に入れることにある。

また、ソフィア皇女からも情報を得るつもりだ。

そして『例の箱』そのものか、情報を手に入れたら、すみやかに引き上げる。

調査が終われば、『ノーザの町』の兵士に発見されても構わない。

不要姫のソフィアに、リカルドの部隊を止められるわけがないのだから。

「もちろん、油断は禁物だ。わかっているだろうな?」

「──はっ」

リカルドの言葉に、調査部隊の隊長が応える。

隊長が着ているのは、よくある旅装束だった。

褐色の服に、薄汚れたマント。

襟元(えりもと) には砂やホコリを防ぐためのスカーフを着けている。

表情も穏やかで、一見、ただの旅人のようにも見える。

「我が部隊が得意とするのは、存在感を消すことでございます。すでに第2部隊は旅人に扮して、目的の場所へと向かっておりますから」

「良いね。君たちは、見た目で相手を油断させるのだから」

「我々は、見た目の強さにはこだわりません」

部隊長の腰の後ろには、黒塗りの短剣がある。

マントに隠れて正面からは見えない。間合いも短く、弱そうにも見える。

だが、彼らが強力な戦闘力の持ち主であることを、リカルドは知っている。

「そうだね。君たちは使命を果たすときのみ、力を見せるのだったね」

「勇者の格言にございます。『普段は目立たない者こそが、異世界で真の力に覚醒するもの』と」

「言葉の通り、仲間のピンチにだけ力を発揮した勇者がいたのだったね」

「『普段は弱者アピール』という格言もございます」

「その格言を参考に、皇帝一族は君たちのような部隊を育ててきたのだよ」

リカルド皇子は笑った。

「皇帝一族の 陰(かげ) の力について『 聖剣の姫君(リアナ) 』には想像もつかないだろうね。『 不要姫(ソフィア) 』は……多少は知っているかな。あいつは、知識だけはあるからね。だが、ろくに動くこともできない者に、知識だけあっても仕方ないだろうが」

「ソフィア殿下は、お身体が回復されたという 噂(うわさ) もございますが」

「知っている。だが、戦闘に耐えるほどではないだろう?」

「殿下の元には、副隊長を送りこみました。ですが、やはり荒事は避けるべきかと」

「わかっている。情報を得て、すみやかに 退(ひ) くだけだ。何度も言わなくてもいい」

「念のため、第1部隊を後詰めに送りたいのですが……」

調査部隊の隊長は、言葉を濁した。

「『ノーザの町』に向かわせた第1部隊は手間取っているようで……まだ戻らないのです」

「ソフィアの治める町に手こずっていると? らしくないな。とても、らしくないぞ」

「恐れ入ります。おそらく、国境付近の施設の調査も行っているのでしょう。それで時間がかかっていると存じます」

「魔王領との交流施設──交易所だったか」

「御意」

「ディアス兄は『魔王領には手を出すな』と言ったが、その施設は国境の南側にある。魔王領内ではないのだから、調べても問題はないな。うむ。問題ないはずだ」

「人数を多めに送り込んでおりますので、すぐに戻るかと」

「彼らが戻りしだい、第2部隊の支援に向かわせる。その後、例の砦に向かうとしよう」

調査を行っているのは腕利きの者たちだ。明日までには情報を持ち帰るだろう。

リカルドと本隊が動くのはそれからだ。

「数日後には我々は、情報をすべて手に入れているだろう」

リカルド皇子は言った。

「 不要姫(ソフィア) も本望だろう。役立たずの皇女が、帝国に多少なりとも情報をもたらしてくれるのだから。あの者の存在価値など、それくらいだ」

──夕方。砦の近くにある町で──

「ソフィア殿下。お疲れではありませんか?」

「大丈夫です。ドロシーさまこそ、大変だったでしょう?」

砦での調査を終えて、ソフィアとドロシーは宿へと戻ってきた。

ここは、ゲラルト・ツェンガーがいた砦に一番近い町だ。

ソフィアと、ドロシーたち『レディ・オマワリサン部隊』は、数日前からここで宿を取っている。

『例の箱』の調査を行うためだ。

調査は順調だった。

砦に手がかりがないか調査をして、周辺の町や村でも聞き取りを行っている。

町の間を移動する旅人や、商人からも話を聞いているのだ。

「ですが……せっかく殿下にご足労をいただいているのに、あまり有益な情報が得られていないのが残念です」

ドロシーは申し訳なさそうにつぶやいた。

「わかったのは『例の箱』らしきものを持った者が、近くの町で目撃されたことくらいです。その後、どこに行ったのか、まったく情報がないのですもの」

「気にしなくていいのですよ。ドロシーさま」

ソフィア皇女は穏やかな表情で、笑った。

「私は、調査を行うことそのものに意味があると思っているのですから」

「……どういうことでしょうか?」

「私たちが調査を行うことが、『例の箱』を持ち去った者へのメッセージにもなる、ということです」

うなずいて、話を続けるソフィア皇女。

「『例の箱』が本当に誰も開くことができないのなら……持ち去った者たちは、開くための手がかりを求めるでしょう。調査している私たちにも興味を持つはずです」

「まさか、殿下は彼らの興味を引くために調査を?」

「『犯人は現場に戻る』──推理力の高かった異世界勇者が残した格言です。ならば、箱を持ち去った者が砦に戻ることもあるはず。私たちが調査を行っていることにも気づくでしょう。そうすれば──」

「私たちへの接触を試みると?」

「彼らと話ができれば、より有用な手がかりがつかめるかもしれませんね」

ソフィア皇女はいたずらっぽい表情で、片目をつぶってみせた。

(ソフィア殿下は……やはりすごいですわ。これだけの能力をお持ちの方が、どうして皇位継承権をお持ちでないんですの……?)

ドロシーは、まじまじと、目の前の皇女を見つめていた。

ソフィア皇女が病弱だったころのことを、ドロシーは知らない。

けれど、病弱だったからなんだと言うのだろう。

彼女の知恵と、知識と、行動力は、他の皇子皇女を超えている。

もしかしたらソフィア皇女は、『聖剣の姫君』であるリアナ皇女よりも強いかもしれない。

もちろん、正面きっての戦いではなく、兵を率いて戦ったらの話だ。

ソフィア皇女なら作戦を立てて、リアナ皇女が聖剣を使えない状況へ持ち込んで勝利する……ドロシーには、そんなふうに思えるのだ。

(もっとも、リアナ殿下がソフィア殿下に敵対することはありえないのですが)

ソフィア皇女とリアナ皇女は信頼し合っている。

互いが互いを守っているような状態だ。

皇帝一族で、あれほど仲良しの姉妹もめずらしい。

(どんなことがあっても、リアナ殿下はソフィア殿下を助けてくださるでしょう。しかも、ソフィアは強力な『光属性の魔術』が使えるのです。その上……殿下には魔王領に、強力な味方がいらっしゃいます)

強力すぎる味方──それは錬金術師トール・カナンのことだ。

彼の技術力はすさまじい。

彼が作ってくれた『MAXスベスベ化粧水プレミアム』は、ドロシーの敏感肌をあっという間に治してしまった。濃いめに使うと、下着をつけられなくなるほどのスベスベ感だった。あの時のことは忘れない。

さらに、ソフィアの味方は他にもいるのだ。

「ソフィアさま。もう、姿を見せてもいいの?」

「はい。ソレーユさま。ここには私とドロシーさましかおりませんから」

「よいしょ。なのよ」

ソフィアの服の中から、小さな 羽妖精(ピクシー) が姿を現した。

彼女は光の羽妖精ソレーユというらしい。

ドロシーも、数日前に紹介されたばかりだ。

(……羽妖精がこんなに人に心を許しているなんて)

帝国では羽妖精は伝説の存在だ。姿を見た者さえほとんどいない。

その羽妖精と、ソフィアは普通に友だちづきあいをしている。

大公国にいたころには、想像もしないできごとだった。

羽妖精はかくれんぼが得意で、動きが素早く、魔術を使うこともできる。

ソフィアになにかあれば、ソレーユは彼女のために力を貸すだろう。

万一の時には、錬金術師トール・カナンとの連絡役にもなるはずだ。

(帝国の歴史上、羽妖精を味方につけた皇子皇女は存在しません。ソフィア殿下……あなたは……いえ、あなたと錬金術師さまは、なんてすごい……)

ドロシーは思わず身震いする。

自分が伝説級の存在の護衛を任されていることを実感してしまう。

どんなことをしてでも、このお方を守らなければいけない──そんな決意を新たにする、ドロシーだった。

「お部屋に戻ったら、今日の調査のまとめを行いましょう」

宿の階段を上りながら、ソフィアは言った。

「いえ、その前に、3人でお茶を飲みましょうね。落ち着いてお話をして、みんなでお肌のお手入れをして……それから、お仕事のまとめに入りましょう」

「賛成なのよ」

「殿下のお心のままに……いえ、少々お待ちください」

不意に、ドロシーがソフィアたちの前に出た。

足音を殺し、二階の廊下に立ち、ソフィアをかばうように手を挙げる。

「──侵入者の気配があります」

ドロシーは小声で告げた。

耳を澄ませる。『気配察知』で、侵入者の気配を探る。

──いる。

場所は奥から2番目──ソフィアが使っている部屋だ。

調査に出ている間、宿を守る兵は少なくなる。警備が手薄になる。そこを突かれたのだ。

部屋に貴重品は置いていない。調査資料は持って移動している。

だが、残しておいたものから、滞在日数と調査コースを探られる可能性がある。

なにより護衛として、主人の部屋が荒らされるのを放置してはおけない。

「……殿下は安全な場所にいらしてください」

そう言い残して、ドロシーは走り出す。

足音はさせない。気配を消して敵を斬るのは、大公剣術の基本だ。ドロシーは素早く部屋に近づき、ドアを蹴り開ける。

侵入者は──いた。だが、遠い。

覆面(ふくめん) をつけた男性が窓に向かって移動している。逃げようとしているのだ。

窓の外には大きな木がある。奴はその枝を伝って入って来たのだろう。

枝までは距離があるが、体術に長けた者なら飛び移れる。

あの木は切り倒しておくべきだった──そう思いながら、ドロシーは侵入者に向かって走り出す。

「何者ですの!? ここがソフィア殿下の宿と知っての 狼藉(ろうぜき) か!?」

「────ちっ」

侵入者は舌打ちする。

奴が着ているのは、ごくごく当たり前の旅人の服だ。表裏で色が違うマントと、薄汚れた上着。どちらも裏返して着てしまえば印象が変わる。そうしてこちらの目をごまかすつもりなのだろう。覆面を着け、顔だけは隠そうとしているのが 悪辣(あくらつ) だ。

ドロシーは短剣を抜いて侵入者に向かう。

侵入者は窓に向かって駆け出す。逃げの一手だ。

奴の手には革袋がある。ふくらんでいる。部屋からなにかを持ち出そうとしている。

重要なものではなくても、乙女の部屋で盗みを働くのは許せない。

そう思いながらドロシーは敵に駆け寄る──だが、

「──『 氷の針(アイス・ニードル) 』」

「──!?」

侵入者が魔術を発動した。

水属性の、氷の針を飛ばす魔術だ。威力は小さいが、詠唱は短く、発動も速い。

目的は足止め──わかっていながら、ドロシーは短剣で氷の針を切り払う。

素早い動き。決断の早さ。

逃げと、情報収集に徹した能力。

敵は手練れだ。

「──たちが悪いですわね!」

ドロシーは舌打ちする。

魔術を切り払ったせいで、移動速度が遅くなった。侵入者に、数歩届かない。

敵が窓に近づく。間に合わない。情報を持ち去られる。

彼女がそう思い、歯がみしたとき──

『オマワリサーン! アイザックジャナイ、レディノオワマリサーン!!』

びくっ!

声におびえたように──侵入者の足が止まる。

それは、わずか一瞬のこと。

でも、ドロシーにとってはそれで十分だ。

彼女は窓にたどり着く。侵入者の行く手を塞ぎ、短剣で切りつける。

「ちいっ!」

ガギンッ!

ドロシーの一撃を、侵入者が短剣で受けた。

奴は部屋の壁に向かって飛び退く。

視線がドロシーを捉え、さらに、部屋の入り口に向く。

部屋の入り口には、ソフィア皇女が立っていた。

手には小さな円盤を持っている。

錬金術師トール・カナンが作った『防犯ブザー』だ。

「『例の箱』を持ち去った者……いえ、違いますね。帝国の調査兵でしょうか」

ソフィア皇女は落ち着いた表情で、侵入者を見据えていた。

「ここは現在、大公領となっています。帝国兵が調査を行うのならば、大公カロンさまが、領主である私に一言あるべきでしょう。あなたが帝国兵ならばここにいる目的と、指揮官の名前を告げなさい。そして不当に奪ったものを返し、謝罪するのです」

「──ソフィア・ドルガリア殿下──あなたが?」

覆面の奥で、侵入者が目を見開く。

相手は今のソフィアを知らないのだろう。

予想外の 威厳(いげん) にとまどっているようだ。

廊下の方からは、足音が近づいてくる。

一階にいた『レディ・オマワリサン部隊』が、階段を上がってきているのだ。

侵入者の視線がさまよう。

ドロシーと、ソフィア皇女を順番に見る。

ドロシーは、敵の移動ルートを予測する。

退路──窓はドロシーが塞いでいる。逃げ場はない。

となると、敵はソフィア皇女を捕らえ、人質にする可能性が高い。彼女を盾にすれば、安全に脱出することもできる。ならば、ソフィア皇女を守らなければ──

そう判断し、ドロシーは敵に向かって駆け出す。

だが──

「人質は、大公カロンの姪でもいい」

「──!?」

侵入者が身体を沈める。一瞬、ドロシーの視界から消える。

ドロシーは『気配察知』で相手の動きを察する。両腕をクロスし、防御する。

直後、再び『オマワリサーン』の声が響いた。

敵が繰り出そうとしていた蹴りが、一瞬止まる。勢いが弱まる。ドロシーは蹴りを受け止め、背後に向かって飛ぶ。衝撃を殺す。

「お逃げくださいソフィア殿下! この者は、相当な手練れです!!」

「いいえ、私はドロシーさまを 援護(えんご) いたします」

ソフィア皇女の声がした。

「受けなさい! 『ヴィヴィッドライト・デストラクション』!!」

「で、殿下!? ここで広範囲攻撃魔術を使っては──!?」

思わず叫んだ直後、ドロシーは気づく。

(違います。殿下は 詠唱(えいしょう) などされていませんわ!)

ソフィア皇女が、ドロシーを巻き添えにするような魔術を使うはずがない。

だが、侵入者にはそれがわからない。

だから奴の動きが一瞬、止まった。ドロシーとソフィア皇女を見比べ、一瞬迷ったあと、窓に向かって走り出す。

『オ、オマワリサーン!! サアコイ、ピンチダ! オマワリサーン!!』

再び『防犯ブザー』が発動。侵入者の動きがわずかに鈍る。

それだけで、ソフィア皇女には十分だったのだろう。

本命は『光属性の攻撃魔術』でも『防犯ブザー』でもない。

ドロシーの目に映ったのは、ソフィア皇女が投げた、小さな瓶と──

彼女の服の下に隠れていた『光の羽妖精』ソレーユ。

そのふたつが、ソフィア皇女の切り札だ。

「──あなたにいただいたものを、このような形で使うことをお許しください。お詫びはこの身でいたします。ええ、いたしますとも」

「ちゃんと見届けてさしあげるから大丈夫なのよ。発動──『ヴィヴィッド・ストライク』!!」

ぱしゅん。

ソフィア皇女のスカートの下から頭と腕を出したソレーユが、小さな光弾──『ヴィヴィッド・ストライク』を発射した。

とっさに侵入者が身を屈める──けれど、それもソフィアは読んでいた。

羽妖精ソレーユが狙ったのは、侵入者の真上にある、小さな瓶だ。

その瓶に、『ヴィヴィッド・ストライク』が命中する。瓶の口に、穴を開ける。

入っていたどろりとした液体が、侵入者の頭上に降り注ぐ。

腕から足へ。そして床に、小さな水たまりを作る。

(あれは、まさか……錬金術師さまからいただいた……例の!?)

「お許し下さい。あのアイテムは私が……あなたに 綺麗(きれい) な肌をお見せするためのものだったのに……」

ソフィア皇女は震える声でつぶやいた。

彼女をなぐさめるように、ソレーユが肩を叩いている。

ふたりとも、侵入者に近づこうとはしない。警戒もしていない。

もう、捕らえたようなものだからだ。

「──不要姫と呼ばれた方が、ここまでするとは」

侵入者が顔を上げる。

奴は、手元の短剣を握りしめて──

「この匂いは……化粧品ですか。悪あがきですな。では、これで失礼を──」

つるりんっ。

侵入者の手から、短剣が滑り落ちた。

「──む?」

つるりんっ。がごんっ!

さらに、侵入者は足を滑らせ、床に倒れた。

しかも、頭から。

「が、がはぁっ!? な、なんだこれは……あ、足が滑って、立てないだと!? な、なにが起こって!?」

床に手を突いて起き上がろうとする侵入者。

つるりんっ。ごごんっ!

手が滑り、支えを失った頭が床に激突した。

「す、滑る!? なんだこのツルツルは!? 油? いや、油などで自分の体術は──」

「殿下! ドロシーさま、ご無事ですか!?」

「こ、この者は一体!?」

「死にかけの虫のようにジタバタしておりますが、捕らえてもよろしいのですか?」

やってきた『レディ・オマワリサン部隊』は、ソフィア皇女に尋ねる。

ソフィア皇女はうなずいて。

「その者を捕らえてください。ただし、触れないように。ロープを持ってくるのです。化粧水で濡れていない部分を選んで、縛り上げるのです」

「「「了解しました!」」」

『レディ・オマワリサン部隊』のひとりが、階下へと駆け出す。

そんなソフィアと部下を見ながら、ドロシーは内心、冷や汗をかいていた。

(まさか、『MAXスベスベ化粧水プレミアム』を、武器に使われるなんて。しかも、原液で。なんと思い切ったことをなさるのですか……ソフィア殿下)

『MAXスベスベ化粧水プレミアム』は、対象をツルツルスベスベにしてしまう。

ドロシーも、ほぼ原液で使ったことがあるからわかる。原液を肌に塗ると、身につけている下着さえもスベスベの肌を滑り落ちてしまうのだ。ソフィア皇女と錬金術師トールが「限りなく 摩擦(まさつ) が減る」と言っていたのを覚えている。

その原液を、手足に塗ってしまったら──立てるわけがない。

だから侵入者は、床の上でジタバタするばかり。

『MAXスベスベ化粧水プレミアム』は、侵入者の手足を濡らしている。おそらくは靴の中にも入り込んでいるだろう。

しかも床には、小さな水たまりまでできている。

侵入者はそこに倒れ込んだのだ。もはや立ち上がれるわけがない。

しかも、化粧水は顔にもかかっているから──

「ふ、 覆面(ふくめん) が外れていく、だと!? こ、こうなったら──」

侵入者は口笛を吹いた。

強く、甲高い音が、周囲に響き渡る。

数秒後──窓から、白い煙が吹き込んできた。

「窓から離れてください、ドロシーさま! 敵の増援が来ます!!」

「しょ、承知いたしました!!」

即座にドロシーはソフィアの護衛に回る。

彼女の意図がわかったからだ。

ソフィアはさらに『レディ・オマワリサン部隊』たちに耳打ちしている。次の手を打っているのだ。

その判断の速さに、ドロシーは思わず感動する。

「──副隊長」

「──手に──捕まって下さい」

白い煙の向こうで、男性の声がする。

侵入者を助けに来たのだろう。

「──済まぬ」

つるりんっ。

ゴスゥッ!!

すごい音がした。

無理もない──と、ドロシーは思う。

侵入者の手には『MAXスベスベ化粧水プレミアム』の原液が、べっとりと付いているのだ。

手を引っぱって起こすことなどできるわけがない。

おまけに、何度も床に倒れ込んだせいで、服も濡れているだろう。

あの侵入者を連れ出すなど、もう、無理なのだった。

「──煙が消える──お前たちは脱出しろ。情報を、上に」

「──承知しました。副隊長」

「──必ず、助けに参ります」

煙が晴れていく。

ドロシーたちに見えたのは、額を真っ赤にして床に突っ伏す、最初の侵入者の姿。

それと、窓に向かって走っていく、2名の侵入者の背中だった。

彼らは床を蹴ってジャンプ。

そのまま、窓の外にある樹に向かって手を伸ばす。

2人は同時に枝をつかんで──

つるんっ!

つるりんっ!

「「あ──────っ」」

どごん。

侵入者が地面に激突する音がした。

「「縄をかけろ──っ!!」」

窓の下から、『レディ・オマワリサン部隊』の声が響いた。

こうなると予想して、ソフィアは部隊の一部を、窓の下に移動させていたのだ。

2人の侵入者は、最初の侵入者──副隊長と呼ばれた者の手を引いて起こそうとしていた。

そのとき、彼らの手にも『MAXスベスベ化粧水プレミアム』が付着したのだ。

その状態で枝に飛び移ろうとすれば、滑って落下するのは当たり前なのだった。

「……こ、こんな、無様な」

副隊長と呼ばれた者は、床につっぷしたままうめいている。

それを見下ろしながら、ソフィア皇女は、

「知っていることをすべて話していただきます。誰の命令でここに来たのか。どれだけの人数がここに来ているのか。指揮官は誰なのかを」

ソフィア皇女の声は、冷静そのものだった。

「あなたのために、私は大切な方からいただいたものを失ってしまったのです。私はあの方に、それに見合うものをお渡しした上で……この身をかけて、お詫びをしなければいけないのですから」

(……ソフィア殿下。なんと堂々としたお姿でしょう)

その姿は頼もしい。

けれど、ドロシーにとっては不可解でもある。

侵入者を無力化するために、ソフィア皇女は『MAXスベスベ化粧水プレミアム』を使い切ってしまった。あれは錬金術師のトール・カナンからもらったもので、ソフィア皇女にとっては本当に大切なものだ。

それを失ったのだから、もっと怒ってもいいはず。

なのに、ソフィア皇女は落ち着いている。それが不可解なのだった。

「さすがソフィアさま。これも計画のひとつなのよ」

「ん?」

「……なんでもないのよ」

ソフィアの背中で、羽妖精のソレーユが口を押さえていた。

(『計画のひとつ』……?)

そういえばさっき、ソフィア皇女が言っていた。

自分たちが調査を行うことそのものが、『箱』を持ち去った者へのメッセージになると。

もしかしたら、今回の調査は、帝国兵へのメッセージでもあったのかもしれない。

ソフィア皇女は、国境地帯を預かる領主だ。

勝手な調査を行う者たちを、捕らえようとしても不思議ではない。

(まさか殿下は、そこまで計算していらっしゃったのですか!?)

ドロシーには、ソフィア皇女の作戦がわかったような気がした。

彼女は自らをおとりに、帝都の調査部隊を捕らえようとしていたのだ。

そうして彼らから情報を引き出し、それを魔王領のトール・カナンと共有する。

そうすれば、『MAXスベスベ化粧水プレミアム』を使い切ったことへの言い訳にもなる。あの化粧水に引き合うだけの情報を魔王領に渡すのだ。

対価としては十分だろう。

(……なんという知恵者でしょうか。ソフィア・ドルガリア殿下は)

これほどの知恵と行動力を持つ皇女は、帝国の歴史上に存在しなかった。

自分は歴史に名を残すほどの方の護衛を務めているのかもしれない。気を引き締めなければ──そう心に決めるドロシーなのだった。

その後、侵入者たちが捕らえられた後で──

「……ソレーユさま。私はトール・カナンさまに、どのようにお詫びをすればよろしいでしょうか?」

「……あの方の助けになることをすればいいと思うの」

「……どのようなことでしょうか?」

「……たとえば……錬金術師さまはいつも夜通し作業をしていると、メイベルさまはいつも心配されていらっしゃるのよ」

「……睡眠不足を心配されているのですね?」

「……そうなの」

「……となると、トール・カナンさまに、ぐっすりと眠っていただけるようなお詫びがいいですね。膝枕がよろしいでしょうか。それとも……添い寝がよろしいでしょうか。人肌が側にあると安心して眠れるという話もございますね。となると、お風呂でお背中を流したあと、添い寝するのがよいかもしれません」

「……ソフィアさま、すごいこと考えるのよ」

「……仕方ありません。あの方からいただいた大切な化粧水を、こんなことに使ってしまったのですから、お詫びをしなければいけないのです。ええ、私のすべてをかけて、お詫びしなければ」

「……ソフィアさまって知恵者なのよ」

ソフィアとソレーユはこんな会話を交わしていたのだけど──それをドロシーが知ることはないのだった。