軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第138話「魔王ルキエ、魔獣討伐と魔王領の発展について考える」

──数日後、ライゼンガ領の鉱山地区で──

『……グルル』

洞窟(どうくつ) の奥で、魔獣『ケイヴ・ダークベア』は目を覚ました。

体内時計は夜を示している。活動の時間だ。

魔獣は岩の隙間から這い出し、洞窟の外をめざして進み始める。

ここは鉱山地区の山の中にある洞窟だ。

周辺には、同じような洞窟が無数にある。それらは血管のように複雑に繋がり、外からでは全体像がわからない。

中の様子がわかるのは、洞窟を住処とする生き物だけだ。

『ケイヴ・ダークベア』も、そんな生き物のひとつだった。

この魔獣は人や亜人が通れない、洞窟のような場所に巣を作る。

夜になると外に出て、獲物を襲う。

巣の中にはいくつもの出口があり、どこからでも逃げられるようになっている。

そのため、討伐が難しい魔獣だった。

『ギシャ、グガガ……』

食料を求めて、『ケイヴ・ダークベア』は洞窟を這い進む。

体長は1メートル弱。黒い体毛と、長い爪を持っている。

身体は小さくとも力は強い。爪は岩をも砕き、 鎧(よろい) を傷つけることもできる。

動きは速く、獲物の背後から、音もさせずに近づき襲う。

今、『ケイヴ・ダークベア』が向かっているのは、亜人たちのキャンプ地だ。

そこには多くの食料がある。

亜人たちが邪魔をしたら、奴らを襲って喰らえばいい。

この岩山は、『ケイヴ・ダークベア』のナワバリなのだから──

『…………グガガ?』

『ケイヴ・ダークベア』は、ふと、思い出す。

そういえば昼間、洞窟に侵入者があった。

ケイヴ・ダークベアと同じくらいのサイズの 蜘蛛(くも) と、謎の球体だ。まるでこちらの居場所がわかっているかのように、洞窟の奥まで入り込んできた。おどかしたらすぐに逃げた。

あれは一体なんだったのだろうか──?

『フフッ……グガガ』

やがて、洞窟の出口が近づいてくる。

外が見えたよろこびに、ケイヴ・ダークベアは侵入者のことを忘れる。

青黒い夜の空と、星の光が視界に入る。

これからは狩りの時間だ。

亜人たちを襲って、たっぷりと食料を奪えば──

ビクウウウウッ!?

不意にケイヴ・ダークベアは立ち止まり、正面を見据えた。

本能的な恐怖を感じて、身体が小刻みに震え出す。

洞窟の出口に、なにかがいる。

亜人の兵士──いや、違う。もっと危険なものだ。

『…………?』

よく見ると、洞窟の出口に、奇妙なものがあった。

三角形の置物だ。それが上向きの牙のように、洞窟の入り口に置かれている。

色は赤。数はふたつ。

長い棒がふたつの三角形を繋いでいる。

まるで、洞窟の出口が、巨大な魔獣の口になってしまっているかのようだった。

『グォォ……』

この洞窟すべては、ケイヴ・ダークベアのナワバリだ。

その出口を塞がれるのは、彼らにとっては死活問題に等しい。

敵がいるなら戦って排除するべき。

そう思い、『ケイヴ・ダークベア』が一歩進んだ、瞬間──

『────ヴゥオオオオオオオオオオオ!!』

洞窟内に巨大な 咆哮(ほうこう) が響き渡った。

『……ヒィィィッ!』

一瞬で『ケイヴ・ダークベア』は敗北を悟った。

勝てない。

存在感が違いすぎる。

三角形と棒が発しているのは、おそろしく凶悪な殺気だ。

奴は亜人でも、魔族でもない。もちろん人や魔獣でもない。

もっと根源的な恐怖をもたらす存在だ。

それが洞窟の出口にいて、『ケイヴ・ダークベア』を狙っているのだ。

『──ソレ以上近ヅクナ! 貴様ハ我ガ間合イニ入ッテイル!!』

『ヒィィィィ────ッ!』

聞こえた声に、ケイヴ・ダークベアは素早く方向転換。背中を向けて走り出す。

戦うことなど考えられなかった。

ただ逃げる。

距離を取ることだけを一心に願う。

大丈夫。出口は他にもある。

この岩山には、無数の洞窟があり、それは血管のように繋がっている。

あの出口は二度と使わない。

狩りに行くときは、別の出口を使おう。

ほら。もう外が見えてきた。

さっきのものと変わらない、青黒い空と無数の星。

この出口から出れば問題はない。

あの怖いもののことは忘れて、亜人たちを襲えば──

『────ヴゥオオオオオオオオオオオ!!』

──と、思ったら、別の出口にも奴がいた。

『ソレ以上近ヅクナ! 貴様ハ我ガ間合イニ──』

『ギィアアアアアアアアアアアアッ!』

再び逃げ出す『ケイヴ・ダークベア』

最悪だ。この出口も、押さえられていた。

ナワバリにある出口は──残り5カ所。

そちらに向かう『ケイヴ・ダークベア』だったが──

『ソレ以上近ヅクナ! 貴様ハ──』

『ソレ以上近ヅク──』

『ソレ以上──』

『取ッテ食ウゾ! ゴォラアアアアアアア──!!』

『ヒィアエエエエエエエエエエエ! ギィアアアアアアア!!』

『ケイヴ・ダークベア』はパニック状態だった。

7つある出口のうち6カ所が『おそるべきなにか』に 占拠(せんきょ) されていたのだ。

逃げ場は残りひとつ。そこにもあの存在がいたら──戦うしかない。

魔獣といえども、洞窟の中だけでは暮らせない。

エサも足りない。水も足りない。

外に出られなければ死んでしまう。

最後の出口は山頂の近く。崖の上にあるから、見つかりにくいはず。

あの『おそるべきなにか』も、気づかないかもしれない。

『グワァァアアアアアア! ハハッ! ガガガガッ!』

そして──『ケイヴ・ダークベア』は歓喜の叫びを上げた。

最後の出口には、奴がいなかった。

三角形のものも、長い棒もない。

安全──そう考えて、ケイヴ・ダークベアは出口に向かって全力疾走する。

──さぁ、狩りを始めよう。

──たくさん獲物を捕らえよう。

──当分の間、洞窟から出なくても済むように。

そう思いながら、ケイヴ・ダークベアが洞窟を飛び出した瞬間──

ごすっ!

ケイヴ・ダークベアの胴体に、なにかが激突した。

衝撃で身体が宙に浮く。吹き飛ばされる。岩壁に激突する。

『────ガハァッ』

血を吐き出しながら、ケイヴ・ダークベアが見たのは──月明かりの下で微笑む、人間の子どもだった。

しかも、奇妙にひらべったい。

巨大に見えたのは夜だからか、それとも恐怖心から来るものか。

いずれにせよ、ケイヴ・ダークベアには、もう、わからない。

激突のダメージは、魔獣に致命傷を与えていたのだ。

『…………ギィエ、エェ』

亜人たちを 舐(な) めすぎた。

彼らは洞窟の入り口を塞ぐ『おそるべきなにか』と、高速で激突してくる『子どものようななにか』を召喚していたのだろう。

ケンカを売るべきではなかった。

そんなことを考えながら、『ケイヴ・ダークベア』は息絶えたのだった。

──その数日後、魔王城で──

「鉱山地区に現れた『ケイヴ・ダークベア』は、すべて討伐されました」

ここは魔王城の玉座の間。

宰相ケルヴは書状を手に、魔王ルキエに報告をしていた。

「事の起こりは鉱山地区に魔獣『ケイヴ・ダークベア』が出現したことにあります。奴は夜行性の魔獣で、眠っている兵士たちや、 備蓄(びちく) の食料を荒らしておりました。そのため、討伐することになったのですが……」

「それにトールが協力したのじゃな」

「はい。そこで使用されたのが『三角コーン』『コーンバー』『飛び出しキッド』です」

宰相ケルヴは硬い表情で、そう言った。

魔王ルキエはうなずいて、

「『三角コーン』と『コーンバー』は据え置き型の『防犯ブザー』だそうじゃな」

「人や亜人や魔族、魔獣を 威嚇(いかく) する効果があると聞いております」

「うむ。それで『飛び出しキッド』とは……」

「あれは本当に謎のアイテムです。子どもの姿をしている理由がわかりません」

「勇者世界のアイテムじゃ、なにか意味があるのじゃろう」

「……はい。そして『飛び出しキッド』の効果は疑うべくもありません。今回の作戦で、あれは『ケイヴ・ダークベア』を12体も倒しているのですから……」

宰相ケルヴの声は震えていた。

『ケイヴ・ダークベア』は戦いにくい魔獣だ。

動きが速く、捉えにくい。危険を感じるとすぐに洞窟や狭い隙間に逃げてしまう。

逃げ場がなくなると凶暴になり、長い爪で兵士たちに出血を強いる。

討伐には時間がかかるのだ。

それを一晩のうちに──しかも、群れすべてを討伐するなど、予想外すぎた。

まさか『飛び出しキッド』にそれほどの力があるとは、ルキエも思いもよらなかったのだ。

──────────────────

『飛び出しキッド』(属性:地地地・風風風)(レア度:★★★★★★★★★★★★)

強力な地属性と『地の魔石』により、重量感と安定感を持つ。

強力な風属性と『風の魔石』により、文字通り飛ぶように移動する。

危険地帯に亜人や魔族、人間を近づけないためのアイテム。

魔力を感知すると、対象に向かって突進する能力を持つ。

金属で作られており、衝突時には地属性と『地の魔石』によって重量が上昇するため、すさまじい衝撃を与えることができる。

見た目は、元気な子どもの看板である。

土台の部分には『お掃除ロボット・ 蜘蛛型(くもがた) 』と同じ脚がついていて、どこでも踏破できる。

敵を発見すると、子どもの姿をした看板部分がスライドして攻撃する。

射程距離は数メートル程度だが、その威力は絶大。

物理破壊耐性:★★★

耐用年数:1年 (ただし敵に体当たりする看板部分は劣化が早い)

土台部分に限り、3年間のユーザーサポートつき。

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「『飛び出しキッド』は洞窟の出口に設置されていたようです。そして……魔獣が近づくと、文字通りに飛び出して……すさまじい体当たりを喰らわせていたとか……」

「激突の衝撃で、魔獣は大ダメージを受けたのじゃな?」

「岩に叩き付けられた者や、崖から転げ落ちたものもいたようです」

「……強力なアイテムじゃな」

「ライゼンガ領の兵士たちもおどろいていたと、報告書にはあります」

青ざめた顔で、宰相ケルヴは報告を続ける。

「彼らの気持ちはわかります。朝になったら…… 崖(がけ) の下に、大量の『ケイヴ・ダークベア』の 亡骸(なきがら) が転がっていたのですから……なんと言っていいのか」

「じゃろうな。自動的に魔獣を不意打ちするアイテムなど、予想外じゃ」

魔王ルキエは仮面を被ったまま、うなずく。

「具体的には、どのような作戦が行われたのじゃ?」

「詳しくは、次の通りです。

(1)『お掃除ロボット』で、魔獣の 皮膚(ひふ) と体毛を採取する。

(2)『お掃除ロボット』で、魔獣の通り道になっている洞窟を探す。

(3)魔獣が通る場所 (洞窟の出口)に『三角コーン』と『コーンバー』を設置。通れないようにする。

(4)ただし、一カ所だけは『三角コーン』と『コーンバー』の代わりに、『飛び出しキッド』を置く。

(5)その後は数日間、放置する。

──これを実行したら一晩で12体……群れひとつ分の『ケイヴ・ダークベア』が討伐できたそうです……」

「……そうか」

「まさに、攻城戦のお手本のような作戦です。城の出入り口を塞ぎ、敵の退路を一か所に限定する。そこに伏兵を配置し、城から飛び出してきた兵を撃つというものですね。おそらく、作戦そのものはライゼンガ将軍が考えられたのでしょう」

「その作戦が、トールのアイテムによって実現したのじゃな……」

「…………」

「…………」

玉座の間に沈黙が落ちた。

魔王ルキエは腕組みをして、何度もうなずく。

彼女はじっと、報告の内容をかみしめていた。

『お掃除ロボット』『三角コーン』『コーンバー』『飛び出しキッド』

数ヶ月前には、ルキエもケルヴもまったく知らなかった言葉だ。

(なのに……いつの間にか、そのアイテムで魔物の巣を攻略できるようになってしまったのじゃ……)

それは魔王領が、発展と進化を続けている証だと思う。

いつか……トールのアイテムは当たり前のものとなり、魔王領はもっと快適で、暮らしやすい場所になっていくのかもしれない。

(そうなるように国を動かしていくのは……余の役目じゃな)

ルキエは膝の上で拳を握りしめる。

王としての気合いを淹れ直し、それから、

「ともかく、討伐がスムーズに終わったのは幸いであった」

普通なら、魔獣の出入りしている洞窟を探し出すだけでも数日かかる。

その後は、洞窟の入り口に兵士を配置していただろう。魔獣が昼間動く可能性も考えて、3交代制だ。人員が大量に必要になるが、それでも、魔獣を取り逃がすこともある。

『ケイヴ・ダークベア』が別の場所に巣を作ったら、調査からやり直しだ。

なのに『お掃除ロボット』『三角コーン』と『コーンバー』は──設置期間を含めても──わずか数日で討伐を済ませてしまったのだ。

「トールとライゼンガたちをねぎらってやらねばならぬな。書状で、どのような褒美を望むか訊ねるとしよう」

「……陛下」

気づくと、宰相ケルヴが、深刻そうな顔でルキエを見ていた。

それを見たルキエは、首をかしげて、

「どうしたのじゃ、ケルヴよ」

「私は『三角コーン』と『コーンバー』に、とてつもない可能性を感じるのです」

「うむ。では、聞かせてくれ」

「……失礼いたします」

宰相ケルヴは胸を反らして、大きく息を吸い込んだ。

それから──

「──『三角コーン』と『コーンバー』は攻城兵器として使えます。『三角コーン』『コーンバー』で、敵の城門を出入り禁止にすれば、敵は打って出ることができなくなります。それらが破壊されるまで、敵の動きを封じ込めることができます。また、城と城との間を分断することも可能となります。戦術的な使い方ができるのです」

「……そうじゃな」

「さらに……現在の魔王領では土地の開拓を進めております。付近に魔獣が出る場所もありましょう。その際に、まずは『お掃除ロボット』で魔獣の体毛と皮膚を採取し、それを組み込んだ『三角コーン』と『コーンバー』で開拓キャンプを取り囲めば、魔獣の襲撃を防ぐことができます。見張りを立てる必要さえもなくなるのです。どれだけ開拓が進むことか!」

「ケルヴ? あまり興奮せずとも……」

「牧場で使えば、家畜の脱走を防ぐこともできます。農作物を荒らす害鳥・害虫避けにも使えます。馬を対象にした『三角コーン』を騎兵の前に置けば、突進してきた騎兵団を落馬させることもできるのです。それから……それから……」

「わ、わかった。わかったから落ち着け、ケルヴよ!」

魔王ルキエは「どうどう」といった感じで手を振る。

宰相ケルヴは、揺れる柱から頭を離して、

「これらのアイテムと、前回トールどのが作った『ウォーターサモナー』を組み合わせれば……魔王領の生活水準は、かなり進化することでしょう」

「それは今さらじゃろう。トールが来てから、魔王領は進化を続けておる」

「わかります。ですが、それがあまりに早すぎて……私は……宰相としての器量を常に試されているような、そんなプレッシャーを感じるのです」

「……確かに、時の流れは早くなっておるな」

そう言って、魔王ルキエは手元の羊皮紙を見た。

彼女の手の中にあるのは、ソフィア皇女が記した、交易所の拡大についての提案書だった。

「マジックアイテムのことだけではない。他国との関係も変わってきておる。現在のように、人間の世界との交流が活発になったのは、魔王領始まって以来のことじゃからな」

「ソフィア皇女からの提案についてですね」

「ケルヴは、交易所の拡大についてはどう思う?」

「賛成いたします」

「反対する理由が、なくなってしもうたからな」

魔王ルキエは苦笑いして、

「『三角コーン』と『コーンバー』は人の流れを制御できる。悪者は『飛び出しキッド』で足止めできる。警備兵に『防犯ブザー』を持たせれば、より安全じゃ」

「交易所の拡大には、経済的なメリットがあります。ただ、治安を維持するために、多くの人員が必要になることが問題でした。それが解消された以上、魔王領にはメリットしかありません」

「そうじゃな」

「それに関連して、この宰相ケルヴより、提案がございます」

不意に、宰相ケルヴが膝をついた。

彼は真剣な表情で、続ける。

「この機会に魔王領の出先機関を、国境の向こうに設置するのはどうでしょうか?」

「……なんじゃと?」

「私は交易所の中に、魔王領の外交を担当する機関を作りたいのです。そして、仮にソフィア皇女が望むならば……魔王領の中に『ノーザの町』の出張所を作るべきかと考えております」

「両国の友好のために、か……?」

「はい。帝国はともかく、大公国となら、友好が結べると考えるのです」

良案だった。

もともと、交易所を設置したのは一時的なものだ。

黙認(もくにん) を前提としているため、帝国から苦情が来たら引き上げるしかなかった。

だが、国境付近は大公国の領地となった。

その領主であるソフィア皇女は、交易所の拡大と魔王領との交流を望んでいる。

ならば交易所の中に、魔王領の出張所を作ることもできるはず。

そうすれば大公国と魔王領の交流は、よりスムーズになる。

帝国の情報も手に入りやすくなるだろう。

「断られたとしても構いません。 時期尚早(じきしょうそう) だったというだけのことです。交易所の拡大によって交流が進めば、また機会はあるでしょう」

「うむ。良きアイディアじゃ」

魔王ルキエは、満足そうにうなずいた。

「よかろう。ソフィア皇女と交渉するとしよう」

「お願いいたします。陛下」

「しかし、おどろきじゃな。交易所拡大の次は、出先機関の設置か」

ルキエは窓の外を眺めながら、ぼんやりとつぶやいた。

「こうも矢継ぎ早に魔王領が発展していくとはな……余が即位したころには、思いもよらなかったのじゃ」

「これもトールどのと、彼を雇用された魔王陛下のおかげです。ただ私としては、もう少しトールどのに、錬金術のペースをゆるめていただきたいのですが……」

宰相ケルヴは頭をがりがりと掻きながら、

「そういえば、次の会談は交易所で行われるそうですね。例の隠し部屋を使うのでしょうか」

「……む?」

魔王ルキエは思わず腕組みする。

もちろん、トールから連絡は受けている。

次にソフィア皇女と会うときは、交易所の『しゅわしゅわ風呂』を使う、と。

秘密の話をするのだから当然だ。

交易所についての交渉ならば、場所としてもふさわしい。

それはルキエも理解している。理屈では、わかっているのだけど──

「……むむ、むむぅ」

「あの場所ならば安心ですね。帝国の者に話を聞かれることはありません。出先機関の件も、ソフィア皇女だけに伝えられるはずです」

「……むむむ」

「このあたりはトールどのにお任せすれば問題ないでしょう。トールどのとメイベル、それにソフィア皇女の3人で会談をしていただければ……」

「……ケルヴよ」

「はい。陛下」

「トールに、会談の際にはアグニスにも立ち会わせるように伝えよ」

「は、はい? ですが、いつもはメイベルだけで……」

「メイベルも重要人物じゃ。それに、あやつもトールの婚約者になったことでガードが緩く……いや、とにかく、アグニスも立ち会わせるのじゃ。外交となれば今後はアグニスの出番も多くなるからの。訓練の意味も兼ねてのことじゃ!」

「しょ、承知いたしました!」

こうして、魔王領は交易所の拡大を決めた。

同時に、国境の南に、外交的な出先機関を作るという計画を立てることになり──

交渉役にアグニスが任命され、トールとメイベルはそのサポートをすることになったのだった。

──その頃、『ノーザの町』では──

「ドロシーさま」

「はい。殿下」

「今日のお仕事は終わったのでしょう? 少し、お話をしませんか?」

ここは『ノーザの町』にある、ソフィア皇女の屋敷。

夕方。その日の仕事が終わる時間。

ソフィアは、報告に来たドロシーを部屋に招き入れていた。

ドロシーがためらっている間に、ソフィアは二人分のお茶を淹れ、席につく。

まるで、ドロシーが来る時刻を見計らっていたかのようだった。

「……ソフィア殿下には敵いませんわ」

ドロシーは諦めたようにつぶやき、ソフィアの向かい側の席に座った。

「カロンさまもおっしゃっていました。ソフィア殿下は得がたい人材であると。お身体のことなど関係なく、帝国は殿下をもっと、大切にするべきであったと」

「大公さまにそう言っていただくとは、光栄なことです」

「わたくしも同じ考えです。ソフィア殿下は一流のお方だと思っております」

「私は……ただ、人の 縁(えん) に恵まれただけです」

「そのような縁を得ることができたのも、殿下の才能だと思いますわ。そこで、お願いがあるのですが……」

「お願い、ですか?」

「はい。お時間のあるときに、似顔絵を描かせていただけないでしょうか?」

ドロシーは目を輝かせながら、そう言った。

「ささいな趣味なのですが……一流の方の似顔絵を描くのが、わたくしの生きがいなのですわ。もちろん、今すぐにとは申しません。もっともっと殿下のお役に立って、成果を上げて……それから改めて、お願いいたしますわ」

「構いませんよ。時間があるときなら、いつでもお付き合いいたしますが……」

ソフィアはうなずいてから、ふと、気づいたように、

「ドロシーさまはもしかして、大公さまの似顔絵も?」

「はい。子どもの頃におねだりして、描かせていただいております」

「……トール・カナンさまの似顔絵はどうでしょう」

「い、いえ……それはこれから……皆さまのお役に立ってから」

ドロシーは恥ずかしそうにうつむいて、

「わたくしごときが、一流の方にお願いをするのです。やはり、それなりの成果を上げてからでなければなりませんわ」

「あまり自分を卑下するものではありませんよ。あなたは立派にお仕事をされているのですから……ね」

不意に、ソフィアはまっすぐ、ドロシーを見た。

強い視線で──けれど、やさしい表情のまま、彼女は、

「それに……私はあなたさまが悩んでいることについて、大公カロンさまから聞いております。あなたが、人前で常に手袋をつけている理由も。そのせいで、自分を3流だと思い込んでいることも」

「──!?」

ドロシーは目を見開いた。

反射的にカップをつかんでいた手を引っ込め、テーブルの下に隠す。

「も、申し訳ありません。隠していたわけではないのですわ。ただ、ソフィア殿下の護衛のお役目を果たすのに問題はないため……申し上げなかったのです」

「責めているわけではありません。ただ、ドロシーさまのお悩みについて、私からトール・カナンさまにご相談申し上げることもできると、お伝えしたかったのです」

「とんでもありません! わたくしなどのことで、お時間をいただくなんて……」

「そうですか?」

「は、はい。そもそもわたくしには、錬金術師さまに差し上げる対価がございません!」

「それは個人的に、このソフィアが立て替えましょう」

ソフィア皇女はまるで夢見るような表情で胸を押さえて、そう告げた。

とくん、とくん、と心臓が早鐘を打っている。

彼女はかすかに頬を染めながら、続ける。

「大切な部下の方のためです。対価として、私が差し出せるものをトール・カナンさまに」

「……そこまでしていただくわけにはまいりません」

「気にしなくてよいのですよ。むしろ、良い機会かもしれません。いずれ私はすべてを……いえ、これは別の話ですね」

「よくわかりませんが、殿下のご提案は、わたくしにはもったいなさすぎます」

がん、と、テーブルに額を打ち付けるように、ドロシーは頭を下げた。

「もちろん殿下のお気持ちはうれしく思います。ですが、殿下にそこまでしていただくわけにはまいりません!」

「残念です」

「本当に、心から感謝しておりますわ。わたくしは改めて、殿下への一層の忠誠を誓います」

「そうですか……それでは、ひとつお願いしてもいいでしょうか?」

「なんなりとおっしゃってください!」

「次に私がトール・カナンさまとお会いするとき、立ち会っていただきたいのです」

少し考えてから、ソフィアは言った。

「そして、その場で聞いたことを、私たちだけの秘密としていただきたいのです。お願いできますでしょうか? ドロシー・リースタンさま」