軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第67話・有羽と女帝

夜が来た。

空は暗く、森の縁が墨で塗りつぶされたみたいに溶けている。

会談は一旦、ここで中断。

スムーズに話がまとまったのは事実だ。王族と重鎮だけ。余計な欲が混じらないと、国の話はここまで速いのかと、皆が疲れと感嘆の混ざった吐息を漏らしていた。

けれど、速いほど怖い。帰国後の調整は地獄だ。今日の合意を、どうやって「事情を知らぬ者」へ通すのか。

それを考え出すと胃が痛くなるので、今夜は寝る。寝て、起きて、もう一度俯瞰する。

そして何より腹が減った。

王国側も魔国側も、頭を使うと腹が減るという生物の真理から逃げられない。

侍女隊はいつの間にか動いていて、机の上を片付け、紙束をまとめ、会談の場を夕餉の場へと変換していく。

魔国側も同じだ。宝玉の向こうで書記が紙をまとめ、重鎮が背伸びし、将軍が肩を回し、メトゥスがほんの少しだけ表情を緩める。

――よし。飯の時間だ。

誰もがそう思った、その瞬間。

『ほれ、見るがいい!』

宝玉の映像の向こうから、女帝の声が弾んだ。

そして画面が切り替わる。森の西部、女帝の領域。

そこでは、串に刺さった焼き魚がじゅうじゅう音を立てていた。

脂が落ちて火が跳ねる。

塩の粒が皮の上で溶け、ぱちぱちと泡立つ。

焼けた匂いが映像越しに届きそうで届かないのが、逆に腹立たしい。

『我が領域に住まう魚に塩を振って焼いた――王道の「魚の塩焼き」を! 奇をてらわず、正面から殴るのが美というものよ!』

魔国側が、いきなり騒然となった。

「こ、これは……まさか、霧の川の銀鱗魚……!?」

「嘘じゃろ……あれは塩焼きにして良い魚ではない! 宴に供される高級魚だぞ!」

「贅沢がすぎる……だが……うまそうだ……」

困惑と興奮が同居して、老臣たちの声が上ずる。

目を細め、喉を鳴らし、理性が崩壊していく。

女王であるメトゥスも同様だ。その紫水晶の瞳に、食欲の色が濃く浮かぶ。

王国側は、羨望という名の団結を見せた。

レジーナが手を無意識に腹へ移し、アウローラが「うわぁ」と幼子のような声を漏らす。

ラディウスですら例外ではない。貴公子の視線が、魚に張り付いて離れない。

だが、有羽は一切ひるまない。

むしろ、気怠い顔のまま勝負師の目をしている。

「はん。あえて奇をてらわず王道を攻めた事は褒めてやる……だが料理の研鑽が足りんな!」

言い切って、指を鳴らす。

次の瞬間、王国側の庭の端――大きな鍋から、豊潤な香りが立ち上った。

「シンプルな攻め方も洗練できる。……「アダマンボアの角煮」だ!」

角煮――その言葉の意味が分からなくても、見れば全て理解できる。

艶やかな照り。

肉の表面が、夜の灯りを受けて宝石みたいに光っている。

そして何より――ぷるぷる震える。

高級だが、下処理を誤ると固くなって食べれなくなるアダマンボアの肉。

その肉が、固さなど忘却したように柔らかく震えている。

レジーナが、口元をそっと拭った。

誰も見なかったことにした。

美しい第一王女殿下が、涎を拭う訳ないのだ。

故に「見なかった」が正解である。

魔国側は、映像越しに見ているしかない。

その事実が、彼らの理性を削る。

「……見せるだけか。見せるだけなのか」

「残酷だ……」

「これは戦だ。食の戦だ」

老臣たちが真顔で何かを言い始めた。

ただの夕食なのに、国策会議より熱い気がする。

長机の上に並ぶ料理は、魚と肉。

王道の焼きと、未知の煮込み。

互いの陣営が視線で圧をかけ合う。

全員がその瞬間を待っていた。

そして同時に実食。

魔国側。

「……っ!? こ、これは……本当に……魚の味なのか……っ!?」

重鎮の一人が、串を持つ手を止めたまま固まった。

塩焼き。単純。

だが単純であるがゆえに、素材のすべてが露わになる。

銀鱗魚の身は、ほろりとほどけるのに瑞々しく、脂は透明で甘く、塩は輪郭だけを与えて消える。

旨味が波みたいに押してきて、引いて、また来る。

そして――メトゥス。

女王は小さな口で、はむはむ、と魚の腹を齧っていた。

その表情が、あまりに無防備に幸せで。

クールビューティーなエルフの目が、子供みたいにキラキラしていて。

王国側の護衛数人が、完全に見惚れた。可愛すぎる。

で、侍女隊の肘鉄による制裁が加えられる。他国の女王に見惚れる男は折檻だ。

対して王国側――。

「なんて柔らかいの……!」

レジーナが声を漏らす。

王女の声にしては、あまりにも正直だ。

箸だけで、肉が割れる。

切るではなく、割れる。

繊維の抵抗がない。

なのに崩れすぎない。形を保ったまま、とろける。

「見てラディウス! このお肉、簡単に割れるわ……そして……はぁ……口の中で溶けていく……!」

「うん。落ち着こうレジーナ。人様に見せちゃいけない顔してるからね?」

ラディウスは苦笑しながらも、妻の意見に同意していた。

味が、異常。

肉の甘み。脂の香り。煮汁の奥深いコク。

舌が「これは危険」と判断しているのに、手が止まらない。

アウローラは――完全にわんこになっていた。

にっこにこで、頬を膨らませ、尻尾がないのが悔しいくらいの勢いで食べる。

口の端に、ほんの少しだけタレが付く。

それを侍女が無言で拭き、アウローラは「ありがとう!」と満面の笑みで返す。

可愛い。政治が溶ける。

魔国側の爺たちが、孫を見る好々爺みたいな顔でアウローラを見守る。

完全にお爺ちゃん。平和だ。

宝玉越しに、有羽と女帝が睨み合う。

互角。互角の攻防。

どちらも勝ったと言い張れる手応え。

『……ふむ。肉は確かに強い。だが、甘味の追撃が足りぬのでは?』

女帝が笑う。

そして次の一手を出した。

透明な杯。

そこに注がれる、とろりとしたスムージー。

色は深い紅、翠、黄金。

果実の香りが湧き立つように立ち上る。

氷の粒が細かく砕かれ、口当たりが滑らかになるよう整えられている。

『新鮮なフルーツをたっぷり使った極上スムージーよ! 我の庭の恵み、飲み干すがよい!』

魔国側が歓声を上げた。

爺も若者も関係ない。女帝のいうように極上の喉越しだった。

飲むだけで体が生き返るような――甘味と酸味の奇跡的なバランス。

メトゥスは両手でコップをもって、こくこく飲んでいる。

夢中だ。夢中でくぴくぴ飲んでいる。そして幸せそうに眼を閉じる。

味が良い時、人は目を閉じる。これは世界共通らしい。

有羽が、口角を上げる。

負ける気がない顔だ。

「……へえ。飲み物ね。じゃあこっちは――」

有羽が出したのは、皿。

そこに盛られた、雪みたいなシャーベット。

森の果実をたっぷり使った、淡い色の山。

「究極シャーベット! 甘味の勝利は冷たさにある!」

王国側が、悲鳴に近い声を上げた。

一匙入れると、さくり、と音がする。

恐ろしく軽い。空気に味がついているような。

甘味の中に酸味。香りの奥行き。

そして口の中で消える速度が、早い。

アウローラが急いで食べ過ぎて、頭を押さえている。

キーン、ってなってる。キーンて。

宝玉越しに、スムージーを啜る魔国側。

庭でシャーベットを掬う王国側。

互いに羨ましがり、互いに勝ち誇り、互いに悔しがる。

国の利害より先に、胃が同盟を結びそうだった。

「……どうやら引き分けみたいだな」

『……そのようだな。よもや我が庭の恵みに負けぬとは』

「それが人の英知ってやつよ。素材の味を更に活かす。それが料理」

『ふん。言いよるわ。我の前で、素材の味を語るとは……いずれ吠え面かかせてくれる』

「こっちの台詞だ。首を洗ってまっているんだな」

そんな有羽と女帝の様子を、両国は呆れた目で見ていた。

世界屈指の強者が、一体何をやってるのか。

悪ガキが背伸びし合って張り合う光景にしか見えない。

くだらない。心底くだらない。

けれど、そのくだらなさが全員の緊張を解きほぐす。

夜が更ける。

食卓の灯りが揺れ、宝玉の光が淡く脈打つ。

世界が大きく動き出す前に、彼らは一晩だけ、人間に戻った。

東が、静かすぎる――そのことを、全員が意識の端に置いたまま。

◇◇◇

夕食の熱が引いたあと。

笑い声も皿の触れ合う音も、いつの間にか遠のいて。

賢者の居住空間は、夜の静かさを取り戻していた。

有羽は自室に戻っていた。ログハウスの一角。余計な飾りのない、必要なものだけが置かれた部屋。それでいて床も壁も手触りがよく、湿気も寒さもない。結界の恩恵が隅々まで沁みている。

机の上に、緑の宝玉。

掌に乗る程度の小ささなのに、国を揺らす価値があると、今日一日で両国に嫌というほど思い知らされた代物。

人が作れない。作れてはいけない。

そんなものを、森の主は玩具みたいに扱う。

有羽は宝玉に魔力を流した。

光が淡く脈を打ち、部屋の空気が一段冷える。

映像が浮かぶ。

女帝だけが映った。

夕食時の、悪ガキみたいな顔はない。

無機質なマネキンの表情に、ただ「森の主」としての重みが乗っている。

目の奥の色が違う。そこに感情はない……と言えば嘘になる。

感情はある。ただ、必要なとき以外に外へ出さないだけだ。

有羽も似た状態だった。

気怠そうな目をしている。いつも通りに見える。

だが、瞳の焦点は鋭い。

外から見れば「気怠そう」でも、その奥の神経だけが刃物みたいに研がれていた。

魔国側の者たちは女帝が建てた簡易住居、樹上のツリーハウスに引き上げたらしい。

ツリーハウスと言っても、遊びの小屋ではない。女帝が造ったのなら、あれは高級宿だ。

王国側の者も、今頃は客間で眠っている。

宝玉越しに、二人の主だけが居る。

「……それで。まだ蛇は動かないのか?」

有羽の声は低い。

余計な響きが削げ落ちている。いつもの軽口が混ざらない。

『ああ。未だに動かん。……これは異常だぞ。何をしておる』

女帝が答える。

言葉自体は短い。だが、その短さの奥に苛立ちと警戒が詰まっているのが分かる。

朝方からずっと――女帝は東に根を広げ続けていた。

森の西の主は、森そのものと繋がる。

根を伸ばし、森の感覚を借りて覗く。風や土や水の声を拾う。

それが遮られた。蛇に気づかれ、領域を広げられ、視界を閉ざされた。

そこまでは理解できる。

問題は、そこから先だ。

結界を張り続ける理由がない。

百程度の人間なら、女帝の言う通り寝返りで潰れる。

起きたのなら、なおさら一瞬で終わる。

なのに、夜になっても東は沈黙のまま。

「一応もう一度だけ聞くけど……過去に今回みたいな事例は?」

『無い。ただの一度も、な。そもそも、あの蛇めは他者と触れ合おうとせん。東で陣取ったまま何もしようとしない。……あれは我が生まれる以前から、ずっとあそこに留まり続けておる』

「女帝さんですら大昔の存在だろ。それより昔って……一体どんだけよ」

軽口に見えるが、笑ってはいない。

言葉が乾いている。

『さあな。下手をすれば、 世(・) 界(・) が(・) 生(・) ま(・) れ(・) た(・) そ(・) の(・) 瞬(・) 間(・) か(・) ら(・) 居るのやも知れぬ』

有羽は黙った。

うっかり言葉を返したら、冗談で流してしまいそうな言葉。

今は冗談にしてはいけない。

世界の始まりからそこにいる蛇。

その蛇が、いま結界を張ったまま動かない。

それは強いとか怖いより先に、意味が分からないという恐怖が先に来る。

有羽はこの森で八年生きてきた。

魔物が強いとか、地形が変だとか、ダンジョンだとか、そういう異常には慣れた。

だがこの森には、もっと根本の違和感がある。

現代日本の言葉で言えば、 レ(・) イ(・) ヤ(・) ー(・) が(・) 違(・) う(・) 。

世界の上に、別の世界がぴったり貼りついている。

現実の皮膚の下に、もう一枚の皮膚があるような……気味の悪さ。

有羽は目を伏せたまま言った。

「……というか、何のために東に居るんだろうな。基本寝てるだけのデカブツが」

女帝の視線が、宝玉越しに刺さる。

『その疑問は我等にも返ってくる。我が、何故西部の主になったのか……我自身、説明が出来ん。 気(・) づ(・) い(・) た(・) ら(・) そ(・) う(・) な(・) っ(・) て(・) い(・) た(・) 』

その言葉を聞き、有羽が僅かに反応する。

気づいたらそうなっていた。それは――

『これは隠者。お主にも言える事』

有羽は沈黙した。

反論が出ない。

否定はできるかもしれない。

だが否定したところで、その言葉は自分の中で乾いた音を立てて崩れる。

『お主もいい加減気付いておろう? お主は 南(・) 部(・) に(・) 居(・) る(・) 事(・) を(・) 強(・) い(・) ら(・) れ(・) て(・) お(・) る(・) 』

その一言で、有羽の眉根が僅かに寄った。

怒りではない。

痛みの類いだ。

触れられたくない場所を、正確に指先で押されたような感覚。

森から出る気がない、という感情は本物だ。

故郷はなく、帰る術もなく、外に出たところで帰属がない。

それは、出る気を削ぐには十分な理由。

だが……それとは別に、もっと気味の悪い事実がある。

森(・) の(・) 外(・) に(・) 出(・) る(・) と(・) い(・) う(・) 選(・) 択(・) 肢(・) が(・) 、 最(・) 初(・) か(・) ら(・) 存(・) 在(・) し(・) な(・) い(・) 。

気づいたのは二年前。

アウローラに出会って、彼女に誘われて、外に出る未来を真面目に考えた瞬間に気付いた事実。

足が動かなかった。

恐怖で固まった、というのとも違う。

体が拒否した、というのとも違う。

―― 機(・) 能(・) が(・) 無(・) い(・) 。

森の外へ向かう行動原理が、最初から実装されていない。

思考はできるのに、身体が 選(・) 択(・) 肢(・) と(・) し(・) て(・) 認(・) 識(・) し(・) な(・) い(・) 。

外の様子は見れるのに、だ。

女帝が、静かに言う。

『元々我も森の外に出る欲求は無い。だからお主の気持ちが解る。出る気が無いのと、出る選択肢が無いのは別物だ』

女帝は、そこまで言って一拍置いた。

森の主でさえ、言葉を選んでいる。

選ぶだけの理由が、ある。

『我等の行動が「何か」に縛られておる。おそらくそれは東の蛇も同じじゃろう……もっとも奴の場合はあの巨体だ。 森(・) の(・) 内(・) も(・) 外(・) も(・) 関(・) 係(・) 無(・) い(・) だ(・) ろ(・) う(・) が(・) な(・) 』

「もし俺たちが無理にでも外に出たら――どうなると思う?」

有羽の問い掛けに、しばし女帝は黙る。

一度も想像しなかった訳ではない。それでも選ばなかった。

その理由は。

『……碌な事にはならぬだろう、な。魚は川や海で泳ぐ。何故か? そ(・) こ(・) で(・) し(・) か(・) 生(・) き(・) れ(・) ぬ(・) か(・) ら(・) だ(・) 』

単純にして明解な答え。

有羽は天井を仰ぎ、気怠い感情を隠そうともしない。

「……言えねぇよなぁ、こんなこと」

『うむ。言えん。ますますこの森が異質なものに見えてくる。人間達には「凶暴な魔物が蔓延る巨大なダンジョン」で終わらせておくのが良い』

宝玉越しの女帝の声は冷たい。

しかし、その冷たさは残酷ではない。

防波堤の冷たさ。

余計な真実を人間に渡したところで、何も世界は変わらない。

万の時を生きている女帝ですら「この森の存在意義」を理解していないのだ。

そんなモノを人間達に教えたところで、誰も幸せになれない。

有羽は、アウローラの顔を思い浮かべそうになって、意識を切った。

あの真っ直ぐな瞳に、この話をしたくない。

きっと彼女は――怒る前に傷つく。

自惚れでないのなら。彼女は、有羽の現状に心を痛める。

それが一番、見たくない。

だからこそ黙っていた。あのお日様のような笑顔を曇らせたくなくて。

――そんな姿だけは、絶対に見たくなくて。

沈黙の中で、宝玉の光だけが淡く揺れる。

「……朝になっても蛇が動かなかったら、マジでこっちも動くか」

『うむ。決めた通り、最初は我が行く。後詰は任せたぞ?』

「ああ、了解」

短い確認。

それで十分だった。

主同士の約束は、何よりも重い。

宝玉の光が消える。

映像が霧散し、部屋の中に静寂が落ちる。

有羽は椅子の背にもたれ、天井を見上げ、溜息をひとつ落とした。

今日一日で何度目か分からない溜息だ。

そして、本日いちばん憂鬱そうな、面倒くさそうな顔でぼやく。

「ホント、のんびり引きこもらせてくれませんかね……」

答える者は誰もいない。

夜の静寂だけが、残酷にその言葉を飲み込んでいった。