軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第43話・お出迎えの準備

森の南部。

結界の境界を越えた瞬間、空気の密度が変わった。

外の魔境が荒い獣の息遣いなら、ここは整えられた室内のように落ち着いている。湿り気も、匂いも、風の温度も――有羽の手のひらの中で、ちょうどいい具合に揃えられている。

有羽は、その空気を胸いっぱいに吸い込んで、軽く伸びをした。

「んー……よし、帰宅」

歩幅は軽い。肩に背負った荷も、ただの荷物だ。

片道三日だろうが、遠出のジョギング程度。脚は疲れていない。呼吸も乱れていない。髪に絡んだ葉を指で払う仕草すら、散歩帰りのそれだ。

自分の住処――ログハウスが見える。木の香り、煙突、窓の反射。

その手前には、アウローラ一行用の客間の小型ログハウスが。畑、井戸、物置。冬場用の護衛棟は、今は静かに眠っている。

森のど真ん中に、妙に整った生活圏。

誰が見ても「変人の定住地」だ。本人以外にとっては。

有羽は思う。

これは自分の安全のためだ。誰も入れないための結界。自分の心を守るための境界線。

――なのに最近は、ここが「誰かを迎える場所」になりつつある。

足を止めて、肩をぐるぐる回した。

身体は軽いのに、頭の中だけが忙しい。

本来ならば生き延びるだけで精一杯の森。しかも西と南の往復となれば、自殺志願者の道といっても過言ではない。有羽だからこそ難なくこなせる事柄。

(この世界、強さにレベルとかあるけど……俺のレベルってどんなもんなんだろうね)

だからだろうか。ふと、そんな気まぐれが湧く。

ずっと森に籠っているから、測る術がない。測りに来る方も怖がって逃げるだろう。

別に知りたいわけでもない。知ったところで、どうにもならない。

(ま、どうでもいいか)

その考えは、泡みたいに弾けて消えた。

代わりに、別の現実が頭を叩く。

(次の訪問で、王女さんのお姉さんが来るんだよな……別の客間用意しないと)

あの勢いで許可した自分を、ほんの少しだけ殴りたい。

ワンピース。可憐。直視できない。あの日の有羽の口は、軽すぎた。

有羽は結界内の空き地を見渡す。

スペースはある。十二分にある。森の南部は、自分の領域だ。

家一軒増えたところで、畑が困るわけでもない。井戸が枯れるわけでもない。

「じゃあ、ちゃっちゃと作るか――うん?」

言いながら一歩踏み出した瞬間、胸の奥で魔力が脈動した。

敵意はない。不快でもない。覚えのある波の形。

……三日ほど前、西で感じたやつ。

有羽は懐へ手を入れる。

指先が、ひんやりとした硬質な球に触れた。

緑色の宝玉。

女帝から受け取った、例の品だ。

有羽の脳内では既に『テレビ電話オーブ』という雑な名前で固定されている。

右手に取り出し、軽く魔力を流す。

並の魔導師なら百人分を優に超えるだろう膨大な奔流が、宝玉へと注がれる。だが有羽にとっては受話器を取った程度。スイッチを入れる感覚に近い。

宝玉が淡く発光し、空中に像が投射された。

『――ふむ。どうやら距離的な問題も無いな。うむ。我ながら良い仕事だ』

ドヤ顔のマネキン女帝。

木人形の顔のくせに、やけに感情が豊かだ。口角が上がり、鼻が高い。

「おー。西部までの距離があっても問題無しかー……疑ってはなかったけど、やっぱり凄いなコレ」

素直に感心してやると、女帝は満足げに胸を張った。

『そうであろそうであろ。もっと褒めたたえても良いのだぞ?』

「まあ、それは兎も角」

『おい』

女帝が即座に抗議したが、有羽は聞こえないふりをした。

手早く本題へ切り替える。生活者の手つきだ。

「で、何? 何かあったの?」

『? いや、単に動作試験じゃな。本当に届くのかどうか実際に使わねば分からんし……あと我は基本的に暇なのでな。相手をせい』

「おい。そっちこそ、おい」

森の上位存在同士の通話が、理由の九割が「暇」で成立している。

この理不尽さに、有羽は軽く頭痛を覚えた。

「俺は今から、家作るの。マネキンさんの相手してる暇ないの」

『家? ……既に三つ程あるではないか。お主、日ごとに巣を変える性質か?』

「違うって。客が来るから、それ用の家……と、この辺でいいか」

有羽は歩きながら話す。

宝玉を手に持ったまま、空き地へ向かう。女帝の投影は、ふわふわと彼の視界の隅に浮かび、付いてくる。

選ぶ場所は、結局ここしかない。

既存の客間棟の隣。護衛と侍女の動線も守りも考えると、自然と答えが出る。人間の生活を回すための配置。防御のための配置。

有羽は足を止め、地面を見下ろした。

「さーて、どれくらいの大きさがいいかな……王女さんの姉さんだし、少し大きめか?」

『なんじゃ。造りはこだわらんのか?』

「別に同じでいいでしょ。こんな森の奥で豪華さなんて意味無いし」

女帝が大げさに腕を広げて、空中でくるりと回った。

『かー! つまらん奴じゃの! もっとデカい宮殿建てるのが、人間達の好むモンではないのか? 魔国の女王も、やたらデカい城に住んどるのに』

「そりゃメトゥスさんは王様だし。魔国内ではそうするだろうけど……ここ、俺の居住区。王宮違う。OK?」

『それがつまらんと言っておる。もっとこう……ドカーンと、でかい塔でも建てて、訪れる者を畏怖させるような造りにするとかだな』

「誰に向けてのメッセージよ、それ……」

有羽は額を押さえた。

女帝は本気で言っている。上位存在の発想は、基本的にサイズ感がおかしい。

とはいえ、彼女の言うことにも一理はある。

訪れる者――第一王女レジーナが、どういう人物かは知らない。

だが、王都の上澄み。交渉屋。政治屋。美容屋。全部やるタイプだと、アウローラの話から透けて見えている。

(面倒な人だろうなぁ……)

そして、面倒な人ほど「環境」を見て評価する。

客間の造りひとつで、舐めるか、警戒するか、計算するかが変わる。

有羽は、ため息を吐いた。

「……じゃあ、畏怖はさせないけど、油断はさせない程度にする」

『ほう? ようやく芽が生意気になってきたの』

「芽って言うな」

有羽は宝玉を軽く放り、空中でくるりと回転させ、また受け止めた。

片手は空く。もう片手で、地面へ指先を向ける。

魔法陣は描かない。

詠唱もしない。

ただ、空間に命令するように、魔力が走った。

地面が低く鳴り、土が震えた。

まるで大地が深く息を吐くように、ふっと持ち上がる箇所ができる。基礎の位置。柱の位置。排水溝の勾配。全てが瞬時に組み上がる。

『……お主、そういう見えない所はやたら作り込むの』

「基礎工事は大事なんだよ」

有羽は淡々と答えた。

畑の土と違って、家の土は締めねばならない。水が溜まれば木は腐る。森は湿気が濃い。だから、床下の風通しを確保する。

当たり前の知識。

それを魔法で一瞬に落とし込むだけ。

土が固まり、石が起き、木材が空中へ引き寄せられていく。

物置のストック、森の倒木、乾燥させた材――全てが規格に揃い、寸分違わぬ長さに切り出される。

女帝の投影が、ひゅんと近づいてきた。

緑の瞳が楽しげに細まり、子どもみたいに覗き込む。

『ほほう。人の巣作りは見ておって飽きぬ。もっとやれ。もっと見せよ』

「観客がうるさい……」

『観客ではない。監修じゃ』

「うるさいだけなのを監修って言わない」

『ぬぅ……』

女帝が不満げに頬を膨らませる。マネキン木人形の顔でやると妙に怖い。

有羽はツッコミいれそうになるのを堪えながら、作業を続けた。

柱が立つ。梁が渡る。屋根の骨格が組まれる。

木と木の継ぎ目は滑らかに噛み合い、釘すら必要としない。魔力で分子を寄せ、隙間を埋め、構造として一体化させる。人の手でやれば何日もかかる工程を、森の静けさの中で、ぽんぽんと進めていく。

その間も通話は切れない。

『……その王女の姉とやら、どんな芽なのだ?』

「知らない。会ってない」

『会ってないのに巣を作るとは、随分と律儀な隠者よの』

「律儀じゃない。……約束したから」

言ってから、有羽は少しだけ口を引き結んだ。

約束。自分が一番嫌っていたはずのもの。

誰かと関わる証拠。逃げられなくなる札。

(……何やってんだろ、俺)

けれど、手は止まらない。

基礎が固まった以上、途中で放り投げる方が危険だ。森の中の未完成物ほど、厄介なものはない。

女帝は、急に優しい声を出した。

『芽よ。折れるな。折れそうなら、枝を添えよ。根は支え合う方が強い』

「……急にまともなこと言うじゃん」

『我はいつでもまともじゃ。伊達に長年西部を守護しておらん』

「それはまあ、そうでしょうけど」

軽口出せば、軽口が返る。

有羽の胸の奥に浮かんだ黒い澱が、少しだけ薄まった。

屋根が形を取り始める。

壁が立ち、窓枠がはまり、扉が用意される。

外観は、既存の客間と同じ。

木の肌に馴染む、質素なログハウス。

けれど中身はまるで違う。

魔法陣が床下に多層で仕込まれ、結界に連動した防御と遮音と空調が整っていく。

王都の貴族邸ですらありえない設備。

「……よし。最低限の形はできた」

『最低限とは思えぬがの。人間の最低限は、随分と贅沢じゃ』

「俺の基準だと最低限なの」

有羽は宝玉を見上げ、ため息をついた。

「じゃ、俺、続きやるから。暇ならそのまま喋ってていいけど、邪魔したら切る」

『うむ。良い。相手をせい』

「切るぞ」

『おい』

軽い応酬の中で、森の南部に新しい家が生まれ始めていた。

第一王女を迎えるための、新しい客間。

それが、国を動かす前触れになるのか。

あるいは、有羽の静かな生活を決定的に壊す楔になるのか。

まだ誰も知らない。

ただ、木の香りと、土の匂いと、遠くで鳴く鳥の声だけが、変わらずそこにあった。

そして宝玉の向こうで、女帝が飽きもせず見守っていた。

『……地味じゃ。やはり塔だ隠者。塔を付けると良いぞ? 尖ったやつ』

「話を聞け」

◇◇◇

木の香りが、家の中に満ちていた。

梁も床も壁も、削りたての木肌がまだ若い。そこへ、湯気の匂いが混じる。水を温める熱の匂い。石鹸の匂い。湿り気を含んだ、生活の匂い。

有羽は腕まくりしたまま、風呂場の配管の前にしゃがみ込んでいた。

腰のあたりにテレビ電話の宝玉がふよふよ浮かび、本人はお手玉でもするみたいに時々指先でつついて位置を直す。浮かせているのは魔法。落とす気配はない。落としたら女帝が間違いなく怒る。

『……お主、ほんとに雑に扱うのぅ。我の傑作なのだぞ』

「雑じゃない。大体仕方ないでしょ作業中なんだから」

『まったく最近の若いモンは……』

文句を言いながらも、女帝の投影は興味津々で室内を見回していた。木人形の顔が、わずかにしかめられる。呆れ顔だ。

今、有羽が仕上げているのは内装。

鏡面台、クローゼット、浴室。ベッドにソファにテーブル。冷暖房切り替え自由の魔道具エアコンまで設置済み。

有羽の感覚では「簡素なログハウス」だ。

現代日本の、まあ小綺麗な別荘のイメージ。過剰な装飾もない。豪華絢爛もない。生活が回るものを置いているだけ。

けれど、この世界の基準で見れば――完全に狂っている。

森の奥で、シャワーが出る。

しかも温度調整ができる。

冷暖房が切り替わる。

鏡が歪まない。

寝具がふかふかだ。

王宮にも無い。

その事実が、逆にこの家を異様に見せる。

有羽は風呂場の壁際に手を添え、指先を軽く鳴らした。

ぴ、と小さな音。

それに反応して、地下の水脈から水が汲み上がり、配管へと流れ込む。流れの速度は一定。水圧も一定。変な振動はない。耳を澄ませば、水が管の中を走る音だけがする。

「よし……水はOK」

次に、右手の掌を配管にかざす。

魔力が熱へ変換される。水は一瞬で適温へ。湯が湯気を立てる。

さらにシャワー。

天井側のノズルへ、細い風の膜を通す。水滴の粒を整える。肌あたりが痛くない「ちょうどいい粒」にする。水のまま刃にも槍にもなる世界で、わざわざ「やさしい雨」を作るという贅沢。

『……ふむ。無駄が無いのに無駄が多い巣じゃの』

「どっちだよ」

言いながら、有羽は排水口に指を向けた。

地下に刻んだ魔法陣が、無言で仕事を始める。

流れ落ちた排水は分解され、分離される。汚れは抹消。油分は薄く膜状にして封じ、後で回収できるようにまとめる。水分だけが大地へ還元され、土へ吸われていく。

森の循環に、負担をかけない。

森に住む以上、それは最低限の礼儀だ。

(……この魔法能力なかったら、とっくの昔に死んでんだろうな俺……)

ふと、そんな思考が胸を掠めた。

十四で来て、八年。

最初の一年で死んでいてもおかしくなかった。寒さ、獣、毒、怪我、孤独。

それを全部、力でねじ伏せてきた。環境を整え、暮らしを作り、心を守ってきた。

センチな気分が湧き上がりかける。

けれど、手は止まらない。

有羽は棚の上に、小さな瓶をずらりと並べ始めた。

透明。乳白色。琥珀色。香りの薄いもの。やたら甘い匂いのもの。薬草の匂いがするもの。

シャンプーとリンスだ。

有羽は石鹸の基礎になる素材を指先で撫で、魔力を一筋流す。

油脂の性質を整え、界面活性の働きを引き出し、泡立ちと洗浄力のバランスを取る。香り付けは森の精油。髪の絡みをほどく成分は――記憶の棚から引っ張ってきた理屈の「道筋」を、そのまま魔法で短縮して実行する。

本来なら、何年も。

研究と試行錯誤と失敗と改良の積み重ねが必要な領域だ。

だが有羽は、記憶再起の魔法で「正解へ至る道」を一気に見てしまう。

そしてその道を、あり得ない速度で歩けてしまう。

ちょいちょいっと、指を動かすだけで。

あっという間に、完成。

「……はい、シャンプー。はい、リンス。はい、ボディソープ。……はい、保湿用」

『お主……やはり へ(・) ん(・) て(・) こ(・) じゃの』

「へんてこ、じゃない。 こ(・) だ(・) わ(・) り(・) と言ってくれ」

『我からすれば、似たようなモノだ』

女帝の言葉を聞き流しながら、有羽は瓶を棚に並べ終え深く息を吐いた。

(……ホント、市場に流せねぇ)

自分の中の倫理観が、引っかかる。

この世界の職人や魔導師が、積み上げてきた努力の上に、突然「答え」を叩きつけるようなものだ。産業が壊れる。文化が歪む。力が一方向に偏る。

侍女達が化粧品関連にただらなぬ熱意を向けているのは事実だが、それでも。

(これは……俺の居住空間だけの代物でいい)

棚の上の瓶が、静かに光を反射した。

女帝はその様子を眺めながら、肩をすくめる仕草をした。木人形なのに、妙に人間くさい。

『人の子は、よくやるのぅ。身を洗う、ただそれだけの行為に、どれだけ熱意を注ぐのか』

「あー……まあ、俺の元居た場所、『地球』の『日本』ってところはさ。風呂文化が凄かったのよ。温泉が凄く湧いてて……それもあるかな」

有羽は、蛇口をひねった。

湯がさらさらと流れ、白い湯気が立つ。それを見ていると、何かがほどけていく気がする。

湯に浸かる。

肩まで沈める。

息を吐いて、世界を一旦止める。

日本では、それが当たり前だった。

それが特別だと気づくのは、失ってからだ。

『確か、火山のある島国とか言っておったな』

「うん、そう。ついでに言うなら、台風の通り道で雨も多い。水には全然困らなかった」

『そこだけ聞くと恵まれた土地じゃな』

「そこまでなら、ね。ただ地震も多かったし、災害対策で色々苦労した国でもあった」

口に出してから、有羽は少し黙った。

言葉が、記憶の棚を勝手に開けていく。

昔の景色。街。家。人。ニュース。揺れる床。避難所の体育館。水の配給。懐中電灯の光。

そして、積み重なった歴史の数々。

今、自分が魔法で再現しているのは、その歴史の「おこぼれ」にすぎない。

何千万人もの知恵と努力が積み上げた、生活の工夫の先にあるもの。

だからこそ、これで儲けることに躊躇いがある。

この世界で手に入れた力で、他人を蹴落として成り上がる――そういうことが、どうしてもできない。誰かではなく、世渡有羽の良心が文句を言う。

有羽は配管のバルブを一つ締め、手で確かめた。

温度。圧力。漏れなし。

作業が落ち着くと、記憶の流れがさらに奥へ滑った。

気まぐれに掘り返した棚から、別の時代の埃が舞う。

日本という土地の歴史。それを掘り返せば当然――かつての戦国が浮かび上がる。

「しかも、そんな島国で群雄割拠の戦乱が、長く続いたんだよなぁ……こっちでいう騎士みたいな『武士』っていう役職があって、斬ったはったの戦国時代が……」

女帝が、ぱち、と瞬きをした。

次に、真顔で言った。

『…… 悪鬼族(オーガ) でも住んでいたのか、お主の国は?』

「いや、住んでない。人間しかいない。……まあ、かつての島津がそれに近いかな……『鬼島津』って言われてたみたいだし」

『……人間なんじゃよな? 隠者のいた国は、人の国なのだよな?』

「そだよ。その筈なんだけど……時折、すごいのが国を舞台に暴れてただけで」

有羽は苦笑しながら、排水の流れをもう一度チェックした。

脳裏には、森の北部にいる鬼の顔が浮かんだ。

悪鬼族(オーガ) 。異世界に生息する、戦闘狂の種族。一応言語は通じるが、ほぼ魔物な一族。

なにしろ言葉は通じるが、会話は成立しない。

会話する暇があったら、戦闘行為を優先する危険な連中。

奴等は、本当に目が笑っていない。

首を求めて、平然と突っ込んでくる。

自身の命すら度外視して。

関わりたくない。できれば一生、視界に入れたくない。

『……ま、我も長い時を生きた。その間に へ(・) ん(・) て(・) こ(・) な人間が居なかったと言えば噓になるがな』

女帝の声が、少しだけ遠い。

木人形がふっと目を細め、どこか昔を眺めるような仕草をした。

森の長い時間の中で、何人の へ(・) ん(・) て(・) こ(・) を見送ってきたのだろう。

英雄も、暴君も、天才も、愚か者も。

芽吹いて、伸びて、折れて、枯れて、土へ還る。

有羽は、蛇口を閉めた。

湯気がゆっくり薄まっていく。

沈黙が落ちる。

会話の間に、木の家が静かに呼吸する。

宝玉がふよふよと漂い、女帝の投影がその中でじっとこちらを見ている。

有羽はその視線を正面から受け止めるのが面倒で、棚に並んだ瓶を一つ手に取ってラベルを書き始めた。

「……ま、とりあえず。風呂は完成。次は寝具だな」

『そうせい。芽が巣を整える様は、見ておって飽きぬ』

「監修気取りやめろ」

『監修じゃ』

「塔は却下だからね」

『ぬぅ……』

女帝が不満げに唸り、有羽が鼻で笑う。

そのやり取りが、ほんの少しだけ、家の中を温めた。

遠い過去も、深い恐怖も、一旦は本棚へ押し戻して。

今はただ、来客用の家を整える。

次に来るのは、第一王女レジーナ。

その名を思い浮かべただけで、有羽の肩がほんの少しだけ凝った。

「……面倒くせぇなぁ」

『面倒は芽を太くする。よいことじゃ』

「俺は太くなくていいの。森の奥で引き籠りしてるんだから」

宝玉がふわりと跳ねた。

有羽が指先で軽く弾き、また定位置へ戻す。

森の南部。

新しい客間の内装は、静かに、着々と整っていった。