軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第38話・邂逅

西へ、西へと、森の色が少しずつ変わっていく。

世渡有羽は、背中にずしりとした重みを感じながら、枝の上をすいすいと滑るように進んでいた。人間が普通に「歩く」にはあまりにも不便な、鬱蒼とした魔境の大森林。だが、風魔法で脚と身体を軽くし、枝から枝へと移る有羽にとっては、ここは半ば「立体交差の遊歩道」みたいなものだ。

問題があるとしたら――

(……カレーの鍋、けっこう重いんだよなぁ)

背嚢に固定した寸胴鍋が、ひと足ごとに、ぐらりと小さく揺れる。もちろん、中身には疑似時間停止の魔法をかけてあるので、腐る心配も、こぼれる心配もほとんどない。

ないのだが。

(精神衛生上、背中でチャプチャプされるのはあんまり気分良くない……)

そんなことを考えながら、枝を蹴って跳ぶ。

着地と同時に、茂みの陰から飛び出してきた影が一つ――

「ギシャァァア!」

「あ、邪魔」

反射的に手を振った。

風の圧縮弾が、空気ごとぶち抜く勢いで飛び、飛び出してきた黒い魔物の顔面を横からぶん殴る。バキッと嫌な音がして、そのまま見事な放物線を描きながら遠くの木立の向こうへと消えていった。

木々が、ばさばさばさっと一列倒れていく。

「だから、進行方向に飛び出すなって……」

有羽はぼやきながらも、足を止めない。

数歩進めば、今度は上から、ぬるりと落ちてくる影。

巨大な木の枝に張り付いていた、目玉だらけのスライム状の何かが、背中の寸胴を嗅ぎつけたのか、べちゃっと落ちてくる。

「どいてってば」

上に軽く指を弾く。

生温い感触を持った魔物の身体が、逆方向に弾き飛ばされ、今度は空の彼方へと飛んでいく。視界の端で、点になって消えるまで、実に気持ちのいい放物線を描いた。

「……あ、やり過ぎた」

自覚はある。

まあ、あの高さから落ちたくらいでは死なないだろう。この森の魔物は総じてタフだ。

さらに進む。

棘だらけのツタを這わせた巨大サボテンみたいな魔物が道を塞げば、「はいカット」とばかりに空間ごとスパッとねじり捨てる。毒針を振りかけてくる巨大ムカデには、風の障壁をぴっちり張って、逆に自分の毒霧の中に押し込んで放置。

「あっち行ってって言ってんだろ」

ちょっと語気が荒くなる。

やがて、しつこい黒い猿型の魔物の群れが、木々の間を跳ねながら追いすがってきた。

「キ、キ、キャァア!」

「邪魔だって言ってんだろゴルァ!!」

ぶちっと何かが切れて、有羽は振り返りざまに、指先で軽く弧を描いた。

その軌跡に沿って、圧縮した空気の刃が数十本、扇状に放たれる。

木々の幹と、しつこい猿たちの尻尾が、同時にざくざくと切り揃えられた。

甲高い悲鳴が上がり、尻尾を押さえて木陰へと逃げていく猿たち。

「……はいはい、もう追ってくんなよー」

有羽はため息をつき、再び前を向く。

こうして道中、近寄ってくる魔物はすべて鎧袖一触。

正直なところ、「危険」という感覚は無い。仮に攻撃が当たったとしても無傷で終わる。

危機感が薄れつつあること自体が危険、と頭では分かっているが――

(まあ、今日の目的は『道中のスリル』じゃないし)

背中で重みを主張する寸胴鍋に、ちらりと思考を向ける。

あの女帝が「完成したら持ってこい」と言ったカレー。

理由は、聞いていない。

聞いたとき、女帝は「来た時に教える」と、あの木の仮面みたいな顔で意味深に笑っただけだ。

(大体、木のくせにカレーに何の用があるんだよ)

そう悪態をつきつつも、約束は約束だ。

西部オアシスへの道のりは、有羽の魔力と体力さえあれば「片道三日」の遠足で済む。アウローラ一行は「片道三日で済むって何だ」と呆れていたが。

ともあれ、そんなこんなで。

夜は木の上で簡易結界を張り、昼はひたすら枝を渡り、時々魔物を吹き飛ばし――

あっという間に三日が過ぎた。

◇◇◇

そして――乾いた岩肌を越えて、縦に割れた断層を飛び越えて。

新緑ではない景色、西の渓谷を進んだ先に有羽は辿り着く。

眼前の景色が、ふっと開ける。

赤茶けた荒れ地の先。線を引いたように変わる、青と緑と金色の円。

女帝のオアシスだ。

半透明の湖面に、空と森が映り込んでいる。岸辺には様々な植物が群生し、そのどれもが、王都の植物学者が見たら腰を抜かしそうな、珍妙な形と鮮烈な色をしていた。

そして、そのオアシスの縁――女帝の縄張りの境界近くに、それは居た。

緑玉竜(エメラルドドラゴン) 。

全身を、宝石のように透き通った緑の鱗で覆われた中型の竜が、赤茶色の大地に伏せてこちらを見ていた。

以前戦ったときと同じ個体だ。鱗の一部に、あのときの名残と思しき微細なヒビが残っている。

だが、その眼差しは――

ゆっくりと瞬きをし、有羽を見つめ返した後、静かに視線を落とした。

頭を深く垂れ――そのまま、顎を大地につけるようにして伏せる。

喉元の柔らかな部分を、こちらへ晒す形。

竜という存在にとって、それは明確な意思表示だった。

戦う気はない。

降伏とも、服従とも、少し違う。

ただ、「自分が下だ」と認めた上で、「争うつもりはない」と示している姿勢。

「あー……前の一戦で、格付けついちゃったかぁ」

有羽は頬をかく。

前にここへ来た時――つまり、スパイスを貰いに来た時の一戦で、優劣が着いてしまった。

有羽的には全力を出した覚えも、痛めつけた感覚もない。

ただ「ちょっと遊んであげた」程度の感覚だった。

けれど竜は、静かに目を閉じたまま、微動だにしない。

完全に、「通ってくださいどうぞ」の態度だ。

「……戦わなくて済むなら、それに越したことはないけどさ」

有羽は小さく肩をすくめ、竜の脇をゆっくりと通り過ぎる。

すれ違いざま、鱗の隙間から微かに漏れる息の熱と、独特の土と樹脂の匂いが鼻をかすめた。

緑玉竜は、ただじっと、それを受け入れるように伏せたままだった。

(門番がこの態度ってのも、女帝さん的にはどうなんだろうな……)

そんなツッコミは胸の中にしまい込み、オアシスの境界へと足を向ける。

水面から吹いてくる風が、ほんのり甘い香りを運んできた。

スパイスの香りでも、花の香りでもない。

「生きた森」そのものの香り。

その境界線の、ぎりぎりのところで――

有羽は足を止めた。

土と草の感触を確かめるように、足裏に意識を向ける。

そのまま、瞼を半分だけ閉じた。

声は出さない。

代わりに、魔力を、細く、細く伸ばす。

極細の糸を一本、目の前の空間へとそっと差し出す感覚。

その糸の先端を、オアシス全体を包む巨大な「樹の気配」へと、コンコン、と叩きつける。

ノック。

軽く、しかしはっきりとした信号。

(どうもー、御届け物ですー)

呑気なメッセージを魔力に乗せて送る。

すると、返事はすぐに来た。

足元の地面が、こくりと息をするように揺れる。

オアシスの岸辺の少し先、地面の一点が、ごそりと膨らんだ。

土が割れる。

そこから、木の根が絡み合って形作られたような、細身の人型が、ぬうっとせり上がってきた。

樹皮を纏ったマネキンのような木人形。

顔には人間のような目鼻があるが、その表情は、木目と葉脈でできた仮面めいている。

樹神女帝の分身だ。

『来たか、隠者よ』

木の喉から響く声は、以前と同じく乾いた木琴のような音を含んでいた。

「来ましたよ、女帝さん」

有羽は気楽な調子で返す。

軽い、ご近所さんのやり取りだ。

そう思って、一歩、縄張りの中へ足を踏み入れようとした――その時。

木人形の右手が、すっと持ち上がった。

手のひらを上に向け、指先を少し曲げる。

何かを「寄越せ」と言わんばかりの仕草。

さらに、その手が、微妙に動く。

親指と人差し指をこする仕草をし始める。

チップを欲しがるホテルマンのような動き。

「……ああ、あれね。あれ」

有羽は、すぐに思い当たって、ため息をひとつ吐いた。

前回来たとき、スパイスの話を聞き出すための「土産」として渡したもの。

女帝曰く『魅惑の蜜』。

実際のところ、ただの「植物用の液体肥料」、つまり栄養剤である。

もちろん、「ただの」と言っても、この世界基準で見れば狂気の産物だ。

窒素・リン酸・カリウムの配合と微量元素、土壌の調整効果を魔法的に組み合わせた、「N-P-K入り魔導液肥」とでも言うべき代物。

女帝は、その「味」を、どうやらすっかり覚えてしまったらしい。

「はいはい、分かってますよ」

有羽は背嚢のポケットをごそごそと漁り、小さな小瓶を一つ取り出した。

透明なガラス瓶に満たされた、淡い琥珀色の液体。

キャップを外すと、ほのかに甘い、しかしどこか「薬効」を感じさせる匂いがした。

人間の嗅覚で言えば、濃縮されたスポーツドリンクの原液とか、ぶどう糖入り点滴液の香りに近い。

だが植物にとっては――たぶんそれ以上の「快楽物質」だ。

「例の『魅惑の蜜』、お持ちしました」

有羽が差し出すと、木人形――女帝の分身は、露骨にテンションを上げた。

『これよこれ』

木の顔に、分かりやすい喜色が走る。

目の部分がぱあっと明るくなり、枝葉がわずかに揺れた。

彼女は素早く小瓶を受け取り、器用に木の指で蓋をくるくると捻って取り外す。

そして――

樹皮でできた指先を、瓶の口にちょこんと突っ込んだ。

次の瞬間。

ごぼっ。

という音がしたかと思うと、中身が、一気に消えた。

まるでストローでジュースを吸い上げるような勢いで、液体が吸い取られていく。

『ふぉぉぉぉぉ……』

女帝のマネキンボディが、全体的に震えた。

木目がぞわぞわと波打ち、枝葉が一斉にざわめく。

オアシス全体の木々まで、ほんの少しだけ葉を揺らした気がした。

『根の先から、葉の先まで……じわじわと満ちていく……この密度、この配合、この浸透の速さ……やはり、魅惑の蜜は格別だな……』

「それ、名前つけたのあなたですけどね」

有羽は半眼になって突っ込む。

木人形は、瓶の底を名残惜しそうに覗き込み、最後の一滴まできっちり吸い尽くすと、満足げに涼しい顔へと戻った。

『うむ。よい。とてもよい』

湖畔の木々も、どことなく「ふぅ」と息を吐いたような気配を漂わせている。

(……なんか、随分嵌っちゃってるけど大丈夫かな……)

有羽は、内心で頭を抱えた。

少なくとも、目の前の樹神女帝は間違いなく「中毒者」だ。

あまり頻繁に渡すのもどうなのかと、倫理観の片隅がちくりと疼く。

(まあ、女帝さんの場合、世界規模で森を支配してる側だしな……多少ドーピングしても、誰も文句言えないか……)

そんな妙な理屈で自分を納得させる。

女帝の木人形は満足げに腕を組み、今度こそ有羽に向かって手招きした。

『よくぞ持ってきた、隠者よ。では、中へ入るがよい』

「はいはい。じゃ、カレー届けに参りましたよっと」

有羽は苦笑しながら、オアシスの縄張りの中へと足を踏み入れた。

背中の寸胴鍋の中では、疑似時間停止されたカレーが、分子レベルで「待機」している。

それを求めた理由は、まだ知らない。

ただひとつ確かなのは――

(……なんか、カレーより液肥のほうが本命っぽくなってない?)

という、微妙なモヤモヤだけである。

◇◇◇

女帝の木人形に先導されて、世渡有羽はゆっくりと歩いていた。

道のりは、以前来たスパイス畑までの道とは異なる。

その道を歩きながら――相変わらずの異次元染みた大地を実感する有羽。

足元の土の感触が、さっきまでとは明らかに違うのだ。

先程までの乾いた大地とも違く、有羽の居住空間である南部とも異なる土。

女帝の縄張りの中へ一歩足を踏み入れた瞬間、土はふかふかで、それでいて沈みすぎない、妙に「歩きやすい」地面に変わった。

踏むたびに、わずかに弾力が返ってくる。

(……うへぇ。相変わらず凄いな。全部管理されてる土だ、これ)

地面だけではない。

頭上を見上げれば、枝葉の密度が明らかに違う。どの枝も、どの葉も、まるで見た目のバランスまで計算されたかのように伸びている。無駄に絡み合っている蔦が一本もない。

花の咲き方も「自然なのに整っている」。人の手が入った庭園と、野生の森のいいところだけを混ぜて、さらにその上から「数千年の経験」を振りかけたような空間だった。

この領域の詳しい構造は、有羽でさえ知らない。

ここは女帝の庭であり、体内であり、体表でもある。

以前、スパイス畑に案内してもらった時も、女帝の指示した道筋から一歩も外れていない。外れる気もなかった。

というより――

(そんな恐ろしい真似、頼まれてもしたくないわ)

女帝の縄張りを勝手にうろうろする。

それは、多分この大森林の中で「やってはいけないことの五指」に入る。

どこに根が走り、どこに意識があり、どこからが「急所」なのか、有羽にも完全には分からない。うっかりその辺を踏み荒らしたりしたら、気まずいどころでは済まない。

(仮に戦うとしたら、マジでどっちか墓の下に逝きそうなんだよな……)

女帝と自分、どちらが上か下か――という、くだらない意味ではなく。

本気で殺し合いになった場合、お互いに「世界の側」が割を食う。

大樹海の西側をまるごと巻き込むような大喧嘩になる未来がちらついて、有羽は心の中でぶんぶん首を振る。

戦う気は、毛頭ない。

この大樹海の中で、数少ない「話が通じる」存在だ。しかも、割と良識がある。まあ、人ではなく魔物の一種なのだけれど。

木人形の背中を目で追いながら、オアシス内の風景に視線を巡らせる。

植物は、本当に多種多様だ。

葉先が炎のように赤い草。幹の途中から透明な実をぶら下げた低木。花弁が風鈴みたいにぶら下がっていて、風が吹くと本当に鈴の音を立てる花。

地球で植物学を専攻している教授や研究者を連れてきたら、確実に狂喜乱舞するだろう。

いや、狂喜乱舞通り越して、数名は泡吹いて倒れるかもしれない。

(生態系、完全に逸脱してるんだよなぁ……)

有羽は内心呆れ半分、感心半分でため息をつく。

樹精霊(ドライアド) 。

エルフ族が崇め、「森を守るもの」として伝承に残している、人を無暗に襲わない稀少な魔物。

むしろ、森の繁栄に貢献する精霊種。

その最古の個体が――樹神女帝だ。

先を歩く木人形の後ろ姿を見ながら、有羽は考える。

女帝と戦うことでは、ない。

それは全力で避ける。

余程のことがない限り、有羽と女帝が刃を交えることはないだろう。お互いに縄張りも遠いし、お互いに争いを好んでいない。

問題なのは、『東』と『北』だ。

空気がひんやりした気がした。

思考だけが、少し遠くを見る。

その上で、『東』はまだマシだ。

あちらの「蛇」は、自ら動くことがほとんどない。あれは、動くだけで森に影響を与える存在だ。触らぬ神に祟りなし――どころか、触った瞬間に大陸地図が書き換わるレベルの厄介さなので、出来ることなら一生関わりたくない。

だが、『北』は――

いつまた動き出すか分かったものではない。

かつて。四年前。

アウローラたちと出会う前の話だ。

まだ森の中でひとり、ただ「生き延びる」ことだけを考えていた頃。

北の「アレ」が暴走した。

有羽は女帝と一時的に手を組み、どうにか暴走を「押し込めた」。

封印と言うにはお粗末だ。とりあえず暴れ回る腕を押さえつけて、がんじがらめに縛って、物置に押し込んだくらいの対処。

それから一度も、暴走の兆しは見えない。

だが、今後どうなるかは、誰にも分からない。

最悪の場合。

アウローラ達が訪れている最中に――

(……させねぇよ。それは、絶対)

気付けば、拳を握りしめていた。

喉の奥が、少しだけ熱くなる。

二年前からの付き合いになる、元気一杯の第二王女様。

最近は、なんというか「わんこ」みたいな印象が強い。

褒めたら尻尾を振りそうだし、褒めなくても、ご飯を出したらやっぱり尻尾を振りそうな、そんな王女様。

いつの間にか、有羽の生活空間に笑顔で訪れるようになった女性。

かつて粉々に砕け散った、有羽の心の洞。

そこに、まるで代わりのように居着いてしまった――可憐な――。

胸の奥で、何かがわずかに軋んだ。

『着いたぞ』

木人形の声に、思考の流れがぷつりと切れる。

いつの間にか、オアシスの奥深くまで進んでいた。

目の前に広がるのは、さっきまでとはまた違う景色だ。

空気が、ひときわ清涼になった。

肺に入ってくる空気が、ひんやりと涼しいのに、どこか甘い。喉を通るたびに、疲労が一枚ずつ剥がれていくような感覚。

四方を樹々に囲まれた、広大にして見事な庭園が広がっている。

中央に位置するのは雄大な湖。その縁を囲うように、低木や花壇、苔むした石が絶妙な配置で並べられていた。色とりどりの生命が咲き乱れている。

そこが、女帝の「座」。

そしてここは、西の魔国において『魔国の真の守護者』が眠る聖地とされる場所。

女帝が、西の魔国と「稀に」対話を試みる場所でもある。

つまり、ここは――外交の場だ。

その場所に、一人の女性が植物で構成された椅子に座っていた。

高く結い上げられた、銀糸のような長髪。

おそらく解けば腰まで届く見事なストレートなのだろうが、今は簡素にまとめられている。

日光を受けると、髪は白金色に煌めいた。

もし同じ場所を月光が照らせば、淡く水色を帯びた輝きに変わるのかもしれない――そんな想像が、自然と浮かぶ。

瞳の色は、淡い紫水晶。

アメジストのような柔らかい紫。

普段は静かに半眼気味なのだろう。その瞳は今、少しだけ見開かれていて、驚きと困惑とが入り混じった色を湛えていた。

体つきは、典型的なエルフらしく、細くしなやかだ。

護衛のように筋肉を鎧のように纏っているわけではない。だが、魔力を通す「器」として、無駄のない柳のような強さがある。折れそうで折れないしなやかさ。

身に纏うのは、深い森を思わせるダークグリーンのローブドレス。

裾や袖、胸元には、銀糸で繊細な刺繍が施されている。葉や蔦、星々をモチーフにした紋様が、光の加減でふわりと浮き上がる。

耳は、わずかに尖っている。

髪の隙間から覗くその形状が、人間ではないことを、はっきりと示していた。

(……エルフだ)

有羽は、思わず足を止めた。

頭の中で、地球時代に摂取したファンタジー作品の知識が一斉に騒ぎ出す。

(やば。めっちゃ「エルフ女王」って感じの人なんですけど……)

長命種。森と共に生きる民族。プライド高そう。美形。寿命が桁違い。平均スペックが高いせいで、人間から羨望と嫉妬の対象になりがちな、あの種族。

そんなテンプレートが、目の前でリアルに椅子に座っている。

彼女の名は、メトゥス・ラウルスリム。

――と、頭の中に情報が流れ込んできた。女帝からの、ささやきのような補足。

西の魔国の、現女王。

エルフ、ドワーフ、獣人……多種族を束ねる「魔国」の王。

(おいちょっと待て、なんで魔国のトップがここに居るの?)

思考にツッコミが追いつかない。

そんな人物が、今――

呆然とした顔で、有羽の方を見ていた。

彼女の手は、わずかに強張っている。

紫水晶の瞳が、寸胴鍋を背負った人間の青年を見つめている。

その表情には、「想定外」という言葉がありありと浮かんでいた。

だが、その目だけは――まだ、完全には現実に追いついていないようだった。

呆然。

驚愕。

それでも、王としての矜持なのか、その表情を最小限に抑え込んでいる。

けれど、わずかに開いた口元と、動きの止まった指先が、心の中の「え?」を雄弁に物語っていた。

(……まあ、そうだよな)

有羽は、自分の格好を自覚している。

森仕様の簡素なローブ。動きやすさ重視のズボン。ボサボサの黒髪。背中には寸胴鍋。

どう見ても、「森の賢者」っていうより「森の変人料理人」だ。

メトゥスは、細く息を吸い込むと、ようやく言葉を紡いだ。

「……あなたは」

透き通るような声だった。

高すぎず、低すぎず、よく通る、柔らかな音色。

だが、その声の芯には、鋼のようなものが隠れている。

「……『何』……?」

有羽は一瞬だけ考えてから、肩をすくめた。

「あ、有羽です。世渡有羽。……あー、現地呼称だと『森の賢者』とか言われてます」

背中の鍋を地面に置く。

でかでかと鎮座する銀色の鍋。その鍋を手で軽くぽん、と叩いて。

「カレー、持ってきました」

どう考えても、「魔国の女王への第一声」としては雑である。

メトゥスは、ぱちり、と瞬きをした。

その女王の横顔を、女帝の木人形が、どこか愉快そうに眺めている。

森の賢者と魔国女王は、こうして出会った。